記憶をなくした子守歌

胡花宝 愛芽

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第2章「籠の中の子供達」

三十三話「夜」

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 琉詩が「ハッキリ」と目を覚ましたのは、『倉庫』三階の個室だった。

 昨夜、四階の和室からヒロシに担がれ、『倉庫』を出て送迎車に乗せられたところまでは、しっかりと覚えている。
 秦野の宿泊する客室建物へ向かう車中、泣き止まない琉詩は、同行した男性従業員にペットボトルのジュースを勧められ、それを飲んだ。
 そこからだ。琉詩の記憶が、ボンヤリしているのは。

 『倉庫』に戻ってから、琉詩はずっと、ベッドで過ごした。
 以前のように、高熱を出すことは無かった。けれど体はだるく、とても眠い。早瀬が食事を届けて食べさせようとしても、少し口に入れただけで、ほとんどの時間は眠っていた。
 
 そして気が付けば、もう翌日の夜。
 
 でも、所々、覚えている。まるで夢現ゆめうつつの状態では、あったけれど。
 秦野はたのの裸。秦野が自分に触れた、あらゆる感触。痛みもーーー。

 琉詩は顔をしかめ、仰向けの体勢から寝返りを打つ。
 
「あ…」

 少女が居た。
 琉詩の左隣、同じベッドに仰向けで眠っている。 
 部屋は遮光カーテンが閉められていたが、早瀬が豆電球を点けた程度の薄暗さに調光していたため、すぐ琉詩にも判別できた。
 
「おねえちゃん…」

 その少女の顔から腹部へ、視線を動かす。琉詩の瞳が「じわり」と、涙で濡れる。
 琉詩は右手の平を広げ、少女のお腹に「ソッ」と下ろす。
 
「おねえちゃん、おなか…いたい…?ごめんなさい…、ぼく…ぼくのせい……」

 少女のお腹を「スリスリスリ…」と撫でる。
 横向きの琉詩。右目から溢れ出た涙が、鼻背びはいを伝い、左目からの涙と共に流れ、枕に染み込んでゆく。

「……」

 少女が両瞼を開いた。

「ぼくが…うぅ、うしろ…かくれたから…おねえちゃん、け…げられぢゃっだぁ…ごめんね…ヒック、いだがっだよね…?…ヒッグ、ごめんなざいぃぃ……」

 琉詩は暫くの間、泣きじゃくりながら少女のお腹を「スリスリ、スリスリ…」と、優しく撫で続ける。

「ヒロシくん…、キライだ…」

 涙は少し落ち着いてきたが、代わりに口調は怒りが強くなってくる。

「あんなの、いけないんだよ…。あんなことしたら…ママ、ぜったい、おこるもん…。ヒロシくんのママ、おこんないのかなぁ…?…パパだって…『パパは、よわいものいじめがキライな人』ってぇ…ママ、いってたもん…。パパがいたら…ぜったい、たすけてくれるのに…」
「……」

 少女は動かず何も言わず、ただ静かに瞬きだけを繰り返している。
 
「ぼくのパパ…ビル、〈たてる〉おしごと、してるんだぁ…」

 琉詩は少女のお腹から手を離し、体を起こして正座する。
 
「こぉんな、おっきいビルだよ?」

 言いながら天井に向かって、両腕を真っ直ぐ上げる。それから前方に下ろし、両手の平をマットレスに「ポンッ」と突いて、立ち上がる。

「ここよりもぉ、もっともっと、たかくってぇ、おっき~ぃなぁビルだよ?」

 背伸びしながら、両腕を真上から左右真横へ「ブンブンブン…」と上げ下げして、琉詩なりに高層ビルの形を表現する。

「おしごとでぇ、たかーいとこ〈のぼる〉からぁ、パパ、〈うんどーしんけい〉も〈いい〉しぃ、おもーいもの〈はこぶ〉からぁ、力もちなんだよぉ」

 琉詩は両踵を下ろすと、両手を「グー」にして両肘を曲げて、力こぶを作る。次第に表情も声色も明るくなってゆく。

「パパはぁ、ぼくを〈だっこ〉してくれてぇ、『たかいたか~い』とかぁ…」

 次は両手を「パー」にして、天井に向かって両腕を伸ばす。

「パパの〈うで〉にね、こ~やってぇ、ブラブラしたりぃ…」

 頭上に両腕で輪っかを作って、父親の逞しい上腕二等筋に掴まる動きをして見せる。

「それからぁ『ブ~ン』ってぇ、〈ひこうき〉とかぁ、〈かたぐるま〉もしてくれるしぃ…パパ、いっぱいい~っぱい、あそんでくれるんだぁ」

 あちこち両手を動かしながら、少女に説明する琉詩。

「……」

 少女は無表情のままだが、顔を琉詩の方へ傾けている。

「でも…パパ…」

 琉詩は「だらん」と、両手を下ろす。

「たかいとこでぇ、おしごとしてるときにね…とってもとっても、つよい〈かぜ〉が『ビュ~ッ、ビュ~ッ』って、ふいてね…パパの〈たましい〉がぁ、〈てんごく〉にぃ、とばされちゃったんだって…」

 現在いまよりも幼い琉詩に、母親が考え、文字を書いて伝えた言葉のまま、少女に語りかける。そして両膝を曲げ、「ペタン」と座る。

「ぼくね、『パパ、おきて。ねぇ、おきて。いっしょにぃ、あそぼう』ってぇ、いっしょうけんめい、よんだんだぁ…」

 少女の横で「ポンポン、ポンポン…」と、マットレスの表面を両手の平で何度も軽く叩いたりさすったりして、父親の遺体に呼びかけた動作を、琉詩が再現する。

「なんかいもぉ、なんかいもだよ?けど…パパ…ぜんぜん、おきてくれなかったんだぁ…」

 琉詩の動きが止まる。

「ママがね…、『パパはぁ〈てんごく〉から、ずっと…ぼくとママを、まもってくれてる』って…。『だからぁ、だいじょうぶよ』って………」

 暫し、琉詩は押し黙る。

「ママ…そう、いってたのにぃ…。〈びょういん〉でぇ、もらった〈おくすり〉…まいにち、のんでるからぁ…『だいじょうぶよ』って…。にゅ…〈にゅういん〉してるときだって…かんごしの、おねえさんもぉ…『ママはぁ、だいじょうぶよ』ってぇ、いってたのにぃ…」

 「ポロポロ」と、琉詩の焦茶色の瞳から涙が零れる。
 
「…ぼく…ママとパパにあいたい…。グスッ…あいだいよぉ…」

 倒れ込み、うつ伏せになる琉詩。

「ママぁ…、うぅ…パパぁ……ヒッグ…」

 
 ーーーやがて琉詩は泣き疲れ、少女と共に眠った。
 無償の愛情を与えてくれた相手と毎晩、そうして眠っていた時と同じように、少女の手を握り、寄り添いながらーーー。




(第2章「籠の中の子供達・壱」・終)
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