アヤメちゃん

胡花宝 愛芽

文字の大きさ
11 / 39
第一章「わが家にアヤメちゃんがやってきた!」

第十一話「記録を増やしましょう」

しおりを挟む
 庭園から帰って来た櫻子とアヤメは表の玄関ではなく、使用人が出入りする土間の勝手口へと入って行った。

「櫻子お嬢様、お帰りなさいまし」

 土間の台所で昼食のための下拵したごしらえをしている蕗が、笑顔で迎える。

「ただいま、蕗さん」
只今タダイマ、帰リマシタ」

 アヤメが蕗に会釈えしゃくする。

「はいはい、お帰りなさい。アヤメちゃん」

 蕗も、アヤメに会釈を返した。

「ちょうど今、出来上がったところですよ」
「ありがとう、蕗さん」

 蕗は湯気の立つ小鍋を、片手に持ち上げる。櫻子が中をのぞくと、煮立にたてた小豆の甘い匂いがしてくる。

「わあ、美味しそう」

 櫻子が「クンクン」と、匂いをぐ。
 蕗は小鍋の中身を、黒漆くろうるし糸目椀いとめわんに移してゆく。   

「おっきな栗ね。白玉がちっちゃく見えるわ」
「そうですねぇ、お嬢様。でもげんさんは、丸ごと入れた方がお好きかと思いましたので」
「うふふ。そうね、蕗さん」

 櫻子は茶菓子を運ぶため、土間の棚に置かれた岡持おかもちの倹飩蓋けんどんぶたを引き上げた。これは木製の岡持ちで、野点のだての道具などを入れて持ち運べる物だ。 
 倹飩蓋が外されて、岡持ちは片側の横一面だけが丸見えになる。中は縦横一枚ずつ、板で仕切りされている。
 櫻子が、上段の左側に黒漆のスプーンとおしぼりを、右側には胡瓜きゅうりの古漬けと塩昆布しおこんぶが載った小皿を入れてゆく。
 下段の右側は薄板うすいたで作った小さな箱が入っており、高さは無いが横幅は「ピッタリ」と収まっている。櫻子は、それを外す。
 箱の上部中央には円の空洞くうどうがあり、そこに蓋を閉じた漆塗りの湯呑ゆのみを入れると、「スッポリ」と底から半分程度が丁度良くまった。これは箱を元のところに戻すと、湯呑みが固定される。
 櫻子が糸目椀にも蓋をかぶせて、「スッ」と下段の左側に置く。そして最後に倹飩蓋けんどんぶたを取って、岡持ちのみぞに差し入れ、上から下へ押し閉めた。

 竹の持ち手をにぎると、櫻子は岡持ちを持ち上げる。

「さあ、アヤメちゃん。行きましょう」
「櫻、子姉様。アヤメガ、御運オハコビ致シマス」
「あ、いいの。これは、お庭に持っていく物だから。アヤメちゃんは、デコボコした道を歩くのはまだ慣れていないし、これを持って転んだりしたら危ないわ」
御庭オニワデスカ。アヤメハ先程サキホド、御庭ヲ歩行ホコウシタサイ、合計四回モ、転ンデシマイマシタ。タシカニ、アヤメガ御運ビシタ場合、転倒テントウスル可能性ガ、ダイナノデス。御役オヤクニ立テズ、申シ訳アリマセヌ。グスン」

 アヤメは、櫻子に頭を下げる。

「あっ、アヤメちゃん。謝る必要なんてないわ。これはね、鉉さんに持っていくためのお茶菓子なの。女学校がお休みの時は、お庭で作業している鉉さんのところに、いつも私が用意して持っていくのよ。アヤメちゃんは私と一緒に来てくれるだけで良いんだから、気にしないでね」

 櫻子が首を横にかたむけて、「ニッコリ」と微笑んだ。

「それに今度こそ、アヤメちゃんを鉉さんに紹介しなくっちゃ。鉉さんはね、ああ見えて甘い物に目がないのよお。さっ、アヤメちゃん。行きましょう」
「ハイ。櫻、子姉様」

 櫻子は勝手口を出て、再び庭を歩いて行った。アヤメは並んで歩いていたが途中、二回転んだ。
 暫く歩くと、鉉造の姿が見えてきた。
 梅の木の剪定せんていを終えて、その根元に鉉造は片膝かたひざを立てて座り、煙管きせるを吸っていた。
 
「鉉さ~ん」

 鉉造は櫻子に視線を向けた後、煙管の灰を竹筒の中に落として火を消した。

「く・り・ぜ・ん・ざ・い」
「おう、栗入りか」

 櫻子が菓子名を告げると、鉉造はしゃがれた声で答え、「ニヤッ」と笑った。

 鉉造が岡持ちを受け取り、倹飩蓋を引き抜いて地面に置く。岡持ちの中から、お絞りを取って両手をぬぐい、倹飩蓋をお盆代わりにして、湯呑みの填まった箱を上に載せた。
 櫻子はたもとから風呂敷を出して、地面に広げている。

 気候の良い季節ならば、庭園に咲く花を愛でながら優雅ゆうが抹茶まっちゃてたりもするのだが、この時期は熱々の緑茶を用意してゆく。

 鉉造は箱から湯呑みを抜いて、蓋を開ける。
 櫻子の方は草履を脱いで、鉉造の向かいに敷いた風呂敷の上に座った。

「アヤメちゃんも、ここに座って」
「ドウゾ、御構オカマク。アヤメハ此処ココデ、直立チョクリツシテイマス」
「あら。鉉さんや私みたいに、地べたにお尻をついて座るのは難しいかしら?」
「イイエ、出来マス。シカシ、アヤメハ女中ジョチュウ御主人様方ゴシュジンサマガタノ、御前オンマエデ、充電以外、着座チャクザシテハ、イケナイノデス」
「ふ~ん、そうなの。でも今日はね、アヤメちゃんと一緒に座ろうと思って、いつもより大きな風呂敷を持ってきたのよ。ねぇ、鉉さん?アヤメちゃんが座っても構わないでしょ?」
「…まあ、座れや」

 鉉造は緑茶をすすりながら、ぶっきらぼうに答えた。

「ほら!鉉さんも『座ってちょうだい』って、言ってるわ。私も、アヤメちゃんが充電箱以外で座るところを見てみたいの。だからほら、座って座ってぇ」

 櫻子が、風呂敷を「ポンポン」とはたいて、手招きする。

「御主人様方カラノ、御要望ゴヨウボウデ、御座イマス。アヤメハ、御言葉ニ甘エテ、着座サセテ頂キマス」

 アヤメは片足ずつ草履を脱いで、敷いた風呂敷に足を載せる。そして「カクン」と曲げた両膝をいて、正座した。

「うふふ。鉉さんは、アヤメちゃんが話したり動いたりするところを見るのは初めてでしょ?」
「ああ」

 クリスマス・イヴの翌日から、鉉造は植木仕事で遠方の顧客こきゃくのところまで出張して、留守にしていた。帰って来たのは昨夜のため、充電箱に座った姿のアヤメしか見ていない。

「アヤメちゃんの名前はね、お母様の好きな『菖蒲あやめ』のお花から付けたのよ。でも漢字だと堅苦かたくるしいし、最先端のお人形さんだから、片仮名の『アヤメ』ちゃんに決めたの。どぅお?ハイカラでしょ?」
「ふん。ハイカラなんぞ、どうでもいいわい」

 そう言って鉉造は胡瓜の古漬けを指でまみ、口の中に放り込んだ。

「んもう。鉉さんったら、ノリが悪いんだからあ」

 後ろに曲げた両腕を「パタパタ」と振りながら言った後、櫻子は口をとがらせた。

「アヤメハ、素敵ナ御名前ヲ、頂戴チョウダイシテ、幸甚コウジンノ、イタリナノデス」
「そぅお?良かったあ」

 櫻子は嬉しそうに微笑む。

 鉉造が「パカッ」と糸目椀の蓋を開けると、湯気が立ち上る。
 つややかな白玉と、黄金こがね色をした大振おおぶりの栗が「ゴロゴロ」と椀の中で重なり合い、その半分の面積をきたての粒餡つぶあんおおい隠している。
 鉉造は黒漆のスプーンで、白玉と粒餡を一緒にすくって、櫻子に差し出した。
 「パクッ」と、櫻子が食べる。

「んふっ、美味しいっ」

 さらに白玉と粒餡を掬い、今度はアヤメの前に差し出す。

「ほれ」
「アヤメハ人形ユエ飲食インショクハ、出来マセヌ。御気持オキモチダケ、頂戴チョウダイ致シマス」
「そうかい」

 鉉造は伸ばした手を戻し、それを食べた。 

「あ、そうそう。鉉さんの名前を書いてきたのよ」

 櫻子が着物のたもとから折り畳んだ半紙を取り出し、アヤメに開いて見せた。
 そこにはあらかじめ櫻子が筆で書いておいた、鉉造の姓名があった。

「鉉さんはね、『椴部たんべ 鉉造げんぞう』っていう名前なの。漢字は、こう書くのよ」
「デハ、御顔オカオト姓名ヲ、記録シマス。暫ク動カズニ、御願イ致シマス」
「ああ?記録だあ?」

 鉉造は眉間みけんしわを寄せて、アヤメに顔を近づける。

「あっ、鉉さん。動いちゃ駄目っ!アヤメちゃんが今から、鉉さんの顔と名前を覚えるんだからっ」
「ぬう…」

 アヤメは目蓋を大きく開いて、鉉造を「ジッ」と見つめる。
 鉉造も眉間に皺を寄せたまま眼光がんこうするどく、アヤメの瞳を見据みすえる。
 アヤメと鉉造が対峙たいじしている様子を眺めながら、「クスクス」と櫻子が笑っている。
 暫くして、アヤメが目蓋を閉じた。

「記録、完了シマシタ。ドウゾ、御楽オラクニ」

 アヤメの記録が終了すると、櫻子がお腹を抱えて笑った。
 
「あはははっ、可笑おかしいっ。アヤメちゃんと鉉さんが向かい合ってると、まるでにらめっこしているみたいだわっ」
「んん?何だ、今のが記録か?仕組みが、よく解らんのう」

 アヤメの顔をいぶかしげに見ながら、湯呑みに手を伸ばす。

「そうね、不思議。でもこれで、ちゃあんと鉉さんのことも覚えてもらえたわ。ねっ、アヤメちゃん?」
「ハイ。アヤメハ、『鉉様ゲンサマ』ノ、御顔ト姓名ヲ、シッカリト、覚エマシタ」

 鉉造は啜っていた茶を「ぶっ」とき出し、「ゲホゲホ」とき込んだ。

「おいっ、何だっ!その、二枚目役者の呼び名みてえなのはっ」
「櫻、子姉様ガ、『鉉サン』ト、御呼オヨビニナラレタノデ、アヤメハ、『鉉様』ト、御呼ビスルノガ、ヨロシイカト」
「もっと普通に呼べっ、普通に。そんな風に呼ばれちゃあ、こそばゆうて叶わん」
「デハ、『椴部様』ト、『鉉造様』ノ、ドチラガ宜シイデショウカ?」
「櫻子と同じように呼びゃあいい」
「ハテ?」

 アヤメは首をかしげる。
  
レデハ、『鉉様』ト、御呼ビスル事ニ」
「アヤメちゃん。鉉さんは、アヤメちゃんにも『鉉』ってね、『様』ではなく『』付けで呼んでほしいのよ」
ホド。シカシ、アヤメハ女中デリ、一介イッカイノ人形ナノデス。御人様オヒトサマニ対シテハ、必ズ、『サマ』、ヲ、使ウヨウ義務付ギムヅケラレテオリマス」
「構わん。わしが呼べと言っとるんだ」
マコトニ、宜シイノデショウカ?」
口説くどいっ!」
「承知シマシタ。デハ、御本人様カラノ、強イ強イ、御要望デ、御座イマス。大変、恐縮キョウシュクデスガ、例外トシテ、『鉉サン』、ト、御呼ビスル事ニ、致シマス」

 アヤメはそう言って、鉉造にお辞儀した。




(続)
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

N -Revolution

フロイライン
ライト文芸
プロレスラーを目指す桐生珀は、何度も入門試験をクリアできず、ひょんな事からニューハーフプロレスの団体への参加を持ちかけられるが…

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

婚約者の幼馴染?それが何か?

仏白目
恋愛
タバサは学園で婚約者のリカルドと食堂で昼食をとっていた 「あ〜、リカルドここにいたの?もう、待っててっていったのにぃ〜」 目の前にいる私の事はガン無視である 「マリサ・・・これからはタバサと昼食は一緒にとるから、君は遠慮してくれないか?」 リカルドにそう言われたマリサは 「酷いわ!リカルド!私達あんなに愛し合っていたのに、私を捨てるの?」 ん?愛し合っていた?今聞き捨てならない言葉が・・・ 「マリサ!誤解を招くような言い方はやめてくれ!僕たちは幼馴染ってだけだろう?」 「そんな!リカルド酷い!」 マリサはテーブルに突っ伏してワアワア泣き出した、およそ貴族令嬢とは思えない姿を晒している  この騒ぎ自体 とんだ恥晒しだわ タバサは席を立ち 冷めた目でリカルドを見ると、「この事は父に相談します、お先に失礼しますわ」 「まってくれタバサ!誤解なんだ」 リカルドを置いて、タバサは席を立った

処理中です...