婚約破棄されたはずなのに、溺愛が止まりません!~断罪された令嬢は第二の人生で真実の愛を手に入れる~

sika

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第26話 すべてを赦した涙

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朝靄が晴れ、焼け焦げた王都を包むように柔らかな陽光が降り注いだ。  
昨日までの光景が夢だったように、廃墟となった街にも静けさが戻りつつある。  
瓦礫を運ぶ兵、傷の手当を受ける民、そして祈りを捧げる修道女たち。  
彼らの間を歩くのは、一人の女――アイラ、かつてのアイリス・レインフォード。  
薄い布に包まれた白い手が、触れるだけで人々の傷を癒していく。  

「聖女様……」  
誰かが呟く。それに彼女はただ微笑んで首を横に振った。  
「私は聖女ではありません。あなたたちと同じ、ひとりの人間です」  
それでも、その言葉には人々の心を温める不思議な力があった。  

世界が崩れ、そして救われたあの夜。  
命を懸けて戦った男が、まだあの広場の片隅で眠っている。  
ディランは右腕に深い傷を負い、三日のあいだ意識を取り戻さなかった。  

***  

王城跡地の仮設医務舎。  
扉を開けると、風がやさしく揺れる。  
ベッドの上、しわのついた白いシーツに包まれたディランの姿。  
頬はこけているが、呼吸は穏やかで、確かに生きていた。  

「……お前が来ると思っていた」  
弱々しい声が返る。  
アイラはハッとしてベッドに駆け寄る。  
「目を覚ましたんですね!」  
「お前の声が聞こえた気がしたんだ。……多分、あの光の中でも」  

彼はゆっくりと彼女の手を取り、その指に自分の指を絡めた。  
「終わったのか」  
「ええ。王都はもう戦をやめました。レオンハルト様も、市民と一緒に復興を始めています。  
戦で傷ついた人々も、少しずつ笑顔を取り戻しているわ」  
「そうか……」  
ディランの声には深い安堵と同時に、疲労の影があった。  
そして、どこか置いてきた過去を探すように目を閉じる。  

「昔、俺は戦場で決めていたんだ。剣で守れない命は見送るだけだと。  
けれど、お前を見て、それが間違いだと分かった。守るってのは、命を誰かに繋げることなんだな」  
「ディラン様……」  
「お前がいてくれて、本当によかった」  
「私も……あなたがいてくれたから、生き直すことができたわ」  

言葉が静かに溶け合う。  
二人の手の温もりが、過ぎた日々の痛みを包み込んでいくようだった。  

アイラは彼の額に手を置いた。  
その瞬間、胸に熱いものが込み上げてくる。  
恐れでも悲しみでもない。  
すべてを赦すための涙だった。  

あの日、断罪の場で流せなかった涙。  
裏切りの夜にも、逃げる途中にも流せなかった涙。  
今、ようやく頬を伝って落ちた。  
それは過去と決別するための最後のしずく。  

ディランはその涙をそっと指で拭った。  
「泣き顔も似合うな」  
「ひどいわ……今さらそんなことを言って」  
「でも、ようやく泣けたんだろう?」  
「……ええ。私、全部赦せました。殿下も、王も、あの日の自分も」  
「それならもう怖いものはないな」  
「ええ。怖くないわ」  

アイラが笑うと、ディランも微笑んだ。  
その笑顔は戦場の英雄ではなく、穏やかに春を待つ男のものだった。  

「これから、どこへ行く?」  
「辺境に戻るの。あそこにはまだ、戦火で荒れた村がたくさんあるの」  
「俺も行っていいか?」  
「もちろんです。……でも、傷が完全に癒えてからですよ」  
「お前が側にいれば、すぐにでも治る気がする」  
「また冗談を言って……」  
小さな笑い声が二人の間を漂った。  

***  

その夜、王都に灯りが戻った。  
広場では民たちが集まり、小さな松明を掲げて空を仰いでいる。  
焦土と灰の上に植えられた一本の苗。  
それは“希望”と名付けられた樹だった。  

アイラとディランもその光景を見つめていた。  
彼女は静かに呟く。  
「まるで、生まれ変わるみたい……」  
「人も国も同じだ。倒れても立ち上がる。  
その度、誰かが手を伸ばす。それが続く限り、滅びることはない」  
「あなたの言葉は、やっぱり温かいですね」  

ディランは肩をすくめた。  
「温かいどころか、俺はお前に甘えてばかりだ」  
「いいんです。私は、あなたの隣にいるために生きてきたようなものですから」  
「……それはずるい言葉だな」  
「ふふ」  

春風がふわりと吹き抜け、夜空に浮かぶ星がひと際輝いた。  
その下で、二人は並んで立ち、燃えかけた王都の灯りを見渡す。  
互いの肩が触れるたびに、確かめ合う。  
戦いが終わり、ようやく掴んだ小さな安らぎ。  

「これから先、何があっても、私はもう逃げない」  
「俺もだ。もう二度と、お前をひとりにはしない」  
「……約束ですよ」  
「約束だ」  

手と手が重なる。  
その瞬間、風がふたりの頬を撫で、遠くで鐘が鳴った。  

アイラは夕焼けの残る空を見上げ、静かに目を閉じた。  
やっと訪れた安らぎ。  
その中で彼女は心から願う。  

――この光が、誰かの心に届きますように。  

彼女の唇から、祈りのような微笑が零れた。  
そしてディランが優しく抱き寄せたとき、  
もう二人の間に過去の影はなかった。  

赦しも、愛も、憎しみさえも。  
すべてを包み、受け止めるほどの静けさがそこにあった。  

外では、春の初めの雨が降り出していた。  
灰を洗い、血を流し、そして新しい命を呼ぶ雨。  
アイラの涙のように優しいその雨は、音もなく世界を清めていった。  

やがて夜風がその香りを運び、遠くの空に虹の端が薄く見えた。  
すべてを赦した涙がやがて花を育て、誰も知らない明日を咲かせていく。  

続く
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