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果実 7
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穏やかな日々は過ぎて、ついにその日はやってきた。大晦日、千秋の期限の日だ。
目が覚めたら、また十二月三十日、晦日だったらいいのにと、この日が来ることを拒みたい気持ちになっていた光にとってこの朝は、差してくる日差しに憎しみすら覚えた。
朝起きると、昨日の夜と一昨日の夜と同じく、千秋は椅子に座って本を読んでいた。一体何冊読んだのだろう。昨日の夜、光が見た時とはまた違う本を手にしていた。このままこの部屋にいてくれたら、そう時間はかからずにこの部屋にある本を読破してしまうな、なんて想像するのは、あまりにも無益だからやめた。
「おはよう」
「……おはようございます」
なんだか、千秋の動きが鈍い。何故だ。光は起き上がり、椅子に座り俯く千秋の顔をのぞき込んだ。
「あ……」
千秋の皮膚、いや、果皮が乾いてきている。皺が寄っている。光の倍くらいは、いや、それ以上に歳をとっているんじゃないか。容姿で判断すると、そのくらいになる。
「大丈夫?」
思わず声をかけた。
「はい。もう、期限が近いだけです」
そうか。千秋はもう限界なのか。だが、このまま朽ちさせてしまうのは。そう考えると、たまらなくなった。なんとか、引き伸ばすことはできないか。
「座るの、辛くない?」
「はい。ただ、体がうまく動きません」
座ったままの形で固定されてしまっているのか。光は千秋の傍に寄ると、椅子の下から、千秋の膝の裏に右腕を、背中に左腕を回して、抱きかかえた。
人と同じくらいに重い。運動不足には堪える重さだ。よろけながら、光は千秋をベッドに移した。
「横になった方が楽?」
「もう、どこにいても変わりません。次の夜が明けるころには、私の意識はなくなります」
光は唇を噛み締めた。もう、いなくなってしまうのか。また、消えてしまうのか。だが、光は思い出した。今ここにいる千秋は果実だ。果実は道具で、食品。
だとしたら、それを長持ちさせる方法はあるかもしれない。光は急いでノートパソコンを開いた。ブラウザを立ち上げて、検索ワードを入力する。キーボードで打ったのは『果実 長持ち 方法』の三つの単語。
検索結果はすぐに出た。
「ようは、乾いて水分が失われているのが原因か」
食材としての果実の期限は、果実が意識を失ってから、十日ほどらしい。冷凍して保存しておけば、それ以上。
だが、食材としてはどうでもよかった。今は、千秋が意識を失い、食材になってしまうことを防ぎたいのだ。
それもやはり、乾くのを防ぐことで、いくらか緩和されるとのことだ。まずは、果実に経口で水を与えること。果実は食事はしないが、適度な水分補給によって、その寿命を延ばすらしい。しかし、過度に与えてしまうことは痛みの原因になってしまうらしく、それには注意が必要だ。
光はすぐに実践することにした。コップで水を汲み、千秋の背中を支え、上体を起こす。
「飲める?」
光が尋ねると、千秋は弱々しく頷いた。
コクコクと、水が千秋の中に染みこんでいく。それを見て安心した光は、もう一度、優しく千秋を横にならせた。まだ他にも、長持ちさせる方法はあるかもしれない。さっきまで見ていた画面を、さらにスクロールさせて読み進めていく。
今度は中からではなく、外から水分を補給させる方法だ。
五十度洗いというものがある。食材を五十度前後のお湯で洗うことで、水分を浸透させて鮮度を蘇らせることができるらしい。これは、果実にも効果があるらしかった。水分を失い、歳を取ったように見える果実が、若々しく生まれ変わるらしい。それに伴って、果実の寿命も多少は伸びるらしかった。
これを試さない手はない。光はすぐに、湯船にお湯を張ることにした。ユニットバスでなくて良かったと思ったのは、引っ越ししてすぐの間以来だ。
五十度は、入浴するには熱すぎる。今までそんな設定温度にしたことはなかった。それに、一人だと勿体無くて、湯船にお湯を張ることをずっとためらっていたから、湯船を使うこと自体久しぶりだ。お湯を張る前に、一度さっと洗っておく。
どれくらいで湯船にお湯が溜まるのか、冬だから、夏よりは時間がかかりそうだ。光は湯船にお湯が張られるのを待つ間、ずっと目を閉じている千秋の顔を見て過ごした。水を与える前よりも、多少は顔に張りが戻ったような気がしないでもない。若返っている。また、千秋が千秋に近づいていった。
「お風呂が、沸きました」
機械の音声が聞こえた。風呂場に確認しにいく。蓋を開けて、湯船に指をつっこんでみると、なるほど、熱い。これで入浴しようという気には、絶対になれなかった。
後は、千秋を湯船に入れて、五十度洗いをするだけ。そのためには千秋を脱がさなければならない。
「あの、ねぇ、いいかな」
「なんでしょう?」
体を起こそうとする千秋を、光は手で止めた。
「お風呂、入れる?」
「お風呂ですか? 入ったことはありません。それに、体に力があまり入りません」
無理、ということか。ならば、光が入れてやる以外にない。
「……脱がせるけど、いい?」
「はい。私はあなたの物ですから、好きにしてください」
そんなことを言われると、色々な想像をしてしまう。だが今は、そんな妄想をしている時ではない。千秋を少しでも蘇らせるために、しなければいけないことをする時だ。
好きにして。そうだ、好きにするしかない。
光は千秋の服に手をかけた。家に着いてからは、コートは着ていない。ハンガーで壁にかけてあった。
今着ているのは、カーディガンにブラウスにスカート。まずは、カーディガンのボタンを外す。すべてボタンを外したら、腕を抜いて、背中に手を回して体を浮かせてカーディガンを引き抜いた。顔が近くなる。胸が高鳴る。
今自分がしていること。果実の購入者なら、当たり前にすることなのだ。裸に剥いて、劣情をぶつける。当たり前の行為なのに、光の胸は、まるで初恋を知ったばかりの少年のようにときめいていた。
ブラウスのボタンをひとつひとつ外す。その行為だけで、理性のタガまで外れそうだった。光は自分の下腹部が、燃えるように熱くなっていくのを感じていた。
息が荒くなる。パジャマのズボンは前が破けるんじゃないかというぐらいに張り詰めていた。作業をするには邪魔だった。先が擦れる度に、変な声が出そうになる。
ブラウスを、寝かせたまま脱がすのは無理だった。体を起こさせ、脱がせる。そのまま抱きすくめたい衝動を、なんとか抑えながら。
程よく手に収まりそうなサイズの胸には、きちんとブラジャーもされていた。誰かのブラジャーを外した経験はない。勝手が分からないが、千秋の背中に回り、その構造を見れば、どうやって外せばいいのかぐらいは簡単に分かった。ホックを外して、その胸を顕にさせる。肌は白く、汚れ一つ無い。ただ、皮膚は重力に負け始めていた。とくに胸は完全に重力に負けており、ブラジャーから解放されると、力なく垂れた。
まだ、スカートが残っている。それも脱がさなければならない。千秋の前側に戻ると、千秋は胸を隠すこともなく、ただ、光の目を見つめた。
光の視線は自然と下がった。その胸が、視界に入る。綺麗な淡い色素の乳首が、光の視線を吸い寄せて離さない。重力に負けてはいるが、すべて包み込みそうなほどの柔らかさを視覚のみでも伝えるそれに、むしゃぶりつきたい衝動にかられる。だが、今はその衝動よりも、千秋の延命が何よりも大事だ。
スカートを引っ張りおろし、ショーツを剥ぎ取る。
そこに、女性器はなかった。ただつるんと、恥骨のような形に隆起しているだけだ。行為を、するには、ここに果物ナイフを突き立てなければならないのか。そう思うと、いきり立ったものも萎えていた。
千秋を抱きかかえ、その肌の感触を味わう。やはり、果皮は水分を失い、張りつめるような若さはなく、しかし程よく熟し、柔らかく包み込まれるような心地がした。
風呂場に千秋を立たせ、肩を貸し、湯船に浸からせる。湯船のお湯が溢れ、足にかかるお湯の熱さに飛び跳ねそうになるが、それに耐えて、千秋が全身をお湯に浸らせるのを見届けた。
「しばらく浸かっててね」
「はい」
このまま風呂場にいては、理性が吹き飛びそうだったので、一度風呂場を出て、濡れた足を拭き、パジャマを着替えた。
しばし待つ。ラブホテルで、相手が入浴しているのを待つのはこんな感じんだろうか。想像してみる。水音はあまり聞こえてこない。湯船にじっとしているようだ。
どれくらいお湯に浸かっていれば元気になるのだろうか。もう一度、パソコンで確認する。が、状態と個体差によるらしく、明確な時間は書いてはなかった。目安として、十五分ほど入っていると、中まで水分が浸透するというが。
時計を確認する。十五分。待っている間に食事をすることにした。
食事を終えて、様子はどうかと、浴室のドアを叩いてみる。
「開けていいですか?」
「はい」
緊張感と共に、扉を開く。開いた先、湯気が立ち込める浴室の中にいた千秋が、千秋だった。言葉にするとわけが分からなくなる。千秋が、千秋だったのだ。
肌にツヤと張りが戻っている。しおれてきていた千秋が、若返っている。
戸惑いながら、光は湯船に浸かる千秋に手を差し伸べた。やはり、全身の皮膚の張りが違う。バストも明らかに上向きになっている。
「ちょっと待ってて、バスタオル出すから」
「はい」
バスタオルを手渡してみると、千秋は自分で体を拭きだした。その間に、光はどうしてもその必要があると感じたことを試すために玄関に向かった。
玄関には、数日前に買った、度の入っていないメガネがあった。メタルフレームのメガネ。千秋に何かあげられるものはないかと探した時、未練からつい買ってしまったものだ。今の千秋にどうしても、それをつけさせなければならない気がする。
「拭けた?」
「はい」
浴室から答えが返っくる。
「じゃ、ちょっとこっちきて」
メガネをポケットにしまい、千秋を呼んだ。洗面台で待ち構えて、千秋を鏡の前に立たせる。
「目、閉じて」
「はい」
濡れた髪を乾かすために、ドライヤーで熱風を吹きかける。誰かの髪を乾かしたことなんてないから、勝手は分からなかったが、果皮の乾燥を防ぐために、髪を掴んで持ち上げて、なるべく果皮から離して乾かした。
そして、ポケットからメタルフレームのメガネを取り出して、目を閉じたままの千秋に掛けた。その間、千秋はされるがままだ。
鏡に映る千秋を見て、光の指先が震えていた。
「目、開けていいよ」
「はい」
言われるまま、千秋は目を開いた。鏡に映るその姿。それは間違えようもなく、千秋だった。あの日、クリスマス・イブ、約束の場所に来なかった千秋。その千秋が、今ここにいる。
「千秋……さん?」
「……」
千秋は何も答えない。肩を掴んで千秋を振り返らせる。メガネの先にあるその瞳を見つめる。しかし、千秋は何も答えない。
「千秋さんなの? 千秋さんじゃないの?」
視覚で得られる情報が、目の前にいる千秋は、確実にあの千秋だと言っている。しかし、頭がその情報を処理しきることができない。千秋と二人でいた時のことを思い出す。二人でいた時間。その時間の中に、千秋が人間と証明できる瞬間はあっただろうか。
果実と人間を、服を着た状態で判別することは難しい。服を脱がせば性器のあるなしで判断できる。それに伴って陰毛がないこともまた証拠と言えば証拠になるか。それ以外では、傷をつければ血液が出るか果汁が出るかの違い。
食べ物を口にするところを見たことはあるか。いや、ない。図書館以外で千秋と会ったのは、喫茶店だけ。喫茶店では、千秋はコーヒーを口にしただけで食事はしていない。クリスマス・イブに食事に誘ったが、それは達成されていない。だから、人間でないかどうかの判断基準にはならない。
後は寿命だが、千秋と図書館で過ごした日々は、二十日程度。これでは判断がつかない。
図書館で出会った千秋が人間であるという証明を、光にはすることができなかった。
しかし逆に、千秋が人間としては不自然だったという点なら、いくつも上げられる。常識のなさもそのひとつだ。
図書館で本を机に置きっぱなしにした時だとか、喫茶店に生まれて一度も行ったことがなかったりだとか、携帯を持っていなかったりだとか、相手がいつ来るのかも分からないのに、寒い屋外で自分を待っていたことだとか。
これらが人間でないと証明する充分な条件になるとは思っていない。しかし、それらはすべて、千秋が果実であったとしたら翻って、果実であるということの証明に近いものにはなる。果実であるということが、不自然ではなくなるのだ。
「君だったのか」
店で千秋を見つけた時、千秋よりも明らかに年が上に見えたから、千秋を千秋だと思わなかった。しかし今、張りを取り戻し若返った姿は、千秋そのもの。目の前にいる千秋が、自分が恋した千秋であることを否定する材料がない。
「光さん……」
千秋が口を開いた。平坦な声だ。しかし、さっきまでよりも、僅かに高い、張りのある声だった。光の耳が叫ぶ。やはりこれは、千秋なのだと。
「ありがとうございます。ここまでしてもらって。でももう、私の期限は間もなくです」
真っ直ぐに見つめられ、そう言われても、光には返す言葉がなかった。それに、千秋が本当に千秋だったのか、その口からは答えてくれない。
「最期に、光さんにお願いがあります」
「……なんですか?」
最後に、と言われなければもっと即答で答えてあげることができたのに、その言葉に、考えさせられる。
「私を抱いてください。それから、私が……死んだら、捌いて食べてください」
千秋に果物ナイフを突き立てろというのか。千秋の体をバラバラにして、食べろというのか。そんなこと。
「お願いします」
千秋が顔を近づけてきたかと思うと、光の唇に、自分の唇を重ねた。
驚きに、光は目を見開いた。待ち望んでいたはずの瞬間が訪れたはずなのに、それは終わりの近さを感じさせるもので、光は思わず千秋の体を引き剥がした。
「千秋さん……最期なんて」
最期なんて言わないで欲しい。強く願う。しかし、千秋の目が語る。それがすべてなのだと。
「お願いします」
千秋が光の体に手を回し、抱きしめた。千秋に抱きしめられているという状況を理解できず、光はただ硬直する。
「私に繋がりをください」
繋がり。千秋はずっと、繋がりを求めて本を読んでいた。そのことを知っていた光にとって、その言葉はあまりにも重かった。ずっと千秋が望んでいたものを、今、光だけが与えることができる。
それは同時に、光が求めていたものでもあった。千秋との繋がり。それは欲しくて欲しくてたまらなくて、しかし遠ざかり、手の届かないところまで行ってしまった。そう思っていたものが、手のうちにある。
しかし、それは確実に、再び失われるもの。間違いなく、確実に、もうあと僅かな時間で。どうせ失われてしまうのなら、手になんて入れない方がいい。初めから持たなければ、失う怖さなんてない。
そう思っていながら、千秋の体を抱き返してしまう。抱き返さざるを得ない引力がある。恋だ。光は千秋に恋していた。トラウマを乗り越えようと気張ってしまうくらいには、強い気持ちで。
光は千秋に、キスしていた。好きだという気持ちを表現するのに、これほど直接的な行為があるだろうか。
キスなんて、本来セックスをするのに必要な行為ではない。女性器に男性器を挿入しさえすれば、それはもうセックスだ。だから、キスは本来必要ない。それでも人がキスをするのは、その人が好きだと伝えるため。純粋に好意を伝える行為として、キスはあるのだ。
千秋の舌に自分の舌を絡める。甘い。千秋の口の中は、甘酸っぱかった。人間でいうところの、唾液が出ているのだろうか。果実の体液はすなわち果汁。千秋とのキスは、比喩でなく甘酸っぱいものだった。
このままベッドに千秋を誘うべきなのか。千秋の目を見る。千秋は頷く。千秋の体を支えて、ベッドへと横たえた。
綺麗な裸体だ。白く穢れない。張りを取り戻した胸は、横たわってもなお、崩れきらずに、ささやかではあるが、形を残していた。
果実に対して、前戯は必要なのか。光は千秋に覆いかぶさりながら考えた。だが、思考とは関係なく、ただキスがしたくなり、唇を重ねた。長い長いキスの始まりだった。
キスをしながら、光は服を一枚一枚脱いでいった。肌と肌が触れ合う。一度肌が触れ合ってしまうと、離し難くなってしまう。ずっとくっついていたくなる。肌と肌を合わせながら、不器用に、光はズボンを脱いだ。
前がきつい。パンツはもう破れそうで、早くも先が湿っていた。引っかかりながら、ゴムを伸ばして無理矢理脱ぐ。
互いに一糸纏わず、互いの体を掻き抱きながらするキスは、時間を忘れさせた。終わりの見えない長いキスだ。
息継ぎで、光は口を離すと、千秋が呟いた。
「もう、してください。時間がありません」
平坦な声に、焦りが滲んでいるような気がした。
「でも、するってことは、千秋さんにナイフを……」
「大丈夫、痛くありません。だから」
目が懇願していた。これには抗えない。離し難い体を離して、光は台所に立った。流しの下にある果物ナイフを手に取り、横たわる千秋に寄り添う。
「本当に、大丈夫?」
「はい」
光は四つん這いになった。千秋は膝を立て、足をM字にした。人間であれば性器がある部分。そこはつるんとした肌になっていて、まっさらだ。清らかな程に白い。
そんな場所に、果物ナイフを刺さなければならない。どの辺りに刺せばいいのだろう。千秋の股を撫でてみる。どこにすればいいのだろう。サイトには、自分の睾丸の付け根をイメージして、その場所に刺せと書いてあった。それはこの辺だろうか。光はナイフをあてがった。
だが、刺せない。手が震える。
「大丈夫です」
千秋が体を起こして、光の手に、自分の手をあてがった。千秋の手が、光の手を引く。ナイフの切っ先が、千秋の肌に食い込む。その感触は、あまりに肉感的だった。果物にナイフを刺した時よりは、肉に刺すときの感触に近い。
怖かった。痛くはないかと。取り返しのつかない失敗はしていないかと。千秋の顔を見る。
「大丈夫です」
本当に大丈夫なのか。大丈夫じゃなかったらと、胸が張り裂けそうになる。どこまで突き刺せばいいのだろう。刃の根元まで刺さっているが、これは光のもののサイズを考えて、足りるだろうか。ごちゃごちゃと考えが絡まり、光の動きが止まる。
「抜いてください」
「あ、ごめん、痛かった?」
「痛くはありません。でも、入っていることは分かります」
光はズルリとナイフを引き抜いた。抜いたそばから、果汁が溢れ出す。光は慌てて、千秋の傷口に口をつけた。傷口から溢れだす果汁を、口いっぱいに含んで飲み込む。
爽やかな香りだ。図書館で出会った時、すれ違いざまに香ったのと、同じ香りをしていた。千秋の口の中と同じように甘酸っぱくて、溢れだす果汁のすべてを飲み干そうとするが、どうしても口の端から流れてしまう。千秋のすべてを無駄にしたくなくて、光は必死で飲み込んだ。やがて、果汁の流出が落ち着いた。
飲み込みながら、光の興奮は頂点に達していた。我慢の限界が近づく。こんなことできないとか考えていたくせに、いざとなれば行為に及びたくなってしまう、自分の欲望に対する正直さに情けなくなる。
がしかし、もう止まらない。それに、これは千秋が臨んだことだ。
ナイフが引き抜かれたことによって露出した千秋の体内、つまり千秋の果肉は乳白色をしていた。質感はやはり肉に近いが、色がそれとはまったく異なる。
光といえど男で、所謂無修正のアダルトビデオは見たことがある。それで見た人間の女性の陰部の色ともまったく異なっている。初めて陰部を見た時は、なんとグロテスクなものなんだと思った光だったが、今見ている千秋の体内は、この上もなく美しく、清らかであり、それでいて劣情をもよおさせる淫靡な輝きを放っていた。
千秋の股から顔を上げると、千秋と目が合った。目と目が合えば、それで分かる。千秋も先に進むことを望んでいる。
「するよ」
「はい」
もう一度、光はキスをして、それから、赤く腫れ上がった亀頭を、千秋の傷口にあてがった。傷口は思ったよりも小さく、自分のサイズにはきつすぎる。
「大丈夫です。そのまま」
本当に入るのか、自分で陰茎を掴んで、傷口に向かって腰を振り下ろすように押し付ける。ミチミチと千秋の果肉が裂けるのを感じた。きつくきつく締めあげられるような感触だけで、光はすでに果てそうになっていた。
そのままの体勢で、光はまた、千秋にキスをする。もう何度しても、次のキスが欲しくなるくらい、千秋の唇に惹き寄せられる。
「繋がりました」
「はい。繋がれました」
繋がれた。二人にとって、一番大事なことだった。
腰をゆっくりと動かす。果てるのは時間の問題だ。できるだけ長くしていたいのに、我慢することができない。
「ダメだ。もう」
「はい」
最後に、光はガクガクと腰を動かした。上手に動かすことができない。それでも、本能が導くままに、腰を振る。抗いきれない圧迫感がこみ上げて、光は千秋の中に、盛大に精を吐き出した。止まらない。ドクドクと脈打ち、意志とは関係なく蠢いて、今まで光の知り得なかった荒々しいほどの快感を、無遠慮にぶつけてくる。
「うああああ」
思わず声が漏れる。千秋にしがみつくと、抱きしめ返してくれた。それからしばらく、身動きもできず、光は快感の中をさまよった。
二度三度。それから二人は交わり続けた。カーテンの隙間から差し込んでいた光もいつしか消え、外はすっかり暗くなっていた。
抱く度に、千秋が弱っていく。取り戻した水分も再び失い、光の腕の中で歳を取っていく。胸が切り刻まれるように傷んだが、それでも光は、抱ける限り、千秋を抱こうとした。千秋の体の自由が奪われていく。もうこれが、最後の交わりになる。間もなく年が明けるという頃、二人はそれを覚悟した。
腰を振りながら、光の目から、パタパタと涙が溢れる。それは千秋の体に落ちて、いくらか吸い込まれ、流れていった。
「ありがとうございます。光さん」
声は平坦で、そして張りはなく、弱々しい。
「私はあなたと繋がれましたか? 私はここで消えないですか? 私はあなたの歴史に残れましたか?」
すべての問いかけに、光は頷いて答えた。
「うん。ねぇ、君にまだ、聞きたいことがたくさんあるんだ。だから、ねぇ、もう一日。もう一日だけ頑張ってよ。ねぇ。まだ俺の傍にいてよ」
好きでいてくれたのなら何故あの夜、待ち合わせに来てくれなかったのとか、これからどんな本を読みたいとか、こんな本をオススメしたいとか、もっともっとあるはずなのに、喉が詰まって、言葉がこれ以上出ない。
震えながら、千秋の両手が伸び、光の頬に触れた。唇は再び近づく。涙が流れ、千秋の顔を濡らす。光は果て、それでも繋がったまま。長い時間を過ごした。
目が覚めたら、また十二月三十日、晦日だったらいいのにと、この日が来ることを拒みたい気持ちになっていた光にとってこの朝は、差してくる日差しに憎しみすら覚えた。
朝起きると、昨日の夜と一昨日の夜と同じく、千秋は椅子に座って本を読んでいた。一体何冊読んだのだろう。昨日の夜、光が見た時とはまた違う本を手にしていた。このままこの部屋にいてくれたら、そう時間はかからずにこの部屋にある本を読破してしまうな、なんて想像するのは、あまりにも無益だからやめた。
「おはよう」
「……おはようございます」
なんだか、千秋の動きが鈍い。何故だ。光は起き上がり、椅子に座り俯く千秋の顔をのぞき込んだ。
「あ……」
千秋の皮膚、いや、果皮が乾いてきている。皺が寄っている。光の倍くらいは、いや、それ以上に歳をとっているんじゃないか。容姿で判断すると、そのくらいになる。
「大丈夫?」
思わず声をかけた。
「はい。もう、期限が近いだけです」
そうか。千秋はもう限界なのか。だが、このまま朽ちさせてしまうのは。そう考えると、たまらなくなった。なんとか、引き伸ばすことはできないか。
「座るの、辛くない?」
「はい。ただ、体がうまく動きません」
座ったままの形で固定されてしまっているのか。光は千秋の傍に寄ると、椅子の下から、千秋の膝の裏に右腕を、背中に左腕を回して、抱きかかえた。
人と同じくらいに重い。運動不足には堪える重さだ。よろけながら、光は千秋をベッドに移した。
「横になった方が楽?」
「もう、どこにいても変わりません。次の夜が明けるころには、私の意識はなくなります」
光は唇を噛み締めた。もう、いなくなってしまうのか。また、消えてしまうのか。だが、光は思い出した。今ここにいる千秋は果実だ。果実は道具で、食品。
だとしたら、それを長持ちさせる方法はあるかもしれない。光は急いでノートパソコンを開いた。ブラウザを立ち上げて、検索ワードを入力する。キーボードで打ったのは『果実 長持ち 方法』の三つの単語。
検索結果はすぐに出た。
「ようは、乾いて水分が失われているのが原因か」
食材としての果実の期限は、果実が意識を失ってから、十日ほどらしい。冷凍して保存しておけば、それ以上。
だが、食材としてはどうでもよかった。今は、千秋が意識を失い、食材になってしまうことを防ぎたいのだ。
それもやはり、乾くのを防ぐことで、いくらか緩和されるとのことだ。まずは、果実に経口で水を与えること。果実は食事はしないが、適度な水分補給によって、その寿命を延ばすらしい。しかし、過度に与えてしまうことは痛みの原因になってしまうらしく、それには注意が必要だ。
光はすぐに実践することにした。コップで水を汲み、千秋の背中を支え、上体を起こす。
「飲める?」
光が尋ねると、千秋は弱々しく頷いた。
コクコクと、水が千秋の中に染みこんでいく。それを見て安心した光は、もう一度、優しく千秋を横にならせた。まだ他にも、長持ちさせる方法はあるかもしれない。さっきまで見ていた画面を、さらにスクロールさせて読み進めていく。
今度は中からではなく、外から水分を補給させる方法だ。
五十度洗いというものがある。食材を五十度前後のお湯で洗うことで、水分を浸透させて鮮度を蘇らせることができるらしい。これは、果実にも効果があるらしかった。水分を失い、歳を取ったように見える果実が、若々しく生まれ変わるらしい。それに伴って、果実の寿命も多少は伸びるらしかった。
これを試さない手はない。光はすぐに、湯船にお湯を張ることにした。ユニットバスでなくて良かったと思ったのは、引っ越ししてすぐの間以来だ。
五十度は、入浴するには熱すぎる。今までそんな設定温度にしたことはなかった。それに、一人だと勿体無くて、湯船にお湯を張ることをずっとためらっていたから、湯船を使うこと自体久しぶりだ。お湯を張る前に、一度さっと洗っておく。
どれくらいで湯船にお湯が溜まるのか、冬だから、夏よりは時間がかかりそうだ。光は湯船にお湯が張られるのを待つ間、ずっと目を閉じている千秋の顔を見て過ごした。水を与える前よりも、多少は顔に張りが戻ったような気がしないでもない。若返っている。また、千秋が千秋に近づいていった。
「お風呂が、沸きました」
機械の音声が聞こえた。風呂場に確認しにいく。蓋を開けて、湯船に指をつっこんでみると、なるほど、熱い。これで入浴しようという気には、絶対になれなかった。
後は、千秋を湯船に入れて、五十度洗いをするだけ。そのためには千秋を脱がさなければならない。
「あの、ねぇ、いいかな」
「なんでしょう?」
体を起こそうとする千秋を、光は手で止めた。
「お風呂、入れる?」
「お風呂ですか? 入ったことはありません。それに、体に力があまり入りません」
無理、ということか。ならば、光が入れてやる以外にない。
「……脱がせるけど、いい?」
「はい。私はあなたの物ですから、好きにしてください」
そんなことを言われると、色々な想像をしてしまう。だが今は、そんな妄想をしている時ではない。千秋を少しでも蘇らせるために、しなければいけないことをする時だ。
好きにして。そうだ、好きにするしかない。
光は千秋の服に手をかけた。家に着いてからは、コートは着ていない。ハンガーで壁にかけてあった。
今着ているのは、カーディガンにブラウスにスカート。まずは、カーディガンのボタンを外す。すべてボタンを外したら、腕を抜いて、背中に手を回して体を浮かせてカーディガンを引き抜いた。顔が近くなる。胸が高鳴る。
今自分がしていること。果実の購入者なら、当たり前にすることなのだ。裸に剥いて、劣情をぶつける。当たり前の行為なのに、光の胸は、まるで初恋を知ったばかりの少年のようにときめいていた。
ブラウスのボタンをひとつひとつ外す。その行為だけで、理性のタガまで外れそうだった。光は自分の下腹部が、燃えるように熱くなっていくのを感じていた。
息が荒くなる。パジャマのズボンは前が破けるんじゃないかというぐらいに張り詰めていた。作業をするには邪魔だった。先が擦れる度に、変な声が出そうになる。
ブラウスを、寝かせたまま脱がすのは無理だった。体を起こさせ、脱がせる。そのまま抱きすくめたい衝動を、なんとか抑えながら。
程よく手に収まりそうなサイズの胸には、きちんとブラジャーもされていた。誰かのブラジャーを外した経験はない。勝手が分からないが、千秋の背中に回り、その構造を見れば、どうやって外せばいいのかぐらいは簡単に分かった。ホックを外して、その胸を顕にさせる。肌は白く、汚れ一つ無い。ただ、皮膚は重力に負け始めていた。とくに胸は完全に重力に負けており、ブラジャーから解放されると、力なく垂れた。
まだ、スカートが残っている。それも脱がさなければならない。千秋の前側に戻ると、千秋は胸を隠すこともなく、ただ、光の目を見つめた。
光の視線は自然と下がった。その胸が、視界に入る。綺麗な淡い色素の乳首が、光の視線を吸い寄せて離さない。重力に負けてはいるが、すべて包み込みそうなほどの柔らかさを視覚のみでも伝えるそれに、むしゃぶりつきたい衝動にかられる。だが、今はその衝動よりも、千秋の延命が何よりも大事だ。
スカートを引っ張りおろし、ショーツを剥ぎ取る。
そこに、女性器はなかった。ただつるんと、恥骨のような形に隆起しているだけだ。行為を、するには、ここに果物ナイフを突き立てなければならないのか。そう思うと、いきり立ったものも萎えていた。
千秋を抱きかかえ、その肌の感触を味わう。やはり、果皮は水分を失い、張りつめるような若さはなく、しかし程よく熟し、柔らかく包み込まれるような心地がした。
風呂場に千秋を立たせ、肩を貸し、湯船に浸からせる。湯船のお湯が溢れ、足にかかるお湯の熱さに飛び跳ねそうになるが、それに耐えて、千秋が全身をお湯に浸らせるのを見届けた。
「しばらく浸かっててね」
「はい」
このまま風呂場にいては、理性が吹き飛びそうだったので、一度風呂場を出て、濡れた足を拭き、パジャマを着替えた。
しばし待つ。ラブホテルで、相手が入浴しているのを待つのはこんな感じんだろうか。想像してみる。水音はあまり聞こえてこない。湯船にじっとしているようだ。
どれくらいお湯に浸かっていれば元気になるのだろうか。もう一度、パソコンで確認する。が、状態と個体差によるらしく、明確な時間は書いてはなかった。目安として、十五分ほど入っていると、中まで水分が浸透するというが。
時計を確認する。十五分。待っている間に食事をすることにした。
食事を終えて、様子はどうかと、浴室のドアを叩いてみる。
「開けていいですか?」
「はい」
緊張感と共に、扉を開く。開いた先、湯気が立ち込める浴室の中にいた千秋が、千秋だった。言葉にするとわけが分からなくなる。千秋が、千秋だったのだ。
肌にツヤと張りが戻っている。しおれてきていた千秋が、若返っている。
戸惑いながら、光は湯船に浸かる千秋に手を差し伸べた。やはり、全身の皮膚の張りが違う。バストも明らかに上向きになっている。
「ちょっと待ってて、バスタオル出すから」
「はい」
バスタオルを手渡してみると、千秋は自分で体を拭きだした。その間に、光はどうしてもその必要があると感じたことを試すために玄関に向かった。
玄関には、数日前に買った、度の入っていないメガネがあった。メタルフレームのメガネ。千秋に何かあげられるものはないかと探した時、未練からつい買ってしまったものだ。今の千秋にどうしても、それをつけさせなければならない気がする。
「拭けた?」
「はい」
浴室から答えが返っくる。
「じゃ、ちょっとこっちきて」
メガネをポケットにしまい、千秋を呼んだ。洗面台で待ち構えて、千秋を鏡の前に立たせる。
「目、閉じて」
「はい」
濡れた髪を乾かすために、ドライヤーで熱風を吹きかける。誰かの髪を乾かしたことなんてないから、勝手は分からなかったが、果皮の乾燥を防ぐために、髪を掴んで持ち上げて、なるべく果皮から離して乾かした。
そして、ポケットからメタルフレームのメガネを取り出して、目を閉じたままの千秋に掛けた。その間、千秋はされるがままだ。
鏡に映る千秋を見て、光の指先が震えていた。
「目、開けていいよ」
「はい」
言われるまま、千秋は目を開いた。鏡に映るその姿。それは間違えようもなく、千秋だった。あの日、クリスマス・イブ、約束の場所に来なかった千秋。その千秋が、今ここにいる。
「千秋……さん?」
「……」
千秋は何も答えない。肩を掴んで千秋を振り返らせる。メガネの先にあるその瞳を見つめる。しかし、千秋は何も答えない。
「千秋さんなの? 千秋さんじゃないの?」
視覚で得られる情報が、目の前にいる千秋は、確実にあの千秋だと言っている。しかし、頭がその情報を処理しきることができない。千秋と二人でいた時のことを思い出す。二人でいた時間。その時間の中に、千秋が人間と証明できる瞬間はあっただろうか。
果実と人間を、服を着た状態で判別することは難しい。服を脱がせば性器のあるなしで判断できる。それに伴って陰毛がないこともまた証拠と言えば証拠になるか。それ以外では、傷をつければ血液が出るか果汁が出るかの違い。
食べ物を口にするところを見たことはあるか。いや、ない。図書館以外で千秋と会ったのは、喫茶店だけ。喫茶店では、千秋はコーヒーを口にしただけで食事はしていない。クリスマス・イブに食事に誘ったが、それは達成されていない。だから、人間でないかどうかの判断基準にはならない。
後は寿命だが、千秋と図書館で過ごした日々は、二十日程度。これでは判断がつかない。
図書館で出会った千秋が人間であるという証明を、光にはすることができなかった。
しかし逆に、千秋が人間としては不自然だったという点なら、いくつも上げられる。常識のなさもそのひとつだ。
図書館で本を机に置きっぱなしにした時だとか、喫茶店に生まれて一度も行ったことがなかったりだとか、携帯を持っていなかったりだとか、相手がいつ来るのかも分からないのに、寒い屋外で自分を待っていたことだとか。
これらが人間でないと証明する充分な条件になるとは思っていない。しかし、それらはすべて、千秋が果実であったとしたら翻って、果実であるということの証明に近いものにはなる。果実であるということが、不自然ではなくなるのだ。
「君だったのか」
店で千秋を見つけた時、千秋よりも明らかに年が上に見えたから、千秋を千秋だと思わなかった。しかし今、張りを取り戻し若返った姿は、千秋そのもの。目の前にいる千秋が、自分が恋した千秋であることを否定する材料がない。
「光さん……」
千秋が口を開いた。平坦な声だ。しかし、さっきまでよりも、僅かに高い、張りのある声だった。光の耳が叫ぶ。やはりこれは、千秋なのだと。
「ありがとうございます。ここまでしてもらって。でももう、私の期限は間もなくです」
真っ直ぐに見つめられ、そう言われても、光には返す言葉がなかった。それに、千秋が本当に千秋だったのか、その口からは答えてくれない。
「最期に、光さんにお願いがあります」
「……なんですか?」
最後に、と言われなければもっと即答で答えてあげることができたのに、その言葉に、考えさせられる。
「私を抱いてください。それから、私が……死んだら、捌いて食べてください」
千秋に果物ナイフを突き立てろというのか。千秋の体をバラバラにして、食べろというのか。そんなこと。
「お願いします」
千秋が顔を近づけてきたかと思うと、光の唇に、自分の唇を重ねた。
驚きに、光は目を見開いた。待ち望んでいたはずの瞬間が訪れたはずなのに、それは終わりの近さを感じさせるもので、光は思わず千秋の体を引き剥がした。
「千秋さん……最期なんて」
最期なんて言わないで欲しい。強く願う。しかし、千秋の目が語る。それがすべてなのだと。
「お願いします」
千秋が光の体に手を回し、抱きしめた。千秋に抱きしめられているという状況を理解できず、光はただ硬直する。
「私に繋がりをください」
繋がり。千秋はずっと、繋がりを求めて本を読んでいた。そのことを知っていた光にとって、その言葉はあまりにも重かった。ずっと千秋が望んでいたものを、今、光だけが与えることができる。
それは同時に、光が求めていたものでもあった。千秋との繋がり。それは欲しくて欲しくてたまらなくて、しかし遠ざかり、手の届かないところまで行ってしまった。そう思っていたものが、手のうちにある。
しかし、それは確実に、再び失われるもの。間違いなく、確実に、もうあと僅かな時間で。どうせ失われてしまうのなら、手になんて入れない方がいい。初めから持たなければ、失う怖さなんてない。
そう思っていながら、千秋の体を抱き返してしまう。抱き返さざるを得ない引力がある。恋だ。光は千秋に恋していた。トラウマを乗り越えようと気張ってしまうくらいには、強い気持ちで。
光は千秋に、キスしていた。好きだという気持ちを表現するのに、これほど直接的な行為があるだろうか。
キスなんて、本来セックスをするのに必要な行為ではない。女性器に男性器を挿入しさえすれば、それはもうセックスだ。だから、キスは本来必要ない。それでも人がキスをするのは、その人が好きだと伝えるため。純粋に好意を伝える行為として、キスはあるのだ。
千秋の舌に自分の舌を絡める。甘い。千秋の口の中は、甘酸っぱかった。人間でいうところの、唾液が出ているのだろうか。果実の体液はすなわち果汁。千秋とのキスは、比喩でなく甘酸っぱいものだった。
このままベッドに千秋を誘うべきなのか。千秋の目を見る。千秋は頷く。千秋の体を支えて、ベッドへと横たえた。
綺麗な裸体だ。白く穢れない。張りを取り戻した胸は、横たわってもなお、崩れきらずに、ささやかではあるが、形を残していた。
果実に対して、前戯は必要なのか。光は千秋に覆いかぶさりながら考えた。だが、思考とは関係なく、ただキスがしたくなり、唇を重ねた。長い長いキスの始まりだった。
キスをしながら、光は服を一枚一枚脱いでいった。肌と肌が触れ合う。一度肌が触れ合ってしまうと、離し難くなってしまう。ずっとくっついていたくなる。肌と肌を合わせながら、不器用に、光はズボンを脱いだ。
前がきつい。パンツはもう破れそうで、早くも先が湿っていた。引っかかりながら、ゴムを伸ばして無理矢理脱ぐ。
互いに一糸纏わず、互いの体を掻き抱きながらするキスは、時間を忘れさせた。終わりの見えない長いキスだ。
息継ぎで、光は口を離すと、千秋が呟いた。
「もう、してください。時間がありません」
平坦な声に、焦りが滲んでいるような気がした。
「でも、するってことは、千秋さんにナイフを……」
「大丈夫、痛くありません。だから」
目が懇願していた。これには抗えない。離し難い体を離して、光は台所に立った。流しの下にある果物ナイフを手に取り、横たわる千秋に寄り添う。
「本当に、大丈夫?」
「はい」
光は四つん這いになった。千秋は膝を立て、足をM字にした。人間であれば性器がある部分。そこはつるんとした肌になっていて、まっさらだ。清らかな程に白い。
そんな場所に、果物ナイフを刺さなければならない。どの辺りに刺せばいいのだろう。千秋の股を撫でてみる。どこにすればいいのだろう。サイトには、自分の睾丸の付け根をイメージして、その場所に刺せと書いてあった。それはこの辺だろうか。光はナイフをあてがった。
だが、刺せない。手が震える。
「大丈夫です」
千秋が体を起こして、光の手に、自分の手をあてがった。千秋の手が、光の手を引く。ナイフの切っ先が、千秋の肌に食い込む。その感触は、あまりに肉感的だった。果物にナイフを刺した時よりは、肉に刺すときの感触に近い。
怖かった。痛くはないかと。取り返しのつかない失敗はしていないかと。千秋の顔を見る。
「大丈夫です」
本当に大丈夫なのか。大丈夫じゃなかったらと、胸が張り裂けそうになる。どこまで突き刺せばいいのだろう。刃の根元まで刺さっているが、これは光のもののサイズを考えて、足りるだろうか。ごちゃごちゃと考えが絡まり、光の動きが止まる。
「抜いてください」
「あ、ごめん、痛かった?」
「痛くはありません。でも、入っていることは分かります」
光はズルリとナイフを引き抜いた。抜いたそばから、果汁が溢れ出す。光は慌てて、千秋の傷口に口をつけた。傷口から溢れだす果汁を、口いっぱいに含んで飲み込む。
爽やかな香りだ。図書館で出会った時、すれ違いざまに香ったのと、同じ香りをしていた。千秋の口の中と同じように甘酸っぱくて、溢れだす果汁のすべてを飲み干そうとするが、どうしても口の端から流れてしまう。千秋のすべてを無駄にしたくなくて、光は必死で飲み込んだ。やがて、果汁の流出が落ち着いた。
飲み込みながら、光の興奮は頂点に達していた。我慢の限界が近づく。こんなことできないとか考えていたくせに、いざとなれば行為に及びたくなってしまう、自分の欲望に対する正直さに情けなくなる。
がしかし、もう止まらない。それに、これは千秋が臨んだことだ。
ナイフが引き抜かれたことによって露出した千秋の体内、つまり千秋の果肉は乳白色をしていた。質感はやはり肉に近いが、色がそれとはまったく異なる。
光といえど男で、所謂無修正のアダルトビデオは見たことがある。それで見た人間の女性の陰部の色ともまったく異なっている。初めて陰部を見た時は、なんとグロテスクなものなんだと思った光だったが、今見ている千秋の体内は、この上もなく美しく、清らかであり、それでいて劣情をもよおさせる淫靡な輝きを放っていた。
千秋の股から顔を上げると、千秋と目が合った。目と目が合えば、それで分かる。千秋も先に進むことを望んでいる。
「するよ」
「はい」
もう一度、光はキスをして、それから、赤く腫れ上がった亀頭を、千秋の傷口にあてがった。傷口は思ったよりも小さく、自分のサイズにはきつすぎる。
「大丈夫です。そのまま」
本当に入るのか、自分で陰茎を掴んで、傷口に向かって腰を振り下ろすように押し付ける。ミチミチと千秋の果肉が裂けるのを感じた。きつくきつく締めあげられるような感触だけで、光はすでに果てそうになっていた。
そのままの体勢で、光はまた、千秋にキスをする。もう何度しても、次のキスが欲しくなるくらい、千秋の唇に惹き寄せられる。
「繋がりました」
「はい。繋がれました」
繋がれた。二人にとって、一番大事なことだった。
腰をゆっくりと動かす。果てるのは時間の問題だ。できるだけ長くしていたいのに、我慢することができない。
「ダメだ。もう」
「はい」
最後に、光はガクガクと腰を動かした。上手に動かすことができない。それでも、本能が導くままに、腰を振る。抗いきれない圧迫感がこみ上げて、光は千秋の中に、盛大に精を吐き出した。止まらない。ドクドクと脈打ち、意志とは関係なく蠢いて、今まで光の知り得なかった荒々しいほどの快感を、無遠慮にぶつけてくる。
「うああああ」
思わず声が漏れる。千秋にしがみつくと、抱きしめ返してくれた。それからしばらく、身動きもできず、光は快感の中をさまよった。
二度三度。それから二人は交わり続けた。カーテンの隙間から差し込んでいた光もいつしか消え、外はすっかり暗くなっていた。
抱く度に、千秋が弱っていく。取り戻した水分も再び失い、光の腕の中で歳を取っていく。胸が切り刻まれるように傷んだが、それでも光は、抱ける限り、千秋を抱こうとした。千秋の体の自由が奪われていく。もうこれが、最後の交わりになる。間もなく年が明けるという頃、二人はそれを覚悟した。
腰を振りながら、光の目から、パタパタと涙が溢れる。それは千秋の体に落ちて、いくらか吸い込まれ、流れていった。
「ありがとうございます。光さん」
声は平坦で、そして張りはなく、弱々しい。
「私はあなたと繋がれましたか? 私はここで消えないですか? 私はあなたの歴史に残れましたか?」
すべての問いかけに、光は頷いて答えた。
「うん。ねぇ、君にまだ、聞きたいことがたくさんあるんだ。だから、ねぇ、もう一日。もう一日だけ頑張ってよ。ねぇ。まだ俺の傍にいてよ」
好きでいてくれたのなら何故あの夜、待ち合わせに来てくれなかったのとか、これからどんな本を読みたいとか、こんな本をオススメしたいとか、もっともっとあるはずなのに、喉が詰まって、言葉がこれ以上出ない。
震えながら、千秋の両手が伸び、光の頬に触れた。唇は再び近づく。涙が流れ、千秋の顔を濡らす。光は果て、それでも繋がったまま。長い時間を過ごした。
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