前世! 保育園

はるのり

文字の大きさ
9 / 11

瞬きの先 3

しおりを挟む
「金森さん!」
 廊下に飛び出してみれば、誰かに馬乗りになる佐藤瑠夏が見えた。

「アンタ! 何してんの! 降りなさい」
 ミツエが厳しい声を出すと、ゆっくりと振り返った美晴が笑った。視線はひたと私に据えられている。

「あみ先生。持ってきてくれた? 調べ物。カズトがまだあそこに住んでるのかどうかーー」
 うわあん! と高く大きな泣き声が美晴の下から響く。馬乗りになられているのは、前世が丁稚の畑中 惣太そうただった。
 よく見れば美晴の手は惣太の耳に当てられていて、その手にはーー。

「か、なもりさん。ハサミを離して」

 笑えるほど震えてかすれた声だった。
 握った小さな手からはみ出たハサミの先端は、間違いなく惣太の耳の中に吸い込まれている。
 あのまま思い切り突き立てたら、子どもの力でも大怪我は免れられないだろう。先端の丸い子ども用のハサミではまさか脳までは至らないとは思うが、耳は急所だ。

「……どういうつもり。男の話を聞いて、どうすんの」

 先ほどよりはずいぶん落としたトーンでミツエが問いかける。じり、と彼女の足がずれたのを見遣り、美晴が冷たく応えた。

「オバサン。動いたら、グサッだよ」

 あんたも動かないでよね、と頭上から言われた惣太が、うわあ、と再度泣き声を上げた。
 覚醒前の子どもなら、訳もわからずパニックになってもっと暴れただろうから、丁稚とはいえ前世を思い出している子どもで良かったのかもしれない。

「ねえ、あみ先生。どうしてあたしたちはここに集められてるの? どうしてここを出たら忘れちゃうの。せっかく思い出したなら覚えてたいよ」

 美晴の視線はこちらを向いているが、どこか宙を彷徨うように覚束ない。

 せめて神谷か仄里を呼びたいが、下手に動いて刺激してしまえばどうなるかわからないので、ミツエも私も縫いとめられたように身動きできない。

「それは……」
「のんのんの木があるからよ」

 私が言い淀むのにかぶせて、どこか吐き捨てるようにミツエが言う。

「あの木は、前世を呼び覚ます木だから、園の敷地ーー木の領域に入れば前世を思い出す。子どもは前世に近いから引きずられやすいってだけよ」

 初めて聞く話だった。
 仄里が何か良くわからない直感なのか超能力なのかで、前世持ちの子どもを識別して入園させているものだと思っていたのだ。
 あの、なんだか気味の悪い楠が、そんな得体の知れないものだったなんて。

「へえ。じゃあ、あの木の枝でも持って出たら、忘れずにいられるかな」

 嬉しそうに美晴が瞬きをした。対するミツエ応えは、否。

「やってごらんなさいよ、折れないから。アンタ程度の小娘が考えられることを、今まで誰も考えつかなかったとでも思うわけ」
「……ふうん。じゃあやっぱり、に助けてもらうしかないのか」

 残念そうに唇をとがらせて、美晴がつぶやく。私を振り仰いだ瞳には、苦しくなるほどの願いが見えた。

 どうしてそこまで、と腹の底が熱くなる。そんな思いをしてまで、せっかく新しい人生を始めてなお、あんな男に何を捧げたいというのか。
 聞けば聞くほど最低の男。美晴は直向きで良い子なのに、彼女を暴力と甘言で洗脳して支配して、殺してしまったクズ。

「ねえ、あみ先生。あたしもうすぐ消えちゃうんでしょ? 一番長かった子で一ヶ月半くらい。あたしは明日で丸一ヶ月。もう時間がないの。ただカズトがどうしてるのかーーあたしは気にしてないよって言いたいだけなの」
「あんなの、ただのDV男でしょ! 金森さんのこと、少し優しくすれば思い通りになると思ってたから、物に当たるみたいに傷つけてーー」
 
 やめなさい、とミツエに腕をつかまれたが、堰を切って溢れ出したことばは止まらない。

「金森さんがそんなことしてまでその男に会う価値ーー」
「あんたに、何がわかるのよ!!」

 悲鳴のような叫びと同時に額に痛みが走る。ハサミを投げつけられた、と理解した時には、ぬるりと生温かい感触を指に感じた。

「カズトはねえ! あたしにとってすべてだった。仕事でつらい時も、友達にそっぽ向かれても、カズトだけはあたしが必要だって泣いてくれた! あんたにわかる? 大事な人と今こうして離れてて、あたしはもうすぐ消えちゃうんだって怖さが!」

 わからない。
 
 咄嗟に浮かんだのはそれだった。
 美晴のように、血を吐くようなつらい思いをしながら誰かを愛したこともない。よくわからないうちに命を失い、よくわからず戻り、また消えていく理不尽さも、ふわふわとした想像の域を出ない。

 錆びの香りが口元へ流れてくる。痛みはほとんど感じないが、深く切れたのかも知れない。
 美晴の視線は私の顔にそそがれていて、ひどく怯えたようなーー痛みを堪えるようだった。
 一登に会いたかったからとはいえ、美晴は人を傷つけて平気でいられるタイプではない。私の傷を見て、誰より今動揺しているはずだ。

 なのに、どうして。
 どうしてそこまでして。

「……私、今ハゲができてて……」
「は?」

 ハンカチで乱雑に私の顔を拭っていたミツエがぎょっと目をむく。

「全然……金森さんの苦しさも、想像することしかできなくて、ハゲるほど悩んでも……今も、これからも何ができるんだって言われたら何もできないんだけど……」

 一登は本当に碌でもないクズだと思う。
 六年前の冬、一登は酒に酔って美晴をしたたかに殴り、浴室へ美晴を放り出し眠った。起きてから冷たくなった彼女を見つけて、慌てて逃走しーー彼女の銀行口座から現金を引き出そうとしたところを捕まったあたり、救いようのないクズだと思う。そんなクズに献身して、命までささげてしまった美晴も、どうしようもないのかもしれない。でも。

「金森さんが、羨ましいと思う。そんなに一人のことを思って、戻ってきてからも思い続けて……そんな風に誰かを思えることがすごいし、思われる人が羨ましいと思う。でも……こんなことはしてほしくない。一登は俺のためにって喜ぶかもしれないけど、私は嫌だよ」
「…………」

 美晴が、惣太の首根っこを掴んでいた手をゆっくりと外し、そのまま顔を覆う。

「……まだ、消えたくないの」

 それに返せることばは、どうやっても見つけられなかった。

 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

【長編・完結】私、12歳で死んだ。赤ちゃん還り?水魔法で救済じゃなくて、給水しますよー。

BBやっこ
ファンタジー
死因の毒殺は、意外とは言い切れない。だって貴族の後継者扱いだったから。けど、私はこの家の子ではないかもしれない。そこをつけいられて、親族と名乗る人達に好き勝手されていた。 辺境の地で魔物からの脅威に領地を守りながら、過ごした12年間。その生が終わった筈だったけど…雨。その日に辺境伯が連れて来た赤ん坊。「セリュートとでも名付けておけ」暫定後継者になった瞬間にいた、私は赤ちゃん?? 私が、もう一度自分の人生を歩み始める物語。給水係と呼ばれる水魔法でお悩み解決?

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

私と母のサバイバル

だましだまし
ファンタジー
侯爵家の庶子だが唯一の直系の子として育てられた令嬢シェリー。 しかしある日、母と共に魔物が出る森に捨てられてしまった。 希望を諦めず森を進もう。 そう決意するシェリーに異変が起きた。 「私、別世界の前世があるみたい」 前世の知識を駆使し、二人は無事森を抜けられるのだろうか…?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

処理中です...