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第一章「わが家にアヤメちゃんがやってきた!」
第十三話「失敗してしまいました」
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年末、帰国してからも数仁は仕事関係の付き合いで外出し、帰宅時間も遅かった。
それでも大晦日の夜は、家族揃って年を越し、新年を迎えることができた。
滉月家で働く使用人は濱子の意向もあって、必要最低限の人数しか雇用していない。
その使用人や運転手達も、年末年始は休暇を与えている。
大掃除やお正月の飾り付け、食材の調達など必要なことは使用人達が帰省する前に全て済ませ、おせち料理も蕗が大晦日までに準備した。
年末年始の間、屋敷に残る使用人は住み込みで働いている蕗だけだ。
それは、本人からの申し出でもある。その為、他の使用人とは別の期間に、蕗の休暇を用意している。
蕗には一人息子がいるのだが、現在は成人して日本料理店の板前として働き、従業員用の借家で暮らしている。今は生活も別々だが同じ都内なので、いつでも会いに行ける距離だ。
息子も料理の修業をする為に、蕗の許から離れるまでの数年間は、屋敷内の使用人部屋で、共に暮らしていた。
正月二日目の朝に、息子は母親の蕗に会うために滉月家を訪れ、数仁達に日本料理を振る舞い、酒を勧められて一緒に呑んだ後、夜には帰って行った。
滉月家のお正月は毎年、予定は立てずに当日の濱子の体調に合わせて何をするかを決定し、なるべく家族で一緒に過ごせるようにしている。
* * *
正月三日目の朝、起床した櫻子は二階の自室から一階へと階段を降りていた。
「ウウ…、ウ…ウウ…」
「あら、何かしら?」
一階のどこかから、微かに呻くような声が聞こえてくる。
階段を降りきると、櫻子は耳を澄ませて声のする場所を探してみる。
今、滉月家の敷地内に居る人間は数仁と濱子と櫻子、使用人の蕗、後は離れに住む鉉造だけだ。
泥棒の可能性も頭に過ぎった櫻子は念のため、「ソロリソロリ」と足音を立てないように、一階の廊下を静かに歩いて行く。
真っ直ぐな廊下の先に曲がり角があるのだが、そこから呻き声が鮮明に聞こえてきた。
「ウウウ…、ウウウ…」
櫻子は「ソーッ」と、角の向こうを覗いてみる。
「まあ!」
櫻子が驚きの声を上げ、角を飛び出した。
そこには、アヤメが倒れていた。
廊下の床に俯伏せになり、手足だけは懸命に蜿いているが、その動きは「ノロノロ」と鈍く、まるで弱った金蚊のように力無い。
「アヤメちゃん、どうしたの!?」
「ウウウ…。アヤメノ、充電ガ…切レソウ、ナノデス…」
床に顔面を突っ伏したまま、アヤメが絞り出すように声を発する。
「充電?アヤメちゃん、充電箱に座らなかったの?」
「ウウ…、忘レテ…シマイ、マシ…タ…」
それだけ答えて、アヤメは停止した。
「…アヤメちゃん?アヤメちゃん!?」
櫻子が床に膝を突き、アヤメの背中を擦ってみる。が、「ピクリ」とも動かない。
「大変だわ!」
櫻子が慌てて、アヤメの背中を跨いで両脇に手を入れる。踏ん張って体を起こそうとするが、少女一人の力では抱えきれない。
一旦、アヤメの体から離れた櫻子は、小走りで土間へ向かった。
まず、土間に続く床敷きの囲炉裏部屋へ入ると丁度、鉉造が居間の暖炉に使用するための薪を肩に担いで、外から勝手口に入って来たところだった。
「鉉さん、鉉さん!一緒に来てっ!」
「櫻子お嬢様、どうされたんですか?」
櫻子の動揺した様子に、土間で朝食の仕度をしていた蕗が包丁を使う手を止め、段差のある囲炉裏部屋の際まで近寄ってゆく。
「アヤメちゃんが大変なの!」
鉉造は薪を下ろして、土間から囲炉裏部屋に上がった。
「…どこだ?」
「こっちよ!」
櫻子は「くるり」と体の向きを変え、アヤメの倒れている場所へ戻って行く。後を鉉造がついて行き、場所の目星がつくと着物姿で走る櫻子を追い越して、大股で走って行った。
アヤメは、先ほど停止した体勢のままだった。
先に着いた鉉造が片膝を突いて、アヤメの両手を上げてみる。だが、手首や肘が「カクン、カクン」と弱々しく曲がってしまう。軽く頭を叩いたりもしてみるが、やはり動かない。
そこに、櫻子も到着する。
「アヤメちゃんの充電が切れちゃったの!鉉さん、お願い!充電箱まで運んであげて!」
「充電箱?」
「居間にあるわ。いつもだったら自分で箱に座って充電するんだけど、忘れちゃったみたいなの。早く、早く充電してあげなきゃ!」
櫻子が足踏みしながら、泣きそうな表情で訴える。
鉉造は徐に立ち上がると右手を広げて、「ガッ」と櫻子の頭を掴んだ。
櫻子の足踏みが止まる。
「落ち着け、櫻子」
櫻子の瞳を確りと見据え、鉉造が諭すように言った。
「…はい」
「ここで待ってろ」
鉉造は櫻子の頭から手を離し、その場から離れた。
櫻子は「ペタン」と床に正座して、アヤメの動かない右手を優しく握った。
「…どうしたの、櫻子?」
「あ、お母様」
濱子に声をかけられ、櫻子が顔を上げる。
「アヤメちゃんが…」
そう言いかけた時、鉉造が充電箱を肩に担いで現れた。
「あ、お父さん。おはようございます」
「おう、濱子。ここいらに、『コレ』を使えるところは無えか?」
「え?ああ、コンセントのことね?え~と…」
濱子が辺りを見回し、近くの物置部屋のドアを開けて、中に入り確認する。
「あったわ。ドアのそばよ」
「おう」
鉉造が物置部屋に入って行き、中のコンセントに寄せるように充電箱を置いた。そして下部から伸びた電源プラグを、コンセントに差し込んだ。
今度は、充電箱の上部から伸びている充電プラグを手に取る。
「これはどうする?」
鉉造が物置部屋から出てきて、櫻子に充電プラグを見せる。
「ここよ!」
すぐに櫻子が、アヤメの後ろ髪を掻き上げて、うなじ部分にある穴を指差す。
「ここに差すの!」
鉉造は充電プラグのコードを伸ばして、その穴に差し込んだ。
「ふん。俯伏せに倒れてくれて、丁度良かったわい」
「あ、蕗さん。おはようございます」
「おはようございます、奥様。おやまあ…」
調理中で手を離せなかった蕗も、様子を見にやって来た。
「私も先に起きていたのに、全く気付きませんで…。大丈夫でしょうか?」
「ええ。私も起きたばかりで事情が解らないのだけど、何だか解決しそうよ」
その場にいた人間が皆、アヤメの体を囲んで視線が下に集中する。
「…動かないわ」
櫻子が呟く。
アヤメは何の反応も見せず、動かない。
「どうしてかしら?お母様」
振り向いた櫻子の顔が、また泣きそうな表情に変わる。
「そうねぇ…」
「奥様。研究所に、ご連絡致しましょうか?」
「駄目っ!」
蕗の言葉に、櫻子が間髪入れずに声を上げる。
「もし、研究所のおじさま方がいらしても動かなかったら、アヤメちゃんが分解されて廃棄されちゃう!そんなの嫌よっ!」
アヤメの体を庇うように、櫻子が上から「ピッタリ」と寄り添った。
「櫻子お嬢様…」
「あ、そうだわ」
顎に握った右手を当て、考えるような仕草をしていた濱子が、口を開く。
「櫻子、お口の電源は?」
「あっ、そうね!」
櫻子が両手の平を「パンッ」と合わせた。
「あ、でも…」
「どうした?」
鉉造が尋ねる。
「アヤメちゃんのお口の中に電源があるの。それを押せば動くかもしれないのだけど…」
今、アヤメの顔面は完全に俯伏せ状態だ。
「口か…」
それを聞いた鉉造がアヤメの背中に跨がり、両手で頭を挟んで少し持ち上げると、「グルン」と九十度だけ回した。
そうすると、アヤメの顔面が櫻子の居る側に横向きになる。
アヤメの口は最後に発した言葉、「タ」の大きさのままだ。
「これでどうだ?」
「ありがとう、鉉さん!」
早速、アヤメの口内に人差し指を入れて、櫻子が舌部分にある電源ボタンを「ポチッ」と押した。
ヴゥゥゥ~~ン……
アヤメの体内から、小さな起動音が鳴る。
開いたまま停止していた目蓋が、「パチッパチッ」と瞬きを始めた。
「動いたわ!」
櫻子が身を低くし、おでこ同士が「ピトッ」と触れ合うほどに近づいて、アヤメの瞳を覗き込む。
「…櫻、子姉様…」
「アヤメちゃん、大丈夫?」
「…ハイ。電気ガ、注入サレタバカリ、ノ為、未ダ、自力デハ、動ケマセヌ。…デスガ、暫シ、御待チ頂ケレバ、通常動作、可能デ御座イマス」
「良かったあ」
櫻子は安堵の溜め息を漏らした。
「もう…、心配しちゃった。アヤメちゃんの、うっかり屋さん」
そう優しく囁いて、櫻子は微笑んだ。
(続)
それでも大晦日の夜は、家族揃って年を越し、新年を迎えることができた。
滉月家で働く使用人は濱子の意向もあって、必要最低限の人数しか雇用していない。
その使用人や運転手達も、年末年始は休暇を与えている。
大掃除やお正月の飾り付け、食材の調達など必要なことは使用人達が帰省する前に全て済ませ、おせち料理も蕗が大晦日までに準備した。
年末年始の間、屋敷に残る使用人は住み込みで働いている蕗だけだ。
それは、本人からの申し出でもある。その為、他の使用人とは別の期間に、蕗の休暇を用意している。
蕗には一人息子がいるのだが、現在は成人して日本料理店の板前として働き、従業員用の借家で暮らしている。今は生活も別々だが同じ都内なので、いつでも会いに行ける距離だ。
息子も料理の修業をする為に、蕗の許から離れるまでの数年間は、屋敷内の使用人部屋で、共に暮らしていた。
正月二日目の朝に、息子は母親の蕗に会うために滉月家を訪れ、数仁達に日本料理を振る舞い、酒を勧められて一緒に呑んだ後、夜には帰って行った。
滉月家のお正月は毎年、予定は立てずに当日の濱子の体調に合わせて何をするかを決定し、なるべく家族で一緒に過ごせるようにしている。
* * *
正月三日目の朝、起床した櫻子は二階の自室から一階へと階段を降りていた。
「ウウ…、ウ…ウウ…」
「あら、何かしら?」
一階のどこかから、微かに呻くような声が聞こえてくる。
階段を降りきると、櫻子は耳を澄ませて声のする場所を探してみる。
今、滉月家の敷地内に居る人間は数仁と濱子と櫻子、使用人の蕗、後は離れに住む鉉造だけだ。
泥棒の可能性も頭に過ぎった櫻子は念のため、「ソロリソロリ」と足音を立てないように、一階の廊下を静かに歩いて行く。
真っ直ぐな廊下の先に曲がり角があるのだが、そこから呻き声が鮮明に聞こえてきた。
「ウウウ…、ウウウ…」
櫻子は「ソーッ」と、角の向こうを覗いてみる。
「まあ!」
櫻子が驚きの声を上げ、角を飛び出した。
そこには、アヤメが倒れていた。
廊下の床に俯伏せになり、手足だけは懸命に蜿いているが、その動きは「ノロノロ」と鈍く、まるで弱った金蚊のように力無い。
「アヤメちゃん、どうしたの!?」
「ウウウ…。アヤメノ、充電ガ…切レソウ、ナノデス…」
床に顔面を突っ伏したまま、アヤメが絞り出すように声を発する。
「充電?アヤメちゃん、充電箱に座らなかったの?」
「ウウ…、忘レテ…シマイ、マシ…タ…」
それだけ答えて、アヤメは停止した。
「…アヤメちゃん?アヤメちゃん!?」
櫻子が床に膝を突き、アヤメの背中を擦ってみる。が、「ピクリ」とも動かない。
「大変だわ!」
櫻子が慌てて、アヤメの背中を跨いで両脇に手を入れる。踏ん張って体を起こそうとするが、少女一人の力では抱えきれない。
一旦、アヤメの体から離れた櫻子は、小走りで土間へ向かった。
まず、土間に続く床敷きの囲炉裏部屋へ入ると丁度、鉉造が居間の暖炉に使用するための薪を肩に担いで、外から勝手口に入って来たところだった。
「鉉さん、鉉さん!一緒に来てっ!」
「櫻子お嬢様、どうされたんですか?」
櫻子の動揺した様子に、土間で朝食の仕度をしていた蕗が包丁を使う手を止め、段差のある囲炉裏部屋の際まで近寄ってゆく。
「アヤメちゃんが大変なの!」
鉉造は薪を下ろして、土間から囲炉裏部屋に上がった。
「…どこだ?」
「こっちよ!」
櫻子は「くるり」と体の向きを変え、アヤメの倒れている場所へ戻って行く。後を鉉造がついて行き、場所の目星がつくと着物姿で走る櫻子を追い越して、大股で走って行った。
アヤメは、先ほど停止した体勢のままだった。
先に着いた鉉造が片膝を突いて、アヤメの両手を上げてみる。だが、手首や肘が「カクン、カクン」と弱々しく曲がってしまう。軽く頭を叩いたりもしてみるが、やはり動かない。
そこに、櫻子も到着する。
「アヤメちゃんの充電が切れちゃったの!鉉さん、お願い!充電箱まで運んであげて!」
「充電箱?」
「居間にあるわ。いつもだったら自分で箱に座って充電するんだけど、忘れちゃったみたいなの。早く、早く充電してあげなきゃ!」
櫻子が足踏みしながら、泣きそうな表情で訴える。
鉉造は徐に立ち上がると右手を広げて、「ガッ」と櫻子の頭を掴んだ。
櫻子の足踏みが止まる。
「落ち着け、櫻子」
櫻子の瞳を確りと見据え、鉉造が諭すように言った。
「…はい」
「ここで待ってろ」
鉉造は櫻子の頭から手を離し、その場から離れた。
櫻子は「ペタン」と床に正座して、アヤメの動かない右手を優しく握った。
「…どうしたの、櫻子?」
「あ、お母様」
濱子に声をかけられ、櫻子が顔を上げる。
「アヤメちゃんが…」
そう言いかけた時、鉉造が充電箱を肩に担いで現れた。
「あ、お父さん。おはようございます」
「おう、濱子。ここいらに、『コレ』を使えるところは無えか?」
「え?ああ、コンセントのことね?え~と…」
濱子が辺りを見回し、近くの物置部屋のドアを開けて、中に入り確認する。
「あったわ。ドアのそばよ」
「おう」
鉉造が物置部屋に入って行き、中のコンセントに寄せるように充電箱を置いた。そして下部から伸びた電源プラグを、コンセントに差し込んだ。
今度は、充電箱の上部から伸びている充電プラグを手に取る。
「これはどうする?」
鉉造が物置部屋から出てきて、櫻子に充電プラグを見せる。
「ここよ!」
すぐに櫻子が、アヤメの後ろ髪を掻き上げて、うなじ部分にある穴を指差す。
「ここに差すの!」
鉉造は充電プラグのコードを伸ばして、その穴に差し込んだ。
「ふん。俯伏せに倒れてくれて、丁度良かったわい」
「あ、蕗さん。おはようございます」
「おはようございます、奥様。おやまあ…」
調理中で手を離せなかった蕗も、様子を見にやって来た。
「私も先に起きていたのに、全く気付きませんで…。大丈夫でしょうか?」
「ええ。私も起きたばかりで事情が解らないのだけど、何だか解決しそうよ」
その場にいた人間が皆、アヤメの体を囲んで視線が下に集中する。
「…動かないわ」
櫻子が呟く。
アヤメは何の反応も見せず、動かない。
「どうしてかしら?お母様」
振り向いた櫻子の顔が、また泣きそうな表情に変わる。
「そうねぇ…」
「奥様。研究所に、ご連絡致しましょうか?」
「駄目っ!」
蕗の言葉に、櫻子が間髪入れずに声を上げる。
「もし、研究所のおじさま方がいらしても動かなかったら、アヤメちゃんが分解されて廃棄されちゃう!そんなの嫌よっ!」
アヤメの体を庇うように、櫻子が上から「ピッタリ」と寄り添った。
「櫻子お嬢様…」
「あ、そうだわ」
顎に握った右手を当て、考えるような仕草をしていた濱子が、口を開く。
「櫻子、お口の電源は?」
「あっ、そうね!」
櫻子が両手の平を「パンッ」と合わせた。
「あ、でも…」
「どうした?」
鉉造が尋ねる。
「アヤメちゃんのお口の中に電源があるの。それを押せば動くかもしれないのだけど…」
今、アヤメの顔面は完全に俯伏せ状態だ。
「口か…」
それを聞いた鉉造がアヤメの背中に跨がり、両手で頭を挟んで少し持ち上げると、「グルン」と九十度だけ回した。
そうすると、アヤメの顔面が櫻子の居る側に横向きになる。
アヤメの口は最後に発した言葉、「タ」の大きさのままだ。
「これでどうだ?」
「ありがとう、鉉さん!」
早速、アヤメの口内に人差し指を入れて、櫻子が舌部分にある電源ボタンを「ポチッ」と押した。
ヴゥゥゥ~~ン……
アヤメの体内から、小さな起動音が鳴る。
開いたまま停止していた目蓋が、「パチッパチッ」と瞬きを始めた。
「動いたわ!」
櫻子が身を低くし、おでこ同士が「ピトッ」と触れ合うほどに近づいて、アヤメの瞳を覗き込む。
「…櫻、子姉様…」
「アヤメちゃん、大丈夫?」
「…ハイ。電気ガ、注入サレタバカリ、ノ為、未ダ、自力デハ、動ケマセヌ。…デスガ、暫シ、御待チ頂ケレバ、通常動作、可能デ御座イマス」
「良かったあ」
櫻子は安堵の溜め息を漏らした。
「もう…、心配しちゃった。アヤメちゃんの、うっかり屋さん」
そう優しく囁いて、櫻子は微笑んだ。
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