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第一章 義姉上の死亡記録

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 とうに日が暮れてしまったので、今日はひとまず寮へ戻ることとなった。石畳で揃えられた道の両脇には等間隔で街路灯が置かれている。ガラスの中には光の魔法が込められている。
 見上げれば、空には星が瞬いていた。ミュソーティス殿は、俺より数歩先を軽い足取りで進んでいる。一体なにを考えているのやら……

「あぁ、そうだ。『ミュソーティス殿』なんて長いだろう? 僕のことはミューでいいよ。よろしくジニア」

「はっ。しかし……」

 本人に言えるはずもないが、俺はこの方の未来を知っている。たしかルフィナ様が悪しき魔導師たちに捕まった際に、彼が救いだしたこともあった。俺はその事件を後から知ったが、噂ではアジトとなっていた洞窟をまるごと壊した……とも。想像したら少し背筋が寒くなってきた。
 今はただの同級生とはいえ、つい遠慮してしまう。
 なかなか返事をしない俺を振り返り、ミュソーティス殿は苛ついたように腰に手を添えて、あのねと続けた。

「僕はこんな見た目をしているせいでつまんない連中に絡まれることが多いんだ。そのぶん君は体が大きいし、強そうだ。君と親しくしていれば、僕は無用な争いをしなくてよくなる。
 どうだい? か弱い僕のために、人助けだと思って、どうかよろしく頼むよ」

 人懐っこい笑みで人助けとまで言われては断りづらい。と、俺が考えることまで計算のうちなのだろう。
 だが…… 

「……貴方なら、簡単に返り討ちに出来るのではないのですか?」

「敬語もいらないよ」

 ミュソーティス殿……いや、ミューは俺の質問に答えるかわりに、ひらひらと手を振った。
 観念するしかないか……

「……ミュー、どうして俺を手伝うなんて言ったんだ? 一歩間違えればどうなるか分からないぞ」

 いかに俺が公爵の跡取りでも、ミューが凄腕魔導師でも到底及ばない。
 なぜなら相手は清廉潔白の第一王子。権力でも人望でもケタ違いの人物。俺たち二人の命など、吹けば消える蝋燭の火のようなものだ。
 街灯が逆光となり、ミューの顔に影が落ちる。なにか重い理由があるのかと考えて、思わず唾を飲み込んだ。しかし次の瞬間にはあっけらかんと言い放った。

「簡単なことさ。僕はこの世のすべての魔法を修めたいんだ。たとえそれが王族の秘術でも、さ。
 アレックス殿下はあれでいて抜け目ない人だし、ゴマスリなどは僕のやり方じゃない。
 君が殿下からなにか聞き出そうとしているなら、御相伴にあずかろうと思ってね」

 なんてことだ。己の知識欲のためだけに、こんな危険な橋を渡ろうというのか!
 だが、その貪欲さが彼の強さを作っているということか……。

「それに、上手くいけぱ第一王子かクローバー公爵家どちらかの弱みも掴めそうだろう?」

 訂正する。ミューの強さはそれだけではないようだ。要領がいいというか、しっかりと利益を掴みにいく姿勢が強い。それを俺自身に教えてくれたのは、彼なりの誠意なのかもしれない。もしくは忠告か。
 なんにせよ、一筋縄ではいかない少年だ。

「それで? 僕の理由はこんなものだけど、ジニアは?」

「俺の目的は、義姉上を取り戻すことだ」

「……あね? 君、お姉さんがいるのかい?」

 ミューは小首を傾げている。あまり社交界に詳しくないのだろう。そういった者は、カルミアがクローバー家の令嬢とは知らないことも多い。
 一年前のあの日から、俺が義姉上と呼ぶことはなくなった。声に出したのはずいぶん久しぶりのことだ。

「カルミア様のことだ。今でこそあのような方だが、昔は穏やかでとても優しいお方だった。殿下と婚約されてからは、まるで人が変わられたように苛烈になって……」

 あちらこちらで『第一王子の婚約者』と喚いていたのだ。名前を出せば分かるだろう。
 貴族の中には、権力に目が眩んで人格が変わったのだと揶揄する者も多い。ミューの反応をちらりと伺う。

「えぇー……。カルミア様って、カルミア様? 彼女が穏やかで優しい……? 全く想像が付かないな……」

 どうやらかなり困惑しているようだ。頭を抱えながら、ぐるぐると浮遊魔法で縦回転している。酔わないのだろうか。いや、図書館でもずっと浮いていたから、浮遊は癖なのかもしれない。
 ミューの回転が止まった頃には、男子寮の玄関まで着いていた。
 寮とはいえ、かなり大きい。校舎と同じ赤レンガに黒い屋根どちらも金で縁取りされている。まわりの白い塀には薔薇が囲い、入り口は草のアーチが架かっている。
 一階と二階は相部屋で、三階以上はひとり部屋。上の階へ行くほど高い階級になる。階ごとに設備も変わっているらしい。俺は養子とはいえ公爵家なので、最上階の七階だ。

「それじゃあまた。明日からよろしくね」

 まだまだ話足りないが、六階の廊下でミューと別れた。蔓草模様の芥子色の絨毯の上で小さな背中さらに小さくなっていく。
 七階の絨毯は濃い紫色だった。金糸が編み込まれているようだが、銀糸のほうが良かったんじゃないか? いや別に義姉上の目が紫で、殿下の髪の色が金だからとかそういうわけじゃないのだが。決して。
 奥から二番目の部屋が俺の部屋。戸をあけると、背筋のピンと伸びた熟年の燕尾服の男が迎えた。

「おかえりなさいませ、坊っちゃま。温かい紅茶をご用意してございます。召し上がられますか?」

「あぁ、ちょうど体が冷えていたんだ。ありがとう」

「春とはいえ、外はまだまだ寒いでしょうから。それではこちらへ。ひざ掛けをお使いください」

 お辞儀の際に、そのゆるりとカーブを描いた黒髪がわずかに揺れた。元の姿勢に戻れば、前髪はキッチリと左側に収まる。彼の名前はマークス。学園生活のあらゆるサポートをしてくれる頼れる執事だ。年齢は俺と倍以上の差があるが、それを感じさせない。

「マークス、これでも卒業すればクローバー領を背負って立つ身。『坊っちゃま』なんてしてくれないか」

「いいえ。わたくしにとっては坊っちゃまは坊っちゃまでございますれば。どうか爺の我が儘をお許しください」

 マークスには幼い頃から世話になっている。何度か打診してはいるが、今年もダメか。
 カルミア様だってあれほど変わったのに、マークスにかかればいつまでもお嬢様なのだ。もはや仕方ないと諦めるべきか。
 俺好みの紅茶で体がじんわり熱くなる。うん、美味い。もう一杯欲しいところだな。

「マークス」

「坊っちゃま、あまり飲まれてはベッドに世界地図ができてしまいます」

「誰がこの年でおねしょなどするかっ!!」

 やはり認識を改めさせるべきだった!
 結局二杯目は口にせず、浴室で暖まってからマークスの整えたふかふかのベッドに寝たのであった。
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