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始まりの書
青年の傷と願い
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「これで…良しっと!もういいですよ」
包帯が巻き終えたウサギを兄弟が待つ毛布を敷いた籠に戻す。モコモコと寄り添うウサギの背中を撫でながらアドルフは微笑む。
「じゃあ、次はアドルフの番だよ」
ウサギの手当てが終わったのを見届け、救急箱が仕舞われる前にアドルフに言った。
アドルフは不満そうにウォーレンを睨んだ。
アドルフの案内のもと家まで辿り着くと、二人は上着やコートなど暖炉で乾かしながらアドルフはウォーレンに救急箱とぬるま湯で湿らせたタオルを用意させると、自分の痛めた足を後回しにし先にウサギの手当てを始めてしまった。
ウォーレンが口を挟む暇も与えず、アドルフの手はさっさとウサギの体の汚れを丁寧に拭き取り傷を診た。そのあと丁寧な手つきで包帯を巻いていく。
口を挟む暇を与えてもらえなかったウォーレンは、諦めてアドルフの手当てが終わるのを待った。
ウサギの黒い毛並みが色白の手を引き立てる。爪先まで綺麗に整えられ、うっとりと見惚れてしまう。
じっと見られているはずなのに、アドルフは気にした様子もなく淡々と包帯を巻き続ける。
何度か痛めた足に視線をやる。
家に着いてからもアドルフは頑として靴を脱ごうとはしなかった。ウサギが先だと聞かなかったのだ。そのため、ウォーレンはいじらしい気持ちでアドルフの手当てが終わるのを待っていた。
「アドルフ」
上目遣いで睨まれようとウォーレンは首を傾けてもう一度名前を呼んだ。
逃げ切れないと悟ったアドルフは肩をすくめて、ウォーレンの肩を借りながら安楽椅子に腰かけた。
「靴、脱がすよ?」
「…さっさとやりなさい」
ぐったりと背もたれにもたれ、完全に脱力状態になるアドルフにウォーレンは苦笑した。
痛くないようにゆっくりと靴を脱がしていく。
「…っ…」
気を付けていても多少は痛みを感じてしまうようで、アドルフは時折唇を噛み肘掛を握りしめた。
自分の唇を噛みながら、ゆっくり脱がした靴から出てきたのは、見事に腫れ上がった足だった。
(これは、酷いなぁ…)
思ったよりも酷い状態に思わず眉間にシワが寄る。
恐る恐る氷水に浸したタオルを当てると、アドルフが小さく唸った。
「あぁ、ごめん」
謝罪するとアドルフは首を振って消えそうな声で「いえ、大丈夫です」と返した。
アドルフの顔色を伺いながら、ウォーレンなりに手当てを進める。
しかし、捻ったのか折れているのかウォーレンには判断できず、取り敢えず氷で冷やし足の向きを固定しつつ包帯を巻き付ける。
「う~ん…やっぱり、一応医者に診せた方がいいじゃないかな。思ったよりも酷いから…」
「街には、行きたくありません…」
手を動かしながら、そう提案するも目を閉じたままアドルフは首を振り続けた。
「じゃあ、こっちに来てもらう?」
違う提案をするも、アドルフは首を振った。
「でも…これ、どうしたらいいのか、俺分かんないよ?」
「…ただ、捻っただけですから安静にしていれば、大丈夫ですよ」
そう言ってアドルフは軽く首を回した後、ポンチョに首を埋めブルッと身を震わせた。
「何か、かける物を持ってくるよ。どこにあるんだい?」
動けないアドルフの代わりに毛布を持ってこようと立ち上げる。
「…すみません」
アドルフは申し訳なさそうに頭を下げた後、ソファーを指差した。見ると色違いの毛布が綺麗に畳まれた状態でいくつか置かれていた。そこから二つ毛布を取り上げ、一つをアドルフの膝にかけ、もう一つは自分に絡めた。
「ありがとうございます」
「いいって」
初めて会った時と同じように二人して暖炉の火をただ静かに見つめる。
「…クッシュン」
しばらくすると、アドルフが小さくくしゃみをした。
「すみませんが、薪をもっとくめてもらっていいですか…?」
自分の肩を抱くようにして身震いするアドルフに頼まれ、ウォーレンが断るわけもなかった。
「あいよ」
暖炉の横にある薪をいくつか火の中へ放る。その時、ウォーレンの目はアドルフの右足にいった。右足はまだ靴を履いたままだった。
「…脱げないの?」
「何をです?」
「靴」
「…‥」
アドルフの顔がゆっくりとウォーレンに向けられる。それから自分の右足を器用に上げ、自分の視界に入れた。
「あ~、忘れてました。…いいですよ、このままで」
興味が失せたというように、力を抜き再び背もたれにもたれた。
「いやいや、それじゃ寛げないでしょ」
もう一度、アドルフの足元にひざまつく体勢になり、靴に手を伸ばす。
「ウォーレン…!いいですよ…ちょっと!」
やけに嫌がるアドルフの制止の言葉も聞かず、ウォーレンはアドルフの靴を脱がす。
「ウォーレン!」
「あ…」
脱がせてからウォーレンは後悔した。
現れたのは、腫れてはいないものの痛々しい傷跡が刻まれた足だった。傷跡は大分古い物のようだが、色白の肌ではかなり目立つ。
「…‥…」
「…っ…」
言葉を失うウォーレンの目から逃げるようにアドルフは毛布で足を隠した。
「…なんか、ごめん」
「…いいえ」
さっきまでとは打って変わって、気まずい空気になってしまった。
アドルフが靴を脱ごうとはしなかったのは、傷を見られたくなかったからだと理解したウォーレンはもっと早く察すれば良かったと頭を抱えた。
アドルフを盗み見ると、体を暖炉に向かせウォーレンから完全に顔を背けてしまっている。安楽椅子に左足を投げ出し毛布ごと右足を抱える形で座っていた。ポンチョに顔を埋め、表情が分からない。しかし、その肩は小刻みに震えているように見えた。
(聞かない方が、いいよな…)
なぜあんな傷があるのか気にならないわけではなかったが、アドルフは素性の知れないウォーレンのことを何も聞かなかった。なぜ森に倒れていたのか、なぜ傷を負っていたのか、何者なのか何も聞かなかった。何も聞かずに三日をも間ウォーレンの世話をし、懲りずに森に入ったウォーレンを助けたのだ。そんな恩人に対して既に隠し事をしているウォーレンは、無理してアドルフに傷のことを聞くことはできなかった。
「…‥あぁ、そうだ!あんた、紅茶は飲めるかい?」
「…‥?それなりには」
気まずい空気に耐え切れずにウォーレンは明るい口調で言った。
アドルフは少しだけポンチョから顔を上げ、不思議そうに答えた。
「そうか!…実は、友人から良い茶葉を貰ってね」
立ち上がり自分のコートの内ポケットを探る。
「…あったあった」
そこからアシュレイから貰った茶葉の入った缶箱を取り出した。
「特別の茶葉らしくてね。冷え症や熱に効くんだってさ」
缶箱をアドルフの目線に合わせてかざす。
「あんたへのお礼として持ってきたんだけど…どうかな?」
不安げにアドルフの顔色を伺う。
「…‥…」
アドルフは時折クンクンと鼻を動かし、興味深げに缶箱を見つめた。
(なんだか、小動物みたいだな…可愛い)
ニヤける頬をなんとか抑え込み、アドルフの反応を待つ。
「森の、香りがします」
「…あぁ、この森の薬草で作ったらしいからね」
ウォーレンが優しげな表情で微笑むと、アドルフはゆっくりと顔を上げた。
「飲んで、みるかい?」
興味を示してくれたことを確認し再度聞いてみると、アドルフはゆっくりと頷いた。
「…‥…」
「…‥…」
両手でカップを持ち飲むアドルフをウォーレンはじっと見た。
湯気の立つカップを見つめるアドルフの瞳が揺れる。伏せられたまつ毛が白い頬に影を落とす。フウフウと息を吹きかける唇が艶やかに煌めく。カップを持つ指は長くどの指の爪も綺麗に切り揃えられている。
「…じっと見られては、飲みにくいですが?」
不意に青い瞳がカップからウォーレンに向けられた。
「あ、ごめん。人に淹れるのは、慣れてなくてね…どうかな?」
「…‥熱いですね」
緊張した目で見つめるウォーレンに悪戯っ子の目で笑う。
「そ、それは、悪かったね」
「ふふっ」
楽しげに笑うアドルフに安堵した。
そこには、もうさっきまでの気まずさはなかった。
ようやく飲める温度になったのかアドルフはカップに口を付けた。ウォーレンは固唾を呑んで見守る。
「…どう、かな?」
「…‥…」
アドルフはじっくりと紅茶を舌の上で転がし味わう。その仕草だけでも優雅さがあった。
「悪くは、ありませんね」
片眉を上げてアドルフはそう言った。
「ふっ、それはそれは、光栄です」
座った体勢のままお辞儀をしたウォーレンにアドルフはクスクスと笑った。
ウォーレンも自分が淹れた紅茶に含んでみる。しかしあまりの暑さに吹き出しそうになってしまった。
「っ!ゴッホゴッホ」
「ふふっ、大丈夫ですか?」
楽しげに微笑むアドルフを前に照れ隠しで頬を掻く。
「こんなに熱かったか…」
「えぇ、本当ですよ」
「…次は気をつけるよ」
「…‥…」
「…アドルフ?」
不意にアドルフが黙り込んだ。
「アドルフ…?どうしたんだい?」
また何か言ってしまったかとアドルフを見上げると、アドルフは自分の手元に視線を落としていた。
「次…」
「?」
「次は、ですか…」
「え、何?」
アドルフはカップを握り締め、美しい顔を苦しげに歪めた。
「ウォーレン」
「な、なんだい?」
吸い込めれそうな真っ直ぐな青い瞳がウォーレンを射抜く。ウォーレンは嫌な予感がした。
「もう、ここへは、来るんではありません」
「え…」
突然の宣言にウォーレンは言葉を失くした。
言われたことにもショックを受けたが、何よりもそれを言った本人アドルフの表情が今にも泣き出しそうな程の悲しいような寂しいような、悔しげでもあって優しく笑っているような何とも言えない表情だったからだった。
「私には、もう…会いに来るんじゃない。いいですね?」
「…‥…」
子供に言い聞かせるように言うアドルフに困惑した。
「どうして…」
当然のようにウォーレンは首を振った。
「どうして、そんなことを言うんだい?もう会いに来るななんて…」
「…初めて会った時に言ったでしょう。私は、病気を持ってるんです」
「それは、移らないだろ?血かなんかでしか…心配はいらないと思うけど」
「ここは、危険過ぎます」
「こんな所に住んでるあんたが言うかい?それに…」
「私と居たらあなたまで不幸になる!!」
突然アドルフはこれまでに聞いたことない程の大声をあげた。
「アドルフ…」
「はぁ、はぁ、はぁ」
アドルフは今にも立ち上がりそうな勢いで興奮し肩で呼吸をする。髪の隙間から覗く青い瞳は見開かれ、ウォーレンに拒絶の意を訴える。はたと大声を上げた自分を恥じるように俯き固く口を閉ざした。
「…す、すいません…」
「いや…えっと…」
カタカタとカップをも震えさせながら、消えそうな程小さな声で謝るアドルフをウォーレンは責める気にはならず何かに怯えているようにも見えた。
声をかけようにもかけれず、何を言っていいのか分からなかった。
「…あ…‥」
「おや?」
気が付けばアドルフの大声で起きてしまったのか手当てされたウサギがアドルフの膝の上に移動し、もう一羽がウォーレンの膝の上に来た。
「…‥…ごめんなさい」
震える手がウサギに触れるか触れまいかとしていると、ウサギが自分から頭を擦り付けてきた。自分も膝の上にいるウサギを撫でながら、案外不器用かもしれない美しい青年を眺める。
「…歌」
「はい?」
再び舞い降りた気まずい空気に打ち破るようにウォーレンは口を開いた。
(訳は…アドルフが言いたくなったら聞けばいい。それまでは…待つよ、アドルフ)
アドルフがしてくれた気遣いをウォーレンも真似、敢えて詮索しないことにした。
「歌、聴かせて欲しいな。あの時に聴いた歌、他のでもいいけど…」
「…‥…いい、ですけど…どうして…?」
目をパチパチとアドルフはウォーレンを凝視する。
「実を言うとさ。あんたの歌が、もう一度聴きたくて来たんだ。…忘れられなくてね」
いささか困惑した反応を見せるアドルフはウォーレンの嘘のない笑みに少しは落ち着いたようだった。
「で、では…何かリクエストは、ありますか?」
「う~ん、そうだね~…あんたの歌なら、何でもいいかな」
「…そう、ですか…では…」
アドルフからカップを受け取り自分のカップと一緒に床に置くと、ほどなくして透き通る綺麗な鈴を転がしたような歌声が響いた。
星空に向かって フクロウが鳴くよ 良い子だ坊や さぁ眠りなさい
ラ~ラ~ル~ ラ~ラ~ル~ 草も 木々も 花も 眠りゆく 静かな夜に…‥
雲に羽根を休ませて そっとお眠りになさい 愛おしき天使よ
ラ~ラ~ル~ ラ~ラ~ル~ 星が煌めく 平和の夜に…‥
(…やっぱり、良い声だ…)
うっとりする歌声に目を閉じて身を委ねる。
ゆりかごに寝ているような錯覚が襲い、ウォーレンを睡魔の世界に誘う。
「…‥…」
「…‥…」
規則正しい呼吸が聞こえ、ウォーレンの胸がそれに合わせて上下する。
ウォーレンはアドルフが歌っている間に近くに寄り、アドルフの膝の上に頭を乗せて寝に入っていた。
「…自分から言っておいて、寝ますか…」
(まぁ、子守唄ですから仕方ないのか…)
いつの間にかウサギたちも寝息をたてている。
自分と同じように右に流されたウォーレンの髪は茶色かかった金髪で暖炉の火に反射し綺麗に煌めく。伏せられた瞳を覆う長いまつ毛が健康的な頬に影を落とす。そのまつ毛すら暖炉の火に照らされ煌めきを出す。呼吸をする唇から僅かに白い歯が覗き、魅惑的な唇も妖しく煌めく。
何もかもが輝いて見えるウォーレンに眩しそうに目を細めた。
(私とは、全然生きる世界が違う人間…輝く世界で生きる人…)
羨ましいと思いながら、そっと手を伸ばした。
「…っ…」
が、すぐに引っ込めてしまった。
「…‥…」
(こんな呪いさえ、なければ…‥)
引っ込めた手を反対の手で抑えるように胸の前に握る。
「…自由に、なりたい…‥」
自分の肩を抱き、溢れそうな涙を堪えた。
包帯が巻き終えたウサギを兄弟が待つ毛布を敷いた籠に戻す。モコモコと寄り添うウサギの背中を撫でながらアドルフは微笑む。
「じゃあ、次はアドルフの番だよ」
ウサギの手当てが終わったのを見届け、救急箱が仕舞われる前にアドルフに言った。
アドルフは不満そうにウォーレンを睨んだ。
アドルフの案内のもと家まで辿り着くと、二人は上着やコートなど暖炉で乾かしながらアドルフはウォーレンに救急箱とぬるま湯で湿らせたタオルを用意させると、自分の痛めた足を後回しにし先にウサギの手当てを始めてしまった。
ウォーレンが口を挟む暇も与えず、アドルフの手はさっさとウサギの体の汚れを丁寧に拭き取り傷を診た。そのあと丁寧な手つきで包帯を巻いていく。
口を挟む暇を与えてもらえなかったウォーレンは、諦めてアドルフの手当てが終わるのを待った。
ウサギの黒い毛並みが色白の手を引き立てる。爪先まで綺麗に整えられ、うっとりと見惚れてしまう。
じっと見られているはずなのに、アドルフは気にした様子もなく淡々と包帯を巻き続ける。
何度か痛めた足に視線をやる。
家に着いてからもアドルフは頑として靴を脱ごうとはしなかった。ウサギが先だと聞かなかったのだ。そのため、ウォーレンはいじらしい気持ちでアドルフの手当てが終わるのを待っていた。
「アドルフ」
上目遣いで睨まれようとウォーレンは首を傾けてもう一度名前を呼んだ。
逃げ切れないと悟ったアドルフは肩をすくめて、ウォーレンの肩を借りながら安楽椅子に腰かけた。
「靴、脱がすよ?」
「…さっさとやりなさい」
ぐったりと背もたれにもたれ、完全に脱力状態になるアドルフにウォーレンは苦笑した。
痛くないようにゆっくりと靴を脱がしていく。
「…っ…」
気を付けていても多少は痛みを感じてしまうようで、アドルフは時折唇を噛み肘掛を握りしめた。
自分の唇を噛みながら、ゆっくり脱がした靴から出てきたのは、見事に腫れ上がった足だった。
(これは、酷いなぁ…)
思ったよりも酷い状態に思わず眉間にシワが寄る。
恐る恐る氷水に浸したタオルを当てると、アドルフが小さく唸った。
「あぁ、ごめん」
謝罪するとアドルフは首を振って消えそうな声で「いえ、大丈夫です」と返した。
アドルフの顔色を伺いながら、ウォーレンなりに手当てを進める。
しかし、捻ったのか折れているのかウォーレンには判断できず、取り敢えず氷で冷やし足の向きを固定しつつ包帯を巻き付ける。
「う~ん…やっぱり、一応医者に診せた方がいいじゃないかな。思ったよりも酷いから…」
「街には、行きたくありません…」
手を動かしながら、そう提案するも目を閉じたままアドルフは首を振り続けた。
「じゃあ、こっちに来てもらう?」
違う提案をするも、アドルフは首を振った。
「でも…これ、どうしたらいいのか、俺分かんないよ?」
「…ただ、捻っただけですから安静にしていれば、大丈夫ですよ」
そう言ってアドルフは軽く首を回した後、ポンチョに首を埋めブルッと身を震わせた。
「何か、かける物を持ってくるよ。どこにあるんだい?」
動けないアドルフの代わりに毛布を持ってこようと立ち上げる。
「…すみません」
アドルフは申し訳なさそうに頭を下げた後、ソファーを指差した。見ると色違いの毛布が綺麗に畳まれた状態でいくつか置かれていた。そこから二つ毛布を取り上げ、一つをアドルフの膝にかけ、もう一つは自分に絡めた。
「ありがとうございます」
「いいって」
初めて会った時と同じように二人して暖炉の火をただ静かに見つめる。
「…クッシュン」
しばらくすると、アドルフが小さくくしゃみをした。
「すみませんが、薪をもっとくめてもらっていいですか…?」
自分の肩を抱くようにして身震いするアドルフに頼まれ、ウォーレンが断るわけもなかった。
「あいよ」
暖炉の横にある薪をいくつか火の中へ放る。その時、ウォーレンの目はアドルフの右足にいった。右足はまだ靴を履いたままだった。
「…脱げないの?」
「何をです?」
「靴」
「…‥」
アドルフの顔がゆっくりとウォーレンに向けられる。それから自分の右足を器用に上げ、自分の視界に入れた。
「あ~、忘れてました。…いいですよ、このままで」
興味が失せたというように、力を抜き再び背もたれにもたれた。
「いやいや、それじゃ寛げないでしょ」
もう一度、アドルフの足元にひざまつく体勢になり、靴に手を伸ばす。
「ウォーレン…!いいですよ…ちょっと!」
やけに嫌がるアドルフの制止の言葉も聞かず、ウォーレンはアドルフの靴を脱がす。
「ウォーレン!」
「あ…」
脱がせてからウォーレンは後悔した。
現れたのは、腫れてはいないものの痛々しい傷跡が刻まれた足だった。傷跡は大分古い物のようだが、色白の肌ではかなり目立つ。
「…‥…」
「…っ…」
言葉を失うウォーレンの目から逃げるようにアドルフは毛布で足を隠した。
「…なんか、ごめん」
「…いいえ」
さっきまでとは打って変わって、気まずい空気になってしまった。
アドルフが靴を脱ごうとはしなかったのは、傷を見られたくなかったからだと理解したウォーレンはもっと早く察すれば良かったと頭を抱えた。
アドルフを盗み見ると、体を暖炉に向かせウォーレンから完全に顔を背けてしまっている。安楽椅子に左足を投げ出し毛布ごと右足を抱える形で座っていた。ポンチョに顔を埋め、表情が分からない。しかし、その肩は小刻みに震えているように見えた。
(聞かない方が、いいよな…)
なぜあんな傷があるのか気にならないわけではなかったが、アドルフは素性の知れないウォーレンのことを何も聞かなかった。なぜ森に倒れていたのか、なぜ傷を負っていたのか、何者なのか何も聞かなかった。何も聞かずに三日をも間ウォーレンの世話をし、懲りずに森に入ったウォーレンを助けたのだ。そんな恩人に対して既に隠し事をしているウォーレンは、無理してアドルフに傷のことを聞くことはできなかった。
「…‥あぁ、そうだ!あんた、紅茶は飲めるかい?」
「…‥?それなりには」
気まずい空気に耐え切れずにウォーレンは明るい口調で言った。
アドルフは少しだけポンチョから顔を上げ、不思議そうに答えた。
「そうか!…実は、友人から良い茶葉を貰ってね」
立ち上がり自分のコートの内ポケットを探る。
「…あったあった」
そこからアシュレイから貰った茶葉の入った缶箱を取り出した。
「特別の茶葉らしくてね。冷え症や熱に効くんだってさ」
缶箱をアドルフの目線に合わせてかざす。
「あんたへのお礼として持ってきたんだけど…どうかな?」
不安げにアドルフの顔色を伺う。
「…‥…」
アドルフは時折クンクンと鼻を動かし、興味深げに缶箱を見つめた。
(なんだか、小動物みたいだな…可愛い)
ニヤける頬をなんとか抑え込み、アドルフの反応を待つ。
「森の、香りがします」
「…あぁ、この森の薬草で作ったらしいからね」
ウォーレンが優しげな表情で微笑むと、アドルフはゆっくりと顔を上げた。
「飲んで、みるかい?」
興味を示してくれたことを確認し再度聞いてみると、アドルフはゆっくりと頷いた。
「…‥…」
「…‥…」
両手でカップを持ち飲むアドルフをウォーレンはじっと見た。
湯気の立つカップを見つめるアドルフの瞳が揺れる。伏せられたまつ毛が白い頬に影を落とす。フウフウと息を吹きかける唇が艶やかに煌めく。カップを持つ指は長くどの指の爪も綺麗に切り揃えられている。
「…じっと見られては、飲みにくいですが?」
不意に青い瞳がカップからウォーレンに向けられた。
「あ、ごめん。人に淹れるのは、慣れてなくてね…どうかな?」
「…‥熱いですね」
緊張した目で見つめるウォーレンに悪戯っ子の目で笑う。
「そ、それは、悪かったね」
「ふふっ」
楽しげに笑うアドルフに安堵した。
そこには、もうさっきまでの気まずさはなかった。
ようやく飲める温度になったのかアドルフはカップに口を付けた。ウォーレンは固唾を呑んで見守る。
「…どう、かな?」
「…‥…」
アドルフはじっくりと紅茶を舌の上で転がし味わう。その仕草だけでも優雅さがあった。
「悪くは、ありませんね」
片眉を上げてアドルフはそう言った。
「ふっ、それはそれは、光栄です」
座った体勢のままお辞儀をしたウォーレンにアドルフはクスクスと笑った。
ウォーレンも自分が淹れた紅茶に含んでみる。しかしあまりの暑さに吹き出しそうになってしまった。
「っ!ゴッホゴッホ」
「ふふっ、大丈夫ですか?」
楽しげに微笑むアドルフを前に照れ隠しで頬を掻く。
「こんなに熱かったか…」
「えぇ、本当ですよ」
「…次は気をつけるよ」
「…‥…」
「…アドルフ?」
不意にアドルフが黙り込んだ。
「アドルフ…?どうしたんだい?」
また何か言ってしまったかとアドルフを見上げると、アドルフは自分の手元に視線を落としていた。
「次…」
「?」
「次は、ですか…」
「え、何?」
アドルフはカップを握り締め、美しい顔を苦しげに歪めた。
「ウォーレン」
「な、なんだい?」
吸い込めれそうな真っ直ぐな青い瞳がウォーレンを射抜く。ウォーレンは嫌な予感がした。
「もう、ここへは、来るんではありません」
「え…」
突然の宣言にウォーレンは言葉を失くした。
言われたことにもショックを受けたが、何よりもそれを言った本人アドルフの表情が今にも泣き出しそうな程の悲しいような寂しいような、悔しげでもあって優しく笑っているような何とも言えない表情だったからだった。
「私には、もう…会いに来るんじゃない。いいですね?」
「…‥…」
子供に言い聞かせるように言うアドルフに困惑した。
「どうして…」
当然のようにウォーレンは首を振った。
「どうして、そんなことを言うんだい?もう会いに来るななんて…」
「…初めて会った時に言ったでしょう。私は、病気を持ってるんです」
「それは、移らないだろ?血かなんかでしか…心配はいらないと思うけど」
「ここは、危険過ぎます」
「こんな所に住んでるあんたが言うかい?それに…」
「私と居たらあなたまで不幸になる!!」
突然アドルフはこれまでに聞いたことない程の大声をあげた。
「アドルフ…」
「はぁ、はぁ、はぁ」
アドルフは今にも立ち上がりそうな勢いで興奮し肩で呼吸をする。髪の隙間から覗く青い瞳は見開かれ、ウォーレンに拒絶の意を訴える。はたと大声を上げた自分を恥じるように俯き固く口を閉ざした。
「…す、すいません…」
「いや…えっと…」
カタカタとカップをも震えさせながら、消えそうな程小さな声で謝るアドルフをウォーレンは責める気にはならず何かに怯えているようにも見えた。
声をかけようにもかけれず、何を言っていいのか分からなかった。
「…あ…‥」
「おや?」
気が付けばアドルフの大声で起きてしまったのか手当てされたウサギがアドルフの膝の上に移動し、もう一羽がウォーレンの膝の上に来た。
「…‥…ごめんなさい」
震える手がウサギに触れるか触れまいかとしていると、ウサギが自分から頭を擦り付けてきた。自分も膝の上にいるウサギを撫でながら、案外不器用かもしれない美しい青年を眺める。
「…歌」
「はい?」
再び舞い降りた気まずい空気に打ち破るようにウォーレンは口を開いた。
(訳は…アドルフが言いたくなったら聞けばいい。それまでは…待つよ、アドルフ)
アドルフがしてくれた気遣いをウォーレンも真似、敢えて詮索しないことにした。
「歌、聴かせて欲しいな。あの時に聴いた歌、他のでもいいけど…」
「…‥…いい、ですけど…どうして…?」
目をパチパチとアドルフはウォーレンを凝視する。
「実を言うとさ。あんたの歌が、もう一度聴きたくて来たんだ。…忘れられなくてね」
いささか困惑した反応を見せるアドルフはウォーレンの嘘のない笑みに少しは落ち着いたようだった。
「で、では…何かリクエストは、ありますか?」
「う~ん、そうだね~…あんたの歌なら、何でもいいかな」
「…そう、ですか…では…」
アドルフからカップを受け取り自分のカップと一緒に床に置くと、ほどなくして透き通る綺麗な鈴を転がしたような歌声が響いた。
星空に向かって フクロウが鳴くよ 良い子だ坊や さぁ眠りなさい
ラ~ラ~ル~ ラ~ラ~ル~ 草も 木々も 花も 眠りゆく 静かな夜に…‥
雲に羽根を休ませて そっとお眠りになさい 愛おしき天使よ
ラ~ラ~ル~ ラ~ラ~ル~ 星が煌めく 平和の夜に…‥
(…やっぱり、良い声だ…)
うっとりする歌声に目を閉じて身を委ねる。
ゆりかごに寝ているような錯覚が襲い、ウォーレンを睡魔の世界に誘う。
「…‥…」
「…‥…」
規則正しい呼吸が聞こえ、ウォーレンの胸がそれに合わせて上下する。
ウォーレンはアドルフが歌っている間に近くに寄り、アドルフの膝の上に頭を乗せて寝に入っていた。
「…自分から言っておいて、寝ますか…」
(まぁ、子守唄ですから仕方ないのか…)
いつの間にかウサギたちも寝息をたてている。
自分と同じように右に流されたウォーレンの髪は茶色かかった金髪で暖炉の火に反射し綺麗に煌めく。伏せられた瞳を覆う長いまつ毛が健康的な頬に影を落とす。そのまつ毛すら暖炉の火に照らされ煌めきを出す。呼吸をする唇から僅かに白い歯が覗き、魅惑的な唇も妖しく煌めく。
何もかもが輝いて見えるウォーレンに眩しそうに目を細めた。
(私とは、全然生きる世界が違う人間…輝く世界で生きる人…)
羨ましいと思いながら、そっと手を伸ばした。
「…っ…」
が、すぐに引っ込めてしまった。
「…‥…」
(こんな呪いさえ、なければ…‥)
引っ込めた手を反対の手で抑えるように胸の前に握る。
「…自由に、なりたい…‥」
自分の肩を抱き、溢れそうな涙を堪えた。
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スラム育ちの少年二人は、15歳になり神の祝福でスキルを得た事で道をたがえる。彼らはやがて青年となり、片方は魔王討伐に旅立つ勇者として華々しい活躍をし、もう片方はただ彼の帰還を待つ相変わらずスラム暮らしの存在となる。
これは何も持たない青年がただ勇者の帰りを待つ日常を描いた作品です。
無自覚両片想いの勇者×親友。
読了後、もう一度だけ読み直して頂けると何か見える世界が変わるかもしれません。
偽りの聖者と泥の国
篠雨
BL
「感謝すら忘れた者たちに、明日を語る資格はない」
自らの都合で聖王セシルを追放し、異世界から新たな「勇者」を召喚したアドレアン聖王国。
しかし、その身勝手な選択が、国を、大地を、そして人々の心を根底から腐らせていく。
壊れゆく少年勇者と、彼を歪に愛した騎士。
二人の執着が交わったとき、聖王国は二度と再生不能な終焉へと突き進む。
裏切り者たちには、因果応報という名の、容赦なき報いが下る。
これは、傲慢な国が崩壊するまでの、無慈悲な記録。
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『嘘つき王と影の騎士』から引き続き読んでくださる皆様へ
この物語は、セシルを虐げた者たちが、ただただ因果応報の末路を辿るだけの物語です。
本編に救いはありません。
セシルたちのその後が気になるという方は、本編は飛ばして、最終話の後に掲載する「閑話」のみをお読みいただくことをお勧めいたします。
本作は『嘘つき王と影の騎士』の続編となりますが、前作をお読みでない方でも一つの物語としてお楽しみいただけます。
執着
紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。
隊長さんとボク
ばたかっぷ
BL
ボクの名前はエナ。
エドリアーリアナ国の守護神獣だけど、斑色の毛並みのボクはいつもひとりぼっち。
そんなボクの前に現れたのは優しい隊長さんだった――。
王候騎士団隊長さんが大好きな小動物が頑張る、なんちゃってファンタジーです。
きゅ~きゅ~鳴くもふもふな小動物とそのもふもふを愛でる隊長さんで構成されています。
えろ皆無らぶ成分も極小ですσ(^◇^;)本格ファンタジーをお求めの方は回れ右でお願いします~m(_ _)m
伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい
マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。
最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡)
世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。
完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました
美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!
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