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第11話 彼の目に映る令嬢
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夕方の陽が、侯爵家の白い外壁を金色に染めていた。庭の噴水が淡い光をまとい、小鳥たちのさえずりが穏やかに響く。そんな穏やかな光景の中で、リディアは椅子に腰掛け、夜会に備えた支度を整えていた。
視線の先では、侍女たちが忙しなく動き、鏡越しに映る彼女の姿を見て息を呑む。
「まるで、天上の姫のようですわ、お嬢様。」
ミラが感嘆まじりに言うと、リディアは微かに微笑んだ。
「それは髪飾りのおかげね。エドガー様にいただいたものよ。」
光を受けて輝くその髪飾りは、銀と青の宝石が繊細に編まれたものだった。王太子時代、アレクシスから贈られた宝石は、どれも赤を基調にしていたのに。
ふと、その違いに気づいて自分でも苦笑した。
(昔の私は、“殿下の妃”にふさわしい色を選んでいたのね。)
「お嬢様、もうお時間です。」
「ええ。」
扉が開かれ、エドガーが現れる。
黒に近い群青の礼服をまとう彼は、いつもの穏やかさに加え、今日は少し緊張しているように見えた。
「お迎えにあがりました。ご準備はよろしいですか?」
「ええ、いつでも。」
二人は侯爵家の馬車に乗り込み、晩餐会の会場であるハートフィールド邸へと向かった。
すでに王都中が注目する夜会。各家からの招待客が押し寄せ、その主催が“公爵家次男と元王太子婚約者”というだけで、誰もが興味を隠せないでいた。
馬車の中で、リディアは小さく息をつく。
「こんなに注目されるのは、少し落ち着かないわね。」
「それだけ、あなたに目を奪われる人が多いということですよ。」
「お上手ね。でも、私が恐れられているだけかもしれません。」
「違います。」
エドガーの声はいつもより強かった。
「あなたはもう“哀れな元婚約者”ではない。新しい光を放っている。その光に、誰もが焦がれているんです。」
その真っ直ぐな言葉に、リディアは一瞬だけ胸を押さえた。
「……優しいのね。」
「貴女に優しくしたいと思うことは、罪ではないでしょう?」
「……いえ、嬉しいわ。」
彼女は窓の外に目を向けた。王城の尖塔が、遠くの灯に溶けていく。過去の象徴が、ゆっくりと遠ざかるように。
ハートフィールド邸に到着すると、豪奢なシャンデリアが輝く会場に歓声があがった。
「本当にお似合いのお二人だわ」「噂以上ね」「殿下は、もう彼女を取り戻せまい」
そんな囁きが次々と響く。
リディアは微笑を崩さぬまま、すべてを受け流した。
その姿は、まるで完璧な仮面のようでもありながら、不思議と柔らかさを持っていた。
エドガーは静かに彼女の手を取った。
「ここでは、誰もが見ています。手を離さないで。」
「ええ。」
その手は温かく、包み込むようだった。王太子時代に触れられた掌の冷たさとは違う。触れるだけで、そこに“生きた体温”があった。
音楽が始まり、二人の舞踏が静かにフロアに流れる。
リディアのスカートがふわりと広がり、エドガーの腕に導かれるように動く。
その光景を、誰もが息を呑んで見つめた。
ふと、視線を感じて顔を上げる。
そこには、想像した通りの人物がいた。
――アレクシス・グランベルク王太子。
彼は一切の笑みを持たず、会場の隅から彼女を見つめていた。
周囲から見れば、ただの来賓のひとりのように振る舞っていたが、その瞳だけが鋭く光っている。
リディアは一瞬だけ視線を合わせ、すぐに逸らした。
エドガーがその変化を感じ取り、小さく囁く。
「彼が来ていますね。」
「ええ。見間違えるはずがありません。あの目は、わたくしを査定する時の目ですもの。」
「怖いですか?」
「……違うわ。どちらかといえば、なんだか哀れに思えるの。」
曲が終わり、拍手が響く。
リディアとエドガーは軽くお辞儀をし、人々に囲まれる。
その隙を狙うようにして、アレクシスが歩み寄った。
群衆が息を呑み、空気が一瞬で張りつめる。
「……久しいな。」
低く抑えた声。アレクシスはエドガーを一瞥し、視線をリディアへ移した。
「まさか公爵家の宴に出るとは思わなかった。」
「ご招待いただきましたもの。断る理由がございませんわ。」
リディアの返答は完璧だった。穏やかで、けれど決して一歩も引かない。
「殿下こそ、珍しく民間の宴へお出ましとは。」
「王都の平穏を確かめに来ただけだ。」
「でしたらご安心ください。いまのわたくし、たいそう平穏ですわ。」
周囲に微かな笑いが広がる。
王太子の目に一瞬怒りが宿ったが、すぐに抑え込むように唇を結んだ。
「……随分強くなったな。」
「殿下が弱い私を望まなかったからですもの。」
アレクシスが言葉を失う。
エドガーが静かに二人の間に入った。
「殿下、私どもが注目を集めてしまいましたね。どうかお許しを。」
「……構わない。」
絞り出すようにそう言うと、アレクシスは背を向けた。
だが、その足取りは重かった。
(なぜだ……この胸の痛みは何だ。)
怒りとも悔しさともつかぬ感情が、胸を焼くように広がっていく。
再び踊り出した会場の中央で、リディアは静かな笑みを浮かべた。
「殿下にも優雅にお引き取りいただけたわね。」
「君は本当に恐ろしい人だ。」
エドガーの冗談に、リディアはくすりと笑う。
「恐ろしいというより、ようやく“私”になれた気がするの。」
その目に映るのは、もう王太子の影ではなかった。
それを見つめるエドガーの胸に、静かな感情が満ちていく。
憧れにも似た、しかしもっと温かな何か。
(ああ、やはり彼女を好きになってしまったのだな。)
彼は杯を手にし、リディアに微笑を向けた。
「私の隣にいてください、今夜だけでも。」
「わたくしの役目は“偽りの婚約者”。でも……今夜ぐらいは、役を忘れてもいいかしら?」
「ええ、それでいい。」
二人の笑みが重なる。周囲の喧騒が遠くに霞んでいった。
そして、誰よりも熱くその光景を見つめる男の視線だけが、会場の片隅で赤く燃えていた。
(続く)
視線の先では、侍女たちが忙しなく動き、鏡越しに映る彼女の姿を見て息を呑む。
「まるで、天上の姫のようですわ、お嬢様。」
ミラが感嘆まじりに言うと、リディアは微かに微笑んだ。
「それは髪飾りのおかげね。エドガー様にいただいたものよ。」
光を受けて輝くその髪飾りは、銀と青の宝石が繊細に編まれたものだった。王太子時代、アレクシスから贈られた宝石は、どれも赤を基調にしていたのに。
ふと、その違いに気づいて自分でも苦笑した。
(昔の私は、“殿下の妃”にふさわしい色を選んでいたのね。)
「お嬢様、もうお時間です。」
「ええ。」
扉が開かれ、エドガーが現れる。
黒に近い群青の礼服をまとう彼は、いつもの穏やかさに加え、今日は少し緊張しているように見えた。
「お迎えにあがりました。ご準備はよろしいですか?」
「ええ、いつでも。」
二人は侯爵家の馬車に乗り込み、晩餐会の会場であるハートフィールド邸へと向かった。
すでに王都中が注目する夜会。各家からの招待客が押し寄せ、その主催が“公爵家次男と元王太子婚約者”というだけで、誰もが興味を隠せないでいた。
馬車の中で、リディアは小さく息をつく。
「こんなに注目されるのは、少し落ち着かないわね。」
「それだけ、あなたに目を奪われる人が多いということですよ。」
「お上手ね。でも、私が恐れられているだけかもしれません。」
「違います。」
エドガーの声はいつもより強かった。
「あなたはもう“哀れな元婚約者”ではない。新しい光を放っている。その光に、誰もが焦がれているんです。」
その真っ直ぐな言葉に、リディアは一瞬だけ胸を押さえた。
「……優しいのね。」
「貴女に優しくしたいと思うことは、罪ではないでしょう?」
「……いえ、嬉しいわ。」
彼女は窓の外に目を向けた。王城の尖塔が、遠くの灯に溶けていく。過去の象徴が、ゆっくりと遠ざかるように。
ハートフィールド邸に到着すると、豪奢なシャンデリアが輝く会場に歓声があがった。
「本当にお似合いのお二人だわ」「噂以上ね」「殿下は、もう彼女を取り戻せまい」
そんな囁きが次々と響く。
リディアは微笑を崩さぬまま、すべてを受け流した。
その姿は、まるで完璧な仮面のようでもありながら、不思議と柔らかさを持っていた。
エドガーは静かに彼女の手を取った。
「ここでは、誰もが見ています。手を離さないで。」
「ええ。」
その手は温かく、包み込むようだった。王太子時代に触れられた掌の冷たさとは違う。触れるだけで、そこに“生きた体温”があった。
音楽が始まり、二人の舞踏が静かにフロアに流れる。
リディアのスカートがふわりと広がり、エドガーの腕に導かれるように動く。
その光景を、誰もが息を呑んで見つめた。
ふと、視線を感じて顔を上げる。
そこには、想像した通りの人物がいた。
――アレクシス・グランベルク王太子。
彼は一切の笑みを持たず、会場の隅から彼女を見つめていた。
周囲から見れば、ただの来賓のひとりのように振る舞っていたが、その瞳だけが鋭く光っている。
リディアは一瞬だけ視線を合わせ、すぐに逸らした。
エドガーがその変化を感じ取り、小さく囁く。
「彼が来ていますね。」
「ええ。見間違えるはずがありません。あの目は、わたくしを査定する時の目ですもの。」
「怖いですか?」
「……違うわ。どちらかといえば、なんだか哀れに思えるの。」
曲が終わり、拍手が響く。
リディアとエドガーは軽くお辞儀をし、人々に囲まれる。
その隙を狙うようにして、アレクシスが歩み寄った。
群衆が息を呑み、空気が一瞬で張りつめる。
「……久しいな。」
低く抑えた声。アレクシスはエドガーを一瞥し、視線をリディアへ移した。
「まさか公爵家の宴に出るとは思わなかった。」
「ご招待いただきましたもの。断る理由がございませんわ。」
リディアの返答は完璧だった。穏やかで、けれど決して一歩も引かない。
「殿下こそ、珍しく民間の宴へお出ましとは。」
「王都の平穏を確かめに来ただけだ。」
「でしたらご安心ください。いまのわたくし、たいそう平穏ですわ。」
周囲に微かな笑いが広がる。
王太子の目に一瞬怒りが宿ったが、すぐに抑え込むように唇を結んだ。
「……随分強くなったな。」
「殿下が弱い私を望まなかったからですもの。」
アレクシスが言葉を失う。
エドガーが静かに二人の間に入った。
「殿下、私どもが注目を集めてしまいましたね。どうかお許しを。」
「……構わない。」
絞り出すようにそう言うと、アレクシスは背を向けた。
だが、その足取りは重かった。
(なぜだ……この胸の痛みは何だ。)
怒りとも悔しさともつかぬ感情が、胸を焼くように広がっていく。
再び踊り出した会場の中央で、リディアは静かな笑みを浮かべた。
「殿下にも優雅にお引き取りいただけたわね。」
「君は本当に恐ろしい人だ。」
エドガーの冗談に、リディアはくすりと笑う。
「恐ろしいというより、ようやく“私”になれた気がするの。」
その目に映るのは、もう王太子の影ではなかった。
それを見つめるエドガーの胸に、静かな感情が満ちていく。
憧れにも似た、しかしもっと温かな何か。
(ああ、やはり彼女を好きになってしまったのだな。)
彼は杯を手にし、リディアに微笑を向けた。
「私の隣にいてください、今夜だけでも。」
「わたくしの役目は“偽りの婚約者”。でも……今夜ぐらいは、役を忘れてもいいかしら?」
「ええ、それでいい。」
二人の笑みが重なる。周囲の喧騒が遠くに霞んでいった。
そして、誰よりも熱くその光景を見つめる男の視線だけが、会場の片隅で赤く燃えていた。
(続く)
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