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第一部
徒歩で来た
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村に着く頃にはすっかり日が暮れていた。沈んでいく太陽が空を赤く染め上げて一日の終わりを告げる。森を抜けてすぐのところでクレイグ、アーガス、エレナの三人がアルテアたちに別れを告げた。
どうやら今から村を発って王都に向かうようだった。急な話だとは思ったが、異端が動いた事実を一刻も早く共有したいらしい。
それほど彼らは危険な存在なのだと実感した。村の中腹ほどで彼らと別れ、アルテアたちは屋敷へ向かう。その途中、イーリスがはたと立ち止まる。
「……私も帰らないと、いけない」
唐突に彼女は切り出した。表情の変化に乏しい彼女だが、どこか寂しがっていることはわかった。
その顔から、宿に帰る、というわけではないことは窺い知れた。
「そういえば……そろそろ王都に帰るんだったな」
「……ん」
形の良い眉をひそめてこくりと頷く。彼女の胸元で、アルテアの渡したネックレスが振り子のようにゆらゆら揺れる。
夕日が周囲の景色をオレンジに色に染め上げていて、雪のように白い彼女は世界からぽっかりと浮かび上がっているようにも思えた。
まるで地上に降り立った天使のようでもあり、ただでさえ儚げな少女の雰囲気をいっそう幻想的にかえていた。そのまま絵画にできそうなほど美しい光景にアルテアは言葉を詰まらせる。
「……まあ、二度と会えなくなるわけでもなし。生きてればまた会えるだろ」
声が上ずらないように気を付けながらそう言った。アルテアの言葉に何かを考えるようにしばし沈黙した後、彼女も短く答えた。
「……ん。あした、あいさつにいくから」
「そうか。なら母さんにも伝えておくよ。父さんは……遠征中だからいないけど」
「……ざんねん」
「父さんもきっと同じ気持ちだ」
そう言うと彼女はまた少し寂しそうに下を向いてから顔をあげ、口惜しそうに告げた。
「また、あした」
「ああ。また、明日」
お互いに手を振って彼女とはそこで別れた。アルテアは夕日の中に消えていくように離れていく彼女の背中をしばし見つめていた。
彼女の姿が見えなくなるまで見守ったあと、さあ帰ろうかとターニャを探す。いつの間にか、ターニャの姿は消えていて、足元の地面に文字が刻まれていた。
「私はお先に失礼します。どうぞごゆっくり」
またいらぬ気を利かせたな。アルテアは乱雑に足で地面をこすって文字を消す。そしてゆっくり空を眺めながら屋敷への道を歩いていった。
屋敷に帰ると母が出迎えてくれた。事の顛末は先に戻ったターニャから聞いていたようでいたく心配されてしまった。
アルテアの小さな体をぎゅっと抱きしめるティアの抱擁は心地良く、固くなった心が丸みを帯びていくようでひどく落ち着いた。大人にこれだけ近寄られてもまるで警戒心も抱かず、自分の身体を他者に委ねる。それは前世で生きていた頃の少年からすれば信じられないことだった。
だが不快ではない。居心地が良いと感じている自分がいた。反面、それがどうしようもなく少年を苛つかせた。そんな気持ちをティアに悟られぬように押し殺し、顔にぺたりと仮面を貼り付ける。そして夕食をとろうかと準備をしているところで、乱暴に屋敷のドアが開かれた。
何事かと座るイスから腰を上げ、一瞬臨戦態勢に入りかけたアルテアは、扉の前の人物を見て意外そうな顔になる。父であるアルゼイドが息を切らせてそこにいたからだ。
まさか走って帰ってきたのだろうか。そう思うほど顔から汗を滝のように流し、ずっと肩で息をしていた。
彼は食卓につくアルテアを視界にいれるとどたどたと慌ただしく駆け寄って、食い入るように息子を見た。いったいどうしたのだとアルテアも訝しむように父を見返す。
そこにいつもの精悍な顔はなく、ただひたすらに不安と安堵を織り交ぜたような、父親の顔があった。
この人もこんなに不安そうな顔をするんだな。アルテアはふとそんなことを思った。
そしてずいっと体が引き寄せられ、本日二度目の抱擁を受ける。
アルゼイドの抱擁はティアのそれとはまったく違い、力強く、少し息苦しい。だがやはり、落ち着いた気持ちになる不思議なものだった。
「……父さん。少し、苦しいよ」
分厚い胸板から顔を出して言った。
「す、すまん。お前が死にかけたと聞いて、つい」
そう言われて慌てて息子を解放するアルゼイド。そんな彼に、横合いからティアが声をかける。
「あなた、遠征はどうされたのです?」
「あ、ああ……。アルのことを聞いてな、ずばっと終わらせて帰ってきた」
それは領主代行としていいのだろうかと、アルテアは疑問に思う。
ティアがやれやれというふうに頭を振った。やはり良くないことなのだとアルテアは認識する。
「ずいぶんと汗をかいておられますが、まさか走って帰ってこられたのですか?」
今度はターニャが問い詰める。まるで父が尋問されているようで少し居たたまれなくなる。
「馬よりも自分で走ったほうがはやいからな。急いでいたから、まあ仕方ない」
まさか本当に走って帰ってきたとは思ってもみず、アルテアはぽかんとなった。ティアとターニャも唖然としていた。
「し、仕方ないだろ。急いでいたんだ!俺は父親として──」
「そうね。アルちゃんのことが心配だったんだもの、仕方ないわ」
あたふたするアルゼイドをティアがそうして受け止めた。それで安心したのか、アルゼイドはほっとしたように胸を撫でおろしてイスに腰を下ろした。そして改めて今日の森であった顛末を彼にも話した。
全ての話を聞いた後、アルゼイドはまるで賢者のように思慮深い面持ちで一言「うむ」と頷いた。
「ひとまずは闇狩りや異端狩りに任せればいいだろう」
「え、それでいいの?」
想像以上に他人任せの答えにわりと驚く。
「勿論アーカディア様にご報告はするが……餅は餅屋と言うだろう?調査は専門家に任せればいい」
「ひとまずは、私もそれで問題ないかと思います」
ターニャもアルゼイドに同意を示した。なら、それが正解ということなのだろう。
闇狩りは冒険者の中でも、高位の魔を狩ることに特化した調査と戦闘のプロ。
異端狩りとは通称で、正式には異端審問官という星神教会の戦闘部隊だ。どちらも能力の高さは群を抜いていると聞く。
確かに専門家に任せるのが正解なのかもしれないとアルテアも納得する。
そして後日アーカディアのところへ再び赴き魔道具をもらいに行くことになった。
そうして話が落ち着いて、急遽であるが家族団らん、改めて食事をとることにした。
ターニャがアルゼイドの分の料理をしている間、アルゼイドとティアが雑談に花を咲かせる。話の中でふと、ティアが思い出したかのように問いかけた。
「あっ!あなた、そういえばサーショのスイーツはどうなりました?」
「……あっ」
アルゼイドが大口を開けたまま固まって何も話さなくなる。流れる沈黙。笑顔のまま黙るティア。
空気が重くなった気がした。おそらく気のせいではないだろう。
アルゼイドの乾いた声が食卓にむなしく響いた。その日の夕食はあまり味がしなかった。
どうやら今から村を発って王都に向かうようだった。急な話だとは思ったが、異端が動いた事実を一刻も早く共有したいらしい。
それほど彼らは危険な存在なのだと実感した。村の中腹ほどで彼らと別れ、アルテアたちは屋敷へ向かう。その途中、イーリスがはたと立ち止まる。
「……私も帰らないと、いけない」
唐突に彼女は切り出した。表情の変化に乏しい彼女だが、どこか寂しがっていることはわかった。
その顔から、宿に帰る、というわけではないことは窺い知れた。
「そういえば……そろそろ王都に帰るんだったな」
「……ん」
形の良い眉をひそめてこくりと頷く。彼女の胸元で、アルテアの渡したネックレスが振り子のようにゆらゆら揺れる。
夕日が周囲の景色をオレンジに色に染め上げていて、雪のように白い彼女は世界からぽっかりと浮かび上がっているようにも思えた。
まるで地上に降り立った天使のようでもあり、ただでさえ儚げな少女の雰囲気をいっそう幻想的にかえていた。そのまま絵画にできそうなほど美しい光景にアルテアは言葉を詰まらせる。
「……まあ、二度と会えなくなるわけでもなし。生きてればまた会えるだろ」
声が上ずらないように気を付けながらそう言った。アルテアの言葉に何かを考えるようにしばし沈黙した後、彼女も短く答えた。
「……ん。あした、あいさつにいくから」
「そうか。なら母さんにも伝えておくよ。父さんは……遠征中だからいないけど」
「……ざんねん」
「父さんもきっと同じ気持ちだ」
そう言うと彼女はまた少し寂しそうに下を向いてから顔をあげ、口惜しそうに告げた。
「また、あした」
「ああ。また、明日」
お互いに手を振って彼女とはそこで別れた。アルテアは夕日の中に消えていくように離れていく彼女の背中をしばし見つめていた。
彼女の姿が見えなくなるまで見守ったあと、さあ帰ろうかとターニャを探す。いつの間にか、ターニャの姿は消えていて、足元の地面に文字が刻まれていた。
「私はお先に失礼します。どうぞごゆっくり」
またいらぬ気を利かせたな。アルテアは乱雑に足で地面をこすって文字を消す。そしてゆっくり空を眺めながら屋敷への道を歩いていった。
屋敷に帰ると母が出迎えてくれた。事の顛末は先に戻ったターニャから聞いていたようでいたく心配されてしまった。
アルテアの小さな体をぎゅっと抱きしめるティアの抱擁は心地良く、固くなった心が丸みを帯びていくようでひどく落ち着いた。大人にこれだけ近寄られてもまるで警戒心も抱かず、自分の身体を他者に委ねる。それは前世で生きていた頃の少年からすれば信じられないことだった。
だが不快ではない。居心地が良いと感じている自分がいた。反面、それがどうしようもなく少年を苛つかせた。そんな気持ちをティアに悟られぬように押し殺し、顔にぺたりと仮面を貼り付ける。そして夕食をとろうかと準備をしているところで、乱暴に屋敷のドアが開かれた。
何事かと座るイスから腰を上げ、一瞬臨戦態勢に入りかけたアルテアは、扉の前の人物を見て意外そうな顔になる。父であるアルゼイドが息を切らせてそこにいたからだ。
まさか走って帰ってきたのだろうか。そう思うほど顔から汗を滝のように流し、ずっと肩で息をしていた。
彼は食卓につくアルテアを視界にいれるとどたどたと慌ただしく駆け寄って、食い入るように息子を見た。いったいどうしたのだとアルテアも訝しむように父を見返す。
そこにいつもの精悍な顔はなく、ただひたすらに不安と安堵を織り交ぜたような、父親の顔があった。
この人もこんなに不安そうな顔をするんだな。アルテアはふとそんなことを思った。
そしてずいっと体が引き寄せられ、本日二度目の抱擁を受ける。
アルゼイドの抱擁はティアのそれとはまったく違い、力強く、少し息苦しい。だがやはり、落ち着いた気持ちになる不思議なものだった。
「……父さん。少し、苦しいよ」
分厚い胸板から顔を出して言った。
「す、すまん。お前が死にかけたと聞いて、つい」
そう言われて慌てて息子を解放するアルゼイド。そんな彼に、横合いからティアが声をかける。
「あなた、遠征はどうされたのです?」
「あ、ああ……。アルのことを聞いてな、ずばっと終わらせて帰ってきた」
それは領主代行としていいのだろうかと、アルテアは疑問に思う。
ティアがやれやれというふうに頭を振った。やはり良くないことなのだとアルテアは認識する。
「ずいぶんと汗をかいておられますが、まさか走って帰ってこられたのですか?」
今度はターニャが問い詰める。まるで父が尋問されているようで少し居たたまれなくなる。
「馬よりも自分で走ったほうがはやいからな。急いでいたから、まあ仕方ない」
まさか本当に走って帰ってきたとは思ってもみず、アルテアはぽかんとなった。ティアとターニャも唖然としていた。
「し、仕方ないだろ。急いでいたんだ!俺は父親として──」
「そうね。アルちゃんのことが心配だったんだもの、仕方ないわ」
あたふたするアルゼイドをティアがそうして受け止めた。それで安心したのか、アルゼイドはほっとしたように胸を撫でおろしてイスに腰を下ろした。そして改めて今日の森であった顛末を彼にも話した。
全ての話を聞いた後、アルゼイドはまるで賢者のように思慮深い面持ちで一言「うむ」と頷いた。
「ひとまずは闇狩りや異端狩りに任せればいいだろう」
「え、それでいいの?」
想像以上に他人任せの答えにわりと驚く。
「勿論アーカディア様にご報告はするが……餅は餅屋と言うだろう?調査は専門家に任せればいい」
「ひとまずは、私もそれで問題ないかと思います」
ターニャもアルゼイドに同意を示した。なら、それが正解ということなのだろう。
闇狩りは冒険者の中でも、高位の魔を狩ることに特化した調査と戦闘のプロ。
異端狩りとは通称で、正式には異端審問官という星神教会の戦闘部隊だ。どちらも能力の高さは群を抜いていると聞く。
確かに専門家に任せるのが正解なのかもしれないとアルテアも納得する。
そして後日アーカディアのところへ再び赴き魔道具をもらいに行くことになった。
そうして話が落ち着いて、急遽であるが家族団らん、改めて食事をとることにした。
ターニャがアルゼイドの分の料理をしている間、アルゼイドとティアが雑談に花を咲かせる。話の中でふと、ティアが思い出したかのように問いかけた。
「あっ!あなた、そういえばサーショのスイーツはどうなりました?」
「……あっ」
アルゼイドが大口を開けたまま固まって何も話さなくなる。流れる沈黙。笑顔のまま黙るティア。
空気が重くなった気がした。おそらく気のせいではないだろう。
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