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第一章 幼少期編
第五十一話 不穏な影
しおりを挟む暗いマントに身を包んだ女性が燭台を片手に洞窟を進んで行く。分かれ道の無い一本道にも関わらず女は背後や左右をことあるごとに振り返り、落ち着きがなく挙動不審だ。
そうして漸く最奥の行き止まりに辿り着くと女は岩壁に触れた。一見適当な位置に手をついたように見えるが周囲の岩に比べて僅かに色が濃い。
次の瞬間、女は最奥の更に奥に着いていた。深く被っていたフードを取り頭を下げる。
そこは崖の中に作られた空間というには整いすぎていて、人の手で作られたのは明らかだった。
凹凸のない壁。灯された何本もの蝋燭。
そしてシンプルな机と椅子。隅には小さいベッドまである。
「あれ、夫人じゃん。久しぶりだね」
「申し訳ありません」
「あはは、いいんだよ。怒ってるわけじゃないし。知らせが無いのは良い便りってね」
無造作に書類が散りばめられた机に向き合っていた男は怪しいその女を温かな笑顔で出迎える。
男は机の下で持て余した足をパタパタと揺らしていた。椅子にはクッションが幾つも重ねられ、女はまるで大人用の机を使いたがる子どものごっこ遊びに付き合っているような錯覚に陥った。
それでもこの可愛らしく幼い男の子にそんな母性を抱ける程の器はこの女にはない。
「爺さんがついにゲームオーバーしたんでしょ?そろそろかなーとは思ってたんだけど、まさか三歳のガキンチョにやられるなんて!傑作だなあ」
「流石です。耳がはやいですね」
ケタケタと心底愉快そうに笑っている男も見た目だけで言えばまだ十分子どもなのだが、男はそんなことは頭にないらしい。
「あの、大神官は未だ皇室に捕まったままなのですがこのまま放置してよろしいのでしょうか?皇帝が直接関わっている以上情報が盛れるのも時間の問題かと」
「いいんじゃない?」
男はあっけらかんと言ってのける。
「し、しかし………」
「爺さんが使ってた通路は既に閉じたし、俺の情報が漏れたところで皇室なんかじゃ相手にもならないよ」
「………」
女は黒のマントを握りしめる。
「ああ。俺は良いけど君はマズイか。そうだね、爺さんのことは僕がなんとかしておくよ」
「あ、ありがとうございます!」
「いいよいいよ。神を名乗るからには信者は大切にしなくちゃね」
このどう見ても自分より幼い子どもに床に額をつき繰り返し感謝を述べたい気分だ。しかしそんなことをしても男は喜ばないので、その代わり持っていた網籠から大袋に入れられた有名なスイーツ店のクッキーを取り出し、放り出された書類の上に置いた。
「こ、こんな物で申しわけありませんが………」
「君は最高の信徒だ!!わあぁっ、甘い香り!幸せだぁっ」
クッキーを抱えて立ち上がり、床に落ちたクッションは気にも留めず大喜びする姿はどう見ても平凡な子どもである。
「で、では私はこれで………」
「あ。待って待って」
袋の口を開けてお腹いっぱいに香りを堪能していた男は踵を返した女を慌てて引き止めた。
「第二皇子の方は上手くいってる?」
「勿論です。丁度本日から授業も増やされまして、完全に信頼されています」
「ならもう一つ仕事が増えるくらい問題ないよね」
「え?」
視線をクッキーから外すことなく男は話を進める。
「三歳児くんは何で裏帳簿の隠し場所を知ってたと思う?」
「おそらく神子の力かと………」
「そうだよね。それ以外考えられない」
神子の力とは即ち神の力。
神子が願ったことは全て現実になり、神子が願えば死さえも覆り世界の道理さえ変えられる。
御伽噺の産物としか思えないまさに奇跡の存在だ。
「ねえ、神子が願ったら人間も神になれるのかな」
「それは………」
女は答えなかった。人間が神そのものになった前例はない。しかし、神に最も近い存在である神子を使うなら話は別だ。
人間が抱くにはにはあまりに恐れ多い願望である故、それを叶えた神子の身体は間違いなく崩壊するだろうが。
「夫人、三歳児くんを『こっち側』に引き入れてよ。人心掌握は夫人の得意分野でしょ。神の欠片をちまちま集めるよりずっと簡単そうだ」
女の脳裏に以前会った見た目だけはきらびやかな幼児の姿が浮かぶ。人見知りだそうで警戒されてはいたがそれ以外特に変わった様子は見受けられなかった。
寧ろ厄介なのはあの子の周りにいる大人達だ。とはいえそれを言うのなら皇帝や皇后の方がよっぽど恐れるに足る存在だった。
何よりこれは神からの依頼だ。天上の言葉に受ける受けないなどという選択肢はそもそも存在しない。
「かしこまりました」
「うん。頼んだよー」
女が深く頭を下げた後壁のある位置に触れると瞬く間にその姿は消えた。
狭い空間に一人残された男は抱えていたクッキーの袋をまるで汚物でも持つかのように親指と人差し指で挟んで持ち、数秒眺める。
「まあしょうがないよね」
そう呟いた途端、袋は黒の炎に包まれクッキーは消炭になって床に落ちていく。
「何入ってるか分かったもんじゃないし。でもクッキー食べたかった…。はあ、神様稼業も楽じゃないや」
しゃがみ込んで消炭になったクッキーを見つめる。
大神官は熱心な信者ではあったがそれ故に扱いづらく、こうして全てが明るみにならずともそろそろ消すつもりだった。
だからこの状況は寧ろラッキーだ。
神子の力を確認した上、大神官を殺す十分な理由まで出来たのだから。
「神子ねえ。三歳児なんかにやらせるにはちょっと荷が重いでしょ。どうせなら俺にやらせて欲しかったな。俺なら完璧に演じきれたのに。神様って本当に見る目がないなあ」
男は立ち上がってクッキーの残骸を踏み躙る。
「でもいっか。どうせすぐに俺のものになるんだから」
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