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A08運行:はつかり、がっかり、じこばっかり

0082A:がっかりの真相は、かなり根が深そうである

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 幸いにして火はすぐに消し止められた。車掌そして四人の素早い避難誘導と運転士の適切な判断、そして地元消防団の果敢な消火活動が功を奏した形である。

 だがその横で四人は愕然とした。

「これまで数件の事故を見てきたが、まさか自分たちが事故当時者となるとはね」

 笹井は涼しい顔をしているが、膝がガクガクと笑っている。その隣で小林が平然としていた。

「こりゃあ都合がいいじゃないか。さっさと捜査を終えてしまおう」

 そうすりゃ、青森まで逆戻りしなくていいね、儲かった。と、特に動揺するでもなくうそぶいた。

「小林の精神の強靭さには助けられるよ。君はやはり陸軍あたりがお似合いじゃなかったのかい」

「いやだね、あんな精神力しか能がない連中は男はやはり海軍じゃなきゃ」

「じゃあ、なんで海軍にはいかなかったんだ?」

「いあやだよあんな精神力もアタマも足りないようなとこ」

「お前それ、絶対に霞ヶ関では言うなよ……」

 笹井の膝が大笑いを始めたところで、井関はそそくさと車輛の床下にもぐりこんだ。

「なるほど、ボクの予想は当たっていたわけだ」

 井関が指さす先にあるのは、エンジン。そして銘板には「DMH17」の文字。

「さすがです、先輩!」

「へへん! ……しかし、なぜこんな事故が起きたかね」

 井関は首をひねる。

「DMH17はもうすでにキハ10、キハ55系列で実績は十分です。そも、戦前から同系統エンジンを使用しておきながら、火災に至ったのは燃料にガソリンを使用していた西成の事故だけです」

「ああ、GMH17を使用していたキハ07の脱線事故、西成線脱線火災事故だけだな」

 井関は漏れた燃料の臭いを嗅ぐ。

「間違いない、軽油だ」

「西成線火災事故を契機として、鉄道用燃料としてのガソリンは使用を禁止されたハズです」

「逆を言えば、もしこの燃料がガソリンだったら、我々は今ここに居ないかもしれないということだ」

 二人が冷静にそう言う横で、笹井は線路上であぐらをかいていた。

「どうした笹井。腰が抜けたか?」

「ああ、もう無理だ」

 笹井は真顔で返した。

「西成線火災事故と言えば、国内最悪級の脱線事故じゃないか」

「そうだね。あの事故の犠牲と教訓が、我々を生かしてくれたことは間違いない」

 井関は床下で油まみれになりながらそう答える。

「しかし、今回の事故原因はなんだろう。悲惨な事故から学んだ優秀なエンジンなんだろう?」

「戦前のモノとしては、という但し書きが付くがね。ただ、安全性はそこまで悪くないはずなのだが……」

「しかし先輩、これは普通のDMH17と少し違いませんか」

 水野がそう指摘する。

「どういうことだ、水野」

「普通、DMH17は縦置きで設置します。しかし、ここではエンジンが横置きになっています」

「なにぃ!」

 水野にそう指摘されて慌てて確認すると、確かにエンジンは横置きで配置されていた。

「……なあ、水野。エンジンの横置きと縦置きってなんだ」

「簡単ですよ笹井先輩。DMH17は直列8気筒エンジンですがこの時シリンダは天地方向となります。しかしそれでは上下に大きく場所を取ってしまうためにそれを90度回転させて横置きとし、シリンダが地面と平行に運動するようにしたのが横置き設置であり、これはすなわち水平型エンジンとも……」

「水野、ストップ。笹井にはわからん」

 暴走し始めた水野を油たっぷりの手で制止すると、井関は簡単に答えた。

「普通のエンジンは客室床に穴をあけてそこから点検整備をする。だが特急ではこれだと都合が悪いから、横から整備が行えるように工夫した。それがこの横置きエンジンだ」

「……井関が技術者として優秀なことはよくわかった」

「お褒めの言葉をどうも。君も国鉄マンなら今の言葉くらいは理解できるようになってくれんか」

「なんだい井関。君は僕の代わりに頭の固い大蔵省連中とやりあってくれるのかい?」

「いいかい水野。人には得手不得手がある。無理をする必要はない。大事なのは自分が何をできないかよく把握しておくことだ」

「その点において井関は模範的だな」

 小林の軽口を無視して、井関は手に着いた油をぬぐった。そして、こう結論付ける。

「今回の事故はエンジンを横置き設置したことによる不具合だ」

「お判りになりましたか」

 その時、運転士がやってきた。彼は狼狽した様子で敬礼をした。

「運転士さんもこの原因にたどり着いていましたか」

「故障のたびにエンジンをあやして・・・・いましたから。嫌でもわかります」

 運転士は大きくため息をついた。

「横置きエンジンはとても精密な設計が必要とされます。本邦では中島飛行機ががんばって国産横置きエンジンを開発しようとしていますが、未だ成功をおさめてはいません」

「仰る通り、横置きエンジンの設計はかなり難しい。このDMH17横置き型は、ただ今までのエンジンを横置きにしただけだ。これでは不具合が出るはずだよ」

「貴方は確か、本庁の技官の方でしたよね」

 運転士の眼が険しくなる。

「お願いですから、まともに走る車両を作ってください。駄々っ子のお守りはもうたくさんです……」

 彼はひどく疲弊した様子で、そうつぶやいた。



 列車は小牛田の車両基地に運ばれた。井関はそこから嶋に電話を掛ける。

『ご無事でしたか』

 嶋の開口一番はそれだった。

「ええ、なんとか。それよりも調査結果ですが……」

『待ちなさい、君たちは被害者ですよ。煙を吸い込んで怪我などしていないか一度病院で……』

「ご心配ありがとうございます。しかし、我々は全員ピンピンしております。小林なんかは、お気に入りの松島を眺める時間が増えたと喜んでいる始末です」

『それなら安心しました。それで、事故原因は?』

 嶋に促されるままに、今見てきたありのままを嶋に伝えた。すると、電話の向こうから頭を抱えるような沈痛な雰囲気が漂ってきた。

「あの、技師長?」

『井関君、ご苦労でした。この件は少々、長くなることでしょう』

「と、いいますと?」

 嶋はため息とともに二の句を継いだ。

『この件にはくだらない国鉄内政治とその暴走が、深くかかわっているのです……』
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