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第一章 義姉上の死亡記録

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 結局、あの後呼び出されて、義姉は『カルミア様』になってしまった。養父上ちちうえ養母上ははうえも良い顔はしなかったが、本人の強い希望で義姉上は施設へ入った。離ればなれになってからの時間はあっという間で、俺も義姉上も学園の入学式を迎えていた。
 俺は周囲の華々しい雰囲気とは正反対に、深く沈んでいた。口の中がひどく乾燥している。俺は堪らず制服のネクタイを緩めた。

「そこの貴女っ! アレックス様の婚約者。そして未来の王妃! その私に無礼を働くつもりっ!?」

 遠くからカルミア様のお声が聞こえてくるたび、ため息は増えるばかりだ。
 カナキリ声とは逆の方向へ行こう。声が聞こえなければ、少しでもマシなはずだ。これからの学園生活を思うと気が重い。卒業まであと三年か……

「きゃあっ!」

「うわっ!?」

 角を曲がろうとしたとき、誰かにぶつかってしまった。
 ピンクパールの髪が宙を舞い、金色の瞳がわずかに涙ぐんでいる。
 聖女様!
 あぁ、そうだ。まだ聖女様ではなかった。それに、まだ『はじめまして』だ。前もたしかに入学式で出会ったのだった。
 尻餅をついたままの聖女様に手を差し出した。

「申し訳ありません。俺の不注意でした」

「……ーーっ!」

 聖女様、否。ルフィナ様はひゅっと息を飲んだ。
 前回はこんな反応されなかった。たしか「ありがとう」と微笑んで、すぐどちらかへ行かれたはずだ。

……

…………

………………

 ……長くないか?
 ルフィナ様はいつまでも転んだポーズのままこちらを見上げている。
 痛くて起き上がれないといった様子もない。それどころか、その金の瞳を嬉しそうにキラキラと輝かせているようにもみえる。

「あの……?」

 もしや俺の手になにか付いているのか? しかし、昨日新調したばかりの黒の手袋だ。なにもおかしいところはない。

「あっ、はいっ! あああの、えと、その」

 なんだか挙動不審というか……いやいや、聖女様がまさか。
 コホンとひとつ咳払いをした。途端に彼女に幻の後光がみえる。

「私のほうこそごめんなさい。あなたに怪我はなかった?」

 ようやく手を握ってくださったので、引き上げる。
 あぁ、この姿こそ聖女様だ。空気まで澄みきっていく不思議な感覚に心洗われる。

「俺は平気です。貴女のほうこそ、お怪我はありませんか?」

「大丈夫です。ありがとうジニア」

「? どうして俺の名前を……」

 俺が素直に聞き返せば、さきほどまでの後光の幻は掻き消えた。まだは名乗っていないのだが……
 ルフィナ様のお顔が真っ赤に染まる。

「ふぇっ!?
 あ、えぇと、そうだ! かっ、カルミア様からお聞きしたような……?
 ……あ、いや、ダメだ! 違うんです! ごめんなさいっ! あの、ではまた!!」

 貴族令嬢らしからぬ猛ダッシュ。あれではまた誰かにぶつかるのではないか? どうも様子がおかしい。彼女の動向は今後も注意しておくべきかもしれない。
 それにしてもカルミア様が俺の名前を? あり得ない。学園でのカルミア様は俺と義姉弟であることを一切伏せていた。
 理由までは知らないが、クローバー家との関わりを断ちたかったのだけは分かる。クローバー家は社交界での力を失ってきているから、自分の出自を隠したかったのかもしれない。
 いや、そもそもカルミア様アレは本当に義姉上なのか? 見た目の似た替え玉と言われたほうがしっくりくる。だが、長年一緒にいたのだ。残念だが、他人ではないことくらい分かる。残念だが。
 
「洗脳……もしくは魔法、か?」

 あの日アレックス殿下が何をしたか分からない以上、可能性はすべて潰すべきだ。もしかしたらそれで元の義姉上が帰ってくるかもしれないのだから。
 そういえば前回ルフィナ様のご友人にその手の話が得意な者がいた。彼とは一度もまともに会話したことはないが、国一番と評された魔導師だ。もし協力があおげれば心強い。
 だが、ルフィナ様だってまだ知り合ってもいないだろう。

「名前は……なんだったか」

 顔は分かるのだが……
 いいや、やはり名前も思い出せないような人物を頼るのは間違っている。それに探しようがない。
 まずは自力でなんとかしようと、学園の図書館へと足を運んだ。魔法も呪術もそれほど得意ではないが、これが義姉上を取り戻すためとなることを信じて。

「魔法……」

 魔法学のコーナーを見る。頭痛がしそうなほどにかなりの数だ。ざっと見ると、やはり授業や生活で使うものが多い。

「すまない。洗脳……いや、精神系統の魔法……と、その……解呪魔法が書かれたものが見たいのだが……」

「かしこまりました」

 俺は言葉を選びながらカウンターの司書に伝えた。だいぶ怪しい質問をしている自覚はある。しかし妙齢の女性司書は気にも留めていないようで、キリリとした眼差しで検索している。この女性、メガネと深緑の髪が誰かに似ているような……
 そんなとりとめもないことを考えていると、いくつか候補が上がる。礼を述べて棚に向かった。探しだした資料をペラペラとめくるも、求めていたものとは違ったようだ。
 悪用の恐れがあるのに、ほいほい置いてあるはずもないか……。あっても禁書の類いだ。それこそ王族しか知ることができないような……。
 項垂れた目線の先は橙色に染まっていた。すっかり陽が傾いて、足元から長い影を落とす。

「あぁ、もう殿下を締め上げたほうが早い気がしてきた……」

 疲れから、思わずぼやきが漏れる。どうせ誰にも聞かれることなどないーーと、思っていた。

「へぇ、真面目そうな顔して物騒なこと考えてるんだねぇ」

「っ!?」

 頭上から声がした。仰ぎ見れば、丈が会わない制服を着た少年が丸まってぷかぷか浮かんでいる。短く整えられた水色の髪はその整った顔を包むようで、すき間からは血のように真っ赤な目が覗く。
 
「あぁ、ごめんごめん。ついね」

 舌を出しておどけてみせる少年に、俺は口をぽかんと開けることしかできなかった。
 13歳くらいの少年が、体を上下逆さにしたまま話を続ける。
 彼こそが俺の探していた人物。俺と同じく今日入学の特待生。魔導の始祖の生まれ変わりともいわれた人物。
 そうだ、思い出した。名前はーー

「僕はミュソーティス・コルピオ。君は?」

「ジニアだ。ジニア・クローバー」

「クローバー? 北のクローバー家か。あそこは今大変だよねぇ。かつては独立だって夢ではなかったのに」

 ずきりと胸が痛んだ。
 この国は大きく分けて四つの公爵家に支えられている。作物が豊富な南のハート家、優秀な魔導師を多数輩出する西のスペード家、鉱山が有名な東のダイヤ家、それに我がクローバー家。
 クローバー領は寒さこそ厳しいが、西側に大きな港が連なっている。そのため、海産物と外交事業によって潤沢な金銭を得て、税金の安い土地としてその名を轟かせていた。しかし、数年前に北東の国と戦になった折、主戦場となったために土地も資金も枯れ果てた。
 だからこそ義姉上は離れたかったのかもしれない。荒れた故郷を捨てて、ひとり自由で豊かな生活を望んだのだろう。悔しさに奥歯を噛み締める。
 と、ミュソーティス殿は申し訳なさそうに降りてきた。地面に足をつけていると、つむじがよく見える。

「……ごめん、ジニア・クローバー。君を傷つけるつもりで言ったんじゃないんだ。
 現当主様のご活躍があって、以前よりずいぶん安定しているし、これからが期待されている土地だと思うよ」

 慰められてしまった。そんなに傷ついた顔などしていたのだろうか。
 見た目相応の叱られた子どものような姿がなんだかいたたまれなくて、ポンと手のひらでそのつむじを覆った。

「いいや、俺こそすまない。ミュソーティス殿の言うとおり、まだ領民の生活が満足と言えないのも本当の話だ。だからこそ俺はこの学園で力をつけて、盛り立てていかねばならない」

  たしかに養父上の尽力によって、その日生きるのも苦しいような人はかなり減った。義姉上が継げなくなった今、俺こそがクローバー家の運命を左右する存在だ。

「ところで、どうしてそのクローバー家の次期当主が『殿下を締め上げる』んだい?」

 ぐっと言葉に詰まった。嫌な汗がだらだらと背中を伝って気持ちが悪い。そうだ。聞かれてはマズイことを聞かれてしまったのだった。
 もしミュソーティス殿が貴族の誰かに漏らせばクローバー家の取り潰しもありえる。
 にこにこと無垢な笑顔を浮かべているが、かえって信じられない。

「……ミュソーティス殿、どうか聞き違いということにしておいてはくれないか?」

「いいや、ダメだね。だってそんな面白そうな話、逃せないよ」

 養父上、誠に申し訳ございません。愚かな俺のせいでクローバー家の命運は目の前の少年の手の内です……どうにか俺ひとりが罪を被るだけに留めてもらうよう致しますので、どこからか新しく養子をお取りください……
 俺は心の中でそっと養父上に懺悔し、後を託した。
 しかしミュソーティス殿はイタズラな笑みと共に、こちらの思惑とは違うことを口走った。

「僕に、君の手伝いをさせてよ」
 
 窓の向こうは夕暮れと夜が混じりあい、奇妙な美しさを描いていた。
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