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第46章:ある意味、アホの子は無敵である(追想)①

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 幼い頃、光琉ひかるは同年輩の子供たちからよくその容姿をからかわれていた。

 ほとんどが純日本風の顔立ちをした子供の中に西洋人形のような少女が混ざれば、どうしたって浮き上がってしまう。そして異質な者を排除しようとする傾向は、幼い集団ほど露骨なものだ。彼らにとって、光琉は格好の的だった。

 長い金髪を引っ張って「何で黒くないんだよ、おまえニッポンジンじゃないだろ!」と罵る男子。白いほっぺたをつねって「ビョーキのひとみたい」と笑う女子。翡翠色エメラルド・グリーンの瞳を指して「ウチュージンだ、ウチュージンだ!」とはやし立てるガキなんてのもいた(言った当人も、宇宙人がどんな眼をしているか直に目撃したことはなかったに違いない)。

 それらの悪口の中で、最も光琉を傷つけたのは「もらわれっ子」というものだった。

「だって、お前のかーちゃんもにーちゃんも髪黒いのに、お前だけ違うじゃん! お前はお前んちの本当の子供じゃねえんだよ、そういうの「もらわれっ子」ってんだって、うちのとーちゃん言ってたぞ!」

 随分前時代的、かつ余計な言葉を子供に教える親もいたものである。

 当時の光琉は(今からはとても考え難いことではあるが!)大人しく引っ込み思案な性格で、大抵の悪口を言われてもうつむきながら唇をかみしめ、黙って耐えているだけだった。だがこの「もらわれっ子」と言われた時だけは、猛烈に言い返したものだ。

「違うもん、あたし「もらわれっ子」なんかじゃないもん! おかーさんもおとーさんもにーちゃんも、皆んな本当の家族だもんっ!!」

 どれだけ必死に訴えても、相手のガキどもは馬鹿にしたような笑みを顔に貼り付けているだけだったが。

 さて、俺はこのような場合、兄として光琉に味方せねばならない立場にあった。しかし当時の俺は、いつしかその責務を放棄しがちになった。俺自身が、光琉に向けられる心無い中傷を信じ始めてしまったのである。

 幼い頃から、家族の中で光琉ひとりだけの見た目が浮いていることには首を傾げていた。小学校も高学年になれば中途半端に分別もつき、人間の見た目は親から子に"イデン"するらしいということもわかってくる。であれば、ああまで容貌の違う光琉は、俺の本当の妹ではないのではないか……

 今思い出しても自分を殴りたくなるのだが、この頃、俺は光琉に殊更ことさら冷たくあたるようになった。これまで妹だと思っていた光琉が実は赤の他人かもしれないという疑惑が胸に棲みつくと、何だか裏切られたような思いに勝手にかられたのである。と俺についてくる光琉を、「ついてくるなよ、うっとうしい!」と叫びながら邪険に追い払うなんてこともあった。当時、俺に向けられる光琉の翡翠色の瞳は、いつも涙を浮かべていたと記憶している。

 ある時、思い余った俺は、とうとう母に問いかけた。

「光琉は本当に、俺の妹なの?」

 直後、右頬に衝撃をおぼえた。母に平手でぶたれたのだ、とはすぐには気づかなかった。母が俺に手を挙げたのは、初めてのことだった。

 顔をあげると、母はそれまで見たことがないような怖い形相で俺をにらんでいた。それも一瞬のことで、ハッとしたように口に手を当てると、母はかがみこんで俺をぶったことを詫びた。しかし、瞬時垣間見た母の形相とその衝撃は、長く俺の胸に焼きついていた。以後、俺は二度とその質問はしなかった。

 母がなぜそこまで激しく怒ったのか、理由はほどなく判明した。ある晩、寝つけず水を飲むために一階に降りてきた俺は、父母の部屋から漏れ出る剣呑な声を聞いた。どうやら父と母がケンカしているらしい、と思った。

 気になって父母の部屋の近くまで忍び寄ると、先程よりも大きな父の怒鳴り声が耳に飛びこんできた。普段温厚な父が、これほど大きな声をあげるのかと驚いたが、それよりも言い放たれた内容の方に仰天した。

「なあ、いい加減はっきりさせてくれよ。光琉は俺の娘なのか? 本当に俺と血が繋がっているのか!? 誰か他の……」

 父の声はそこで途切れたが、小学生の俺にもその続きは容易に想像できた。"ダレカホカノオトコノコドモジャナイノカ"――父は、母の不貞を疑っていたのだ。

 父の立場からすれば無理ないことだったかもしれない。"光の聖女"の魂が持つ霊格が容貌の形成にまで影響したのだ、などという事情は地球の人間には知るべくもないことだ。自分も妻も黒髪黒目の容姿だというのに、妻から生まれてきた娘は金髪碧眼だった。妻に外国人の愛人でもいたのか、と思うのが自然だろう。

 それまで、父が光琉を特別冷遇していた、という印象はない。時に優しく時に厳しい、いたって平均的な父親として娘と接していたように思う。ただ時折、光琉を見つめながら、妙に醒めた表情を浮かべることはたしかにあった。もしかしたら光琉が生まれてからずっと、胸の内にくすぶるわだかまりを、無理矢理押さえつけていたのかもしれない。

「黙ってないで答えてくれよ。光琉が生まれてから一体何回、この話をした!? もう俺は、気が狂いそうだよ」

 血を吐くような父の詰問に、母は無言を通した。どうやらこの手のやりとりは、それまでにも幾度となく夫婦間で繰り返されてきたのらしい。俺が「光琉は本当の妹なのか」と問いかけた時、母が一瞬感情を爆発させたのは、いつも同じ問いを発する父の顔が脳裏をよぎったからに違いない。言葉こそなかったが、母が発する張り詰めた気配が、閉じた扉ごしに伝わってくるようだった。

 この晩、父の剣幕は中々おさまらなかった。それで問題を曖昧にしておくことに限界を感じたものか。母はその週末、最後の手段を決行した。

 父と妹と俺と、家族全員を引き連れて病院を訪れた。いわゆるDNA鑑定を行なってもらうためだった。父と妹だけでなく、俺も医者から綿棒で唾液を取られた。母から事前に詳しい説明は何もされなかった。多分母は、あの晩俺が父との口論を扉の向こうで立ち聞きしていたことに、気づいていたのだ。

 後で知ったことだが、DNA鑑定の費用は決して安いものではなかった。それを俺にまで受けさせたところに、快刀で乱麻を断とうとする母の、意志の強固さを感じた。

 父も母も、口数が少なかった。2人の確執を知っている俺も、気持ちが晴れなかった。ただ何も事情を知らない光琉だけが、母に手を引かれながら、見慣れない病院の設備をもの珍しそうにきょろきょろ眺めていた。そんな光琉から、父は気まずそうに目を逸らしていた……
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