札束艦隊

蒼 飛雲

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エピローグ

第72話 札束艦隊

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 正義は金では買えない。
 だが、悪は金で買える。
 窃盗から脅迫、それに殺しまで。
 悪いことなら何でもござれというプロフェッショナルはどこの国にも一定数存在する。
 依頼者は金を積むことで、自らの手を血で汚すこともなく目的を達成することができる。
 そういった連中に、チャーチルやスターリンの意を受けた者たちの戦力が上乗せされる。
 その主催は「海軍省戦争経済研究班」であり、後援あるいは協賛が英情報部ならびにNKGB。
 札田場敏太はそれらのスポンサーといった役どころだ。

 その舞台となる日本という国は周りを海に囲まれている。
 そのこともあって、日本人の多くは外敵の侵入は無いものだと油断しきっていた。
 だから、欧州の苛烈な裏の世界でしのぎを削ってきた英国やソ連の間諜たちにとって、ターゲットを始末するための段取りをつけることは容易だった。
 彼らは排除すべき人間のリストを「海軍省戦争経済研究班」の担当者から受け取っていた。
 実行役については、時に同班がその人材を提供している。

 米国との講和を成し遂げるには、この暗殺は必要悪とも言えるものだった。
 継戦を声高に叫ぶ連中が、しかもそれらが軍の中枢にいれば、戦争をやめることなどできっこない。
 だから、現世からさっさと退場してもらうことが必要だった。
 一方で、敏太はそれらとともに別の一手を繰り出していた。
 噂話を広めていたのだ。

 「死んだ連中は、一日も早い戦争の終結を祈念するお上の意に背いたことで、何者かに誅殺されたらしい」

 誤った情報、あるいは根拠の無い噂といった流言飛語は、金を積めばそれを広めてくれる連中は山のようにいる。
 その中で、信頼のおける者たちに誅殺の噂話を、しかも虚実ない交ぜな形にして市井に拡散してもらったのだ。
 さらに、敏太は米国との講和の環境づくりのために、ドイツに対する離反工作のようなものも実施していた。

 「ヒトラー総統の著作を読んだお上が、日本人の記述の部分について不快感を示された」

 これは、「海軍省戦争経済研究班」の山本大将、それに敏太による合作で、お上それに宮内省の関係者とともに一芝居打ったものだ。
 ヒトラー総統の著作には日本人を侮蔑あるいは侮辱するような個所が複数あった。
 ただ、この件についてはあまり公にはならず、問題ともなっていなかった。
 しかし、お上が気分を害すれば話は別だ。
 このことは新聞でも報じられ、アジア唯一の一等国の国民だという妙なプライドを持つ日本人の多くは憤激した。

 さらに、とどめとなったのが、お上がホロコーストに懸念を示されたという報道だった。
 国家ぐるみによる罪なき人たちに対する迫害あるいは虐殺という事実。
 それを知った日本人はその浅薄な正義感もあって、ドイツに対する感情が反転一八〇度となった。

 本来であれば、しかしこのようなことは新聞では報道されなかったはずだ。
 だが、そもそもとして新聞社というのはジャーナリズムを掲げながらも、一方でその実態はただの営利組織だ。
 正義や公正というのは建前で、自分たちに都合の良いものは報道し、都合の悪いものはだんまりを決め込む。
 それでも、都合の悪いものであっても、そのデメリットを上回る金を積まれればあっさりと報道してしまう。
 要は金次第なのだ。
 もちろん、新聞社としては当局の検閲に逆らうことはできない。
 しかし、そこは山本大将やあるいはその同志として振る舞っている陸軍高官が裏で手を回している。
 それと、当然のことながらそれら新聞社に大金を渡したのは敏太だ。
 彼は新聞社以外のマスコミに対しても、その金力をもってドイツに対する悪口雑言を書かせている。

 一方、日本国民の間で急速に悪化する対独感情に右往左往する親独派や継戦派は、しかしこれといった動きを取ることができない。
 いつ、自分が誅殺の対象になるか分かったものではないからだ。
 特に階級の高い者は我関せずを決め込んでおり、東條首相が暗殺されるに及んでその動きは決定的なものとなった。
 だから、米国との講和交渉の過程で三国同盟の破棄が取り沙汰された時も、彼らの動きは極めて鈍いものに終始していた。





 「海軍を辞められるのですか」

 少将への昇任を間近に控えた高木大佐が名残惜しそうに尋ねる。
 敏太は小さくうなずきつつ、その高木大佐に謝罪の言葉を述べる。

 「高木さんにはずいぶんと汚れ役を押し付けてしまいました」

 頭を下げる敏太に、しかし当の高木大佐は気にしないでほしいと苦笑を返す。
 東條首相を暗殺、その実行責任者こそが高木大佐だった。
 そして、それを指示したのが井上中将であり、工作資金を用立てたのが敏太だった。

 「彼のままであれば、米国との講和交渉は進まなかったでしょう。総理を米内さんにするためにも、あの仕事は必要だったのです」

 言葉を濁しているが、彼とは当時の東條首相であり、あの仕事というのは暗殺のことだ。
 この部屋には敏太と高木大佐しかいないが、しかし壁に耳あり障子に目ありという言葉もある。
 用心するに越したことはなかった。

 その敏太は海軍特務中佐の階級を返上し、これからはただの一般市民として生きていくことにしている。
 日本と米国の講和交渉は現在も継続中だ。
 しかし、その流れは確実に締結の方へと向かっている。
 米国はルーズベルト大統領にそのすべての責任を押し付け、一方の日本のほうは継戦派が力を失い、また国民も二年以上にわたる戦争に辟易し始めている。
 それになにより切実なのは、これ以上の戦争は国庫がもたないということだ。
 財政赤字それに国の借金はその危険水準をはるかに突破している。
 これ以上戦争を続けることなど出来ようはずもなかった。

 「ああ、それとさっきの質問の答えですが、海軍を辞めることで組織に迷惑をかける心配無しに好き勝手に振る舞えますからね。やっぱり自由が一番ですよ」

 敏太はさきほどの高木大佐の質問に答えるとともに、解決すべき事柄が多く残っていることも自覚している。
 日本の経済界は財閥に支配されている。
 それもあって、工業界は明らかに近代化に後れをとっている。
 農業も、小作人という奴隷を彷彿とさせるようなロクでもない制度が残ったままだ。
 人口の半分を占める女性を十全に活用することができない国家の体制あるいは国民の意識の変革も必要だ。
 それと、米国を相手に勝利を重ねた軍部は増長し、ますますその権限が肥大化するだろう。
 その軍部の暴走を抑えられない元凶である統帥権の存在もまた、頭の痛い問題だ。

 (いっそ、日本は負けたほうが良かったのではないか)

 突然わき上がった想念に、敏太は胸中で苦笑する。
 札束にものを言わせてつくり上げた艦隊で、散々に米国の横面を張り倒してきた自分が今さら何を言っているのだろうかと。


 (終)


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