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A03運行:特命掛のハジメテ
0040A:僕はただ、彼の無事を願っているだけなんだ
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東京―――東京駅前・鉄道院丸の内本庁舎―――
「おお、嶋くん!」
古い仕立てのスーツを着込んだ大男は、ずかずかとその部屋に入ってきた。
「総裁、もうお戻りになりましたか」
「いやいや、全国行脚はまだ中途。だが、明日は国会答弁があるでな、少しだけ戻ってきたというわけだ」
「さようでしたか」
嶋は無表情にそう言うと、総裁のためにお茶を出そうとした。それを総裁は慌てて止める。
「君のような者がそんなことをしちゃいかん。それはいいから、すわりなさい」
「では、失礼して」
嶋は再び腰を下ろすと、総裁十合に向き直った。
「電話でも話した通り、彼らは君の管轄下になる。まあ、彼らには自由裁量で行動させるつもりだから、重大事故などが無い限りはとくに呼びたてることもあるまい」
だから、君の面倒は限りなく少ないはずだ。と十合は取り繕うようにそう言う。嶋はそれを笑って受け取った。
「別に構いませんよ。技術に関するあれこれは、私も詳細な報告が欲しかったところです。ただ……」
嶋は彼らの名簿を見て、不愉快そうに目を細めた。
「なにか、問題でもあるかね」
「他の三人は面識がありませんが、彼に関しては少々どころでなく知己があるものでね」
彼はその渋い顔を崩さない。十合は、それを見て、はて? という顔になる。
「総裁。僕は鉄道省時代、工作局で彼の上役でした」
「そうか。井関君は君の部下か」
ここでやっと、十合は膝を叩いた。それからして、彼はまた不思議そうな顔をする。
「彼は優秀な人物だと思ったのだが、君はそうは思っていないようだ」
十合は嶋の表情をそう指摘した。嶋は無表情のまま、静かに彼を論じた。
「彼は優秀ですよ。技術的な見識、洞察力、それから他所の人間との調整力。どれをとっても申し分ない」
その言葉は、井関次郎を褒め称えているようだった。だが、その表情はまったくもって彼を誉めてなどいなかった。
「では君、いったい彼の何が問題だというのかね」
当然、それに気が付かない十合ではない。彼はじっと嶋の目を見据える。
「優秀すぎるんですよ、官僚としてね」
彼は少々言葉を濁しながら、それだけを言った。
「なるほど。それは彼のとても手痛い短所かもしらん」
十合はそれに対し、賛同の意を述べた。だがそののちに、ただし、と続ける。
「その心配なら、もういらないとワシは思うがね」
十合はまるでいたずらっ子のように笑った。彼がこの笑顔を見せるとき、その時にどんなことが起こるかを、嶋は知っている。だがそれでも、嶋は半信半疑だった。
「まあ、せいぜい働くのは間違いないでしょうから、しばらくはそれを見届けたいと思います」
「それがよかろう。ああ、彼らはもうすぐ連絡船を降りる頃だ」
十合が時計をちらりと見る。もうすでに、時刻は夜半を告げようとしていた。
「……北海道、ですか」
「ああ。……そうか、下田君がかの地で客死を遂げてから、もう6年になるのか」
「ええ、残念でなりません。まずは、彼らが無事に北海道の地を抜けられるよう、願いたいと思います」
「そうか。だが、それは少し無理なようだ」
十合は、嶋に向かって少し申し訳ないような顔になった。
「どういうことです?」
「彼らには、北海道での連続車両故障事故の原因究明に向かうよう、指示を出したばかりだ」
「さようでしたか……。いえ、それが彼らの任務でしょうから」
嶋は暗い顔のまま、そう言った。
「総裁は、明後日からまた行脚へ戻られるのでしたね」
「ああ、そのつもりだ」
「総裁、もう北方へだけは、行かんでくださいよ」
嶋は逆に、十合の目をまっすぐに見据えてそう言った。
「嶋くん。樺太にも鉄道員がいるんだ。彼らを見捨てるわけには」
「総裁!」
嶋は珍しく大きな声を出す。それに自分自身で気が付いて、あわてて腰を下ろした。
「……今回は、もういかないよ」
心配をくれてありがとう。十合は、あいまいにそう言葉を濁すだけだった。
「おお、嶋くん!」
古い仕立てのスーツを着込んだ大男は、ずかずかとその部屋に入ってきた。
「総裁、もうお戻りになりましたか」
「いやいや、全国行脚はまだ中途。だが、明日は国会答弁があるでな、少しだけ戻ってきたというわけだ」
「さようでしたか」
嶋は無表情にそう言うと、総裁のためにお茶を出そうとした。それを総裁は慌てて止める。
「君のような者がそんなことをしちゃいかん。それはいいから、すわりなさい」
「では、失礼して」
嶋は再び腰を下ろすと、総裁十合に向き直った。
「電話でも話した通り、彼らは君の管轄下になる。まあ、彼らには自由裁量で行動させるつもりだから、重大事故などが無い限りはとくに呼びたてることもあるまい」
だから、君の面倒は限りなく少ないはずだ。と十合は取り繕うようにそう言う。嶋はそれを笑って受け取った。
「別に構いませんよ。技術に関するあれこれは、私も詳細な報告が欲しかったところです。ただ……」
嶋は彼らの名簿を見て、不愉快そうに目を細めた。
「なにか、問題でもあるかね」
「他の三人は面識がありませんが、彼に関しては少々どころでなく知己があるものでね」
彼はその渋い顔を崩さない。十合は、それを見て、はて? という顔になる。
「総裁。僕は鉄道省時代、工作局で彼の上役でした」
「そうか。井関君は君の部下か」
ここでやっと、十合は膝を叩いた。それからして、彼はまた不思議そうな顔をする。
「彼は優秀な人物だと思ったのだが、君はそうは思っていないようだ」
十合は嶋の表情をそう指摘した。嶋は無表情のまま、静かに彼を論じた。
「彼は優秀ですよ。技術的な見識、洞察力、それから他所の人間との調整力。どれをとっても申し分ない」
その言葉は、井関次郎を褒め称えているようだった。だが、その表情はまったくもって彼を誉めてなどいなかった。
「では君、いったい彼の何が問題だというのかね」
当然、それに気が付かない十合ではない。彼はじっと嶋の目を見据える。
「優秀すぎるんですよ、官僚としてね」
彼は少々言葉を濁しながら、それだけを言った。
「なるほど。それは彼のとても手痛い短所かもしらん」
十合はそれに対し、賛同の意を述べた。だがそののちに、ただし、と続ける。
「その心配なら、もういらないとワシは思うがね」
十合はまるでいたずらっ子のように笑った。彼がこの笑顔を見せるとき、その時にどんなことが起こるかを、嶋は知っている。だがそれでも、嶋は半信半疑だった。
「まあ、せいぜい働くのは間違いないでしょうから、しばらくはそれを見届けたいと思います」
「それがよかろう。ああ、彼らはもうすぐ連絡船を降りる頃だ」
十合が時計をちらりと見る。もうすでに、時刻は夜半を告げようとしていた。
「……北海道、ですか」
「ああ。……そうか、下田君がかの地で客死を遂げてから、もう6年になるのか」
「ええ、残念でなりません。まずは、彼らが無事に北海道の地を抜けられるよう、願いたいと思います」
「そうか。だが、それは少し無理なようだ」
十合は、嶋に向かって少し申し訳ないような顔になった。
「どういうことです?」
「彼らには、北海道での連続車両故障事故の原因究明に向かうよう、指示を出したばかりだ」
「さようでしたか……。いえ、それが彼らの任務でしょうから」
嶋は暗い顔のまま、そう言った。
「総裁は、明後日からまた行脚へ戻られるのでしたね」
「ああ、そのつもりだ」
「総裁、もう北方へだけは、行かんでくださいよ」
嶋は逆に、十合の目をまっすぐに見据えてそう言った。
「嶋くん。樺太にも鉄道員がいるんだ。彼らを見捨てるわけには」
「総裁!」
嶋は珍しく大きな声を出す。それに自分自身で気が付いて、あわてて腰を下ろした。
「……今回は、もういかないよ」
心配をくれてありがとう。十合は、あいまいにそう言葉を濁すだけだった。
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