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7章 帰還、ひとときの安らぎ

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「おぉ、戻られましたな!」
「村長、わざわざ待っていてくれたのか」

 フラッドとマチーナが村に着くとすぐに、村長が声を上げ出迎える。すぐそばには宿屋の女将の姿もあった。

「無事に薬草、手に入れられましたよ村長!」
「そうか。なにはともあれ、無事だったようで何よりじゃ」
「ささ、マチーナ。早くそれをティートに届けておいで」
「はい、ジテさん!」

 女将に促されたマチーナは、フラッドに一礼するとティートの待つ家へと駆けて行った。後に続いて女将・ジテも追って行く。遠くなる二人を見送りながら、フラッドは村長の近くまで歩み寄って行った。

「オレ達がいない間、村は大丈夫だったか?」
「えぇ、お二人が行って戻られるまで、特に何事もなく」
「ならよかった」

 二人が家の中へと入るのを見届けてから、村長はフラッドへと向き直る。若干の厳しさがその表情に見えた。

「ではとりあえず、儂の家へと行きましょうか。何やら話もありそうですしな」
「あぁ、そうさせてもらえると助かるよ」

* * * * *

「で、何がありましたかな?」

 村長の家に着き、居間へと通されて椅子に腰を降ろすやいなや。開口一番に村長が、フラッドへ問い掛けた。
さすがに細かいところによく気が付くな、そんな事を思いながらフラッドは口を開く。

「怪しい魔術師らしき男と遭遇した。薬草の這えた群生地でのことだ」
「なんと……それでその者は?」
「引き連れていたコボルトどもをオレとマチーナにけしかけて、どっか行っちまったよ」
「コボルトを引き連れていた、ですと?」

 フラッドの話した内容に村長が顔色を変えて驚きの声を上げる。何かがあったのは予想していただろうが、そこまでの事態だったのは思っていなかったらしい。

「あぁ。恐らく、ここ最近のコボルトの頻繁な出現や昨夜の襲撃も、あの男によるものだろうな」
「なんという事だ……」
「それとオレ達が行った薬草の群生地はその男に焼き払われてしまったから、今後は行かないように村のみんなにも伝えておいてくれ」
「そんなことまで」

 フラッドから聞かされた話に村長は絶句する。無理もない、状況は思っているよりもかなり切迫したものと考えて間違いないのだから。
「どうぞ」と横から言われ、テーブルにお茶の入ったカップが置かれた。村長の奥さんだろう、初老の女性にフラッドは頭を下げ礼を伝える。
村長の前にもカップを置くと、もう一度フラッドに向かって微笑みかけて家の奥へと下がっていった。その辺りは村の長の妻としての、身に付いた気遣いなのだろう。

「……それで、他には何かありましたかな?」

 妻が居間から去ったのを待ってから、村長が重い口調で訊ねて来た。深刻な事態だと理解して、それに対する策を講じる為には欠かせないことを知っているからだろう。

「いや、今のところはまだ何とも言えないな……」
「そうですか」
「ただ、オレの考えを述べさせてもらうなら」

 一旦そこで言葉を切り、深呼吸を一つする。それが意味するものが、小さな村を治める者への更なる重圧となるのがわかっているから。

「恐らく、“魔竜”に関わりがあるだろうな」
「っ……!」

 フラッドの放った一言に、村長が息を飲み込んだ。かつての事件を知る者ならば、その反応は当然のこと。それほどにあの出来事は絶望的なものだった。

「村を……捨てねばなりませんかな、今度こそは」

 沈んだ声で言った村長の顔には、諦めとやりきれなさが滲んでいる。今のアトル村には、その危機に立ち向かえる者などいないからだ。

「そう結論を急がなくてもいいだろう、村長。しばらくはオレも村に滞在させてもらうつもりだし、それにもし推測通りなら見過ごす訳にもいかない」
「ですが、“魔竜”が復活してからでは手遅れになるやもしれません。判断は早いに越したことはないと思いますが」
「そうだな……念のために老人や幼い子などは、近くの町などに避難させておく方がいいかもしれない」

 この村から一番近い人の多い土地は、徒歩ならば二日と言ったところ。決して短くない距離なため、危険もそれなりにはあった。それでも最悪に備えるならば、そうするのが賢明なのはフラッドも村長も同じ意見だ。

「わかりました。ではそのように家内に手配をさせましょう」
「護衛として誰かを付けた方がいいだろう、そこそこ腕の立つ者を」
「ほっほっほっ、それについてはご心配なさらずに。うちのはああ見えて、若い頃は傭兵として戦場を渡り歩いていた猛者ですからな!」

 村長の得意気な言葉に、フラッドは思わず間の抜けた顔になる。ついさっき見た、村長の奥さんの姿を思い出すがとてもそんな雰囲気は感じられなかった。
と、不意に全身に緊張が走る。家の奥からフラッドへ向けて放たれる、闘気とでも言うような強烈な気配を受けて。

「……マジ、みたいだな」

 ゆっくり、と言うよりはぎこちない動きで気配の元へと顔を向けてみれば、にこやかな笑みを浮かべて立つ村長の奥さんの姿が目に入った。ただし、そのなんの変哲もない立ち姿とは裏腹の気迫が、村長の言葉に説得力を与えていたが。
 相変わらずの笑顔のまま、フラッドへ一礼すると再び奥へと引っ込んでいく奥さん。同時に強烈な闘気も消え失せた。

「おかげさまで、儂ら夫婦では喧嘩もなく円満な日々ですぞ」
「……それはなによりだ、村長」

 豪快な口振りで言う村長に、顔を引きつらせながら返すフラッド。一見得意気なようだが、村長の額を一筋の汗が流れていくのを見逃さなかった。

* * * * *

「では、申し訳ありませんが、よろしく頼みます。フラッド殿」
「あぁ。支度が出来次第、また訪ねさせてもらうよ」
「わかりました」

 村長とそんな言葉を交わし、フラッドは村長宅を後にした。その足が向かう先は宿屋ではなく、ティートの家のある方向である。
道すがら村の様子を窺うと、普段通りの営みが行われているのがわかる。既に日も落ちかけた頃合い、外で作業をする姿こそ見当たらないが、あちこちの家からは夕げから漂う白い筋が幾つも昇っていた。

「いい村だな、ここは……」

 自然とそんな言葉が口からこぼれた。同時に胸に強くわき上がる、いいと思えるこの村を守ろうと言う気持ち。それは最後にヤッシュと交わした、約束でもあった。

「おや、フラッドさん。村長さんとの話は終わったんで?」
「ジテさん、だったか。ティートとマチーナの様子はどうだった」
「おかげさまで、もう大丈夫だろうね。それより宿はこっちじゃないよ」

 言ったジテにフラッドはティートの家に向かう事を伝え、すぐに宿に戻ることと食事の用意を頼んで、そこで別れた。不意に昨夜の料理を思い出し、空腹感が襲ってくる。

「とりあえず用事を済ませて、早いところ美味いメシにありつくとするか」

 独り言を誰に言うでもなく口にして、到着したティートの家の扉をノックした。短い間を置いて家の中からマチーナの応える声。

「あ、フラッドさん!」
「よう」
「ティートの様子、見に来てくれたんですね。どうぞ」

 扉を開けたマチーナはフラッドの顔を見ると、嬉しそうな感じに言って中へと促した。「お邪魔するよ」と言いながら屋内へ入ると、今朝と同じく立っていたクタードを見つけた。

「これはフラッドさん。今回の事は本当にありがとうございました」
「いや、礼には及ばないさ」
「フラッドさん、聞いてくださいよ! アタシたちがあんなに苦労したのにティートのヤツったら!」
「まぁまぁ、マチーナ。まずはティートの所に案内するのが先だろう」

 フラッドとクタードが挨拶を交わすやいなや、少し怒ったように話しかけてくるマチーナ。クタードに宥められて不服そうな顔になりながらも、「こっちです」と言って彼女はティートの寝ている部屋へとフラッドを案内していった。

「ティート、入るよ。フラッドさん来てくれたから」
「あぁ、うん。ありがとうマチーナ、どうぞフラッドさん入ってください」
「じゃあ遠慮なく」

 部屋の外と中でのやり取りを経て、フラッドが室内に入る。渋い顔をしてマチーナも入ろうとするが、ティートからお茶の用意を頼まれて、仕方ないといった様子で戻っていった。
 フラッドはそんな二人の掛け合いに笑みを浮かべながら、扉を閉めベッドの側に備えられた椅子へと腰を下ろす。

「調子はいいみたいだな」
「えぇ、おかげさまで。元々クタード先生の処置が早かったのもあって、大事には至っていませんでしたからね」

 フラッドの言葉に、ティートは手で大丈夫そうな仕草を示しながら答える。それから扉の方を向いて、やや困ったような顔になった。

「でもマチーナには怒られた。そんなところか」
「あはは……まぁ、そんなところです。でもマチーナが持ってきてくれた薬草のおかげで、思ったよりも回復は早まりそうです」
「へぇ、あれってそんなに効果があるのか?」
「僕も詳しくはないんですが、クタード先生が言うにはそうらしいですよ」

 旅をする上ではそれなりに薬になる植物などの知識も必要ではあるが、細かい効能などについては詳しくないフラッドは相づちを打つのみだ。話しているティートの方も似たり寄ったりのようではあったが。

「改めて、マチーナを守って頂いてありがとうございました、フラッドさん」
「ったくこれで何度目だよ、お礼を言われるのは」
「はは。まぁ、小さな村ですからね。仲間が無事ならそれだけ感謝するのも当然ですよ」

 礼の言葉を述べるティートに、フラッドが軽口を叩くと返ってきたのは変わらぬ穏やかな言葉。そういう所が都会とは違う、住む者みんなが互いを思い合う集落らしさなんだとフラッドは思った。

「とは言っても、君の場合はまた特別なんじゃないか?」
「そ、それは……っ」

 ふと悪い癖が顔を出し、からかうように言うフラッドにティートは顔を赤らめて言葉を詰まらせる。その様子に微笑ましさを感じていると、不意に扉の向こうで食器の鳴る音が聴こえてきた。
慌ただしい気配が少ししてから、ゆっくりと開いた扉の向こうから、やはり顔を真っ赤にしたマチーナの姿が現れる。

「フ、フ、フ、フラッドさんっ! またそういうこと言ってっ!」
「マ、マチーナ落ち着いて! まずは食器をどこかに置いてから!」
「ある意味、絶妙のタイミング……だったかな」

 わなわな震えながらフラッドを睨み付けるマチーナと、グラグラと揺れる食器に慌てるティート。そんな二人を見ながらばつの悪い苦笑いを浮かべながら、フラッドはポリポリと頬を掻いていた。

* * * * *

「……まったくフラッドさんは! ティートとはそんなんじゃないって、帰ってくる時にも言ったじゃないですか!?」
「悪かったって。だからってそんなに怒ることはないだろう?」
「普通、怒ります!」
「まぁまぁ、マチーナ。フラッドさんも別に悪気はないんだから、そんなに興奮しないで」

 椅子に座りぷんすかと怒るマチーナに、窓際に立つフラッドが謝り、それをティートがフォローする。ちなみにフラッドが立っているのは、あの後つかつかと迫力のある足並みで近付いてきたマチーナに気圧された結果だった。
 そして空いた椅子にすかさず座ると、フラッドに持ってきたはずの茶を不機嫌そうにしながら、自分で飲んでいるという面白い光景になっている。

(それにしてもこうやって見てると……)

 文句を言うマチーナと、それを宥めるティート。二人のやり取りを見ていると、つくづくお似合いだなんて思うフラッド。もちろん、口に出せばまたマチーナの不機嫌の矛先を向けられるのが目に見えてるので、迂闊な言葉は抑えているのだが。

「さて、それじゃあ本題に入ってもいいか?」

 しばらくそんな和やかな光景を眺めた後、フラッドはおもむろに話を切り出した。賑やかにしていた二人が静かになって、フラッドの方へと顔を向けてくる。

「……あ、じゃあアタシは外に行ってるね」
「いや、マチーナにも聞いてもらわないといけない話なんだ」
「えっ?」

 場の雰囲気を察し、立ち上がろうとしたマチーナを制止してフラッドは言葉を続ける。予想外の言葉に戸惑いながらティートを見るマチーナに、ティートは静かに頷いた。

「ティート、オレと共に行ってもらいたい場所がある」
「僕が、ですか?」
「あぁ。お前さんの父親との、約束でもあるんだ」
「父さんの……」

 かつて交わした約束。それを果たす時が来たのだと、フラッドは思っていた。突然のことにうつむくティート。そこへマチーナが声を上げる。

「待って、フラッドさん。ティートはまだ怪我が……」
「あぁ、だから今すぐにとは言わない。二日後に出発しようと思ってる」
「二日って、それじゃあまだ怪我の具合はそんなに変わらないじゃないですか!」
「だから、マチーナにも同行してもらえないかな」

 フラッドの要望に対して、マチーナは何も言わずに再びティートと顔を見合わせた。不安げなマチーナへ、ティートは顔を上げ穏やかな笑みを向けて、そしてフラッドをまっすぐに見つめる。

「わかりました」
「ティート……?」
「大丈夫だよ、マチーナ。二日もあればだいぶ身体も良くなる」
「でも……」

 ティートの言葉に、それでも納得できないマチーナは口ごもるが。少し考え顔を上げると、そこにあったのは決意の表情だった。

「話は決まったな。これから二日後の出発まで、しっかりと療養に専念するように」
「はい。マチーナも苦労を掛けると思うけど、お願いするよ」
「ううん。アタシは大丈夫だから、ティートはしっかりと傷を癒して」

 そうして話がまとまったところで、フラッドはクタードへ挨拶と事情を伝えて宿へと戻るのであった。今はただ、この目が回りそうな程に我が身を苛む空腹感を満たしたい思いに駆られながら。
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