婚約破棄されたはずなのに、溺愛が止まりません!~断罪された令嬢は第二の人生で真実の愛を手に入れる~

sika

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第16話 愛を知らなかった男の告白

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夜明け前の空は、薄い青の中に夜の名残を残していた。  
軍司令部の中庭には冷たい風が漂い、鎧のきしむ音と馬の嘶きが遠く聞こえる。  
王国からの使者を迎える準備で、辺境軍の兵たちは緊張に満ちた動きをしていた。  
その静かな喧騒の中心に、ディラン=ヴァーミリオンの姿がある。  
背筋を伸ばしたその姿には、将の威厳と同時に、嵐のような決意が漂っていた。  

「将軍閣下、全兵配置完了しました」  
副官ルークが敬礼する。  
「よし。訪問団が見えるまで手を止めるな。……それと」  
ディランは少し声を落とす。  
「アイラをこの本部には近づけるな。護衛を三重に置け。彼女を王都の目に晒すわけにはいかん」  
「了解しました。しかし……」  
「……わかっている。だが、今は“待て”だけが最善だ」  

王太子の軍列が来るのは昼。  
それまでに策を整え、彼女を守り抜く道を探さねばならない。  
彼は胸の奥でそう繰り返す。  

視線を上げれば、空はようやく光を含み始めていた。  
白に近い光が冷たい城壁を照らす。  
その光を見つめながら、ディランはかすかに呟いた。  

「……戦場よりも厄介な朝が来るな」  

***  

一方その頃、療養所の奥。  
アイラはまだ夜の中にいた。  
ほんの数時間前まで、彼の腕の中で眠っていた温もりがまだ体に残っている。  
けれど、彼女の胸は激情と恐れに裂かれていた。  

外では兵たちの足音。  
軍の準備が進んでいる音。  
彼が何を決めたのか、薄々わかっていた。  

「……戦うつもりなのね、ディラン様」  
彼女の囁きが小さく空気を揺らす。  
暖炉の残り火の前に座り、両手を膝に置いた。  
目を閉じれば、遠い昔の声が蘇る。  

“お前を罰する”  
あの冷たく響いた王太子の声。  
そして今、彼女を守ると誓った男の声が重なる。  

“お前がいなくなるくらいなら、王都も国も敵に回そう”  

二つの声の狭間で、心が揺れる。  
信じたい。信じてはいけない。  
その思いが交錯し、涙を押し殺す。  

窓の外では、夜明けの光が静かに差し始めていた。  
その光に照らされながら、アイラは心の中でひとつの答えを出そうとしていた。  

***  

午前の空気は透き通るほど冷たかった。  
中庭に出たディランの耳に、馬車の音が響く。  
王都からの軍使の列だ。  
曇りのない鎧の輝き、王家の紋章を掲げた旗。  
その中央に、ひときわ豪奢な装飾を纏う人物がいた。  

「……王太子レオンハルト殿下」  
思わず口からその名が洩れる。  

兵士たちは礼を取り、門が開かれた。  
ディランは一歩前へ進み出る。  

「王都よりの使者を、よくぞこの辺境まで。お疲れ様です」  
形式的な挨拶。  
だが、王太子の瞳には微かな焦燥が宿っていた。  

「辺境の将軍よ、久しいな。  
……“癒しの聖女”の所在を探す王命を受けている」  
「癒しの聖女?」  
「とぼける気か?」  
レオンハルトの声が一段強まる。  
「お前の領内で、傷を治し、光を放つ女がいると報告を受けた。彼女を陛下の下へ送り届けよ」  

ディランはゆっくりと目を細めた。  

「その女が“罪を着せられ、死んだとされた令嬢”であったとしても、ですか?」  
レオンハルトの表情が硬直する。  
「……何を知っている」  
「すべてを。陛下にではなく、あなたに報告する価値があると思ってな」  

周囲にいた近衛の兵たちがざわつく。  
一瞬で空気が張り詰めた。  

ディランは手を上げ、兵士たちを制しながら言葉を続けた。  
「この私が預かっている“癒しの聖女”は、お前が断罪したあの日の令嬢・アイリス=レインフォードだ」  

その名が放たれた瞬間、レオンハルトの目が大きく見開かれた。  
「……生きているのか」  
「死んだと思い込んでいたようだが、生きている。いや、“生かされた”と言うべきか」  
「馬鹿な、彼女は……!」  
「生きて、そして王都が作った嘘を乗り越えてきた」  

沈黙が辺りを満たした。  
風が旗を鳴らし、砂塵が舞う。  
レオンハルトの表情には、動揺と、かすかな懺悔の色が浮かんでいた。  

「……会わせろ」  
「断る」  
ディランは即答した。  

「どうしてだ」  
「お前が彼女に何をしたか、分かっていないとは言わせん。  
王冠を背負う者が誰かを犠牲にして成立するなら、そんなものは偽りの王権だ」  

睨みつけるような視線がぶつかる。  
ディランの言葉に、兵たちの喉が鳴った。  
けれど王太子は怒鳴らなかった。  
肩の力が抜けたように深く息を吐き、呟く。  

「……私は、彼女を愛していた」  

思わぬ言葉に、ディランの眉がわずかに動く。  
「愛していた?」  
「ああ。しかし、あの時の私は愚かだった。  
周囲の嘘と讒言に呑まれ、真実を見ようとしなかった。  
王として選ばれた立場を守るために、彼女を切り捨てた」  

彼の声は氷雨のように冷たく、同時に深い悲しみに満ちていた。  

「それから何を得た? 何を守れた?」  
ディランが静かに問う。  
「……何も。私は、何も守れなかった。  
セリアも、愛したはずの女も、結局、己の手で壊した」  

その告白に、辺境の兵士たちは息を呑む。  
王太子がここまで弱さを見せるのは誰も見たことがなかった。  

ディランはその姿を見つめ、ゆっくりと剣の柄に手を置いた。  
「愛を知らなかった者の末路だな」  
「そうだ。だが、今からでも償いたい。  
せめて、彼女が生きていることを自分の目で確かめたい」  

ディランはしばらく黙し、やがて背を向けた。  
「……簡単には会わせられん。お前が口にする“償い”は、王としてではなく、人として語るべきだ」  
「ディラン=ヴァーミリオン、私を人として導いてくれと願うのは、間違いか?」  

ほんの一瞬――ディランの瞳にためらいが浮かぶ。  
その表情を見て、彼はようやく悟った。  
この男もまた、愛を学ぶ途中なのだと。  

***  

夜。  
アイラはその知らせを受け、胸の奥が深く震えていた。  
王太子が来た。  
かつて自分を断罪した男が、今、会いたいと願っている。  

「……どうすればいいの」  
彼女は窓から夜空を見上げる。  
月は静かに輝き、まるで問いかけに答えるように薄く光った。  

背後から、ディランの声がする。  
「俺の選択が正しいとは限らない。だが、もう後戻りはできない」  
「あなたに、すべてを託します」  
「いや、お前自身で決めろ」  
「え?」  
「明日、奴が直接お前に会うことを望むだろう。そのときどうするかを、決めるのはお前だ」  

沈黙ののち、アイラはゆっくり頷いた。  
「……怖い。でも逃げたくない。今度こそ、真実を見せてやる」  
「それでいい」  

ディランは彼女の肩に手を置く。  
「恐れるな。俺はどんな結果でも受け止める」  
「あなたがそう言ってくれるだけで、歩けます」  

互いの影が重なり、月光に溶けた。  
彼女の胸の中には、不思議な静けさが広がっていく。  
怯えて震えた夜を、ようやく越える準備が整ったのだ。  

夜風が窓を叩く。  
遠くで、王都の陣営の鐘が鳴り響く。  
誤った愛が壊し、まだ守られている真の愛がここにある。  

そして朝が来れば、三人の運命はついに交わる。  

続く
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