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第二部
美しい花にはトゲがある
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「すまない。助けてはもらえないだろうか」
小綺麗な貫頭衣に身を包んだ、長い黒髪を後ろで一本に束ねた女性だった。鼻筋がくっきりと通っていて、その左右には切れ長の目がバランスよく配置されている。立っているだけで空気がピリッと引き締まりそうな理知的な顔をしていた。
相手が女性だとわかったからか、それまで緊張していたリードの顔つきが少し和らいだ。
「おう、どうしたんでぃ」
「荷車がゆかるみにはまってしまってな」
女が実直そうなよく通る声で言いながら、目だけで後ろの荷車を指す。
見ると、確かに荷車は大きく傾き、車輪がすっかり泥に沈みこんでしまっていた。
「何度か押してみたんだが、いっこうに抜け出せそうにない」
そう続ける女の額には汗が浮かび、綺麗な黒髪が数本、額に張り付いていた。
「仲間が助けを呼びに行っているのだが、この辺りでは賊が出ると聞く。あまり長居はしたくないんだ。すまないが、荷車を押し出すのを手伝ってはもらえないだろうか」
女が軽く頭を下げると、リードはがしがしと頭をかき混ぜたあと、仕方ないというようにため息を吐いた。
「そりゃあ災難だったな。あいわかった。てめえ等、荷車押し出すから何人かこっちに来な!」
「応よ! 俺らにまかせときなぁ!」
相手が女性だとはいえ、少し不用心すぎやしないだろうか。アルテアがそう思ったのもつかの間、口を挟む暇もなく、リードの呼びかけに屈強な男たちが勇んで集まってくる。美しい女性の頼みとあってか、男たちはいやに張り切っていた。
「……アルくんも行ってくれば?」
いつの間にか、ノエルが馬車から降りてきていた。彼女の隣にはリリネットが、親の後ろをついていく雛鳥みたいに、彼女の服の袖にしがみついている。
「行かなくていいの?」
ノエルが、じっとりとした目でアルテアと男たちを交互に見やる。どこか呆れているようにも見える。なんとなく、視線が痛い。
「いや……俺はいい」
「別に無理しなくてもいいと思うけど」
「無理してない。行きたくない。人喰いの魔女かもしれんからな」
「魔女?」
何の話? とノエルが首を傾げる。
「深い森の中で、ああやって言葉巧みに油断させ、近づいてくる。まさに御伽噺の魔女という感じじゃないか」
アルテアが先程の御伽話を持ち出すと、ノエルは、あぁ、となんとも曖昧に頷き返した。
「ほほう……あれが迷わずの森の魔女というやつか」
周りにひと気がないこともあって、ハクも話に混じる。アルテアの肩から顔をのぞかせるように、浮遊して本の角を突き出していた。はたから見ればかなり奇妙な光景だろう。
「お前、もしかしてそれで隠れてるつもりか?」
「ふぅむ、見た感じ特にかわったところはないのぅ。本当に魔女なのか?」
ハクはアルテアの問いを無視した。アルテアは少しイラッとしたが、面倒なので追求はせずにハクに応じる。
「いや、本気にするなよ。あんな感じだろうなというだけで、別にあれが本物だと言ったわけじゃない」
そもそも魔女とは魔法を極めた魔道の頂点。魔女と呼ばれる者は世界に四人存在し、そのいずれもが外見から能力、住処にいたるまで全てが詳細不明の謎の存在だ。それがこんな辺鄙な田舎道にいるわけがないだろう。居るとすればそれこそ迷わずの大森海のような人類未踏破の領域だろう。
「なんだ、そういうことか。つまらぬな。ま、それもそうか。確かにあの娘、整った顔立ちはしているがそれだけだ。魔女は美に魔力が宿る」
やはり私くらいのレベルでないとな、と胸をはるように体を反らすハク。最後の自慢は無視しつつ、アルテアも同意を示す。
ティアにターニャ、ノエル、そしてイーリスと、身近にいた女性陣が人間離れした美しさを誇るだけに、アルテアの評価基準はとてつもなく高い。
「お姉ちゃんのほうがびじん……!」
リリネットがノエルを仰ぎ見て、絶対の真理を告げるように力強く言うと、ノエルはにこりと笑って彼女の頭を撫で回した。
「まぁ、美女だけど一般的な範疇だな」
「師匠の方が綺麗……かな?」
「私の足元にも及ばぬなぁ」
各々が女性を見ながら好き放題に品評すると、ちっ、と舌打ちのような音が聞こえた気がした。
「ん? どうした、ねえちゃん」
「……いや、別に……」
リードの問いに、なんでもないと女は首を振る。
「恥を承知で言うのだが……あとひとつ、頼みを聞いてもらえないだろうか」
「乗りかかった船だ。構わねぇぜ、言ってみな」
申し訳なさそうに切り出す女性に、リードは鷹揚に頷いてみせる。
「本当に助かる。では──そちらの娘を置いていってくれ」
「……はぁ?」
唐突な要求にリードが首を捻る。
「二度、言わせるな」
女性の声が一段と低く下がった。切れ長の目に怪しい光を灯し、それまでの実直そうな雰囲気を一変させる。瞬間、しんと空気が冷えついた。
「その娘を、置いていってもらおうか」
女性は繰り返し、射るような眼差しでリリネットを睨みつける。
「ちっ! おい、てめえ等──」
すぐに荷車から離れろ、とリードが男たちに言いかけた次の瞬間、荷車にかけてあった布が舞い上がり、そこから幾人もの者たちが飛び出してくる。そして荷車を押そうと近づいてきた男たちを、一瞬のうちに組み伏せてしまう。
「なにっ!?」
「動くな」
貫頭衣の中に隠していたのか、女はリードが動くよりはやく隠し持っていた剣を抜く。リードの首筋にぴたりと鋼の刃が添えられた。その剣身は、人の命を吸い込んでしまいそうな冷たい光を内に宿していた。
いや、実際に何人もの命を吸っているのだと、リードとアルテア、何人かの男たちは直感的に理解した。
そして、女が空いた方の手をさっと上げると、周囲の木々から大勢の者たちが姿をあらわし、アルテアたちに弓や杖を構えた。
どうやら、あの女は魔女ではなく賊だったらしい。
「と、取り囲まれています!」
スレインが上擦った声で叫んだ。アルテアはノエルとリリネットを庇うように少しずつ位置を変えながら状況把握につとめる。
相手の人数は自分たちより少し少ないくらいだが取り囲まれている上、リードにいたっては女の気分次第でいつ首をはねられるかもしれない状態だ。リリネットも守らなくてはいけない。自分ひとりならどうとでも切り抜けられそうだが、これでは下手に動くわけにはいかなかった。
「り、リードさん……!」
突然の事態にスレインは混乱しているようだった。
「へぇ……やるじゃねえか、ねえちゃん。見事な剣さばきだ」
リードも不敵に笑ってはいるが、明らかに声はかたい。
「安心しろ。我々の狙いはそちらの娘だけだ。大人しく引き渡すというのなら、他の者に危害は加えない。それとも、犠牲を承知で抗ってみるか?」
女は冷たく言い放ち、顎で周囲を指し示す。今にも放たれんと、ぎりぎりと引かれた矢の先端は、暗い緑色で濡れていた。
毒だ、と見ただけでもわかるほど危険な色をしている。
遅効性の毒なら当たっても最悪ノエルが治療できるが、もし即効性の致死毒なら、この人数を一度には救えない。大勢が死んでしまうだろう。
「ちっ……しゃあねえ」
リードは剣を女の方へ放り投げ、両手を上げた。
「おめえ等も武器を捨てろ。暴れたり、余計な真似はするなよ」
そう言ってリードがその場にどかりと座り込むと、男たちも観念したのか、皆が武器を捨てていった。
「おい、何してる。お前らもはやく武器を捨てろ」
微動だにしないアルテアとノエルに、賊の女が武器を捨てるよう促してくる。一連の流れに、アルテアはなんとなく違和感を覚えたが。
「ニイちゃん、姐ちゃんもすまねえが、今は言う通りにしてくれ」
リードにそう促され、リリネットをかばうように抱くノエルと目を合わせ、アルテアは黙って剣を捨てた。
「アルくん……!」
ノエルは承服できないと声を荒らげるが、アルテアがそれを諌める。
「今は言う通りにしよう。リードさんにも何か考えがあるはずだ」
そう。突然のことで面食らったが、当初から賊に襲撃されるのも計画のうちだ。つまり、リードの計画通りに進んでいるということだ。このまますんなり終わるはずがない。
その意図を察したのか、ノエルも渋々、杖を放った。
「いいだろう。では、拘束させてもらう」
女が部下に指示を出し、何人かの部下が縄を持って近づき、ひとりひとり縛り上げていく。そして、賊の女がリリネットに近づき手を伸ばす。
「ひぅっ……」
「リリちゃん!」
ひどく怯えるリリネットをノエルが咄嗟に庇おうとするが、縛られて上手く動けず、賊の女にあっけなく押さえつけられる。
「動くなと、言ったはずだ。命が惜しければじっとしていろ」
ノエルの頭を片手で地面に押さえつけながら、耳元に口を寄せて女はそう囁いた。
女の身のこなしに隙はなかった。縛られたままではどうにもならないと悟り、ノエルは歯噛みする。
女はノエルから体を離しリリネットを抱え、荷車の方へと踵を返す。
「目的は達した。撤収するぞ」
女が静かに告げると、部下の男たちは、はっ! と短く返答しリリネットを荷車に載せた。女の言動に、アルテアはまた違和感を覚えた。いったいどこに、としばらく考えていると、視界の端で、一部の男がちらちらと下卑た視線をノエルに向けているのに気がついた。その中の数人が鼻息を荒くしながらノエルに近づく。
「おい、こんな良い女……王都でもめったにお目にかかれねえぜ。少しくらい、いただいちまってもいいよなぁ」
アルテアは嘆息する。危害を加えないというのは所詮は賊の口約束だったようだ。ノエルに手を出そうと言うなら、たとえこちらに犠牲が出たとしても抵抗するつもりだった。
「止まれ」とアルテアが男たちを制止する。
「あ? なんだ、このガキ。ナイト気取りか?」
ひゃひゃひゃ、とドブみたいな汚い声で笑う男たちに冷淡に告げる。
「その子に近づくな」
ずん、と重い空気が男たちを襲う。
「お、おい!」と焦るリードを無視して、容赦なく殺気を放った。
苛烈ではなかった。だが、死を想起させるには十分だった。
蛇が足元からゆっくりとせり上がるように、黒い威圧がじわじわと男たちを蝕んでいく。
「あっ……かっ……」
あまりの威圧に身体の自由を奪われ息ができないのだろう、魚のように必死に口をぱくぱくとさせる男たちを、アルテアは冷たい目の色でさげすむように睨んだ。
「止めろ!」
厳格な声が響いた。さすがに異常に気づいたようだ。賊の女が険しい顔つきで向かってきた。戦闘になる。そう思い、まずは最も厄介そうなこの女から無力化しようと動き出そうとしたところで。
「部下が失礼をした」
女はそう言って軽く頭を下げた。予想外の展開に、アルテアはきょとんとしながら「あ、いや……」と呟き殺気を抑えた。
ノエルも驚いたようで大きな目をぱちくりさせている。
それまで張り詰めていた空気が弛緩していき、賊の男たちがどさりと地面に膝をつく。
「我らが奪うのは悪辣な下種共からだ。それ以外の者に刃は向けん。この愚か者共には後ほど罰を与える」
背後の男たちを尻目に女はまた頭を下げ、行くぞ、と男たちに声をかけて踵を返した。
「運べ」
女が言って手を振ると、賊たちは傾いた荷車を持ち上げ、山道の奥へ引っ張っていった。アルテアたちが乗っていた馬車もまた、賊たちによって薮の奥へ消えていった。
「機会があればまた会おう。さらばだ」
全てを見届けた女は盗人らしからぬことを言い、藪の中へ姿を消した。
小綺麗な貫頭衣に身を包んだ、長い黒髪を後ろで一本に束ねた女性だった。鼻筋がくっきりと通っていて、その左右には切れ長の目がバランスよく配置されている。立っているだけで空気がピリッと引き締まりそうな理知的な顔をしていた。
相手が女性だとわかったからか、それまで緊張していたリードの顔つきが少し和らいだ。
「おう、どうしたんでぃ」
「荷車がゆかるみにはまってしまってな」
女が実直そうなよく通る声で言いながら、目だけで後ろの荷車を指す。
見ると、確かに荷車は大きく傾き、車輪がすっかり泥に沈みこんでしまっていた。
「何度か押してみたんだが、いっこうに抜け出せそうにない」
そう続ける女の額には汗が浮かび、綺麗な黒髪が数本、額に張り付いていた。
「仲間が助けを呼びに行っているのだが、この辺りでは賊が出ると聞く。あまり長居はしたくないんだ。すまないが、荷車を押し出すのを手伝ってはもらえないだろうか」
女が軽く頭を下げると、リードはがしがしと頭をかき混ぜたあと、仕方ないというようにため息を吐いた。
「そりゃあ災難だったな。あいわかった。てめえ等、荷車押し出すから何人かこっちに来な!」
「応よ! 俺らにまかせときなぁ!」
相手が女性だとはいえ、少し不用心すぎやしないだろうか。アルテアがそう思ったのもつかの間、口を挟む暇もなく、リードの呼びかけに屈強な男たちが勇んで集まってくる。美しい女性の頼みとあってか、男たちはいやに張り切っていた。
「……アルくんも行ってくれば?」
いつの間にか、ノエルが馬車から降りてきていた。彼女の隣にはリリネットが、親の後ろをついていく雛鳥みたいに、彼女の服の袖にしがみついている。
「行かなくていいの?」
ノエルが、じっとりとした目でアルテアと男たちを交互に見やる。どこか呆れているようにも見える。なんとなく、視線が痛い。
「いや……俺はいい」
「別に無理しなくてもいいと思うけど」
「無理してない。行きたくない。人喰いの魔女かもしれんからな」
「魔女?」
何の話? とノエルが首を傾げる。
「深い森の中で、ああやって言葉巧みに油断させ、近づいてくる。まさに御伽噺の魔女という感じじゃないか」
アルテアが先程の御伽話を持ち出すと、ノエルは、あぁ、となんとも曖昧に頷き返した。
「ほほう……あれが迷わずの森の魔女というやつか」
周りにひと気がないこともあって、ハクも話に混じる。アルテアの肩から顔をのぞかせるように、浮遊して本の角を突き出していた。はたから見ればかなり奇妙な光景だろう。
「お前、もしかしてそれで隠れてるつもりか?」
「ふぅむ、見た感じ特にかわったところはないのぅ。本当に魔女なのか?」
ハクはアルテアの問いを無視した。アルテアは少しイラッとしたが、面倒なので追求はせずにハクに応じる。
「いや、本気にするなよ。あんな感じだろうなというだけで、別にあれが本物だと言ったわけじゃない」
そもそも魔女とは魔法を極めた魔道の頂点。魔女と呼ばれる者は世界に四人存在し、そのいずれもが外見から能力、住処にいたるまで全てが詳細不明の謎の存在だ。それがこんな辺鄙な田舎道にいるわけがないだろう。居るとすればそれこそ迷わずの大森海のような人類未踏破の領域だろう。
「なんだ、そういうことか。つまらぬな。ま、それもそうか。確かにあの娘、整った顔立ちはしているがそれだけだ。魔女は美に魔力が宿る」
やはり私くらいのレベルでないとな、と胸をはるように体を反らすハク。最後の自慢は無視しつつ、アルテアも同意を示す。
ティアにターニャ、ノエル、そしてイーリスと、身近にいた女性陣が人間離れした美しさを誇るだけに、アルテアの評価基準はとてつもなく高い。
「お姉ちゃんのほうがびじん……!」
リリネットがノエルを仰ぎ見て、絶対の真理を告げるように力強く言うと、ノエルはにこりと笑って彼女の頭を撫で回した。
「まぁ、美女だけど一般的な範疇だな」
「師匠の方が綺麗……かな?」
「私の足元にも及ばぬなぁ」
各々が女性を見ながら好き放題に品評すると、ちっ、と舌打ちのような音が聞こえた気がした。
「ん? どうした、ねえちゃん」
「……いや、別に……」
リードの問いに、なんでもないと女は首を振る。
「恥を承知で言うのだが……あとひとつ、頼みを聞いてもらえないだろうか」
「乗りかかった船だ。構わねぇぜ、言ってみな」
申し訳なさそうに切り出す女性に、リードは鷹揚に頷いてみせる。
「本当に助かる。では──そちらの娘を置いていってくれ」
「……はぁ?」
唐突な要求にリードが首を捻る。
「二度、言わせるな」
女性の声が一段と低く下がった。切れ長の目に怪しい光を灯し、それまでの実直そうな雰囲気を一変させる。瞬間、しんと空気が冷えついた。
「その娘を、置いていってもらおうか」
女性は繰り返し、射るような眼差しでリリネットを睨みつける。
「ちっ! おい、てめえ等──」
すぐに荷車から離れろ、とリードが男たちに言いかけた次の瞬間、荷車にかけてあった布が舞い上がり、そこから幾人もの者たちが飛び出してくる。そして荷車を押そうと近づいてきた男たちを、一瞬のうちに組み伏せてしまう。
「なにっ!?」
「動くな」
貫頭衣の中に隠していたのか、女はリードが動くよりはやく隠し持っていた剣を抜く。リードの首筋にぴたりと鋼の刃が添えられた。その剣身は、人の命を吸い込んでしまいそうな冷たい光を内に宿していた。
いや、実際に何人もの命を吸っているのだと、リードとアルテア、何人かの男たちは直感的に理解した。
そして、女が空いた方の手をさっと上げると、周囲の木々から大勢の者たちが姿をあらわし、アルテアたちに弓や杖を構えた。
どうやら、あの女は魔女ではなく賊だったらしい。
「と、取り囲まれています!」
スレインが上擦った声で叫んだ。アルテアはノエルとリリネットを庇うように少しずつ位置を変えながら状況把握につとめる。
相手の人数は自分たちより少し少ないくらいだが取り囲まれている上、リードにいたっては女の気分次第でいつ首をはねられるかもしれない状態だ。リリネットも守らなくてはいけない。自分ひとりならどうとでも切り抜けられそうだが、これでは下手に動くわけにはいかなかった。
「り、リードさん……!」
突然の事態にスレインは混乱しているようだった。
「へぇ……やるじゃねえか、ねえちゃん。見事な剣さばきだ」
リードも不敵に笑ってはいるが、明らかに声はかたい。
「安心しろ。我々の狙いはそちらの娘だけだ。大人しく引き渡すというのなら、他の者に危害は加えない。それとも、犠牲を承知で抗ってみるか?」
女は冷たく言い放ち、顎で周囲を指し示す。今にも放たれんと、ぎりぎりと引かれた矢の先端は、暗い緑色で濡れていた。
毒だ、と見ただけでもわかるほど危険な色をしている。
遅効性の毒なら当たっても最悪ノエルが治療できるが、もし即効性の致死毒なら、この人数を一度には救えない。大勢が死んでしまうだろう。
「ちっ……しゃあねえ」
リードは剣を女の方へ放り投げ、両手を上げた。
「おめえ等も武器を捨てろ。暴れたり、余計な真似はするなよ」
そう言ってリードがその場にどかりと座り込むと、男たちも観念したのか、皆が武器を捨てていった。
「おい、何してる。お前らもはやく武器を捨てろ」
微動だにしないアルテアとノエルに、賊の女が武器を捨てるよう促してくる。一連の流れに、アルテアはなんとなく違和感を覚えたが。
「ニイちゃん、姐ちゃんもすまねえが、今は言う通りにしてくれ」
リードにそう促され、リリネットをかばうように抱くノエルと目を合わせ、アルテアは黙って剣を捨てた。
「アルくん……!」
ノエルは承服できないと声を荒らげるが、アルテアがそれを諌める。
「今は言う通りにしよう。リードさんにも何か考えがあるはずだ」
そう。突然のことで面食らったが、当初から賊に襲撃されるのも計画のうちだ。つまり、リードの計画通りに進んでいるということだ。このまますんなり終わるはずがない。
その意図を察したのか、ノエルも渋々、杖を放った。
「いいだろう。では、拘束させてもらう」
女が部下に指示を出し、何人かの部下が縄を持って近づき、ひとりひとり縛り上げていく。そして、賊の女がリリネットに近づき手を伸ばす。
「ひぅっ……」
「リリちゃん!」
ひどく怯えるリリネットをノエルが咄嗟に庇おうとするが、縛られて上手く動けず、賊の女にあっけなく押さえつけられる。
「動くなと、言ったはずだ。命が惜しければじっとしていろ」
ノエルの頭を片手で地面に押さえつけながら、耳元に口を寄せて女はそう囁いた。
女の身のこなしに隙はなかった。縛られたままではどうにもならないと悟り、ノエルは歯噛みする。
女はノエルから体を離しリリネットを抱え、荷車の方へと踵を返す。
「目的は達した。撤収するぞ」
女が静かに告げると、部下の男たちは、はっ! と短く返答しリリネットを荷車に載せた。女の言動に、アルテアはまた違和感を覚えた。いったいどこに、としばらく考えていると、視界の端で、一部の男がちらちらと下卑た視線をノエルに向けているのに気がついた。その中の数人が鼻息を荒くしながらノエルに近づく。
「おい、こんな良い女……王都でもめったにお目にかかれねえぜ。少しくらい、いただいちまってもいいよなぁ」
アルテアは嘆息する。危害を加えないというのは所詮は賊の口約束だったようだ。ノエルに手を出そうと言うなら、たとえこちらに犠牲が出たとしても抵抗するつもりだった。
「止まれ」とアルテアが男たちを制止する。
「あ? なんだ、このガキ。ナイト気取りか?」
ひゃひゃひゃ、とドブみたいな汚い声で笑う男たちに冷淡に告げる。
「その子に近づくな」
ずん、と重い空気が男たちを襲う。
「お、おい!」と焦るリードを無視して、容赦なく殺気を放った。
苛烈ではなかった。だが、死を想起させるには十分だった。
蛇が足元からゆっくりとせり上がるように、黒い威圧がじわじわと男たちを蝕んでいく。
「あっ……かっ……」
あまりの威圧に身体の自由を奪われ息ができないのだろう、魚のように必死に口をぱくぱくとさせる男たちを、アルテアは冷たい目の色でさげすむように睨んだ。
「止めろ!」
厳格な声が響いた。さすがに異常に気づいたようだ。賊の女が険しい顔つきで向かってきた。戦闘になる。そう思い、まずは最も厄介そうなこの女から無力化しようと動き出そうとしたところで。
「部下が失礼をした」
女はそう言って軽く頭を下げた。予想外の展開に、アルテアはきょとんとしながら「あ、いや……」と呟き殺気を抑えた。
ノエルも驚いたようで大きな目をぱちくりさせている。
それまで張り詰めていた空気が弛緩していき、賊の男たちがどさりと地面に膝をつく。
「我らが奪うのは悪辣な下種共からだ。それ以外の者に刃は向けん。この愚か者共には後ほど罰を与える」
背後の男たちを尻目に女はまた頭を下げ、行くぞ、と男たちに声をかけて踵を返した。
「運べ」
女が言って手を振ると、賊たちは傾いた荷車を持ち上げ、山道の奥へ引っ張っていった。アルテアたちが乗っていた馬車もまた、賊たちによって薮の奥へ消えていった。
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