婚約破棄されたはずなのに、溺愛が止まりません!~断罪された令嬢は第二の人生で真実の愛を手に入れる~

sika

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第15話 彼の腕の中で選ぶ未来

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夜の帳が下り始めたバランの街は、いつもの穏やかさを完全に失っていた。  
街門には兵が並び、通りには灯りが絶えず灯っている。  
王都の軍使を迎える準備という名の監視体制。  
その中心で指揮をとるディランの姿は、氷のように冷たく、凛としていた。  

「市の通りには一般人を通すな。万が一、王都の兵が奇襲をかけてもすぐ対応できるようにしておけ」  
「はっ!」  
命令を飛ばしながら、彼は心の奥で別の何かを押し殺していた。  

明朝、王使が来る。  
その隊には、王都の騎士団、さらには宰相直属の特務部も同行していると報告を受けた。  
つまり、これはただの“伝達”ではなく、査問に近い。  

彼らが何を目的にしているのか、わかりきっている。  
――アイリスを連れ戻すこと。  
王都の名において、彼女がどれだけの罪を背負わされたか。  
彼はそれを、今さら彼らに説明するつもりなど毛頭なかった。  

「将軍閣下」  
副官ルークが駆け寄る。  
「街の外れに不審な野営を見つけました。おそらく先遣隊です。王都の兵の紋章を確認しました」  
「もう動いているのか」  
「どうされます?」  
「こちらからは動くな。奴らに“我々が怯えている”と悟らせるわけにはいかん」  
「了解です」  

返答を聞くと、ディランはほんの一瞬だけ目を閉じた。  
ただの政治の駒として誰かを差し出すほど、自分は冷徹になれない。  
アイラ――いや、アイリスを犠牲にすることなど、ありえなかった。  

彼女と出会ってからの時間が、彼の人生を変えた。  
途切れかけていた心の灯に、再び火が灯った気がしたのだ。  

***  

同じ夜、療養所の灯はほとんど落とされていた。  
街の喧騒が遠く響く中、アイラはひとり机に向かっていた。  

紙の上に何度も手を止めながら、彼女は筆を置く。  
書いていたのは小さな手紙だった。  
誰に宛てるでもない――ただ、残したい言葉だけを綴っていた。  

『この場所で過ごした日々は、私のすべてでした。  
 生きていると認めてもらえなくても、あなたがいる世界で息をしていられたことが幸せでした』  

ペン先から落ちた涙が、紙の上に滲んだ。  
書いてはいけないと分かっていても、胸の奥の痛みが言葉に溢れる。  

「……私は、どうすればいいの?」  
囁きが空気に消える。  
この街は、自分がいたからこそ狙われている。  
人々は何も悪くない。  
ディランをこの渦中に引きずり込むことだけはしたくなかった。  

立ち上がり、外套を羽織る。  
彼の手の温もりが、まだ袖の内側に残っている気がした。  

――ここを離れよう。  
自分だけがいなくなれば、すべてが終わるはず。  

そう決意して、彼女は静かに扉に手をかけた。  
その瞬間、影が動いた。  

「どこへ行く気だ」  

驚いて振り返る。  
ディランが扉の前に立っていた。  
月明かりに照らされたその瞳は、夜の色をしている。  

「……話して。俺の知らないところで何を考えている」  
「あなたにだけは、迷惑をかけたくありません」  
「迷惑だと?」  
ディランの声がわずかに低くなる。  
「俺は、お前に救われた命だ。いつから俺のためを思うことが“迷惑”になった?」  
「でも、それでも私は――」  
言葉を探すが、喉が詰まって出てこない。  

彼は歩み寄り、彼女の肩を強く抱いた。  
「この街を守るために、俺は剣を振るってきた。  
けれど、お前を失うことほど俺を脅かすものはない」  

鼓動が近い。  
その声が、胸の奥に直接響く。  

「……でも、王都が来るんです。彼らは、きっと私を捕えるために」  
「わかっている」  
「あなたの地位を奪うことになるわ。あなたが責任を取らされて――」  
「それでも構わない!」  

声が重なり、夜が破れる。  
アイラは息を呑み、見上げる。  
ディランの目は真っ直ぐだった。  
氷のように冷えた金と、炎のように熱い激情が共に宿っている。  

「俺はもう“地位”なんてものに価値を感じていない。  
守るべきものはたったひとつだ。お前だ、アイラ」  
「……ディラン様」  
「お前がいなくなるくらいなら、王都も国も敵に回そう」  

思考が止まる。  
こんな強い言葉を自分のために口にしてくれる人がいる――その事実に胸が焼けるように熱くなった。  

震える声で問う。  
「あなたは、それで後悔しませんか?」  
「する。だが、離れるほうがもっと後悔する」  

その言葉を聞いた瞬間、何かが壊れた。  
理性でも、恐れでもなく、ずっと胸の奥で押さえつけていたものが解けていく。  

アイラは両手を伸ばし、彼の胸に額を押し付けた。  
「どうして……どうしてそんなふうに、私を選んでしまうんですか」  
「選ばずにいられない」  
「私がいなければ、あなたはもっと穏やかに生きられたのに」  
「違う。お前がいなければ、俺は生きていない」  

その一言で、彼女の目から涙があふれた。  
堰を切ったように、震える手が彼の背に回る。  
「……怖いです。あなたといると、幸せが怖い」  
「怖いなら、俺が隣で支える。お前が追われる限り、俺が刃となる」  

静かな誓いだった。  
言葉にはならない温度が、互いの間に満ちていく。  
アイラは顔を上げ、涙の跡を残したまま笑った。  

「……もう逃げません。もし私の存在があなたを傷つけるとしても、この手を離さない」  
「それでいい」  

次の瞬間、彼は彼女を抱き寄せた。  
強く、けれど壊さないように。  
冬に凍えた心をすべて包むような温もりに、アイラはその身を委ねた。  

「……私、信じてもいいですか?」  
「信じろ。お前が信じてくれなかったら、俺は立っていられない」  

互いの呼吸が重なり、時が止まる。  
やがてそっと離れると、ディランは彼女の頬を撫でた。  
「夜が明けたら、全てを話そう。王使を迎える前に、お前に聞いてほしいことがある」  
「……分かりました」  

その約束を交わした夜、部屋の外では風がざわめいた。  
遠くの空に、雲が不穏な速さで流れている。  
嵐の前の夜。  
けれど、彼女の心は不思議なほど静かだった。  

ディランの胸に抱かれながら、アイラは初めて人を信じることの重さを知る。  
それは鎖ではなく、絆だった。  
不確かな未来でも、この手を取り合っていれば進める――そう思えた。  

夜明けはもうすぐそこまで来ている。  
けれど、また新たな闇も忍び寄っていた。  
誰もそれに気づかぬまま、東の空がうっすらと白んでいく。  

続く
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