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第一部
会敵
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すさまじい炎。まるで大地や木々を飲み込む赤い怪物のよう。イーリスがその怪物の進軍をスローモーションのように目に捉えた時、小さな手が彼女の腕を掴み、彼女の小さな体を引き寄せて力強く抱きしめた。
その刹那の後、衝撃の波が木々を吹き飛ばして炎が一帯を蹂躙した。
衝撃で吹き飛ばされた木々があちこちに散乱し、真っ黒に焦げた地面からぷすぷすとどす黒い煙が上がっている。
散乱する木々の間からイーリスが身を起こし、その体の上から盾になった少年の体がずるりと滑った。
どさり、と不吉な音を響かせて少年がうつ伏せに倒れる。少女は呆然としたような顔で倒れた少年を見て、両手でゆするように彼の体を揺らした。
「アル……起きて……」
何度か少年の名前を呼ぶがぴくりとも動かない。ゆっくりと手を離して立ち上がり、色が抜けたような虚な瞳で少年の体を見下ろす。
そう背丈も変わらない小さな体。
背面の衣服が焼け焦げて赤黒く爛れた背中が露わになっており、頭から流れ落ちる血で顔が赤く染まっていた。
イーリスが少年と自分の体を見比べてから一帯を見回す。
大地は焼け焦げ燃え盛る木々の中にあってなお傷ひとつない、どころか服にひとつの汚れすらついていない。絶対に守るという少年の意思のあらわれ。
「どうして……」
ぽつんとした声。
「なんで……いつも、私だけ……」
返るのは沈黙のみ。
──どうすればいいの。
少女は瞳を閉じて内なる声に耳を傾ける。静かに息を吸い、ゆっくりと吐く。拳を握りしめ、目を開き、膝を折る。
倒れ込んだ少年の頬に優しく手を重ねた。
「……無事か」
声が聞こえてイーリスはぴたりと動きを止めた。むくりとアルテアが起き上がってイーリスをつぶさに観察する。
「怪我はないな」
安堵したように言ってから、今度は自分の体の調子を確認するように肩や首を回す。
「うん、俺も大したことなさそうだな」
唾でもつけておけば治るといったような軽い口調で顔についた血を拭う。重傷といっても差し支えない傷を負ったにもかかわらずあっけらかんとしているアルテアを、少女が憮然とした目つきで見る。
視線に気づいたアルテアが不思議そうに声をかけた。
「ずっと座り込んでどうしたんだ?まさか怪我してるのか?」
この後に及んで他人の心配をする、どこまでも自分を顧みないアルテアの様子に少女が呆れたように呟く。
「怪我してるのはそっち」
「ん?俺のは大したことはないよ。あとでターニャに治癒魔法で治してもらうさ」
決して強がりなどではない本心からの言葉。前世でも痛みに対する訓練は受けていたし、もっとひどい傷を負うこともざらにあった。
アルテアにとっては決して耐えられない痛みではなかった。
全く問題ないという様子で周りに視線を巡らせ、おそらく爆風で離ればなれになってしまっただろうターニャの姿を探す。
「それよりも今は状況確認だ。ターニャを探してすぐに──」
ズガンッ!突如、雷鳴のような轟音にアルテアの言葉が遮られた。
素早く庇うように少女の前へ腰を沈めて周囲を見据えて魔力探知の魔法を発動。
魔道具を隠してあるポイント付近で、先程までは感じなかったわずかな魔力反応を複数検知するのと同時、立て続けに爆音と地震のような大地の振動起きた。
探知した魔力が高速で移動していることから戦闘中であると判断して自分の後ろにいる少女を一瞥、一秒足らずの逡巡を経て鋭い声を飛ばす。
「少し先で戦闘が起きている。たぶん魔道具を破壊したやつだ。できれば逃がしたくない。あまり危ない目に合わせたくはないけど、俺と一緒に来てくれるか?」
イーリスが決意を込めたようにこくりと頷くのを確認して、アルテアは少女の体を引き寄せて腕に抱えた。
「悪いけど飛ばすぞ。あと、舌を噛むからあまり喋るなよ」
普段は意図的に抑えている魔力を解放。
幾何学的な輝きがアルテアの体を包み、イーリスが瞠目する。
「行くぞ」
少女をしっかりと抱えたことを確認し、アルテアは大地を踏みしめて矢のように飛び出した。
森を住処にする魔獣ですら及びもつかない俊敏さでアルテアが木々の間を縫って疾走する。どんどん後ろに流れていく様々な景色を眺めながら、イーリスが思い出したかのように口を開いた。
「ターニャは……へいき?」
イーリスの案じるような声音。
安心させるようにアルテアがきっぱりと答える。
「大丈夫だろう。あいつがあれくらいで怪我をするわけがないし、さっきの爆発音を聞いてるはずだからきっと同じ場所に向かってるよ」
「ターニャは強い?」
「強いよ」
アルテアが即答する。
「魔鉱石の採取時期は村に何人も冒険者が来るけど、ターニャは俺が見たことのある冒険者の誰よりも強い」
「……そうなんだ」
意外という顔つきのイーリス。
「ああ、だから大丈夫だ。またすぐに会えるよ。それより心配なのは──」
自分の方だ。と続けようとして言葉を飲み込んだ。
向かう先で戦闘を繰り広げている連中はかなりの手練れだと考えていた。
アルテアの魔力探知を潜り抜ける精密な魔力操作の技術、離れた場所にいる自分たちまで余波を受けるほどの威力の魔法。
暴れているのが魔獣(と言う可能性はほぼゼロだと思っているが)にしろ人にしろ、強敵には違いなく、果たしてイーリスを無傷で守り通せるか。
ふと胸をよぎった不安を誤魔化すようにかぶりを振る。
「私……じゃまして……る?」
ぼそりと呟くような少女の声にアルテアがはっとなる。なるべく安心させるように声をかける。
「どうしたんだ、急に」
「怖い顔、してたから」
そう言われて自分の表情に意識を向けてみるがわからなかった。
「顔が怖いのは生まれつきなんだ。気にするな」
本気とも冗談ともつかぬ相槌。
本人としては冗談のつもり。しかし通用せず。
少女の様子がますます寂しげなものになる。アルテアがふうとため息を吐いてゆっくりと喋る。
「本気で邪魔だと思ってるなら置いていってる。この程度は想定通りだよ、何も問題ない」
「ほんと……?」
「ああ。家を出る前に俺が言ったこと覚えてるだろ?」
アルテアの問いかけ、数秒の沈黙。
「……わすれた。もういちど言ってほしい」
「嘘つけ、今の妙な間はなんだ」
「わすれた」
少女の断固とした意思。
まるでそびえ立つ天をつかんばかりの摩天楼のよう。その頑固さにアルテアは白旗を振る。
「……恥ずかしいから一度しか言わないぞ」
せめてもの抵抗としてもはや意味を失いつつある意思表示を前置きする。
「俺から離れるな。俺のそばにいろ」
きっぱりと言い放つ。
少女はそれを聞いて嬉しそうに少年の小さな胸板に顔を埋めた。
「ん……わかった」
「わかればいい」
アルテアはぶっきらぼうにそう言って少しだけ鼻を鳴らしてから、何かに気づき前を見据える。
視線の先で、踊るように木々の間を縫う四つの人影を認めた。
その刹那の後、衝撃の波が木々を吹き飛ばして炎が一帯を蹂躙した。
衝撃で吹き飛ばされた木々があちこちに散乱し、真っ黒に焦げた地面からぷすぷすとどす黒い煙が上がっている。
散乱する木々の間からイーリスが身を起こし、その体の上から盾になった少年の体がずるりと滑った。
どさり、と不吉な音を響かせて少年がうつ伏せに倒れる。少女は呆然としたような顔で倒れた少年を見て、両手でゆするように彼の体を揺らした。
「アル……起きて……」
何度か少年の名前を呼ぶがぴくりとも動かない。ゆっくりと手を離して立ち上がり、色が抜けたような虚な瞳で少年の体を見下ろす。
そう背丈も変わらない小さな体。
背面の衣服が焼け焦げて赤黒く爛れた背中が露わになっており、頭から流れ落ちる血で顔が赤く染まっていた。
イーリスが少年と自分の体を見比べてから一帯を見回す。
大地は焼け焦げ燃え盛る木々の中にあってなお傷ひとつない、どころか服にひとつの汚れすらついていない。絶対に守るという少年の意思のあらわれ。
「どうして……」
ぽつんとした声。
「なんで……いつも、私だけ……」
返るのは沈黙のみ。
──どうすればいいの。
少女は瞳を閉じて内なる声に耳を傾ける。静かに息を吸い、ゆっくりと吐く。拳を握りしめ、目を開き、膝を折る。
倒れ込んだ少年の頬に優しく手を重ねた。
「……無事か」
声が聞こえてイーリスはぴたりと動きを止めた。むくりとアルテアが起き上がってイーリスをつぶさに観察する。
「怪我はないな」
安堵したように言ってから、今度は自分の体の調子を確認するように肩や首を回す。
「うん、俺も大したことなさそうだな」
唾でもつけておけば治るといったような軽い口調で顔についた血を拭う。重傷といっても差し支えない傷を負ったにもかかわらずあっけらかんとしているアルテアを、少女が憮然とした目つきで見る。
視線に気づいたアルテアが不思議そうに声をかけた。
「ずっと座り込んでどうしたんだ?まさか怪我してるのか?」
この後に及んで他人の心配をする、どこまでも自分を顧みないアルテアの様子に少女が呆れたように呟く。
「怪我してるのはそっち」
「ん?俺のは大したことはないよ。あとでターニャに治癒魔法で治してもらうさ」
決して強がりなどではない本心からの言葉。前世でも痛みに対する訓練は受けていたし、もっとひどい傷を負うこともざらにあった。
アルテアにとっては決して耐えられない痛みではなかった。
全く問題ないという様子で周りに視線を巡らせ、おそらく爆風で離ればなれになってしまっただろうターニャの姿を探す。
「それよりも今は状況確認だ。ターニャを探してすぐに──」
ズガンッ!突如、雷鳴のような轟音にアルテアの言葉が遮られた。
素早く庇うように少女の前へ腰を沈めて周囲を見据えて魔力探知の魔法を発動。
魔道具を隠してあるポイント付近で、先程までは感じなかったわずかな魔力反応を複数検知するのと同時、立て続けに爆音と地震のような大地の振動起きた。
探知した魔力が高速で移動していることから戦闘中であると判断して自分の後ろにいる少女を一瞥、一秒足らずの逡巡を経て鋭い声を飛ばす。
「少し先で戦闘が起きている。たぶん魔道具を破壊したやつだ。できれば逃がしたくない。あまり危ない目に合わせたくはないけど、俺と一緒に来てくれるか?」
イーリスが決意を込めたようにこくりと頷くのを確認して、アルテアは少女の体を引き寄せて腕に抱えた。
「悪いけど飛ばすぞ。あと、舌を噛むからあまり喋るなよ」
普段は意図的に抑えている魔力を解放。
幾何学的な輝きがアルテアの体を包み、イーリスが瞠目する。
「行くぞ」
少女をしっかりと抱えたことを確認し、アルテアは大地を踏みしめて矢のように飛び出した。
森を住処にする魔獣ですら及びもつかない俊敏さでアルテアが木々の間を縫って疾走する。どんどん後ろに流れていく様々な景色を眺めながら、イーリスが思い出したかのように口を開いた。
「ターニャは……へいき?」
イーリスの案じるような声音。
安心させるようにアルテアがきっぱりと答える。
「大丈夫だろう。あいつがあれくらいで怪我をするわけがないし、さっきの爆発音を聞いてるはずだからきっと同じ場所に向かってるよ」
「ターニャは強い?」
「強いよ」
アルテアが即答する。
「魔鉱石の採取時期は村に何人も冒険者が来るけど、ターニャは俺が見たことのある冒険者の誰よりも強い」
「……そうなんだ」
意外という顔つきのイーリス。
「ああ、だから大丈夫だ。またすぐに会えるよ。それより心配なのは──」
自分の方だ。と続けようとして言葉を飲み込んだ。
向かう先で戦闘を繰り広げている連中はかなりの手練れだと考えていた。
アルテアの魔力探知を潜り抜ける精密な魔力操作の技術、離れた場所にいる自分たちまで余波を受けるほどの威力の魔法。
暴れているのが魔獣(と言う可能性はほぼゼロだと思っているが)にしろ人にしろ、強敵には違いなく、果たしてイーリスを無傷で守り通せるか。
ふと胸をよぎった不安を誤魔化すようにかぶりを振る。
「私……じゃまして……る?」
ぼそりと呟くような少女の声にアルテアがはっとなる。なるべく安心させるように声をかける。
「どうしたんだ、急に」
「怖い顔、してたから」
そう言われて自分の表情に意識を向けてみるがわからなかった。
「顔が怖いのは生まれつきなんだ。気にするな」
本気とも冗談ともつかぬ相槌。
本人としては冗談のつもり。しかし通用せず。
少女の様子がますます寂しげなものになる。アルテアがふうとため息を吐いてゆっくりと喋る。
「本気で邪魔だと思ってるなら置いていってる。この程度は想定通りだよ、何も問題ない」
「ほんと……?」
「ああ。家を出る前に俺が言ったこと覚えてるだろ?」
アルテアの問いかけ、数秒の沈黙。
「……わすれた。もういちど言ってほしい」
「嘘つけ、今の妙な間はなんだ」
「わすれた」
少女の断固とした意思。
まるでそびえ立つ天をつかんばかりの摩天楼のよう。その頑固さにアルテアは白旗を振る。
「……恥ずかしいから一度しか言わないぞ」
せめてもの抵抗としてもはや意味を失いつつある意思表示を前置きする。
「俺から離れるな。俺のそばにいろ」
きっぱりと言い放つ。
少女はそれを聞いて嬉しそうに少年の小さな胸板に顔を埋めた。
「ん……わかった」
「わかればいい」
アルテアはぶっきらぼうにそう言って少しだけ鼻を鳴らしてから、何かに気づき前を見据える。
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