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第19話 護ると誓う人
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朝の光が大理石の床を染めていた。
昨夜の夢のような静けさは消え、現実が再び日常を押し寄せる。
リリアナは鏡の前に座って髪を整えながら、唇に残る熱の感触を指でなぞった。
まるで自分ではない誰かが、あの一夜を生きたような気がする。
けれど、確かにあの瞬間、彼の温かさはそこにあった。
「女としての私ではなく、人として愛された」
その意味を思うたび、胸の奥が細やかな痛みと共に満ちる。
愛など遠くに置いてきたはずだった。二度と誰かを信じることはないと決めたのに。
なのに今、ふとした瞬間に名前を呼びたくなる。
――アルヴェン。
ノックの音が彼女の思索を中断させた。
「リリアナ顧問、お時間です」
セリーヌの声に我に返る。
今日は新制度施行後の初議会。
地方からの代表が到着し、王城の大広間はすでに熱気に包まれているはずだった。
頬に軽く紅を差し、彼女は椅子を立つ。
◆
王座の間。
正面に陛下、左右に宰相レオニードとアルヴェン、その後方に補佐官たちが並ぶ。
大理石の床に真新しい記章をつけた役人たちが続々と入場してくる。
リリアナは壇上の端に立ち、書類を手にした。
誰の目も彼女を恐れていない――それどころか、敬意と信頼の色があった。
彼女の提案は現実の制度として初めて実を結び、今や「宰相府の柱」と呼ばれている。
「本日より地方分権法が正式に施行される。顧問リリアナ・エルディンは、その第一監査任務に就く」
宰相の声が響く。
その宣言に拍手が起こった。
王すらも満足げに頷き、微笑を浮かべる。
だが、アルヴェンだけは表情を引き締めていた。
その違和感に気づいたのは、リリアナだけだった。
会議が終わった後、王城の庭の一角で二人は人目を避けた。
風が白い花弁を揺らし、陽差しの影が緑の上を滑る。
「何か、ありましたね?」
「勘が鋭い」
「貴方の顔を見れば分かるわ。どの報告書より正確よ」
アルヴェンが小さく息を吐いてから、周囲を見渡した。
「ルクレイスの一部残党が、王都への潜入を企てている。昨日、宰相閣下の直属諜報が掴んだ」
「残党?」
「失脚したクロエの商会関係者たちが組織した小派閥。表向きは貿易使節団の護衛部隊だが、正体は雇われ兵。計画を変更し、ヴェルディア宰相府の要人を狙う意図があるらしい」
「要人……ということは」
「君だ、リリアナ」
その一言に、彼女は息を止めた。
「私を狙う理由なんてもうないはず」
「表に出れば、改革の象徴を潰すことが一番の反撃になる。理を失えば国は混乱する。敵にとっては、それが一番の狙いだ」
「……この国は取り戻したばかり。混乱を起こさせるわけにはいかないわ」
「だからこそ、私が動く」
アルヴェンの瞳は鋭く、決意の光を宿していた。
「護衛の人数を倍に増やす。今後しばらくは、君の行動はすべて私の監督下に入る」
「監督、ですか。まるで囚人みたいね」
「ああ、君みたいな囚人なら喜んで見張る」
「……冗談よね?」
「半分は本気だ」
「もう、やめて」
苦笑しながらも、頬がわずかに染まるのを抑えられなかった。
アルヴェンの手がそっと肩に触れ、柔らかく力を加える。
「お願いだ。これは職務ではなく、個人としての願いだ。君を守りたい」
「……アルヴェン」
「先日の夜、私は理を捨てたと思った。でも違う。理があるからこそ君を護りたい。君はただの人間じゃない。この国の心だ」
その真剣さに押され、リリアナは言葉を失った。
沈黙の中で、風が二人の間を抜けていく。
「いつか……」
彼が続けた。
「いつか、君がもう戦わなくてもいい日が来たら、その時は俺にその背を預けてほしい」
「……預けたら、何をしてくれるの?」
「守る。君が流す涙も笑顔も、その全部を」
リリアナの喉が熱で締めつけられた。
目の奥に涙が滲む。
「そんなことを言われたら、また強くならなきゃって思ってしまうわ」
「それでいい。君は誰より強く、美しい」
彼が一歩踏み出した瞬間、花弁が舞い上がる。
まるで季節が二人を祝福しているかのように、白い花が風に流れた。
リリアナはその景色の中で、彼の瞳をじっと見つめた。
「もしまた過去に戻れても、私は同じ道を選ぶでしょうね。あの破滅も、涙も、全部あったから今の私がある。……だから、守られるだけではいられない」
「分かってる。君は戦う人だ。そして俺は、その後ろで剣を抜く」
「そんな風に言うと、まるで誓いの言葉みたい」
「誓いだよ、リリアナ」
アルヴェンの声は静かに低く、空に溶ける。
「これは国家のためでも、王のためでもない。“君を護る”と、この身に刻む誓いだ」
その言葉に、胸の奥が熱く震えた。
そしてリリアナは、微笑を浮かべながら囁いた。
「――なら、私はその誓いを信じましょう」
彼の腕がそっと彼女の背に回る。
遠くで鐘の音が響いた。
花の香りが舞い、二人の影がひとつに重なる。
◆
数日後。
王都の空気は穏やかに見えて、裏ではざわめきが広がっていた。
ルクレイス残党の小勢力が国境地帯で動いたとの報告が届いたのだ。
だが、報告の中には新たな名があった。
“匿名の者より、宰相府顧問リリアナ・エルディン暗殺の指令が出ている”
アルヴェンの眉が険しくなる。
その横でリリアナは顔色を変えず、書簡を握りしめた。
「本当に来るのね」
「必ず私が止める」
「ええ、信じてる。でも――もしもの時は」
「もしもの時なんて、考えない」
「それでも聞いて。もし私が何かを失っても、貴方だけは前を向いて」
「……君は、本当に人の心を試す女だ」
アルヴェンが深く息を吐き、静かに微笑んだ。
「分かった。だがその代わり、君も生き延びろ」
「約束します」
「約束だ」
二人の手が触れ合う。
その瞬間、彼の誓いが現実のものになる音が聞こえた。
「必ず守る。この命に代えても」
「だったら私は、貴方を信じて進む」
「それでいい。君は進め。俺が護る」
その夜、ヴェルディアの空に満月が昇った。
光が街を覆い、二人の誓いだけが静かに輝き続けた。
護る人と、護られる人。
いや、どちらも戦う人だった。
互いの未来のために、もう後戻りなどできない。
風が吹き抜ける――それは嵐の始まりの合図だった。
続く
昨夜の夢のような静けさは消え、現実が再び日常を押し寄せる。
リリアナは鏡の前に座って髪を整えながら、唇に残る熱の感触を指でなぞった。
まるで自分ではない誰かが、あの一夜を生きたような気がする。
けれど、確かにあの瞬間、彼の温かさはそこにあった。
「女としての私ではなく、人として愛された」
その意味を思うたび、胸の奥が細やかな痛みと共に満ちる。
愛など遠くに置いてきたはずだった。二度と誰かを信じることはないと決めたのに。
なのに今、ふとした瞬間に名前を呼びたくなる。
――アルヴェン。
ノックの音が彼女の思索を中断させた。
「リリアナ顧問、お時間です」
セリーヌの声に我に返る。
今日は新制度施行後の初議会。
地方からの代表が到着し、王城の大広間はすでに熱気に包まれているはずだった。
頬に軽く紅を差し、彼女は椅子を立つ。
◆
王座の間。
正面に陛下、左右に宰相レオニードとアルヴェン、その後方に補佐官たちが並ぶ。
大理石の床に真新しい記章をつけた役人たちが続々と入場してくる。
リリアナは壇上の端に立ち、書類を手にした。
誰の目も彼女を恐れていない――それどころか、敬意と信頼の色があった。
彼女の提案は現実の制度として初めて実を結び、今や「宰相府の柱」と呼ばれている。
「本日より地方分権法が正式に施行される。顧問リリアナ・エルディンは、その第一監査任務に就く」
宰相の声が響く。
その宣言に拍手が起こった。
王すらも満足げに頷き、微笑を浮かべる。
だが、アルヴェンだけは表情を引き締めていた。
その違和感に気づいたのは、リリアナだけだった。
会議が終わった後、王城の庭の一角で二人は人目を避けた。
風が白い花弁を揺らし、陽差しの影が緑の上を滑る。
「何か、ありましたね?」
「勘が鋭い」
「貴方の顔を見れば分かるわ。どの報告書より正確よ」
アルヴェンが小さく息を吐いてから、周囲を見渡した。
「ルクレイスの一部残党が、王都への潜入を企てている。昨日、宰相閣下の直属諜報が掴んだ」
「残党?」
「失脚したクロエの商会関係者たちが組織した小派閥。表向きは貿易使節団の護衛部隊だが、正体は雇われ兵。計画を変更し、ヴェルディア宰相府の要人を狙う意図があるらしい」
「要人……ということは」
「君だ、リリアナ」
その一言に、彼女は息を止めた。
「私を狙う理由なんてもうないはず」
「表に出れば、改革の象徴を潰すことが一番の反撃になる。理を失えば国は混乱する。敵にとっては、それが一番の狙いだ」
「……この国は取り戻したばかり。混乱を起こさせるわけにはいかないわ」
「だからこそ、私が動く」
アルヴェンの瞳は鋭く、決意の光を宿していた。
「護衛の人数を倍に増やす。今後しばらくは、君の行動はすべて私の監督下に入る」
「監督、ですか。まるで囚人みたいね」
「ああ、君みたいな囚人なら喜んで見張る」
「……冗談よね?」
「半分は本気だ」
「もう、やめて」
苦笑しながらも、頬がわずかに染まるのを抑えられなかった。
アルヴェンの手がそっと肩に触れ、柔らかく力を加える。
「お願いだ。これは職務ではなく、個人としての願いだ。君を守りたい」
「……アルヴェン」
「先日の夜、私は理を捨てたと思った。でも違う。理があるからこそ君を護りたい。君はただの人間じゃない。この国の心だ」
その真剣さに押され、リリアナは言葉を失った。
沈黙の中で、風が二人の間を抜けていく。
「いつか……」
彼が続けた。
「いつか、君がもう戦わなくてもいい日が来たら、その時は俺にその背を預けてほしい」
「……預けたら、何をしてくれるの?」
「守る。君が流す涙も笑顔も、その全部を」
リリアナの喉が熱で締めつけられた。
目の奥に涙が滲む。
「そんなことを言われたら、また強くならなきゃって思ってしまうわ」
「それでいい。君は誰より強く、美しい」
彼が一歩踏み出した瞬間、花弁が舞い上がる。
まるで季節が二人を祝福しているかのように、白い花が風に流れた。
リリアナはその景色の中で、彼の瞳をじっと見つめた。
「もしまた過去に戻れても、私は同じ道を選ぶでしょうね。あの破滅も、涙も、全部あったから今の私がある。……だから、守られるだけではいられない」
「分かってる。君は戦う人だ。そして俺は、その後ろで剣を抜く」
「そんな風に言うと、まるで誓いの言葉みたい」
「誓いだよ、リリアナ」
アルヴェンの声は静かに低く、空に溶ける。
「これは国家のためでも、王のためでもない。“君を護る”と、この身に刻む誓いだ」
その言葉に、胸の奥が熱く震えた。
そしてリリアナは、微笑を浮かべながら囁いた。
「――なら、私はその誓いを信じましょう」
彼の腕がそっと彼女の背に回る。
遠くで鐘の音が響いた。
花の香りが舞い、二人の影がひとつに重なる。
◆
数日後。
王都の空気は穏やかに見えて、裏ではざわめきが広がっていた。
ルクレイス残党の小勢力が国境地帯で動いたとの報告が届いたのだ。
だが、報告の中には新たな名があった。
“匿名の者より、宰相府顧問リリアナ・エルディン暗殺の指令が出ている”
アルヴェンの眉が険しくなる。
その横でリリアナは顔色を変えず、書簡を握りしめた。
「本当に来るのね」
「必ず私が止める」
「ええ、信じてる。でも――もしもの時は」
「もしもの時なんて、考えない」
「それでも聞いて。もし私が何かを失っても、貴方だけは前を向いて」
「……君は、本当に人の心を試す女だ」
アルヴェンが深く息を吐き、静かに微笑んだ。
「分かった。だがその代わり、君も生き延びろ」
「約束します」
「約束だ」
二人の手が触れ合う。
その瞬間、彼の誓いが現実のものになる音が聞こえた。
「必ず守る。この命に代えても」
「だったら私は、貴方を信じて進む」
「それでいい。君は進め。俺が護る」
その夜、ヴェルディアの空に満月が昇った。
光が街を覆い、二人の誓いだけが静かに輝き続けた。
護る人と、護られる人。
いや、どちらも戦う人だった。
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風が吹き抜ける――それは嵐の始まりの合図だった。
続く
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