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第一章 義姉上の死亡記録
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「殿下、義弟が誠に申し訳ありません。どうしても殿下に一目お会いしたいと言うものですから……」
アレックス殿下は義姉上とふたりきりでお茶会をする予定だった。義姉上は最初こそ急な変更は失礼にあたると難色を示していたが、あまりに俺が必死なものだから最後には折れてくれた。
義姉上は申し訳ないと殿下に頭を下げた。俺は義姉よりさらに深く下げた。おそらく殿下からは俺の後頭部しか見えないだろう。
「いいや、構わない。ジニア、といったか。君も座りたまえ。二人より三人のほうがお茶会も楽しいだろう」
軽い足取りで殿下のブーツがコツコツと音をたてる。
テーブルの上には既にポットとティーカップが二人分用意できている。
殿下の椅子を義姉上が、義姉上の椅子を俺がひいてそれぞれ座る。俺の椅子はメイドがひいた。全員の着席を確認したメイドは、俺の分のティーカップを用意するために部屋を出ていった。
「寛大なお心、痛み入ります」
「気にするな。おかげでカルミア嬢の珍しい顔を見ることができた」
巷でも、誰もが振り向くその容姿と、優しくも雄々しいと評判だ。剣術も優れているし、野盗を多く検挙した実績もある。
実際、前回も清廉潔白の字が似合う方だった。悪しき者を断罪し、弱きものに救いを与えるという信条を聞いたとき、この方の治世に大きな期待を寄せたものだ。
殿下のまじまじとした視線に堪えきれなかったようで、義姉上の頬がほんのわずかに染まった。
「殿下、あまり見つめないでくださいな。照れてしまいます」
殿下は満足そうに微笑み、紅茶に口をつけた。
一切の無駄のない所作に目を奪われそうになる。
今の殿下には絵画のような美しさがあるが、どこか冷たいと思う。そんなことを思うのは、この国で俺くらいかもしれない。
「カルミア嬢、わたしのことは良ければアレックスと」
「っ!!」
殿下が取り出したのは、婚約を証明する紙。殿下の名前は既に記されている。空欄を指して、義姉上に促した。
焦る俺とは違い、義姉上はころころと笑って流した。
「まぁ、お戯れを」
「本気だ。カルミア、わたしの婚約者になる気はないか?」
真剣みを帯びた声で、さらに迫る。普通の令嬢にはなんと魅力的な提案だろうか。
しかし義姉上は、今度はきっぱりと言いはなった。
「私など、とても殿下とは釣り合いませんわ」
「ふむ……」
殿下のほうから、地を這うような低い声が何事か言った気がする。見れば、変わらずにこりとした笑みを浮かべているので、聞き違いであったのだろうか?
義姉上にはなにも聞こえていないのだろうか……?
「いずれ、殿下にぴったりの素敵な女性が現れますわ。私などで妥協なさらないで」
「そうか……仕方ないな。貴女のことは諦めるとしよう」
机に婚約用紙をおいて、やけにあっさりと引き下がった。
一体何故だ? 俺は殿下がもっと無理やり婚約を迫ったのではと思っていたのだが……
ふいに俺の膝が冷たくなった。
「すまないジニア! すこし手を滑らせてしまった」
「まぁ! ジニア、大丈夫?」
殿下の紅茶がテーブルの上で転んでいた。こぼれた紅茶は、ひたひたと俺の膝と床を濡らしている。
「いいえ、殿下や義姉上に紅茶がかからず安心いたしました」
「本当にすまなかった。すぐに着替えてくるといい」
ふと違和感を感じた。
そもそもマナーに厳しい環境で育った殿下が手を滑らすなんてありえるのか?
もしや俺を遠ざけて二人きりになるために……?
「……」
「どうした?」
たとえわざとだったとしても、俺はこの場に留まることはできない。
服が汚れた以上は着替えが必要だった。
「いえ、そうですね……それでは、しばし失礼致します」
心配そうにみる義姉上を手で制して、殿下が扉までエスコートしている。
世の令嬢ならばどれほど羨ましがることだろうか。しかし俺は殿下の腹のうちを疑わずにはいられない。
そして、扉を出た途端、後ろから突き飛ばされた!
床に倒れている間に、扉はガチャリと音をたてる。
「!? 殿下! 義姉上! ここを開けてください!!」
いくらドアノブを回しても扉を叩いてもびくともしない。
舌打ちをせずにはいられなかった。ここにいてもしょうがない。俺は廊下を走り、上の階へあがった。
途中で、俺の分のティーセットを持ったメイドとすれ違うが、説明してる時間はない。
俺が入ったのは、義姉上と再会したテラス。間取りからして、ここが真上だ。夕陽が長い影を作っていた。
柵から身を乗りだし、下の階へ飛び降りる。
正直賭けだったが、体重が軽かったのが幸いした。
「義姉上! ご無事ですか!?」
「……」
降り立った俺の目に飛び込んできたのは、座したままの義姉だった。しかし、その瞳は虚ろに沈んでいる。
俺が再度呼び掛けようとすると、部屋の隅から声がした。影の中から現れる。
「おや、ジニア? どうしてそんなところから……あぁ、ドアの鍵が誤って閉まっていたのか。
いや、気が付かなかった。わたしが閉めたときに服でも引っ掻けてしまったのかな」
よくもぬけぬけと!
その惚けた顔に一発見舞いしてやりたくなる。虫が飛んでいたとでも言えばいいかと拳を固くする。
「さて、今日はこのあたりでお開きにしよう」
「それは……!」
殿下が机から拾い上げた婚約用紙。空欄だったところにはカルミア・クローバーの名が書かれていた。間違いなく義姉上の字だ。
「あぁ、あの後カルミア嬢が首を縦に振ってくれてね。わたしも一安心といったところだ。
これはわたしから父に渡しておこう。では、失礼」
ものの数分の間にどうして、そんな疑問すら言葉に出せず、無情にも扉が閉められた。
取り残された義姉上の肩を掴み、軽く揺さぶる。
「義姉上!? 一体どういうことですかっ」
「……ごめんなさい。少し、ひとりにして」
やっと聞けた声は小さく、震えていた。
ここで何もしなければ、彼女は『カルミア様』になってしまう。そう直感し、立ち去ろうとする腕を掴んだ。
「待ってください!
俺ではいけませんか!? 俺では、貴女のちからになれませんか!?」
「離してっ!」
ぱしんとはたき落とされる。そのまま駆け出す義姉上を、追いかけることができなかった。
義姉上のほうが俺よりも驚き、傷ついた顔をしていたから……
アレックス殿下は義姉上とふたりきりでお茶会をする予定だった。義姉上は最初こそ急な変更は失礼にあたると難色を示していたが、あまりに俺が必死なものだから最後には折れてくれた。
義姉上は申し訳ないと殿下に頭を下げた。俺は義姉よりさらに深く下げた。おそらく殿下からは俺の後頭部しか見えないだろう。
「いいや、構わない。ジニア、といったか。君も座りたまえ。二人より三人のほうがお茶会も楽しいだろう」
軽い足取りで殿下のブーツがコツコツと音をたてる。
テーブルの上には既にポットとティーカップが二人分用意できている。
殿下の椅子を義姉上が、義姉上の椅子を俺がひいてそれぞれ座る。俺の椅子はメイドがひいた。全員の着席を確認したメイドは、俺の分のティーカップを用意するために部屋を出ていった。
「寛大なお心、痛み入ります」
「気にするな。おかげでカルミア嬢の珍しい顔を見ることができた」
巷でも、誰もが振り向くその容姿と、優しくも雄々しいと評判だ。剣術も優れているし、野盗を多く検挙した実績もある。
実際、前回も清廉潔白の字が似合う方だった。悪しき者を断罪し、弱きものに救いを与えるという信条を聞いたとき、この方の治世に大きな期待を寄せたものだ。
殿下のまじまじとした視線に堪えきれなかったようで、義姉上の頬がほんのわずかに染まった。
「殿下、あまり見つめないでくださいな。照れてしまいます」
殿下は満足そうに微笑み、紅茶に口をつけた。
一切の無駄のない所作に目を奪われそうになる。
今の殿下には絵画のような美しさがあるが、どこか冷たいと思う。そんなことを思うのは、この国で俺くらいかもしれない。
「カルミア嬢、わたしのことは良ければアレックスと」
「っ!!」
殿下が取り出したのは、婚約を証明する紙。殿下の名前は既に記されている。空欄を指して、義姉上に促した。
焦る俺とは違い、義姉上はころころと笑って流した。
「まぁ、お戯れを」
「本気だ。カルミア、わたしの婚約者になる気はないか?」
真剣みを帯びた声で、さらに迫る。普通の令嬢にはなんと魅力的な提案だろうか。
しかし義姉上は、今度はきっぱりと言いはなった。
「私など、とても殿下とは釣り合いませんわ」
「ふむ……」
殿下のほうから、地を這うような低い声が何事か言った気がする。見れば、変わらずにこりとした笑みを浮かべているので、聞き違いであったのだろうか?
義姉上にはなにも聞こえていないのだろうか……?
「いずれ、殿下にぴったりの素敵な女性が現れますわ。私などで妥協なさらないで」
「そうか……仕方ないな。貴女のことは諦めるとしよう」
机に婚約用紙をおいて、やけにあっさりと引き下がった。
一体何故だ? 俺は殿下がもっと無理やり婚約を迫ったのではと思っていたのだが……
ふいに俺の膝が冷たくなった。
「すまないジニア! すこし手を滑らせてしまった」
「まぁ! ジニア、大丈夫?」
殿下の紅茶がテーブルの上で転んでいた。こぼれた紅茶は、ひたひたと俺の膝と床を濡らしている。
「いいえ、殿下や義姉上に紅茶がかからず安心いたしました」
「本当にすまなかった。すぐに着替えてくるといい」
ふと違和感を感じた。
そもそもマナーに厳しい環境で育った殿下が手を滑らすなんてありえるのか?
もしや俺を遠ざけて二人きりになるために……?
「……」
「どうした?」
たとえわざとだったとしても、俺はこの場に留まることはできない。
服が汚れた以上は着替えが必要だった。
「いえ、そうですね……それでは、しばし失礼致します」
心配そうにみる義姉上を手で制して、殿下が扉までエスコートしている。
世の令嬢ならばどれほど羨ましがることだろうか。しかし俺は殿下の腹のうちを疑わずにはいられない。
そして、扉を出た途端、後ろから突き飛ばされた!
床に倒れている間に、扉はガチャリと音をたてる。
「!? 殿下! 義姉上! ここを開けてください!!」
いくらドアノブを回しても扉を叩いてもびくともしない。
舌打ちをせずにはいられなかった。ここにいてもしょうがない。俺は廊下を走り、上の階へあがった。
途中で、俺の分のティーセットを持ったメイドとすれ違うが、説明してる時間はない。
俺が入ったのは、義姉上と再会したテラス。間取りからして、ここが真上だ。夕陽が長い影を作っていた。
柵から身を乗りだし、下の階へ飛び降りる。
正直賭けだったが、体重が軽かったのが幸いした。
「義姉上! ご無事ですか!?」
「……」
降り立った俺の目に飛び込んできたのは、座したままの義姉だった。しかし、その瞳は虚ろに沈んでいる。
俺が再度呼び掛けようとすると、部屋の隅から声がした。影の中から現れる。
「おや、ジニア? どうしてそんなところから……あぁ、ドアの鍵が誤って閉まっていたのか。
いや、気が付かなかった。わたしが閉めたときに服でも引っ掻けてしまったのかな」
よくもぬけぬけと!
その惚けた顔に一発見舞いしてやりたくなる。虫が飛んでいたとでも言えばいいかと拳を固くする。
「さて、今日はこのあたりでお開きにしよう」
「それは……!」
殿下が机から拾い上げた婚約用紙。空欄だったところにはカルミア・クローバーの名が書かれていた。間違いなく義姉上の字だ。
「あぁ、あの後カルミア嬢が首を縦に振ってくれてね。わたしも一安心といったところだ。
これはわたしから父に渡しておこう。では、失礼」
ものの数分の間にどうして、そんな疑問すら言葉に出せず、無情にも扉が閉められた。
取り残された義姉上の肩を掴み、軽く揺さぶる。
「義姉上!? 一体どういうことですかっ」
「……ごめんなさい。少し、ひとりにして」
やっと聞けた声は小さく、震えていた。
ここで何もしなければ、彼女は『カルミア様』になってしまう。そう直感し、立ち去ろうとする腕を掴んだ。
「待ってください!
俺ではいけませんか!? 俺では、貴女のちからになれませんか!?」
「離してっ!」
ぱしんとはたき落とされる。そのまま駆け出す義姉上を、追いかけることができなかった。
義姉上のほうが俺よりも驚き、傷ついた顔をしていたから……
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