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A08運行:はつかり、がっかり、じこばっかり

0083A:嫌なにおいが、東京からやってくる

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 先述の通り、”はつかり”はとても困難な環境で走行する。そのため、嶋は現場の日本の鉄道用エンジンでは不適と考えた。
 だから新型気動車デーゼル特急においては、米国製エンジン、旧ドイツ系エンジン、若しくは陸海軍の制式エンジンを搭載することを目論んでいた。

 プロジェクトの前倒しにより嶋から近衛に主権が渡った後も、嶋は当然この線で開発が進むものと思っていた。しかし、出てきたのは……。

「なぜ、使用エンジンがDMH17なのですか」

 嶋は近衛の発言を遮ってそう問いかけた。近衛はあっけらかんと答える。

「これで問題ないと判断しました」

「すみませんが、エンジン審査過程と車輛設計のプロセスについての詳細を報告してください。当初の検討案から大幅に……」

「その必要はありません。藤居局長からの裁可は頂いております」

 近衛は毅然と、そしてその瞳に自信をたっぷりと湛えながら答える。嶋は目の前がクラクラとしてしまう。

「DMH17は200馬力を越えるか超えないか程度の出力しかありません。計画では強力なDMF31系エンジンを使用するはずだったでしょう」

「あー……。そのエンジンは開発に失敗したようです。ですので、私の判断で搭載を取りやめました。もちろん、裁可は頂いております」

「失敗した? その様な報告は受けておりません。どのように失敗したのですか、詳細を……」

「嶋さん!」

 言い募る嶋を、近衛は一喝した。

「今、気動車開発の責任者はこのアタシであります。今の貴方の職責は、”シンカンセン”とやらの開発でしょう? おっと失礼」

 さすがに総裁の前で新幹線を揶揄するのはマズいと思ったのか、おどけたように口をつぐむ。だがすぐに元の顔に戻って、こう言い放った。

「私がよいというのだから、よいのです」

 ピシャリ。近衛は取り合うこともなく、そう言って報告を終わらせてしまった。

「……試運転すら、ロクに行われていない。本当にDMH17で大丈夫なのかどうか、よくよく検討すら行われていない」

「嶋くん、一応言っておくがDMH17はなにも悪いエンジンではない。現に、キハ55系などの急行型気動車には、既に使用され実績がある」

 黙り込んでしまった近衛の代わりに、藤居が口をはさむ。それでも嶋は頑なだ。

「キハ80を使用して、”はつかり”と同じダイヤスジで運転を行いましたか? 営業運転と同じ環境を用意して、問題がないことを確認しましたか?」

 嶋は総裁の方へ向き直る。

「総裁、危険です。”はつかり”の運転は取りやめるべきです」

「ううむ……」

 総裁は難しい顔をした。だが、しばらくたってその口から出てきたのは、嶋の言葉を否定するものだった。

「世界鉄道会議がある」

 この言葉だけで、嶋は自分の提案が退けられたことを悟った。それほどに、二人の信頼関係は深いものである。

「わかりました。しかし、もし万が一のことがありましたら、即座に臨時特殊事故調査掛を招集し事故調査にあたってもらいましょう。そして、その決定を我々は尊重することとする。よろしいでしょうか?」

「ああ、嶋君の言う通りで構わんよ」



『このように、キハ80の開発はかなり杜撰に行われました』

 嶋は苦々し気にそう言う。

「そんな経緯があったのですね」

『問題はこれからです。事故があったからには、キハ80を東北本線から一掃せねばなりません。ここに、君たちの調査がかかっています』

 井関は身が引き締まる。国鉄を、いや、日本を揺るがしかねない大事件がここに在る。

『先般の通り、キハ80は世界鉄道会議における諸外国へのアピールとしての意味合いが強い車輛です。これがこのまま”がっかり”では、世界への良い恥さらしです。ぜひ、君たちの手で食い止めてください』

「はぁ、といっても、我々はなにをすれば……」

『DMH17の息の根を止めてください。あれにはまだまだ、数々の問題が眠っています。それを解き明かすことによって、この状況を改善する一歩としましょう』

「わかりました、そうしましょう」

 ご命令とあらば、確かに拝命……。そう言いかけたとき、嶋は食い気味にこう言う。

『気を付けてください、井関君』

「……何を、ですか?」

 いきなりの言葉に井関は困惑する。嶋は更に語気を荒げてこう言った。

『そちらに近衛技師が向かいました。おそらく、君たちと接触するつもりでしょう。会議での挙動からみて、彼は何らかの不正を……』

 そう言いかけたとき、井関の肩がポンと叩かれた。

「あ、あなたは……!」

 そこに居たのは、今イチバン会いたくないその人物だった。
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