記憶をなくした子守歌

胡花宝 愛芽

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第2章「籠の中の子供達」

一話「ユキと少女の撮影」

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 その少女の『倉庫』での生活が、八ヶ月ほど経とうとしていた。
 
 倶楽部『黒薔薇の遊宴』での少女の人気は高く、馴染みの会員パートナーは多数定着し、予約数も変動はあるものの多い月ならば、不動の一位であるユキと争うほどであった。
 ただ、余りにも無反応過ぎる少女を好まない会員も確実にいた。
 しかし子供達が相手をするのが難しい会員であった場合、以前はユキか、年齢の高い何人かが選ばれ、その役目を請け負っていたのだが、現在は少女がいることで、かなり子供達の負担が軽減されたのも事実だった。

     *   *   *
 
「ほら。もっと、くっついてごらん。顎を少し持ち上げる感じで…。いや、右手の方がいいな。そう、唇はギリギリまで…」

 ユキが少女の顎に右手を添え、口づけ寸前の体勢を取る。

「そうそう。いいねいいね~」

 男が「パシャパシャ」と、カメラのシャッターを切ってゆく。

 これは不定期に倶楽部『黒薔薇の遊宴』で行われる、イベントの一つだ。
 子供達の中で性別問わず、興味のある「カップリング」を会員達にアンケートし、その組み合わせで写真撮影する。と同時に、その模様も小出しで動画配信するというものだ。

 アンケートの回答では様々な「カップリング」が寄せられ、その一位が「ユキ」と「少女」だった。

 黄緑の光沢ある生地に、金糸きんしの刺繍が施されたロココ調の猫脚カウチ。その右端に置かれた大きな金色のクッションに背を預け、裸足を伸ばして座る無表情の少女。
 自ら積極的に動くことの無い体に、ユキの方からポーズを働きかけてゆく。
 キャミソールワンピースの衣装。ユキは黒色、少女は淡い桃色。髪には花飾り。どちらも透け感がある生地で、下はチュールスカート。肌に纏っているのは、それ一枚。
 少女の顔は薄化粧。素顔でも赤い唇は、敢えてファンデーションで肌色にぼかし、その上に色味の薄いグロスを重ねられている。
 逆にユキは濃く、目の周りはダークカラーで縁取り、唇に染められた色は深紅。

「それじゃ、次は動画を撮るからね~。少ぉし体を離して。はい、ストップ。ちょ~っと、そのポーズで我慢。我慢だよ~」

 ユキは少女から体を少し離して、指示通りの体勢で止まっている。
 男には気付かれない程度に「ハァ…」と、ユキが小さく溜め息を漏らす。

 指示を出しているのは『プラチナ会員』の「渕野ふちの」という四十代後半の男性だ。
 代々続く老舗の和菓子屋の社長で、日本だけでなく世界に十数の店舗を構えている。
 長男だが四人兄弟なこともあり、若い時は映画監督を目指して専門学校にも通っていた。その頃は情熱的に、自主映画を何本か制作した経験がある。
  
 今回のイベントは希望する会員が、自ら推しの「カップリング」を撮影し、作品の出来栄えを競い合う。更に裏HPの特設サイトで人気投票し、グランプリを決定する。
 そのため渕野も、かなりの気合いが入っている。
 
「それじゃ、撮るよ~。ユキちゃん、さっき練習したみたいに頼むね~。いくよ~。はい。よぉ~ぃ…、スタート!」 

 ユキは止められた位置から、再び「ギリギリ」まで顔を近付け、ゆっくり少女にキスをする。  
 暫しの間、互いの唇は触れたまま。ソッと、ユキが唇を離す。
 すると少女の淡々あわあわしい唇が、深紅色に染められた。

「…はい、カーーット!ユキちゃん、グ~だよ!グ~ッ!!」

 渕野が半ば興奮気味で、ユキに親指を立てて見せる。
 ユキは「しゃなり」と首を傾けて、渕野へ微笑みを返す。それから後ろを向くと、微笑みは一瞬で白け顔に変わり、開けた口からは「ベロン」と舌が出ている。
 
「いやあ。ユキちゃんは感が良いからな~、撮影も捗るね~。これなら予定よりも、早く終わっちゃうんじゃないか~?」 
「ホント~?」 

 ユキが自分の頬に両手を当て、渕野に向き直る。

「ボクぅ…、動画の撮影なんて慣れてなくって…。『上手に、できるかな…?』って、スッゴク不安だったの…。でもぉ、ふ~様がいっぱい、アドバイスしてくれたから…ボクぅ、あんまり緊張しないで演技できたみたい…」

 渕野は、ユキの固定客だ。渕野と面会を続けるうちに流れで、「ふ~様」と呼ぶようになった。

「そうかい?そんな風に言われると、ふ~さんも嬉しくなっちゃうぞ~。ワハハハハッ」

 豪快な照れ笑いをする渕野。
 
「よしよし。それじゃあ次のシーン、行ってみるかな~?」
「はぁ~い」

 ユキが可愛らしい声で返事する。
 渕野は上機嫌で、別シーンの撮影準備を始めた。


   *   *   *


 ユキと少女の撮影は、渕野の言葉通り予定よりは早く終了した。撮影のためだけに一泊二日を費やした渕野は本来の仕事と、写真や映像の編集作業をするため、早々に帰って行った。

 ユキと少女は今、『倉庫』二階の面会室に居る。
 一号室の小さな窓から見える外の景色は、すっかり暗い。
 次の『お仕事』のため二人共、別の衣装に着替えた。ユキは藍色の浴衣に紫の帯。少女は水色の浴衣に朱色の帯。ルーシーの手によって、飾りは付けずに自然な下ろし髪で整えられ、顔は軽く白粉を滑らせ、唇に潤いを加えただけ。これから会う予約者達は、あまり化粧は好まないようだ。
 それでも、ユキと少女のキメ細やかな白い肌と、目鼻立ちの整った顔を引き立てるには十分だった。

「ハァ…、疲れたな」

 ソファにもたれて両足をブラブラさせながら、ユキが呟く。

「朝も早かったしな。…平気か?」

 ユキは右に背中を曲げ、隣に座る少女の瞳を覗き見る。

「……」

 少女は相変わらず、ユキと目を合わせることもなく、何も答えない。
 周囲への牢固ろうこたるほどの無関心さは、初めて倉庫に連れられて来た時と、違いは無いように見える。
 
「…ま、しっかり夕飯ゆうめしも食ったしな」

 ユキは背中を起こすと、両膝を上げて体育座りをする。
 
「俺達が昨日と今日、撮影してたってのは知ってるはずだし、アイツらも今日は家族連れだから、短時間で済むってさ」

 ユキは少女だけに聞こえるよう首を少し右横に傾け、視線は正面を見ながら囁き声で話し掛ける。
 面会室は監視カメラが設置され、会話も聞けるようになっているので、ユキもこの部屋での毒舌は控えているのだ。

「…だからさ、すっげぇだけどさ、我慢しような。…ほぇ?」

 右腕に重さを感じ、見ると少女がユキの体に凭れ掛かっている。目蓋は閉じて、かすかに寝息が聞こえる。

「あ~、寝ちまったか…」

 息漏れ声で言い、ユキは静かに欠伸する。両膝を下ろし、少女の左肩を支えながら少し離れて座り直すと、自分の太股に少女の頭を乗せて寝かせる。
 
「ハァ…、俺もねみぃ…」

 ユキも「ウトウト」と、首を上下に揺らしている。

 数分経過し、夢現ゆめうつつのユキはその予約者お決まりの、いきなりドアを開ける音で「パッ」と目を覚ました。反射的に、上半身の姿勢を正す。

「やあ、ユキ」
「……ようこそ、典厳てんげん会長、典厳社長」

 ユキは微笑む。
 現れたのは典厳社長と、その父親の会長。今晩の予約者だ。
 
「すみません。今日は、早朝から撮影だったので…」

 ユキが、少女を膝枕した状態でお辞儀する。少女は熟睡しているようだ。

「ああ、らしいね。別に構わないさ。どうせ、この子は起きていたところで大差無いからね。どれ、一枚撮っておこうか?会員に見せたら、喜ぶだろう」

 典厳社長が同行していた男性従業員に目配せする。男性従業員は黒ジャケットの胸ポケットから、デジタルカメラを取り出し、ユキと少女の前に掲げ、膝枕ポーズを撮影する。

「…久し振りだな、ユキ」

 典厳会長は闘病のため、数ヶ月入院していたのだが最近、快復して退院した。今日も長年、連れ添った妻や典厳社長を含めた子供達や孫達と、家族集合してゴルフを楽しんでいた。
 昼間はゴルフウェアだったが、此処に来る前にシャワーを浴び、夜は親子お揃いで柿渋色の作務衣さむえ姿だ。典厳会長の方は数日前まで総白髪だったが、今は黒く染めて本来の年齢よりは若く見える。
 
「お久し振りです、典厳会長…。退院、おめでとうございます」

 ユキの微笑みに切なさが加わり、「しっとり」と典厳会長を見つめる。
 
「なかなか…お会いできなかったので、ずっと心配で…。でもぉ…今夜、いらして下さるって聞いて『本当かな?』って…半信半疑だったけど…本当に、会えたから…ボクぅ…」

 ユキは瞳を潤ませる。

「心配かけたな、ユキ」

 会長がユキに歩み寄り、右手を伸ばして左頬に触れる。ユキの瞳から涙が零れ落ち、猫のように「スリスリ」と頬を動かして、その皺のある手に甘える。 
 二人の様子を見ながら典厳社長は、「フッ」と鼻で笑う。

「さあ、お父さん。あまり時間も無いことだし、そろそろ出よう」
「…うむ、そうだな」

 男性従業員が少女を抱き上げる。すかさず、ユキが立ち上がって典厳会長の腕にくっ付き、互いの指を組んで手を繋ぐ。
  
 五人は一号室から退出し、エレベーターを降りて倉庫を出ると、送迎車に乗り、それぞれの客室へ向かって行った。




(続)
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