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第一部
選択
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半端に寝てしまったせいですっかり目が冴えていた。
アルテアはぐっと背伸びをして深く息を吐いた。
ベッドの上にぺたんと横たわりときおり小刻みに震えているハクが横目に入ったが、何をやっているのかはよくわからなかった。
ベッドから降りるアルテアに気づいてハクも起き上がり、本の角だけでバランスをとってくるくると回った。
「出かけるのか?」
「ああ。眠れないから少し夜風に当たってくるよ」
そう言って部屋を出ようとしたところでハクに引き止められた。
「待て。私も連れて行け」
「本当に少し外に出るだけだぞ?」
アルテアが特別なことをするわけではないと告げるが、それにハクは
「よい」
と短く答えて少年の手元まで飛んでいく。
「なら一緒に行くか」
少年はブックホルダーを腰に巻き、そこにハクを入れて落ちないように留め金をとめて固定した。
さすがに外でも自由に飛び回られては騒ぎになると思い自作したものだ。
何度か同じように外を歩いたことがあるため、その手つきは手馴れたものだ。
アルテアはドアを開けて音を立てないように階段を降りた。家族が寝静まっているためか、やけにひんやりとした空気を肌に感じた。
外に出てあてもなく村の方へ歩いていく。
アルテアが歩く度、腰元に吊られたハクが揺れた。
ハクは以前アルテアに
「そんなに揺られて酔ったりはしないのか?」と尋ねられたことがあった。
その時ハクは「私が酔うわけがなかろうが」とすげなく返しただけだったが、
実をいえば存外ハクは酔うどころかこの振動を気に入っていた。
ちょうど良い揺れ具合が彼女に安らぎをもたらしていた。
赤子が母の腕の中で揺られている時のような、そんな安らぎだった。
そんな腑抜けた自分を悟られまいとして、こうして一緒に出かける時はつい無口になってしまっていた。
そんなハクの心の内など知る由もないアルテアは、なぜいつも自分と出かけた途端にハクは不機嫌になるのだろうかと思い違いしていた。
いちど遠回しに聞いてみたことがあるが怒り気味で返されたため、それ以来追求することはやめていた。
「ふぅ」と息をついて立ち止まり、近くの木に背中を預けて空を見上げた。
光源の少ない村中では夜になると星がよく見えた。
見渡す限りに星の海が広がっていて淡い光を放っている。
汚染された前の世界では、空は常にどす黒く分厚い雲に覆われており見ることが出来なかった。
アルテアは感慨に浸りながら、ふと転生する前に女神の言っていたことを思い出した。
「この空のどこかに……俺のいた世界もあるんだろうか」
答えを求めての言葉ではなかった。
思ったことが自然と流れ出てしまった。
だがその問いかけに応じる声があった。
「あるだろうな。いま目に見える範囲にはないかもしれぬが」
異世界を渡り歩いていたという少女がそう言うならきっとあるのだろう。
どの辺にあるのだろうかと、星々を縫い合わせるように視線をうつしていく。
「やはりホームシックか」
ハクが腰元でいたずらっぽく言った。
「そうだな。
前の世界も、こんな風に空が見えるようにしたいんだ」
そうして二人とも何も言わずに、じっと星を眺めていた。
「不思議だよな」
しばらくしてアルテアが唐突に口を開いた。
「もし……俺の前の世界がこの星空の中にあるとして。あんなに汚染されて……中からは日の光さえ見ることもできないのに。外から見るとこんなに輝いて見えるなんてな」
「まるで詐欺みたいだ」とアルテアは自嘲気味に笑った。
そのどこか寂しげな顔に何を思ったのか、ハクは優しい声音でそれに応じる。
「星だけの話ではないよ。人も変わらん。外面だけ見ていると惑わせられる。一歩……内側に踏み込んでみるまでは本当のことは何もわからん。重要なのは己が目でモノの深淵をーー本質を見定めること。そして選択することだ。これはあらゆることに通ずる真理。世界はあらゆる選択で満ちておる」
選択。
その言葉にアルテアは、自分の選んだ道が正しいのだろうかと、ふと疑問が浮かんだ。
「……俺のした選択は合っているのかな」
親しい人を残して行く。
きっと残された人は悲しむだろう。
その選択が果たして正しいと言えるのだろうか。この期に及んでつい弱気になってしまう自分が情けなかった。
「さあな。そんなこと私にわかるわけがないだろう」
そんな彼の内心を知ってか知らずか、ハクは切り捨てるようにすげなく答えた。
それからブックホルダーの留め具を自分で外してするりと宙に抜け出して、そのままアルテアの肩口あたりまで浮かび上がった。
「人は皆、闇の中を歩いておる。一寸先も見えぬ道を、か細い糸を手繰るように少しずつ進んでゆく。その先で生き、出会った全ての物事を己の心に照らし合わせて行くべき道を選び、また歩き始める。その選択と、幾多の結果が折り重なり人を形作っていく。そこに正解や不正解はない。ただ、お主という男の信念と生き様があるだけだ」
「俺の、信念……」
「うじうじ考えている暇があるなら行動しろ、根暗め。そして行くと決めたなら全力で突き進め。いつの世も、何かを成せる者とはそういうものだ」
ハクは言い終わったあとに、どん、とアルテアの肩に体当たりした。
ハクなりの励ましなのだろう。罵倒まじりなのはきっと彼女なりの照れ隠しなのだと思うと、素直になれないところもなんだか可愛らしく感じて自然と口元が緩んだ。
「ああ、そうだな。お前の言う通りだ。ありがとな」
宙にふわふわと浮かぶ灰色の魔本に笑いかけながら、手を伸ばして天の部分をそっと撫でた。
「ひゃわっ!??な、なにをするっ、無礼者っ!」
魔本が奇声を発して逃げるようにわずかに身を引いた。
アルテアは、なぜ逃げるのかわからない、という顔でハクを見る。
「いや、お礼に頭でも撫でてやろうかと思ってな」
「ばかもの!人の頭に気安く触れるでないわっ!」
「イーリスとかノエルはなんか喜ぶからさ、ついやってしまうんだよな」
「つい……じゃないわ、この阿呆め!私とそんなガキ共を同じにするなと以前にも言ったろう!」
怒りを伝えるようにぷりぷりと上下に揺れるハクを見ながら、やっぱりそこって頭だったんだなと、アルテアはわりとどうでもいいことを考えていた。
「おい、聞いておるのか!だいたいお主はだなーー」
ハクの長くなりそうな小言が始まり、アルテアはやれやれと肩をすくめて苦笑する。
そうしてしばらくの間、星空の下ふたりで軽口を叩き合っていた。
アルテアはぐっと背伸びをして深く息を吐いた。
ベッドの上にぺたんと横たわりときおり小刻みに震えているハクが横目に入ったが、何をやっているのかはよくわからなかった。
ベッドから降りるアルテアに気づいてハクも起き上がり、本の角だけでバランスをとってくるくると回った。
「出かけるのか?」
「ああ。眠れないから少し夜風に当たってくるよ」
そう言って部屋を出ようとしたところでハクに引き止められた。
「待て。私も連れて行け」
「本当に少し外に出るだけだぞ?」
アルテアが特別なことをするわけではないと告げるが、それにハクは
「よい」
と短く答えて少年の手元まで飛んでいく。
「なら一緒に行くか」
少年はブックホルダーを腰に巻き、そこにハクを入れて落ちないように留め金をとめて固定した。
さすがに外でも自由に飛び回られては騒ぎになると思い自作したものだ。
何度か同じように外を歩いたことがあるため、その手つきは手馴れたものだ。
アルテアはドアを開けて音を立てないように階段を降りた。家族が寝静まっているためか、やけにひんやりとした空気を肌に感じた。
外に出てあてもなく村の方へ歩いていく。
アルテアが歩く度、腰元に吊られたハクが揺れた。
ハクは以前アルテアに
「そんなに揺られて酔ったりはしないのか?」と尋ねられたことがあった。
その時ハクは「私が酔うわけがなかろうが」とすげなく返しただけだったが、
実をいえば存外ハクは酔うどころかこの振動を気に入っていた。
ちょうど良い揺れ具合が彼女に安らぎをもたらしていた。
赤子が母の腕の中で揺られている時のような、そんな安らぎだった。
そんな腑抜けた自分を悟られまいとして、こうして一緒に出かける時はつい無口になってしまっていた。
そんなハクの心の内など知る由もないアルテアは、なぜいつも自分と出かけた途端にハクは不機嫌になるのだろうかと思い違いしていた。
いちど遠回しに聞いてみたことがあるが怒り気味で返されたため、それ以来追求することはやめていた。
「ふぅ」と息をついて立ち止まり、近くの木に背中を預けて空を見上げた。
光源の少ない村中では夜になると星がよく見えた。
見渡す限りに星の海が広がっていて淡い光を放っている。
汚染された前の世界では、空は常にどす黒く分厚い雲に覆われており見ることが出来なかった。
アルテアは感慨に浸りながら、ふと転生する前に女神の言っていたことを思い出した。
「この空のどこかに……俺のいた世界もあるんだろうか」
答えを求めての言葉ではなかった。
思ったことが自然と流れ出てしまった。
だがその問いかけに応じる声があった。
「あるだろうな。いま目に見える範囲にはないかもしれぬが」
異世界を渡り歩いていたという少女がそう言うならきっとあるのだろう。
どの辺にあるのだろうかと、星々を縫い合わせるように視線をうつしていく。
「やはりホームシックか」
ハクが腰元でいたずらっぽく言った。
「そうだな。
前の世界も、こんな風に空が見えるようにしたいんだ」
そうして二人とも何も言わずに、じっと星を眺めていた。
「不思議だよな」
しばらくしてアルテアが唐突に口を開いた。
「もし……俺の前の世界がこの星空の中にあるとして。あんなに汚染されて……中からは日の光さえ見ることもできないのに。外から見るとこんなに輝いて見えるなんてな」
「まるで詐欺みたいだ」とアルテアは自嘲気味に笑った。
そのどこか寂しげな顔に何を思ったのか、ハクは優しい声音でそれに応じる。
「星だけの話ではないよ。人も変わらん。外面だけ見ていると惑わせられる。一歩……内側に踏み込んでみるまでは本当のことは何もわからん。重要なのは己が目でモノの深淵をーー本質を見定めること。そして選択することだ。これはあらゆることに通ずる真理。世界はあらゆる選択で満ちておる」
選択。
その言葉にアルテアは、自分の選んだ道が正しいのだろうかと、ふと疑問が浮かんだ。
「……俺のした選択は合っているのかな」
親しい人を残して行く。
きっと残された人は悲しむだろう。
その選択が果たして正しいと言えるのだろうか。この期に及んでつい弱気になってしまう自分が情けなかった。
「さあな。そんなこと私にわかるわけがないだろう」
そんな彼の内心を知ってか知らずか、ハクは切り捨てるようにすげなく答えた。
それからブックホルダーの留め具を自分で外してするりと宙に抜け出して、そのままアルテアの肩口あたりまで浮かび上がった。
「人は皆、闇の中を歩いておる。一寸先も見えぬ道を、か細い糸を手繰るように少しずつ進んでゆく。その先で生き、出会った全ての物事を己の心に照らし合わせて行くべき道を選び、また歩き始める。その選択と、幾多の結果が折り重なり人を形作っていく。そこに正解や不正解はない。ただ、お主という男の信念と生き様があるだけだ」
「俺の、信念……」
「うじうじ考えている暇があるなら行動しろ、根暗め。そして行くと決めたなら全力で突き進め。いつの世も、何かを成せる者とはそういうものだ」
ハクは言い終わったあとに、どん、とアルテアの肩に体当たりした。
ハクなりの励ましなのだろう。罵倒まじりなのはきっと彼女なりの照れ隠しなのだと思うと、素直になれないところもなんだか可愛らしく感じて自然と口元が緩んだ。
「ああ、そうだな。お前の言う通りだ。ありがとな」
宙にふわふわと浮かぶ灰色の魔本に笑いかけながら、手を伸ばして天の部分をそっと撫でた。
「ひゃわっ!??な、なにをするっ、無礼者っ!」
魔本が奇声を発して逃げるようにわずかに身を引いた。
アルテアは、なぜ逃げるのかわからない、という顔でハクを見る。
「いや、お礼に頭でも撫でてやろうかと思ってな」
「ばかもの!人の頭に気安く触れるでないわっ!」
「イーリスとかノエルはなんか喜ぶからさ、ついやってしまうんだよな」
「つい……じゃないわ、この阿呆め!私とそんなガキ共を同じにするなと以前にも言ったろう!」
怒りを伝えるようにぷりぷりと上下に揺れるハクを見ながら、やっぱりそこって頭だったんだなと、アルテアはわりとどうでもいいことを考えていた。
「おい、聞いておるのか!だいたいお主はだなーー」
ハクの長くなりそうな小言が始まり、アルテアはやれやれと肩をすくめて苦笑する。
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