幸福物質の瞬間

伽藍堂益太

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幸福物質の瞬間 15

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高石祐介 8

 自分の罪。そんなもの、今までずっと意識してこなかった。頭の片隅にもない。心の奥深くにもない。それが罪だという知識はあっても、実感はなかった。
 人を殺すこと。別に当たり前のようにしてきた。でも、言われて初めて、気付かされた。
 俺の両親は、ただの一般人で、超能力なんてない。学校の友達にもないし、麻友にもない。俺が大事と思う人に、超能力者はいない。大事な人が死んだら、殺されたら、俺だって悲しいし、怒る。
 墨田先生は、そういうことを考えろってことを言ってたのか。殺したら、その人だけじゃなくて、その人の周りにも影響がある。殺したら、多くの怒りや恨みを買う。そうすれば、俺を殺そうって人だって出てくる。
 今までは超能力にかまけて、絶対にバレないという自信で、そこらへんをまったく考慮しないで人を殺してきた。それじゃいけないってことを、墨田先生は教えに来てくれたのだろう。お節介な人だが、今回ばかりは役に立つ助言だった。
 悲しんでいるというポーズや、反省しているというポーズも大事なのだ。人の心を読んで、それに則した行動を取る。それが、自分の身を守るのに非常に有効なのだと、今回のことで分かった。
 ちゃんと理解しましたよと、墨田先生に報告しなければいけない。それもひとつの礼ってやつだ。
 頭ではそんな風に理屈で考えてみたけれど、感情はもっと揺れていた。俺がこんなに墨田先生の言うことを理解しようと、頭を使っていることがその証拠。わざわざ考えるという行為に没頭しようとしているのは、他につい考えたくもないことを考えてしまうからだ。
 昨日の夜のことを思い出すと、それだけで恐ろしくて震えが止まらなくなる。常識を超えた出来事、つまり超常現象はありえるのだ。
 俺のことを見ていると言ったのは、多分本当だ。墨田先生はいつでも俺を祟ることができる。
 少しでも先生の怒りに触れないように生きなければならない。そのためにまず、どうしようかと考えた。
 墓参りだ。先生の墓参りをしよう。そう思い、俺は家の電話を手に取った。先生個人のSNSのアカウントは知っているけど、家の連絡先までは知らない。
 塾に電話したところ、わざわざ先生の家に電話して、折り返してくれた。だが、先生はまだ、墓に入っていないとのことだった。納骨というのは、すぐにやるものではないらしい。入ったのならその時、ちゃんと墓参りに行こう。
 そう思いながら、俺は誰もいないリビングのソファーに体を沈めた。家の中にひとりでいると、どうしても深夜の出来事を思い出してしまって、また体が震える。
 かと言って、昼間に外出することはできなかった。どこの誰が、俺が西坂を殺した時の動画を見ているか分からない。中学から私立に通っていたことに感謝した。地元に友達がいなければ、家に突撃される心配は少ない。今の学校の友達を家に連れてきたこともないし、その点で、この家は非常に安全だった。死んだ先生の霊よりも、生きている人間からの方が実際に被害を被る可能性は高いように感じられる。だったらまだ、家で先生の霊に説教された方がマシってものだ。
 一日中家に籠もることになるが、まったくやることがないわけではない。これからの身の振り方を考えなきゃならない。俺はもう、あの学校に通うことはできないだろう。きっと今、学校では、あの動画の真偽を見定めようとしているに違いない。そうしたら、警察が来るかもしれないし、マスコミだって来るかもしれない。動画が配信されたのが金曜の深夜で、今はもう月曜。事態はとっくに動いていると考えた方がいい。
 俺が殺したという証拠は絶対に出てこない。これは断言できる。でも、見方を変えて、急に心臓発作を起こした生徒を見殺しにしたやつ、ということになれば話は別だ。ばっちり映ってしまっている。目の前の人を見殺しにしたやつって、確か罪に問われるんじゃなかったか。あれは演技だと勘違いしていて、本当に心臓発作を起こしたとは思わなかった、とか嘘をつけば大丈夫だろうか。
 嘘をついて、無実に終わったところで、学校生活は無事で終わるわけがない。学校に行けば、針のむしろだろう。退学や転校も視野に入れなければならない。
 何よりもまず、一番初めの脅威は、両親に知られるということだ。きっと両親は俺の味方をしてくれる。でも、息子がそんな苦境に立たされて、気分のいい親というのはいないだろう。気落ちした両親と一緒に生活するのでは、こちらの気が滅入る。
 どうしたものか。いくら考えたところで、事態が動かなければ、どうすればいいのか判断がつかない。今、俺から能動的に行動できることなんてあるのだろうか。
 そんな俺のもやもやを切り裂くように、電話の着信音が静かなリビングに響いた。それだけで、俺の心臓がいっそ止まりそうな程に強く鼓動を打った。墨田先生からの電話以来、着信音がトラウマになっている。カッコ悪い。誰もいない部屋で、カッコつける必要もないが。
 着信音は鳴り続ける。俺の携帯じゃない。何せ、電源を入れていないから。音の発生源は家の電話だった。どこからだ。嫌な予感がする。多分、俺宛だ。電話に出ないで居留守をつかうって選択肢もある。そっちの方が魅力的だ。でも、せっかく事態の方から動こうとしてくれている。
 出るか。重い腰をソファーから上げて、電話の親機に向かう。切れてしまえばいいのに。しかし、相手は粘り強かった。受話器を耳に当て、向こうの気配を探る。
「もしもし」
 お決まりの第一声。
「もしもし、私、赤木学院高等部の入間と申しますが、祐介様はご在宅ですか?」
 学校からだ。想定内。しかし、入間先生からだと。まさか担任からではなく、講師から電話が来るとは。もしかして、学年会議かなんかをやっているのだろうか。だとしたら、講師にまでお鉢が回ってきたのにも頷ける。
 しかし、あの動画を盗撮した可能性の高い入間先生から電話とは。油断はできない。
「あ、ゴホ、俺です」
 咳をひとつ挟んで答える。体調不良で学校を休んでいるということになっているから、一応学校関係者相手には体調が悪いフリをしておかなければなるまい。
「風邪は大丈夫か?」
「まだ熱が下がらなくて」
「そうか。それは困ったな」
「どうしたんですか?」
 何に困ったというのだろう。
「実はな、お前のことが今、学年会議にかけられててな。なんでか分かるか?」
 どう答えるべきか。嘘をついてもつかなくても、説明のワンクッションを挟んで同じ流れになるだろう。別にここで嘘をつく必要はないか。
「もしかして、動画のことですか?」
 それで仮病を使って休みましたと言っているようなもんだが、別にいい。むしろ察しろ。可哀想だと同情してくれて構わない。その方がやりやすくなるかもしれない。いやしかし、入間先生が盗撮していたのだとしたら、それも意味はないか。
「そう、それ。で、それについて話を聞きたいんだが、具合が悪いんじゃな」
 そうだ。具合が悪いから、先延ばしにしてくれ。
「そうですね」
「そうだよな。いや、今日だったらな、放課後、部活も終わってる時間に、俺が対応できるんだよ。それなら他の生徒に会わないで済むし、他の先生方よりも、俺くらい適当なやつが相手の方がいいだろ? いやしかし、他の日だと、どうにもな。でもそうだよな、具合悪いもんな。また別の日にするか? 生徒がいる時間で、他の先生、教頭とかになっちゃうけど、それでもいいか?」
 なんだと。これから学校に向かわなければならない面倒臭さと、今日学校に行くメリットを天秤にかける。
 絶対に今日行った方がいい。生徒に会わなくて済むことほど都合のいいことはないし、教頭相手に詰問されるよりは、入間先生と会話できる方がマシだ。むしろ、入間先生に直接動画のことを聞くチャンスとも取れる。
 それに何より、今日すぐに学校と話しあえば、両親にいろいろ勘ぐられる前に対策を練ることができるかもしれない。
 考える必要すらない。今日行くべきだ。
「先生、俺、今日行きます。夜までまだ時間あるんで、薬飲めば熱も下がると思うし」
 まくしたてた。我ながら、ちょっと必死すぎるかなと思いつつ、この期を逃すわけにもいかない。
「そうか。それならそうだな……視聴覚室にしようか? あそこなら他の先生のちゃちゃも入らないだろうからな」
「分かりました。視聴覚室ですね。えっと、時間はどうしたらいいですか?」
「八時過ぎならどうだ? それなら部活で帰るやつにもすれ違わないですむぞ」
「分かりました。八時に視聴覚室に行きます」
「おう、じゃ、また夜に」
「はい」
 電話が切れた。
 よし、事態が動いた。これから先生との対話に向けて、応答のシミュレーションをしなければならない。やることができると、俄然張り合いが出てきた。俺は今日初めての食事を取るため、ソファーから立ち上がった。

 学校までの電車。こんなに長く感じたのは初めてだった。携帯の電源をずっと切っているから、暇つぶしもできないし、緊張しているから居眠りすることもできない。でも、誰が目の前に立っても席を譲る気はないので、狸寝入りだけはしておいた。
 夜の渋谷は猥雑で、あまり好きではない。それでも、学校の方面はまだマシだ。道は細いが、人通りも多くない。駅に向かう流れに逆らうように歩いた。酔っぱらいが肩をぶつけてくる。気分によっては殺したっておかしくないタイミングだったが、墨田先生に言われたことを思い出して、やめておくことにする。
 都道沿いは車が多いし、流れが悪い。視界にうるさいヘッドライトを横目に、学校へと向かう。横道を入り、校門横の扉を抜ける。下校時間はとっくに過ぎているため、校門自体は閉じられているが、その横にある扉については、まだ働いている教職員たち用に開けられている。
 時間が時間だし、学年会議の議題の当事者になってしまったから、こそこそと身を隠すようにして校内を進んでいく。まだ先生がいる時間とはいえ、生徒がいなくなった学校は不気味だ。お化けが実在すると知ってしまった今、これほど怖い空間があるだろうか。青く光る非常灯と、赤く光る消火栓の表示灯だけが目にちらついて、いつ教室のドアが開き、暗闇から化け物が飛び出してくるんじゃないかという、妄想に近いような恐怖で心臓の鼓動が早まる。いっそ踵を返して逃げ帰りたいという欲求を跳ね除けて、階段を上る。視聴覚室まではあと少し。時間も八時五分前。バッチリだ。
 視聴覚室の扉は重く分厚い。一応、ここではAV機器を使うことが想定されているからだろうか、防音になっている。鍵の表示が緑になっているということは、今は鍵が開いているということに他ならない。分厚い扉を叩いても意味はないだろう。ノックすることなく、視聴覚室の扉を開いた。
「失礼します」
 職員室に入る時はそう言いなさいといつも先生に言われている。先生が先に待っているところに入る時は、そう言う癖ができていた。
「おう、入れ入れ」
 返ってきたのは入間先生の声だけだ。まずは一安心。
 だが、目に飛び込んできた光景を見て、俺は首を傾げた。
「なんだ、これ?」
 頭にいくつも疑問符が浮かぶ。先生は教卓の前に立っていた。その背後には、大型の液晶テレビ。プロジェクター用のスクリーンも一応あるのだが、部屋を暗くするとみんなすぐに寝るということで、最近は使われていない。
 そして、教室の四隅にそれぞれ、教卓に二つ、ビデオカメラが設置されていた。教卓のものは、一個が教卓奥のホワイトボードの方に向けて、一個は並んだ座席に向けて。なんだ、これは。
 教卓には、ノートパソコンも置かれていた。
「じゃ、高石、そこに座ってくれ」
 促されて座ったのは、最前列中央の席。長テーブルに、固定された椅子だ。なぜ、ここに座らなければならない。ビデオカメラを向けられているので落ち着かない。
「なんですか、これ?」
「ん? 撮影だけど。ちょっと待ってろ」
 何を言ってるんだ。意味が分からない。先生はパソコンの画面に目を落として、マウスを操作している。
「よし、時間だな。はい、みなさん、こんばんは。私、赤木学院高等部、古典の講師をしております、入間周一と申します。先日ランキングを騒がせた『高校生が超能力で同級生を殺す』という動画の検証番組を始めたいと思います。こちらが、先日、同級生である西坂卓君を殺した犯人である、高石祐介くんです、拍手!」
 この人は、一体何をしているんだ。呆然とする俺に、先生はパソコンの画面を向けた。
 画面には、この教室の様子が映しだされていた。画面はカメラの台数と同じく、六分割されている。これは、ケタケタ動画の生放送だ。ケタケタ動画では、動画を投稿するだけでなく、リアルタイムに配信することができる。つまり、テレビの生放送と同じようなことが、ネット上でできるのだ。それに対するリアクションとして、視聴者は画面上にコメントを流すことができる。入間先生は今、この教室の様子をリアルタイムで配信しているのだ。
『88888888』
『待ってました』
『はよ』
 など、たくさんのコメントが画面上を右から左に流れていく。かなりの数の人が、この生放送を見ているということになる。
 状況がまったく把握できない。先生は一体何をしているんだ。
「それではまず、番組説明に書かれております、一番上のURLの動画を、高石くんに見ていただきましょう。どうぞ」
 液晶テレビに、動画が流れだした。それはもう、頭から消去することの敵わない、記憶にきっちり刻みつけられた動画だった。
 俺が、渋谷の改札で、妊婦を殺した時の動画だ。
「この動画で亡くなった妊婦。彼女は私の妻でした。そして、お腹の中にいたのは、私の子供。高石くんは、超能力でもって、たくさんの人を殺してきた、殺人鬼なのです。私は彼に復讐するために、今日まで生きてきました」
 何を言っている。先生の顔を見上げると、そこには、俺の知った入間先生の顔はなかった。そこには、憎悪で歪み、怒りを顕にし、口の端から恨みを漏れ出させた、鬼のような顔があった。
「これより、高石祐介少年の罪を暴いていきたいと思います」
 入間先生の声が、遠くで響いているように聞こえる。現実感がない。精神が肉体から遊離してしまったようだ。一体どうしてこんなことに。今日は、あの動画について質問されるだけではなかったのか。
 入間先生の瞳が、俺を貫く。復讐者の覚悟を、そこに見た気がした。
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