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果実 9
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そして、約束の日がやってきた。履歴書はばっちり用意したし、失礼があってはいけないと思い、スーツを来た。およそ三ヶ月ぶりのスーツだ。少しズボンが緩くなっている。それも無理はない。仕事を辞めてから、色々なことがありすぎた。
最後に鏡で身だしなみを整えて、光は部屋を出て、橘果実店を目指した。自分がなぜそんな格好をしているのか、理解もしないまま。
革靴で長距離を歩くのは久しぶりだが、履きならした革靴で足が痛くなることはなかった。
橘果実店の前に到着したものの、シャッターは下りていて、どこに声をかけたらいいか分からない。シャッターを叩くのは気が引ける。
ということで、光は脇の階段の方へ行ってみた。元旦、松本夫妻はここから下りてきた。ということは、この上に自宅があるのだろう。
階段脇には郵便受けがあった。松本と書かれている。おそらく正解だ。チャイムはない。上にあるのだろうか。光はコンクリの階段を二階まで上った。ドアがあり、その横にチャイムがある。光はそれを、恐る恐る押してみた。ドアの向こうにチャイムの音が響く。
「はいはい」
声が聞こえてきた。次郎だ。
「お、五分前か。すまないすまない。もう下におりるところだったんだけど。ま、ここでいいか。上がりなさい」
「お邪魔します」
まるでこれから面接でもするみたいだと、光は俄に緊張し始めた。
「さ、かけて」
「失礼します」
「じゃ、まずは履歴書を見せてもらおうかな」
「はい」
何故か書かされた履歴書を見せた。写真は一応就活用に撮っておいたものを貼り付けた。だが、志望動機などは書いているわけがない。
「うん、うん。これ、見栄張ったりしていないよね?」
「え、あぁ、はい。張ってないですけど……」
「じゃ、これは預かっておくから。それから、こっちを読んで」
「これは?」
「給料とか、休日とか、その他諸々、労働条件だよ」
「え?」
「これから君にはうちで働いてもらうよ。東くん、今仕事してないでしょ?」
「は、はい」
「千秋のことに戻るけど、千秋ともう一度会いたいのなら、それは多分にうちの社外秘に触れることになる。だから、うちで働いてもらうけど、いいね?」
千秋ともう一度会うために必要なことであれば、断る理由はない。就職に関しても願ってもない話だ。
だが、働くとなれば条件が。そう思い、光は労働条件の書面を見てみた。週休二日に給料は新卒程度。夏季と年末年始の休暇。今の光には十分過ぎる条件だった。
「もちろん、千秋さんともう一度会うためなら、どんなことでも構いません」
書面通りの条件じゃなくたって、全然構わない。最低限、生きていられれば。
「よし、じゃあ、サインしてもらって、印鑑は今度持ってきてもらおう。それと、あとで給与の口座と年金手帳も、って必要なものは後でメモして渡そう。説明は後々で大丈夫かな? そろそろ店を開店させないと。あ、明日から私服でいいからね」
「はい」
「じゃ、下についてきて」
そう言って家を出る次郎に続いた。
シャッターを開けると、店内にはすでに働く人がいた。初めて会う人だ。光にとっては先輩従業員にあたる。先輩従業員は果実が並んでいるガラスのショーケースを綺麗に拭いていた。
「あ、社長、おはようございます」
先輩従業員の挨拶は、割にフランクだった。ひょこっと頭を下げて、笑顔を向ける。そんな彼から光が一番最初に学ぶことになったのは、次郎のことは社長と呼べばいいということだった。
「こちら、雉島くん。うちの従業員ね」
「東光です。よろしくお願いします」
きっちりお辞儀をして、挨拶をした。第一印象は大事だ。
「あ、はぁい、よろしくお願いします」
雉島は背が高く、細くて小顔だ。だが、なんとも力の抜けた話し方で、緊張していた光は拍子抜けした。
「ちなみに、社員は君だけだから」
次郎が光に向かって言う。
「俺だけですか?」
「そ」
ということは、彼はアルバイトということか。しかし、先輩は先輩だし、年上っぽい。これから仕事を教わることになる。上手くやれたらいいな、と作業を再開した彼の背中を見つめた。
「店は彼に任せて、我々は果実製造所に行くよ。千秋の種は大丈夫かな?」
「はい、もちろん」
鞄には、大事に大事にしまった千秋の種が入っていた。メガネと共に、メガネケースにしまってある。
「それじゃ、行こうか」
「はい」
次郎について店を出て、近くの月極駐車場に向かう。駐車場は、ちょうど繁華街と平行にはしる裏道にあった。目指す車は、元旦に乗ったあの白いライトバンだ。
「運転しましょうか?」
「いや、今日はいいよ。場所覚えてもらいたいし。運転は普段してる?」
「いえ、免許取ってから全然」
営業をしていた頃、移動は原付だった。車を運転する機会はとんどなく、車の購入を検討したことすらない。
「じゃ、徐々に慣れてくれればいいよ。一人で運転することもこれからあると思うから」
お言葉に甘えて、光は助手席に乗り込んだ。
車が発進する。駐車場を出て裏道を抜け、大きな道路に出る。進行方向は光の家に向かう方角だ。
道なりに走って光の家を越え、さらに先に進み、海沿いの工業地帯に入る手前で左折し道路を逸れて、その突き当りで次郎は車を停めた。重そうな鉄門の前で車を降りると、次郎は解錠し、門を開け放った。
敷地に入ってすぐ左手に駐車する。白い線に縁石もあるので、ここが駐車場らしい。
次郎が向かったのは、敷地に入る前、門の外から見えていた、工場のような倉庫のような建物だ。思ったよりも小さい。
外壁は白に近い淡いクリーム色で、真新しいとは言えないが、しっかりと整備されており、古臭さは感じられない。半円型の屋根になっており、そこは青い。気になるのは、窓が少ないこと。防犯上の理由だろうか。
重厚な扉の前で、鍵と暗証番号を入力して解錠した。警備会社のシールも張られており、セキュリティにも気を使っているらしい。
中に入ると、真っ直ぐ廊下が伸びており、すぐそこが事務室になっている。そこにはパソコンと電話とデスクとファイルを収納した本棚だけがあり、非常に簡素だ。
事務所には人がいた。
「おはよう、犬崎くん」
「おはようございます。あ、新しい人ですか?」
「そう、話していた、新人だよ。こちら犬崎くん」
次郎に紹介され、犬崎は立ち上がり、きっちりお辞儀した。短髪で、スポーツマンタイプだ。絵に書いた好青年とは彼のことらしい。爽やかな笑顔に、光は好感を持った。
「犬崎くんには今は製造所に入ってもらってるけど、時によっては店にいたりするよ。雉島くんがこっちに来ることもあるし、君にこっちをやってもらうこともあるかもね」
紹介を終えると、二人は事務所を後にした。
事務所から廊下に出て、進んだ先に、また重厚な扉があった。鍵を開けると、そこにはたくさんの培養器が置かれていた。
「おわぁ」
光は思わず声を上げた。そこには、ずらりと果実の製造機が並んでいた。四角い台の上にデジタルのはかりが置かれ、更にその上に、金属でできた巨大な瓢箪が乗せられているように光には見えた。それがものすごい数並んでいる。
瓢箪の頭の先っちょにはバルブがあり、管が繋がっていて、それはみな同じ方向を目指して伸びていた。
「全部で二百機あるよ。二十機が十列。一日の製造が五体。それを四十日ローテーションして二百だね。果実は一体が成熟するのに四十日かかるんだ」
頭の中で数を数えていたら、次郎が先に答えてくれた。
「全部が店に来るわけじゃない。大体一日に二体は初めから食用として卸している。店の近くの繁華街に大きなスーパーが入っているだろう? あそこと契約して買ってもらっているよ。解体してもらって、後日種だけは回収する、と」
あのスーパーは、野菜は八百屋、肉は肉屋、魚は魚屋、そして果肉は果肉屋とそれぞれ店が入っているため、どれも値段の割に質がよく、評判がいい。元々専門店の集まる一画を、整理してスーパーとして改装したものなので、施設は新しいが、中に入っている店は結構老舗だ。
光もそこのスーパーで果肉を購入したことがあるが、もしかしたら、この果実製造所で作られた果実の果肉を口にしていたのかもしれない。
「毎日三体の果実を店舗に運んで、店頭に並べるんだ。女性型を二体と男性型一体か、女性型三体のどちらかだね」
「やっぱり男性型の方が少ないんですね」
「女性型の方が出るからね。製造機の腹の辺りに蓋がついているだろう。そこを開くと窓になっているから覗いてごらん」
瓢箪の二段目の中ほどに、丸い小さな蓋がついていた。光はそこを開けて中を覗いてみた。すると、まだ小学生くらいの少年か少女が、ちょうど羊水の中にいる胎児のように丸まって目を閉じていた。中は液体で満ちているらしい。
少年と少女、どちらか分からなかったのは、果実がまだ未熟だったためだ。胸のふくらみも体の逞しさもまだ成長する前なので、性別がどちらか分からない。髪は長く、どちらかといえば少女に見える。
「成長過程だよ。入ってすぐのこの列は、今はだいたいこのくらいの年令になっている。一番奥にいけば、もう少し成長した姿になっているよ。今、ちょうど真ん中が胎児くらいだ。ローテーションで順に回っているってことだね」
移動する次郎に続いて、光もその後を追った。次郎は製造機の列のちょうど真ん中あたりで止まった。そして、製造機の窓を開ける。
「ほら、見てごらん」
言われた通り、覗いてみる。製造機の中には赤ちゃんがいた。まだ、髪の毛も伸びていない。
「製造機はこんな感じだ。さて、それじゃ、今日の仕事を始めるよ。まずは資材を取りに、倉庫に行こう」
一度廊下に出ると、廊下を挟んで反対側にももう一つ扉があり、次郎はそこを開いた。
部屋自体は小さく、四畳半程度だ。壁際にスチールの棚が並んでおり、点滴袋のようなものが積み重ねられ並べられている区画、それから果実の種らしきものが透けて見えるタッパが並んでいる区画に分けられている。
そして部屋の隅には、大型の冷蔵庫のようなものが置かれていた。
「濃縮培養液」
積み重ねられた点滴袋のようなものを五つ、次郎は棚から取ると光に渡した。
「種」
タッパのうちのひとつを開けて、中から種を五つ取り出す。柿の種を大きくしたような種だ。タッパをよく見てみると、光は種の種類ごとに分けられていることに気がついた。中には、千秋の種と同じような形の種もあった。
「これって、種類ごとに分かれてるんですか?」
「そうだよ。おいおい整理の仕方も教えるよ。発注と納品のやり方もね」
「はい」
そして次郎は大きな冷蔵庫の前に立った。
「それからこっちの冷蔵庫」
次郎が観音開きの冷蔵庫の扉を開けた。冷蔵庫の中にはビニール袋に入った小さなスポイトがずらりと並んでいた。日付が書かれたポストイットが貼られたプラスチックの鉛筆たてで整理されている。
「これは精液だよ」
「精液ですか?」
「そう、精液。これがないと果実は果実にならないからね。これも五個。それぞれ五個ずつ。これが一日に使う資材だよ。今は納品されたばかりだからたくさんあるけど、納品前はこの冷蔵庫も棚の方もガラガラになるよ。発注は事務所のパソコンでやるんだけど、月一だから教えるのはまた来月だね」
次郎は精液の入ったスポイトを平気で持っている。そのうち慣れるのかもしれないが、今の光には驚愕だった。
「さて、戻ろう」
次郎に促され、光はまた製造機の部屋に戻った。
先導する次郎についていくと、先ほどの赤ん坊が入った製造機よりも一列だけ奥に入り、その前で立ち止まった。
「五個、空の製造機がある。これに、今日新たに果実を作るわけだ。まずはここを開ける」
そう言うと、次郎は瓢箪の一段目、上部にある小さな扉を開けた。中を覗くと、瓢箪の上部と下部は仕切られており、小さな扉からは瓢箪の上部の中しか見ることができない。
「それから果実の種を入れ、上から精液をかける。別に上にかけなくても平気といえば平気なんだけど、上にかけた方が確実だね」
果実の種。これは千秋のものとは違う柿の種を大きくしたような種を小さな扉からそっと落とし、その上に、誰のものとも分からない精液をかけた。スポイトでピュッと。臭い、ような気がする。
「それから、濃縮培養液を入れて、扉を閉める。で、ここのバルブを開けると上から水が出てくる」
次郎は瓢箪の一番上、さきっちょの部分に取り付けられているバルブを回した。
「と、同時に下の段への弁が開いて、下に落ちる。見てごらん」
瓢箪の下部の小さな窓を開けて見てみると、上から種と精液と培養液、それから水が混ざって流れ落ちてきた。底から徐々に水が溜まっていき、それが瓢箪の下の段を越えたところで次郎はバルブを閉め、水を止めた。
「で、最後にここだ」
瓢箪の下、デジタルのはかりを巨大化したような部分。液晶で何か表示している機械を指さした。どうやらタッチパネルになっているようだ。
「こっちのタッチパネルで、温度の設定と日付の設定をする。温度は三十八度に設定。すると、水温が三十八度に保たれる。日付の方は果実の成熟する四十日をカウントしてくれる」
タッチパネルを操作して、次郎は立ち上がった。この操作は簡単そうだ。
「これを毎日五回繰り返す。これは年中休みなくやるよ。ま、私だけじゃなくて従業員もやってくれるし、これからは君にもやってもらう。年中無休で休みが取れないってわけじゃないから、安心して。さ、次は東くんにやってもらう番だ」
「はい」
初めての果実製造は緊張が伴った。しかし、次郎の丁寧な説明のお陰で、問題なく作業を終えることができた。
それにしても、今日、こんなことをするとは思ってもみなかった。今日は千秋の件で呼ばれたはずなのに。そう思っていると、見計らったように次郎が切り出した。
「じゃ、そろそろ始めようか。君が千秋にもう一度会うために、やらなければならないことを」
次郎が歩き出す。やっと、この時が来た。光は次郎の背中に縋り付きたくなる衝動を堪えて、その背中を追った。
最後に鏡で身だしなみを整えて、光は部屋を出て、橘果実店を目指した。自分がなぜそんな格好をしているのか、理解もしないまま。
革靴で長距離を歩くのは久しぶりだが、履きならした革靴で足が痛くなることはなかった。
橘果実店の前に到着したものの、シャッターは下りていて、どこに声をかけたらいいか分からない。シャッターを叩くのは気が引ける。
ということで、光は脇の階段の方へ行ってみた。元旦、松本夫妻はここから下りてきた。ということは、この上に自宅があるのだろう。
階段脇には郵便受けがあった。松本と書かれている。おそらく正解だ。チャイムはない。上にあるのだろうか。光はコンクリの階段を二階まで上った。ドアがあり、その横にチャイムがある。光はそれを、恐る恐る押してみた。ドアの向こうにチャイムの音が響く。
「はいはい」
声が聞こえてきた。次郎だ。
「お、五分前か。すまないすまない。もう下におりるところだったんだけど。ま、ここでいいか。上がりなさい」
「お邪魔します」
まるでこれから面接でもするみたいだと、光は俄に緊張し始めた。
「さ、かけて」
「失礼します」
「じゃ、まずは履歴書を見せてもらおうかな」
「はい」
何故か書かされた履歴書を見せた。写真は一応就活用に撮っておいたものを貼り付けた。だが、志望動機などは書いているわけがない。
「うん、うん。これ、見栄張ったりしていないよね?」
「え、あぁ、はい。張ってないですけど……」
「じゃ、これは預かっておくから。それから、こっちを読んで」
「これは?」
「給料とか、休日とか、その他諸々、労働条件だよ」
「え?」
「これから君にはうちで働いてもらうよ。東くん、今仕事してないでしょ?」
「は、はい」
「千秋のことに戻るけど、千秋ともう一度会いたいのなら、それは多分にうちの社外秘に触れることになる。だから、うちで働いてもらうけど、いいね?」
千秋ともう一度会うために必要なことであれば、断る理由はない。就職に関しても願ってもない話だ。
だが、働くとなれば条件が。そう思い、光は労働条件の書面を見てみた。週休二日に給料は新卒程度。夏季と年末年始の休暇。今の光には十分過ぎる条件だった。
「もちろん、千秋さんともう一度会うためなら、どんなことでも構いません」
書面通りの条件じゃなくたって、全然構わない。最低限、生きていられれば。
「よし、じゃあ、サインしてもらって、印鑑は今度持ってきてもらおう。それと、あとで給与の口座と年金手帳も、って必要なものは後でメモして渡そう。説明は後々で大丈夫かな? そろそろ店を開店させないと。あ、明日から私服でいいからね」
「はい」
「じゃ、下についてきて」
そう言って家を出る次郎に続いた。
シャッターを開けると、店内にはすでに働く人がいた。初めて会う人だ。光にとっては先輩従業員にあたる。先輩従業員は果実が並んでいるガラスのショーケースを綺麗に拭いていた。
「あ、社長、おはようございます」
先輩従業員の挨拶は、割にフランクだった。ひょこっと頭を下げて、笑顔を向ける。そんな彼から光が一番最初に学ぶことになったのは、次郎のことは社長と呼べばいいということだった。
「こちら、雉島くん。うちの従業員ね」
「東光です。よろしくお願いします」
きっちりお辞儀をして、挨拶をした。第一印象は大事だ。
「あ、はぁい、よろしくお願いします」
雉島は背が高く、細くて小顔だ。だが、なんとも力の抜けた話し方で、緊張していた光は拍子抜けした。
「ちなみに、社員は君だけだから」
次郎が光に向かって言う。
「俺だけですか?」
「そ」
ということは、彼はアルバイトということか。しかし、先輩は先輩だし、年上っぽい。これから仕事を教わることになる。上手くやれたらいいな、と作業を再開した彼の背中を見つめた。
「店は彼に任せて、我々は果実製造所に行くよ。千秋の種は大丈夫かな?」
「はい、もちろん」
鞄には、大事に大事にしまった千秋の種が入っていた。メガネと共に、メガネケースにしまってある。
「それじゃ、行こうか」
「はい」
次郎について店を出て、近くの月極駐車場に向かう。駐車場は、ちょうど繁華街と平行にはしる裏道にあった。目指す車は、元旦に乗ったあの白いライトバンだ。
「運転しましょうか?」
「いや、今日はいいよ。場所覚えてもらいたいし。運転は普段してる?」
「いえ、免許取ってから全然」
営業をしていた頃、移動は原付だった。車を運転する機会はとんどなく、車の購入を検討したことすらない。
「じゃ、徐々に慣れてくれればいいよ。一人で運転することもこれからあると思うから」
お言葉に甘えて、光は助手席に乗り込んだ。
車が発進する。駐車場を出て裏道を抜け、大きな道路に出る。進行方向は光の家に向かう方角だ。
道なりに走って光の家を越え、さらに先に進み、海沿いの工業地帯に入る手前で左折し道路を逸れて、その突き当りで次郎は車を停めた。重そうな鉄門の前で車を降りると、次郎は解錠し、門を開け放った。
敷地に入ってすぐ左手に駐車する。白い線に縁石もあるので、ここが駐車場らしい。
次郎が向かったのは、敷地に入る前、門の外から見えていた、工場のような倉庫のような建物だ。思ったよりも小さい。
外壁は白に近い淡いクリーム色で、真新しいとは言えないが、しっかりと整備されており、古臭さは感じられない。半円型の屋根になっており、そこは青い。気になるのは、窓が少ないこと。防犯上の理由だろうか。
重厚な扉の前で、鍵と暗証番号を入力して解錠した。警備会社のシールも張られており、セキュリティにも気を使っているらしい。
中に入ると、真っ直ぐ廊下が伸びており、すぐそこが事務室になっている。そこにはパソコンと電話とデスクとファイルを収納した本棚だけがあり、非常に簡素だ。
事務所には人がいた。
「おはよう、犬崎くん」
「おはようございます。あ、新しい人ですか?」
「そう、話していた、新人だよ。こちら犬崎くん」
次郎に紹介され、犬崎は立ち上がり、きっちりお辞儀した。短髪で、スポーツマンタイプだ。絵に書いた好青年とは彼のことらしい。爽やかな笑顔に、光は好感を持った。
「犬崎くんには今は製造所に入ってもらってるけど、時によっては店にいたりするよ。雉島くんがこっちに来ることもあるし、君にこっちをやってもらうこともあるかもね」
紹介を終えると、二人は事務所を後にした。
事務所から廊下に出て、進んだ先に、また重厚な扉があった。鍵を開けると、そこにはたくさんの培養器が置かれていた。
「おわぁ」
光は思わず声を上げた。そこには、ずらりと果実の製造機が並んでいた。四角い台の上にデジタルのはかりが置かれ、更にその上に、金属でできた巨大な瓢箪が乗せられているように光には見えた。それがものすごい数並んでいる。
瓢箪の頭の先っちょにはバルブがあり、管が繋がっていて、それはみな同じ方向を目指して伸びていた。
「全部で二百機あるよ。二十機が十列。一日の製造が五体。それを四十日ローテーションして二百だね。果実は一体が成熟するのに四十日かかるんだ」
頭の中で数を数えていたら、次郎が先に答えてくれた。
「全部が店に来るわけじゃない。大体一日に二体は初めから食用として卸している。店の近くの繁華街に大きなスーパーが入っているだろう? あそこと契約して買ってもらっているよ。解体してもらって、後日種だけは回収する、と」
あのスーパーは、野菜は八百屋、肉は肉屋、魚は魚屋、そして果肉は果肉屋とそれぞれ店が入っているため、どれも値段の割に質がよく、評判がいい。元々専門店の集まる一画を、整理してスーパーとして改装したものなので、施設は新しいが、中に入っている店は結構老舗だ。
光もそこのスーパーで果肉を購入したことがあるが、もしかしたら、この果実製造所で作られた果実の果肉を口にしていたのかもしれない。
「毎日三体の果実を店舗に運んで、店頭に並べるんだ。女性型を二体と男性型一体か、女性型三体のどちらかだね」
「やっぱり男性型の方が少ないんですね」
「女性型の方が出るからね。製造機の腹の辺りに蓋がついているだろう。そこを開くと窓になっているから覗いてごらん」
瓢箪の二段目の中ほどに、丸い小さな蓋がついていた。光はそこを開けて中を覗いてみた。すると、まだ小学生くらいの少年か少女が、ちょうど羊水の中にいる胎児のように丸まって目を閉じていた。中は液体で満ちているらしい。
少年と少女、どちらか分からなかったのは、果実がまだ未熟だったためだ。胸のふくらみも体の逞しさもまだ成長する前なので、性別がどちらか分からない。髪は長く、どちらかといえば少女に見える。
「成長過程だよ。入ってすぐのこの列は、今はだいたいこのくらいの年令になっている。一番奥にいけば、もう少し成長した姿になっているよ。今、ちょうど真ん中が胎児くらいだ。ローテーションで順に回っているってことだね」
移動する次郎に続いて、光もその後を追った。次郎は製造機の列のちょうど真ん中あたりで止まった。そして、製造機の窓を開ける。
「ほら、見てごらん」
言われた通り、覗いてみる。製造機の中には赤ちゃんがいた。まだ、髪の毛も伸びていない。
「製造機はこんな感じだ。さて、それじゃ、今日の仕事を始めるよ。まずは資材を取りに、倉庫に行こう」
一度廊下に出ると、廊下を挟んで反対側にももう一つ扉があり、次郎はそこを開いた。
部屋自体は小さく、四畳半程度だ。壁際にスチールの棚が並んでおり、点滴袋のようなものが積み重ねられ並べられている区画、それから果実の種らしきものが透けて見えるタッパが並んでいる区画に分けられている。
そして部屋の隅には、大型の冷蔵庫のようなものが置かれていた。
「濃縮培養液」
積み重ねられた点滴袋のようなものを五つ、次郎は棚から取ると光に渡した。
「種」
タッパのうちのひとつを開けて、中から種を五つ取り出す。柿の種を大きくしたような種だ。タッパをよく見てみると、光は種の種類ごとに分けられていることに気がついた。中には、千秋の種と同じような形の種もあった。
「これって、種類ごとに分かれてるんですか?」
「そうだよ。おいおい整理の仕方も教えるよ。発注と納品のやり方もね」
「はい」
そして次郎は大きな冷蔵庫の前に立った。
「それからこっちの冷蔵庫」
次郎が観音開きの冷蔵庫の扉を開けた。冷蔵庫の中にはビニール袋に入った小さなスポイトがずらりと並んでいた。日付が書かれたポストイットが貼られたプラスチックの鉛筆たてで整理されている。
「これは精液だよ」
「精液ですか?」
「そう、精液。これがないと果実は果実にならないからね。これも五個。それぞれ五個ずつ。これが一日に使う資材だよ。今は納品されたばかりだからたくさんあるけど、納品前はこの冷蔵庫も棚の方もガラガラになるよ。発注は事務所のパソコンでやるんだけど、月一だから教えるのはまた来月だね」
次郎は精液の入ったスポイトを平気で持っている。そのうち慣れるのかもしれないが、今の光には驚愕だった。
「さて、戻ろう」
次郎に促され、光はまた製造機の部屋に戻った。
先導する次郎についていくと、先ほどの赤ん坊が入った製造機よりも一列だけ奥に入り、その前で立ち止まった。
「五個、空の製造機がある。これに、今日新たに果実を作るわけだ。まずはここを開ける」
そう言うと、次郎は瓢箪の一段目、上部にある小さな扉を開けた。中を覗くと、瓢箪の上部と下部は仕切られており、小さな扉からは瓢箪の上部の中しか見ることができない。
「それから果実の種を入れ、上から精液をかける。別に上にかけなくても平気といえば平気なんだけど、上にかけた方が確実だね」
果実の種。これは千秋のものとは違う柿の種を大きくしたような種を小さな扉からそっと落とし、その上に、誰のものとも分からない精液をかけた。スポイトでピュッと。臭い、ような気がする。
「それから、濃縮培養液を入れて、扉を閉める。で、ここのバルブを開けると上から水が出てくる」
次郎は瓢箪の一番上、さきっちょの部分に取り付けられているバルブを回した。
「と、同時に下の段への弁が開いて、下に落ちる。見てごらん」
瓢箪の下部の小さな窓を開けて見てみると、上から種と精液と培養液、それから水が混ざって流れ落ちてきた。底から徐々に水が溜まっていき、それが瓢箪の下の段を越えたところで次郎はバルブを閉め、水を止めた。
「で、最後にここだ」
瓢箪の下、デジタルのはかりを巨大化したような部分。液晶で何か表示している機械を指さした。どうやらタッチパネルになっているようだ。
「こっちのタッチパネルで、温度の設定と日付の設定をする。温度は三十八度に設定。すると、水温が三十八度に保たれる。日付の方は果実の成熟する四十日をカウントしてくれる」
タッチパネルを操作して、次郎は立ち上がった。この操作は簡単そうだ。
「これを毎日五回繰り返す。これは年中休みなくやるよ。ま、私だけじゃなくて従業員もやってくれるし、これからは君にもやってもらう。年中無休で休みが取れないってわけじゃないから、安心して。さ、次は東くんにやってもらう番だ」
「はい」
初めての果実製造は緊張が伴った。しかし、次郎の丁寧な説明のお陰で、問題なく作業を終えることができた。
それにしても、今日、こんなことをするとは思ってもみなかった。今日は千秋の件で呼ばれたはずなのに。そう思っていると、見計らったように次郎が切り出した。
「じゃ、そろそろ始めようか。君が千秋にもう一度会うために、やらなければならないことを」
次郎が歩き出す。やっと、この時が来た。光は次郎の背中に縋り付きたくなる衝動を堪えて、その背中を追った。
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