記憶をなくした子守歌

胡花宝 愛芽

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第2章「籠の中の子供達」

七話「少女と琉詩」

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「ふ~っ、ふ~っ」
 
 大きさの異なるシャボン玉の群れが、リビングルームの空中を漂う。

「ドールおねえちゃん、見て見て。これ、シャボン玉っていうんだよ。キレイだよねぇ?」
「……」

 自分用と琉詩用のベッドの間に佇む少女。
 二人のベッドは窓側。リビングの通り道を挟んで壁際に並ぶベッドの間、ちょうど少女と向かい合わせに琉詩は立っている。
 離れた距離から息を吹き、少女に向けてシャボン玉を飛ばす。

 リビングに専用ベッドが在る子供達は、『お仕事』で外泊中。後は「お休み」の子供が二人、三階の各自室に居る。
 ルーシーも今日は体調が優れないらしく、『倉庫』二階の社員用宿泊室で休んでいる。

 だからリビングで今夜は、少女と琉詩の二人きりだ。
 今日、少女は「お休み」だが『お仕事』の日は外泊も多く、琉詩が『倉庫』に来てから実際に夜間、隣のベッドで寝た日は少ない。

 小学校低学年の子達の一般的な常識で言えば、とっくに就寝時間は過ぎているのだが夏休み中であれば、ちょっと夜更かししている程度の時間だ。
 そもそも『倉庫』では『お仕事』以外の食事や就寝時間に厳密な決まりなど無く、生活サイクル自体が一般の子供達とズレている。真夜中に起きていたところで、注意する大人も此処には居ない。

「ふぅ~っ」

 琉詩はシャボン玉を吹いてから小走りで、真っ直ぐ先の少女のそばに行く。
 少女はピンクのネグリジェ、琉詩は黄色地に可愛い熊模様のパジャマ姿だ。

「…ちゃんと見えてるかなぁ?」

 琉詩は少女の瞳を「ジーッ」と見つめる。少女の視線は琉詩に定まっていないが、その瞳には琉詩の顔が映っている。

「こんどはぁ、おっきいシャボン玉、つくってみるね」

 少女の斜め前に立って背伸びすると、琉詩は吹き口を少し上に向ける。
 
「ふぅぅぅぅ…」

 少しずつ息を吹いて、少女の目の前で慎重に膨らましてゆく。
 「パッ」と途中で、シャボン玉が弾ける。
 シャボン玉の粒子が顔に当たったのか、少女は「パチパチ、パチパチ…」と、細かく瞬きを繰り返す。しかし、それ以外の反応は無い。

「あっ。おねえちゃん、ごめんねっ。だいじょうぶ?目に入ってない?」 

 琉詩は、また少女の瞳を覗く。すぐに細かい瞬きは収まった。

「もうちょっとだけ、はなれるね。見ててね」

 一歩ほど少女と距離を空けて再度、ゆっくり息を吹いて作ってゆく。今度は大きく膨らみ、少女の顔の前に出来上がったシャボン玉は、吹き口から離れた。

「ほらっ。ドールおねえちゃん、見て!おっきくできたよ!」

 「フワフワ」と浮かぶ大きなシャボン玉を、琉詩が指差す。

「こっち、こっち」
「……」

 少女は何も答えない。
 シャボン玉は大きな球形を保ちながら、暫く漂うと「パッ」と弾けた。

「あ~あ、きえちゃったぁ…」

 琉詩は残念そうに呟く。少女を見ると顔が正面から、琉詩の指差していた方へ向いている。

「あっ。おねえちゃんの〈かお〉、うごいたぁ。もっかい、やってみよっと」

 琉詩は何回か、少女の顔前に大きなシャボン玉を作って浮かんでゆく方向を指差し、声を掛けることを繰り返した。その度に少女の顔も少しずつ動いていたが、シャボン玉というよりは琉詩の指差すくうを、ただボンヤリと見ているようだった。

 一頻ひとしきり、琉詩がシャボン玉を飛ばした後、佇んでいたベッドの間から少女が歩き出した。

「あ、おねえちゃん…?」
「……」

 近くに居た琉詩の横を抜け、リビングを静かに歩いて行く。シャボン玉の容器をベッドサイドのチェストに置いて、琉詩も少女の後をついて行く。
 少女は廊下へ通ずる扉を開ける。人感センサーが反応し、廊下に照明が灯る。
 廊下を少し進んで、少女はリビングに近い女子トイレに入って行った。

「あー、トイレかぁ」

 琉詩が女子トイレの前で立ち止まり、すぐ隣の男子トイレを見てから、自分の下腹部を両手で触る。
 
「…ぼくも、いっとこぉっと」

 そう言って、琉詩は男子トイレに入った。

     *   *   *

 暫くして、琉詩がリビングに戻って来た。
 すでに少女は戻り、自分のベッドに腰掛けていた。

「ふあぁ…」

 琉詩が大きく口を開けて、欠伸する。

「ぼく…、ねむくなってきちゃった…。おねえちゃん。もう、ねよっか…」
 
 琉詩は目を擦り、自分用のサイドチェストに設置されたランプのスイッチを入れ、明かりを灯してから、「ピッ」とリモコンでリビングルームの照明を消した。
 それから琉詩は少女の両手を握って引き、ベッドから立たせる。

「…うんしょっ」

 少女がベッドに入りやすいように、琉詩が掛け布団を捲る。それが終わると、少女と両手を繋いだ。

「おねえちゃん。おふとん、入ろー」   

 琉詩は少女の両手を引いて、ベッドの方へ体を向ける。
 一旦、手を離して先に琉詩がベッドへ上がると、再び少女の両手を握る。その両手に引かれて、少女もベッドへ上がった。 

「あ、そうだぁ」

 思い付いたように言って、琉詩がベッドを降り、サイドチェストの二番目の引き出しを開ける。それから琉詩の私物が詰まった中から、一冊のスケッチブックを取り出した。

「これとぉ…、これっ」

 更に黒い塊を取り出す。
 琉詩は引き出しを閉め、それらを持って、少女のベッドに上がり込む。
 いつの間にか、少女はベッドの上で仰向けになっている。まだ両瞼は開いているので、眠ってはいないようだ。
 
「おねえちゃん。見て、見て」

 琉詩は「タンタンタン…」と、スケッチブックを手の平で軽く叩く。
 少女は少し、琉詩の居る方へ首を傾けたが、相変わらす視線は定まっていない。

 B5サイズのスケッチブックは、長い方の片側がリングで閉じられている。琉詩はオレンジ色の厚みのある表紙を開くと、リングを通して後ろに閉じる。
 すると一頁目に、クレヨンや水彩で描かれた、一枚絵が表れた。
 リング側を上にして両手に持ち、少女に見えるように掲げる。
 
「これね、ぼくのママがぁ、かいてくれた〈えほん〉」

 絵の上部には、カラフルに色付けされた文字。

「ウータンのぉ、ぼうけん」

 ゆっくり言いながら、琉詩が文字を順番に指差してゆく。

「…ってぇ、いうんだぁ」

 琉詩は「ニッコリ」と、少女に笑いかける。

「それでぇ、ここにね、パパの〈こえ〉がぁ、入ってるんだぁ」

 少女のそばに置いた黒い塊を、琉詩が指差す。これは、ボイスレコーダーだ。

「ぼくのママ、〈こえ〉がでないからぁ、パパが〈おしごと〉でいないときもぉ、〈えほん〉が見れるようにってぇ、パパが〈こえ〉を入れてくれたんだぁ。この中にね、パパとママがつくってくれたぁ、いろぉんな〈おはなし〉があるんだよぉ」
「……」
 
 少女は虚ろな表情のままだが、琉詩は気にせず話し続ける。

「ねるときにぃ、パパの〈こえ〉きくとぉ、とっても〈あんしん〉できるんだぁ。おねえちゃんもぉ、いっしょにきこっ」

 琉詩は少女の横に寝転んで、慣れた手付きでボイスレコーダーを操作し、再生ボタンを押した。
 男性の低く太い声が、流れてくる。だが、幼い琉詩が聞きやすいように口調は優しく、ハッキリと語りかけている。

 琉詩は少女の方へ横向きになって、スケッチブックを少女と自分に見えるように向ける。そして父親が語るペースに合わせて、一枚ずつ頁を捲ってゆく。

 ところが物語の途中で、スケッチブックは「パタン」と倒れてしまった。琉詩は眠ってしまったようだ。
 父親の「お終い」という言葉が流れると、ボイスレコーダーは停止した。

「……」 

 少女は静かに、両瞼を閉じた。
 



(続)
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