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第一部
喧嘩
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「ステータスオープン!」
少年が唱えた。
「ステータス!」「ウインドウ!」「アイテムボックス!」
次々と告げられる言葉はしかし何の効力も現象も起こさず、むなしく空に吸い込まれていった。
「どうやらこの世界にステータスというものはないらしい」
アルテアはひとしきり考えた後に、納得したように一人でうなずいていた。
今さらながら、この現世が彼の知る聖典の中で、どの種類に近い世界なのかを確認していたところだった。
聖典の中で語られる世界は、この呪文を唱えれば自分の能力値や技能などがレベルや実数値として把握できるものが多かった。
だが、いくら試してもそのようなことが起きることはなかった。
どうやらこの世界はその法則から外れているようだと彼は結論付けた。
「自分の実力が目に見える数値として確認できればわかりやすくて楽だと思っていたんだけどな」
わずかに落胆の色が滲む。
「まあ、ないものは仕方ない」
期待はさほどしていなかった。
そういうものがあるならとっくに気づいているだろうし、家族も何かしら言うはずだからだ。気持ちを切り替えて帰り支度をして家に向かった。
家のドアをくぐると、ティアが金色の瞳を彼に向けて声を上げた。
つくりもののように白い肌が印象深く、最近はその美しさにますます磨きがかかっているように感じられた。
「おはよう、アルちゃん。今日の鍛錬はもうおわり?ずいぶんはやいのね」
ティアが大きくなったお腹をさすりながら、微笑みかけてくる。
「おはよう、母さん。今日はなんだか気が乗らなくて」
「あら、あなたがそんなことを言うなんて珍しい」
おっとりとした口調で
「雨でもふるのかしら」とくすくすと笑った。
そしてどこからともなくあらわれたターニャが彼にタオルを差し出した。アルテアは神出鬼没なメイドに内心驚きつつも、彼女に礼を言ってそれを受け取った。
アルテアもかなり鍛錬しているはずだが、未だにこのメイドの気配を察知するのは難しい。というか、ほぼできない。
「父さんは?」
汗を拭きながら聞く。
「いつも通り。お庭で剣を振ってるわ。挨拶していらっしゃい」
「うん」
言いつつも、アルテアは彼女のお腹をしばし見つめていた。
そこに生命が宿っている。
彼にとってそれは不思議なことで、現実味がなかった。
子供というのはカプセルの中でつくられる。それが前世での常識だ。
息子の視線に気づいたティアが
「さわってみる?」と彼に聞く。
少し悩んでから首を振った。自分が触れてはいけないような、そんな気がした。
「……いや、遠慮しとくよ」
千切るように視線を外して、広い居室を横切り庭に面したほうへと歩く。そこで、いつも通り稽古をする父を見つけた。
赤銅色の髪をたなびかせ、燦々と輝く太陽の下、身の丈ほどもある大剣を軽々と振っていた。服の上からでも長い月日で鍛え上げられた肉体の精悍さを見て取れる。アルゼイドは息子に気づいて稽古を中断し、声をかけた。
「おお、アルか。おはよう。今日は随分と帰りがはやいな」
「おはよう。それ、母さんにも言われたよ。雨がふるんじゃないかって心配してた」
「はは、母さんらしいな」
大剣を片手に渋みのきいた声で笑うアルゼイドの姿はとても様になっている。自分もいつか父のようになるのだろうか。そんな期待とも不安ともつかぬ顔をしているアルテアに、アルゼイドが父親の顔をのぞかせた。
「どうした、ずいぶんと浮かない顔じゃないか」
「いつまでたっても父さんに勝てないからね」
本当の理由ではないが嘘でもない。最近になって伸び悩みを感じていた。背は伸びた。魔力の総量も上がってはいる。間違いなく成長はしているはずだった。
だが、父やメイドにはいっこうに勝てない。世界最強を目指しているのに、全くそれに近づいている気がしない。
聖典の知識に頼ろうとしたが無駄だった。
焦り、諦め、不安、恐怖。
負の感情が湧いてくる。
急げ、急げ。敵を殺せ。
仲間の仇をはやく討て。
声が頭の中で響く回数が増えた。
そんな息子の言葉に一瞬ぽかんとした顔をしたあと、アルゼイドは豪快に笑った。
「ははははは!」
全部を吹き飛ばしてしまいそうなほどからっとした笑い声。
「お前、まだ六歳じゃないか。さすがに負けていられんさ。もう少し父親の威厳を保っていたいしな」
そう言ってニヤリとしたあと、少し待つようにアルテアに言い聞かせ、家の居室に立てかけてあった木剣を手に戻ってくる。そのうちの一本を息子にさしだし、「やるだろ?」と視線で彼にうったえた。
「……本気でやってよ?」
剣を受け取りながらアルテアが父に告げる。
「お前もな」
挑発するように薄く笑いながら、アルゼイドが剣を構えた。アルテアもそれに応じて構えを取り、敵を視界の中心に据え、神経を研ぎ澄まし、感覚を増大させる。
周囲から聞こえる雑音を意識から外し、アルゼイドの呼吸に集中した。
そしてアルゼイドが息を吐ききった瞬間を狙って、全力で地を蹴った。爆発的な加速で、小さい身体が矢のように真一文字に風をきってすすむ。
アルテアは二メートルほどあった間合いを瞬時に詰めて、勢いそのままに横薙ぎの斬撃を放った。
もらった──アルテアがそう確信したのも束の間、アルゼイドの姿がアルテアの視界から文字通り、消えた。当たれば確実に骨の一つも砕いただろうその一撃は、鋭い音だけを残して空を切った。
「ッ!」
父の姿を視認している暇はない、あと数秒で必殺の一撃が叩きこまれる。そう直感したアルテアは咄嗟に右足で地面を踏みつけて、周囲の地面を隆起させて城壁のような囲いをつくった。
彼は自分の右後方にせり上がった土壁に、何かが触れるかすかな音を捉え、身を屈めた。アルゼイドの斬撃が、土壁を紙のように切り裂き、アルテアの髪をチッと掠める。
追撃が来る前に右に飛び、体勢をととのえ父を再び視界に捉えなおす。が、次は自分の番だとでも言わんばかりにアルゼイドがすかさず距離を詰める。
一撃で決めるつもりで距離をつめたのが裏目に出ていた。身体能力、近接戦では確実に劣っている。このまま張り付かれ続けたら近いうちに押し切られる。そう判断したアルテアは距離を開けるために魔法を行使する。
「風よ吹け!」
突き出した左手から爆発するような突風が巻き起こり、弾丸となって直進。その衝撃が周囲の草木を揺らす。アルゼイドはそれを歯牙にもかけず突進、片腕で魔法を殴り飛ばした。
「本気で撃ってこれかよっ……!」
空間ごと切り裂けそうな必殺の剛剣が目前に迫る。もはや木剣の威力ではない。あまりの圧力にすくみそうになる身体を抑えて魔法を発動、自分の真横に突風を叩きつけて方向転換と急加速を同時に行い、弾け飛ぶようにして左に移動する。
手をつき地面を滑りながら、アルゼイドの周囲に風を集める。
高密度の空気で満たし──
「火よ燃えろ!!」
火魔法を放つ。
火炎の弾丸がちりちりと空気を焦がして飛来する。直撃すれば大爆発必至。もはや殺す気としか思えぬ戦法だったが、アルテアはこの程度で父が死ぬとは微塵も思っていなかった。少しダメージを与えるか、最悪その生じる爆発で目くらましになればいいと考えていた。
「むっ!」
アルゼイドはそう呟きをこぼしてから少し気合を入れるように 力をため、木剣を地面に突き刺す。彼を中心に周囲に地割れ起き、地面が大きくめくり上がった。
その衝撃波で集めた風が散らされて、火魔法を消し飛ばした。恐るべきは、彼が魔法を使わず身体能力だけでそれをやってのけたことだった。
「はあっ……!?」
肉体ひとつで魔法のようなことをやってのける、およそ人間業とは思えない父の所業にたまらず驚愕する。その一瞬の隙を見逃さず、アルゼイドは地を蹴りたった一歩で彼に肉薄した。瞬間移動のような移動術。
「くそっ!」
苦し紛れに一撃放つが、アルゼイドは木剣でそれを受け止め、蛇のように剣を這わせてからめとり、アルテアの手から剣を弾き飛ばした。
アルテアの木剣が宙を舞い、乾いた音をたてて地に落ちる。彼の首筋に木剣が吸い込まれ、か細い首を切り飛ばすかと思われた瞬間、
ぴたりと止まった。
衝撃が突風となって吹き荒んで地面を抉る。その暴力の痕跡を半ば呆れつつ横目に見やり、アルテアは静かに口を開いた。
「まいりました」
負けを認めて両手をあげる。
アルゼイドは、惜しかったなというふうにニヤリと笑った。
「息を吐き切る瞬間を狙ったのは良かったな。魔法を組み合わせて爆発を狙ったのも悪くない」
アルゼイドはへたり込む息子を引っ張り起こしながらそう言った。応用して魔法を使っていた点を高く評価していた。
「でも父さん以外の人にあれやっちゃだめだぞ」
アルゼイドは聡い息子がそんなことをするわけがないと確信しているが、親として忠告は必要だと思い、一応の注意をする。
「わかってる。普通の人にはあんなことしないよ」
「おいおい、父さんが普通じゃないみたいに聞こえるんだが……」
アルゼイドは不服そうな顔で息子に抗議をする。
「普通の人は木の剣で土壁を切り裂いたり、地割れを起こしたりできないでしょ……」
呆れた口調で言い放つ息子に彼は何も言い返すことはできなかった。まあ、そうかもな……と頬をかきながら曖昧に言った。
そして手合わせの後片付けをふたりでしているところに、ティアがやってきた。
「あらあら、また私だけのけ者にしてふたりで遊んでたのね。母さんさみしいわ」
およよ、と芝居めいた口調で泣きまねをした。
「いや……母さんは身重だし、激しい運動しちゃだめでしょ」
「稽古相手にしてなんて言ってないわよ。お人形遊びとか、おままごととか、編み物とか、母さんそういうのでも全然いいのよ」
そうやってふざけている彼女の姿は、まるで少女のようにもみえた。
「俺はいちおう男なんだけど……それにもうそんなに子供じゃないよ」
子どもらしからぬことを言うアルテアに、どこからともなく現れた
ターニャがタオルを手渡しながら口をはさむ。
「失礼ながら坊ちゃんはまだ六歳……充分に子供ですよ」
実年齢のことを言われてしまえば確かにその通りで、言い返すことはできなかった。そしてターニャはさらに続ける。
「仮に大人だとして、親とは子がいくつになっても可愛いく思うものなのですよ」
そう言う彼女の姿からは、いつものしんと静かな雰囲気がなりをひそめていた。年齢不詳神出鬼没のこのメイドにも子どもがいるのかもしれない。そんな当たり前のことに、その時まで思い至らなかった。
「そうよそうよ、もっと母さんに甘えてもいいのよ」
メイドの言葉に大きく首を縦に振りながら、ティアは「ね?」とアルゼイドに視線を向ける。彼もそれに同意して大げさに頷いてみせた。
「そうだな。もっと父さんにも甘えていいんだぞ」
アルテアはなんと言っていいのかわからなくなってうつむいてしまう。距離感をはかりかねていた。
赤子の頃は、こんなに悩むことなどなかった。ただ無条件に受け取っていればいいと思っていた。
そしてそのまま冒険者になるとか適当なことを言って家を出ればいいと。
しかし、今はもらったものを返さなければならない。そう思ってしまう自分がいた。返し方すら知らないというのに。
そんなことを考えてしまう自分が気に食わず、また苛立った。
自分でも自分の気持ちがわからない。どう接すればいいのかも。
ここ最近はずっとそうだった。
どうしようもない半端者だ。
「……その特権は、生まれてくる弟か妹にあげるよ」
だからこうやってずっと、数歩距離を置いた態度をとってしまう。
本当の子供ならこんなときどう振舞うのが正しいのだろう。どうすればいいのか、どうしようもなくわからなくなった。
どこか様子のおかしい息子を見て、アルゼイドが心配そうに眉間に深いシワをつくった。
「なあ、アル。父さんが強さと力を別ものだと言ったことを覚えているか?」
アルゼイドが不意に尋ねた。
以前とは違う優しい声音に無言で頷き、肯定の意を示した。
「答えは得たか?」
問われ、アルテアは口ごもる。
それでも見守るように、アルゼイドはじっと答えを待っていた。
重苦しい沈黙の中、それに耐えかねたように喉の奥からかすれた声が漏れた。
「……わからないよ」
「そうか」とアルゼイドが短く答え、さらに問いを続けた。
「改めて聞くが、アルはどうして勇者になりたいと思ったんだ?」
「わからない」
言えない。
「アルには何か目標があるんじゃないか。だから勇者になりたいと言ったんじゃないか?」
「わからない。知らない」
言えない。言ってどうなる。
息子の口から、人を殺したいなんて言葉を聞いて喜ぶ親がいるか。
悲しくさせるのが落ちだ。
前世では親なんて存在には拘りも理解も興味も関心も、何もかもを持たずに過ごしてきた少年にもそれくらいのことはわかる。
それは父と母、そしてターニャ。家族のおかげである。
あるいは家族のせいといったほうがいいのかもしれない。
いずれにせよ悲しませたくなかったし、それ以上に、かつて胸に抱いたその思いも目標も、今ではどこか遠くに感じる自分がいた。
だからこそ焦り、不安になり、腹が立つ。
わからない。
何もわからなくなった。
父の顔を見ることさえできない。
蜘蛛の巣のようにめちゃくちゃにひび割れた地面をただ見つめていた。
いったい自分が何を求めているのか。それすらもはっきりしない。
進めども、いつまでも同じところをぐるぐる回っていて、どこにも辿り着くことができないでいた。
本当は止まったままで、進んでさえいないのかもしれない。
煩わしい。目標に向けて突き進んでいた赤子の頃が懐かしい。何も考えず、ただ復讐心に身体を委ねて進めばよかった。
それで良かったのだ。
それ以外に何もいらなかったのだ。いっそ恐れ、突き放してくれれば良かったのだ。村の人々のように。
そんなことを思い、無性に腹立たしくなった。
──ごちゃごちゃ考えずにさっさと消えてしまえばいいんだよ。
お前はもうひとりでだって生きていける。それくらいの力はつけた。最初からそういう予定だっただろう?捨てろ。捨てるんだよ。いらないものは全部そうすればいい。仲間が待ちわびてるぞ?
相変わらず、もう一人の自分は頭の中で喚いている。お前もうるさい、と思った。
「なあ。何か悩みがあるんじゃないか。それなら父さんたちに相談したらいいんだぞ?」
なおも心配してそうアルゼイドは声をかけてくる。母もターニャも、切実な顔で見守っている。
アルテアにはそれがたまらなく辛い。
「アル。父さんに言えないことなら母さんだって、ターニャだっている。だから──」
──ああ。
もう、俺に優しくするのは止めてくれ。
そう思った瞬間、自分でも気づかないうちに叫んでいた。
「わからないって言ってるだろ!!!」
アルゼイドの言葉をかき消す怒号。
「俺の気持ちがわかるわけないだろ……!!自分でだってわかってないんだ、誰にわかるって言うんだよ!!」
「そんなことは──」
言いかけてアルゼイドは口をつぐんだ。アルテアは悲痛な曇りを帯びた父の顔を見て、胸の内が締め付けられるように痛んだ。
後悔の念が湧き上がる。
その痛みに耐えるように拳を強く握って
「……俺、行くね」
震える声でそれだけ告げて、逃げるようにその場を去った。
少年が唱えた。
「ステータス!」「ウインドウ!」「アイテムボックス!」
次々と告げられる言葉はしかし何の効力も現象も起こさず、むなしく空に吸い込まれていった。
「どうやらこの世界にステータスというものはないらしい」
アルテアはひとしきり考えた後に、納得したように一人でうなずいていた。
今さらながら、この現世が彼の知る聖典の中で、どの種類に近い世界なのかを確認していたところだった。
聖典の中で語られる世界は、この呪文を唱えれば自分の能力値や技能などがレベルや実数値として把握できるものが多かった。
だが、いくら試してもそのようなことが起きることはなかった。
どうやらこの世界はその法則から外れているようだと彼は結論付けた。
「自分の実力が目に見える数値として確認できればわかりやすくて楽だと思っていたんだけどな」
わずかに落胆の色が滲む。
「まあ、ないものは仕方ない」
期待はさほどしていなかった。
そういうものがあるならとっくに気づいているだろうし、家族も何かしら言うはずだからだ。気持ちを切り替えて帰り支度をして家に向かった。
家のドアをくぐると、ティアが金色の瞳を彼に向けて声を上げた。
つくりもののように白い肌が印象深く、最近はその美しさにますます磨きがかかっているように感じられた。
「おはよう、アルちゃん。今日の鍛錬はもうおわり?ずいぶんはやいのね」
ティアが大きくなったお腹をさすりながら、微笑みかけてくる。
「おはよう、母さん。今日はなんだか気が乗らなくて」
「あら、あなたがそんなことを言うなんて珍しい」
おっとりとした口調で
「雨でもふるのかしら」とくすくすと笑った。
そしてどこからともなくあらわれたターニャが彼にタオルを差し出した。アルテアは神出鬼没なメイドに内心驚きつつも、彼女に礼を言ってそれを受け取った。
アルテアもかなり鍛錬しているはずだが、未だにこのメイドの気配を察知するのは難しい。というか、ほぼできない。
「父さんは?」
汗を拭きながら聞く。
「いつも通り。お庭で剣を振ってるわ。挨拶していらっしゃい」
「うん」
言いつつも、アルテアは彼女のお腹をしばし見つめていた。
そこに生命が宿っている。
彼にとってそれは不思議なことで、現実味がなかった。
子供というのはカプセルの中でつくられる。それが前世での常識だ。
息子の視線に気づいたティアが
「さわってみる?」と彼に聞く。
少し悩んでから首を振った。自分が触れてはいけないような、そんな気がした。
「……いや、遠慮しとくよ」
千切るように視線を外して、広い居室を横切り庭に面したほうへと歩く。そこで、いつも通り稽古をする父を見つけた。
赤銅色の髪をたなびかせ、燦々と輝く太陽の下、身の丈ほどもある大剣を軽々と振っていた。服の上からでも長い月日で鍛え上げられた肉体の精悍さを見て取れる。アルゼイドは息子に気づいて稽古を中断し、声をかけた。
「おお、アルか。おはよう。今日は随分と帰りがはやいな」
「おはよう。それ、母さんにも言われたよ。雨がふるんじゃないかって心配してた」
「はは、母さんらしいな」
大剣を片手に渋みのきいた声で笑うアルゼイドの姿はとても様になっている。自分もいつか父のようになるのだろうか。そんな期待とも不安ともつかぬ顔をしているアルテアに、アルゼイドが父親の顔をのぞかせた。
「どうした、ずいぶんと浮かない顔じゃないか」
「いつまでたっても父さんに勝てないからね」
本当の理由ではないが嘘でもない。最近になって伸び悩みを感じていた。背は伸びた。魔力の総量も上がってはいる。間違いなく成長はしているはずだった。
だが、父やメイドにはいっこうに勝てない。世界最強を目指しているのに、全くそれに近づいている気がしない。
聖典の知識に頼ろうとしたが無駄だった。
焦り、諦め、不安、恐怖。
負の感情が湧いてくる。
急げ、急げ。敵を殺せ。
仲間の仇をはやく討て。
声が頭の中で響く回数が増えた。
そんな息子の言葉に一瞬ぽかんとした顔をしたあと、アルゼイドは豪快に笑った。
「ははははは!」
全部を吹き飛ばしてしまいそうなほどからっとした笑い声。
「お前、まだ六歳じゃないか。さすがに負けていられんさ。もう少し父親の威厳を保っていたいしな」
そう言ってニヤリとしたあと、少し待つようにアルテアに言い聞かせ、家の居室に立てかけてあった木剣を手に戻ってくる。そのうちの一本を息子にさしだし、「やるだろ?」と視線で彼にうったえた。
「……本気でやってよ?」
剣を受け取りながらアルテアが父に告げる。
「お前もな」
挑発するように薄く笑いながら、アルゼイドが剣を構えた。アルテアもそれに応じて構えを取り、敵を視界の中心に据え、神経を研ぎ澄まし、感覚を増大させる。
周囲から聞こえる雑音を意識から外し、アルゼイドの呼吸に集中した。
そしてアルゼイドが息を吐ききった瞬間を狙って、全力で地を蹴った。爆発的な加速で、小さい身体が矢のように真一文字に風をきってすすむ。
アルテアは二メートルほどあった間合いを瞬時に詰めて、勢いそのままに横薙ぎの斬撃を放った。
もらった──アルテアがそう確信したのも束の間、アルゼイドの姿がアルテアの視界から文字通り、消えた。当たれば確実に骨の一つも砕いただろうその一撃は、鋭い音だけを残して空を切った。
「ッ!」
父の姿を視認している暇はない、あと数秒で必殺の一撃が叩きこまれる。そう直感したアルテアは咄嗟に右足で地面を踏みつけて、周囲の地面を隆起させて城壁のような囲いをつくった。
彼は自分の右後方にせり上がった土壁に、何かが触れるかすかな音を捉え、身を屈めた。アルゼイドの斬撃が、土壁を紙のように切り裂き、アルテアの髪をチッと掠める。
追撃が来る前に右に飛び、体勢をととのえ父を再び視界に捉えなおす。が、次は自分の番だとでも言わんばかりにアルゼイドがすかさず距離を詰める。
一撃で決めるつもりで距離をつめたのが裏目に出ていた。身体能力、近接戦では確実に劣っている。このまま張り付かれ続けたら近いうちに押し切られる。そう判断したアルテアは距離を開けるために魔法を行使する。
「風よ吹け!」
突き出した左手から爆発するような突風が巻き起こり、弾丸となって直進。その衝撃が周囲の草木を揺らす。アルゼイドはそれを歯牙にもかけず突進、片腕で魔法を殴り飛ばした。
「本気で撃ってこれかよっ……!」
空間ごと切り裂けそうな必殺の剛剣が目前に迫る。もはや木剣の威力ではない。あまりの圧力にすくみそうになる身体を抑えて魔法を発動、自分の真横に突風を叩きつけて方向転換と急加速を同時に行い、弾け飛ぶようにして左に移動する。
手をつき地面を滑りながら、アルゼイドの周囲に風を集める。
高密度の空気で満たし──
「火よ燃えろ!!」
火魔法を放つ。
火炎の弾丸がちりちりと空気を焦がして飛来する。直撃すれば大爆発必至。もはや殺す気としか思えぬ戦法だったが、アルテアはこの程度で父が死ぬとは微塵も思っていなかった。少しダメージを与えるか、最悪その生じる爆発で目くらましになればいいと考えていた。
「むっ!」
アルゼイドはそう呟きをこぼしてから少し気合を入れるように 力をため、木剣を地面に突き刺す。彼を中心に周囲に地割れ起き、地面が大きくめくり上がった。
その衝撃波で集めた風が散らされて、火魔法を消し飛ばした。恐るべきは、彼が魔法を使わず身体能力だけでそれをやってのけたことだった。
「はあっ……!?」
肉体ひとつで魔法のようなことをやってのける、およそ人間業とは思えない父の所業にたまらず驚愕する。その一瞬の隙を見逃さず、アルゼイドは地を蹴りたった一歩で彼に肉薄した。瞬間移動のような移動術。
「くそっ!」
苦し紛れに一撃放つが、アルゼイドは木剣でそれを受け止め、蛇のように剣を這わせてからめとり、アルテアの手から剣を弾き飛ばした。
アルテアの木剣が宙を舞い、乾いた音をたてて地に落ちる。彼の首筋に木剣が吸い込まれ、か細い首を切り飛ばすかと思われた瞬間、
ぴたりと止まった。
衝撃が突風となって吹き荒んで地面を抉る。その暴力の痕跡を半ば呆れつつ横目に見やり、アルテアは静かに口を開いた。
「まいりました」
負けを認めて両手をあげる。
アルゼイドは、惜しかったなというふうにニヤリと笑った。
「息を吐き切る瞬間を狙ったのは良かったな。魔法を組み合わせて爆発を狙ったのも悪くない」
アルゼイドはへたり込む息子を引っ張り起こしながらそう言った。応用して魔法を使っていた点を高く評価していた。
「でも父さん以外の人にあれやっちゃだめだぞ」
アルゼイドは聡い息子がそんなことをするわけがないと確信しているが、親として忠告は必要だと思い、一応の注意をする。
「わかってる。普通の人にはあんなことしないよ」
「おいおい、父さんが普通じゃないみたいに聞こえるんだが……」
アルゼイドは不服そうな顔で息子に抗議をする。
「普通の人は木の剣で土壁を切り裂いたり、地割れを起こしたりできないでしょ……」
呆れた口調で言い放つ息子に彼は何も言い返すことはできなかった。まあ、そうかもな……と頬をかきながら曖昧に言った。
そして手合わせの後片付けをふたりでしているところに、ティアがやってきた。
「あらあら、また私だけのけ者にしてふたりで遊んでたのね。母さんさみしいわ」
およよ、と芝居めいた口調で泣きまねをした。
「いや……母さんは身重だし、激しい運動しちゃだめでしょ」
「稽古相手にしてなんて言ってないわよ。お人形遊びとか、おままごととか、編み物とか、母さんそういうのでも全然いいのよ」
そうやってふざけている彼女の姿は、まるで少女のようにもみえた。
「俺はいちおう男なんだけど……それにもうそんなに子供じゃないよ」
子どもらしからぬことを言うアルテアに、どこからともなく現れた
ターニャがタオルを手渡しながら口をはさむ。
「失礼ながら坊ちゃんはまだ六歳……充分に子供ですよ」
実年齢のことを言われてしまえば確かにその通りで、言い返すことはできなかった。そしてターニャはさらに続ける。
「仮に大人だとして、親とは子がいくつになっても可愛いく思うものなのですよ」
そう言う彼女の姿からは、いつものしんと静かな雰囲気がなりをひそめていた。年齢不詳神出鬼没のこのメイドにも子どもがいるのかもしれない。そんな当たり前のことに、その時まで思い至らなかった。
「そうよそうよ、もっと母さんに甘えてもいいのよ」
メイドの言葉に大きく首を縦に振りながら、ティアは「ね?」とアルゼイドに視線を向ける。彼もそれに同意して大げさに頷いてみせた。
「そうだな。もっと父さんにも甘えていいんだぞ」
アルテアはなんと言っていいのかわからなくなってうつむいてしまう。距離感をはかりかねていた。
赤子の頃は、こんなに悩むことなどなかった。ただ無条件に受け取っていればいいと思っていた。
そしてそのまま冒険者になるとか適当なことを言って家を出ればいいと。
しかし、今はもらったものを返さなければならない。そう思ってしまう自分がいた。返し方すら知らないというのに。
そんなことを考えてしまう自分が気に食わず、また苛立った。
自分でも自分の気持ちがわからない。どう接すればいいのかも。
ここ最近はずっとそうだった。
どうしようもない半端者だ。
「……その特権は、生まれてくる弟か妹にあげるよ」
だからこうやってずっと、数歩距離を置いた態度をとってしまう。
本当の子供ならこんなときどう振舞うのが正しいのだろう。どうすればいいのか、どうしようもなくわからなくなった。
どこか様子のおかしい息子を見て、アルゼイドが心配そうに眉間に深いシワをつくった。
「なあ、アル。父さんが強さと力を別ものだと言ったことを覚えているか?」
アルゼイドが不意に尋ねた。
以前とは違う優しい声音に無言で頷き、肯定の意を示した。
「答えは得たか?」
問われ、アルテアは口ごもる。
それでも見守るように、アルゼイドはじっと答えを待っていた。
重苦しい沈黙の中、それに耐えかねたように喉の奥からかすれた声が漏れた。
「……わからないよ」
「そうか」とアルゼイドが短く答え、さらに問いを続けた。
「改めて聞くが、アルはどうして勇者になりたいと思ったんだ?」
「わからない」
言えない。
「アルには何か目標があるんじゃないか。だから勇者になりたいと言ったんじゃないか?」
「わからない。知らない」
言えない。言ってどうなる。
息子の口から、人を殺したいなんて言葉を聞いて喜ぶ親がいるか。
悲しくさせるのが落ちだ。
前世では親なんて存在には拘りも理解も興味も関心も、何もかもを持たずに過ごしてきた少年にもそれくらいのことはわかる。
それは父と母、そしてターニャ。家族のおかげである。
あるいは家族のせいといったほうがいいのかもしれない。
いずれにせよ悲しませたくなかったし、それ以上に、かつて胸に抱いたその思いも目標も、今ではどこか遠くに感じる自分がいた。
だからこそ焦り、不安になり、腹が立つ。
わからない。
何もわからなくなった。
父の顔を見ることさえできない。
蜘蛛の巣のようにめちゃくちゃにひび割れた地面をただ見つめていた。
いったい自分が何を求めているのか。それすらもはっきりしない。
進めども、いつまでも同じところをぐるぐる回っていて、どこにも辿り着くことができないでいた。
本当は止まったままで、進んでさえいないのかもしれない。
煩わしい。目標に向けて突き進んでいた赤子の頃が懐かしい。何も考えず、ただ復讐心に身体を委ねて進めばよかった。
それで良かったのだ。
それ以外に何もいらなかったのだ。いっそ恐れ、突き放してくれれば良かったのだ。村の人々のように。
そんなことを思い、無性に腹立たしくなった。
──ごちゃごちゃ考えずにさっさと消えてしまえばいいんだよ。
お前はもうひとりでだって生きていける。それくらいの力はつけた。最初からそういう予定だっただろう?捨てろ。捨てるんだよ。いらないものは全部そうすればいい。仲間が待ちわびてるぞ?
相変わらず、もう一人の自分は頭の中で喚いている。お前もうるさい、と思った。
「なあ。何か悩みがあるんじゃないか。それなら父さんたちに相談したらいいんだぞ?」
なおも心配してそうアルゼイドは声をかけてくる。母もターニャも、切実な顔で見守っている。
アルテアにはそれがたまらなく辛い。
「アル。父さんに言えないことなら母さんだって、ターニャだっている。だから──」
──ああ。
もう、俺に優しくするのは止めてくれ。
そう思った瞬間、自分でも気づかないうちに叫んでいた。
「わからないって言ってるだろ!!!」
アルゼイドの言葉をかき消す怒号。
「俺の気持ちがわかるわけないだろ……!!自分でだってわかってないんだ、誰にわかるって言うんだよ!!」
「そんなことは──」
言いかけてアルゼイドは口をつぐんだ。アルテアは悲痛な曇りを帯びた父の顔を見て、胸の内が締め付けられるように痛んだ。
後悔の念が湧き上がる。
その痛みに耐えるように拳を強く握って
「……俺、行くね」
震える声でそれだけ告げて、逃げるようにその場を去った。
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その治療薬『メシア』の副作用により薬漬けになってしまった森野宏人(35)は、療養として母方の祖父の家で暮らしいた。
爺ちゃんと山に狩りの手伝いに行く事が楽しみになった宏人だったが、田舎のコミュニティは狭く、宏人の良くない噂が広まってしまった。
爺ちゃんとの狩りに行けなくなった宏人は、勢いでピルケースに入っているメシアを全て口に放り込み、そのまま意識を失ってしまう。
『私の名前は女神メシア。貴方には二つ選択肢がございます。』
人として輪廻の輪に戻るか、別の世界に行くか悩む宏人だったが、女神様にエルフになれると言われ、新たな人生、いや、エルフ生を楽しむ事を決める宏人。
『せっかくエルフになれたんだ!自由に冒険や旅を楽しむぞ!』
諸事情により不定期更新になります。
完結まで頑張る!
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
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【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
【完結】487222760年間女神様に仕えてきた俺は、そろそろ普通の異世界転生をしてもいいと思う
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異世界転生の女神様に四億年近くも仕えてきた、名も無きオリ主。
億千の異世界転生を繰り返してきた彼は、女神様に"休暇"と称して『普通の異世界転生がしたい』とお願いする。
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四億年の経験知識と共に異世界へ降り立ったオリ主――『アヤト』は、自由気ままな転生者生活を満喫しようとするのだが、そんなぶっ壊れチートを持ったなろう系オリ主が平穏無事な"普通の異世界転生"など出来るはずもなく……?
道行く美少女ヒロイン達をスパルタ特訓で徹底的に鍛え上げ、邪魔する奴はただのパンチで滅殺抹殺一撃必殺、それも全ては"普通の異世界転生"をするために!
気が付けばヒロインが増え、気が付けば厄介事に巻き込まれる、テメーの頭はハッピーセットな、なろう系最強チーレム無双オリ主の明日はどっちだ!?
※小説家になろう、エブリスタ、ノベルアップ+にも掲載しております。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
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【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
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40歳のおじさん 旅行に行ったら異世界でした どうやら私はスキル習得が早いようです
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