白い結婚のはずでしたが、選ぶ人生を取り戻しました

ふわふわ

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第13話 使用人たちの動揺

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第13話 使用人たちの動揺

 最初に異変を感じ取ったのは、使用人たちだった。

 それは大きな事件でも、派手な衝突でもない。
 むしろ、あまりにも些細で、あまりにも静かな違和感だった。

「……最近、奥様のことを“奥様”と呼ぶの、自然になってきましたよね」

 洗濯室で、若い侍女がぽつりと呟いた。

「えっ……言われてみれば」 「最初は、どこか“仮の方”みたいな感じだったのに……」

 言葉の続きを、誰もはっきりとは口にしない。

 だが、全員が理解していた。

 ――ディアナ・フォン・ヴァイスリーベは、
 “白い結婚の妻”という噂とは、まったく違う。

 厨房では、料理長が腕を組んで唸っていた。

「……やりにくいと思っていたんだがな」

「何がです?」

「奥様だ」

 料理長は、火を落としながら言う。

「もっと口出しされると思っていた」 「貴族の奥様ってのは、たいていそうだ」

「でも……」

「そう。しない」

 それどころか。

「気づいたことを、聞かれたときだけ言う」 「しかも、全部が“現場目線”だ」

 厨房の者たちは、頷き合う。

 無理な要求はない。
 だが、改善の余地は正確に突いてくる。

「……正直、助かってます」

 誰かが、そう本音を漏らした。

 一方で、不安も広がっていた。

「でも……これでいいのかな」 「公爵様は、奥様のこと……どう思ってるんだろう」

 その疑問は、使用人たちの胸に共通していた。

 噂では――。

 冷徹公爵と、白い結婚。
 感情のない、形式だけの夫婦。

 だからこそ、距離を保っていた。
 深入りしないようにしていた。

 だが、現実は違う。

 奥様は、屋敷に自然と馴染み、
 仕事を楽にし、
 人を追い詰めない。

(……これで、“形だけ”なのか?)

 答えが出ないまま、日々は過ぎていく。

 ある日の午後。

 廊下で、数人の使用人が立ち止まった。

 先の方から、ディアナが歩いてくる。

 自然と、姿勢が正される。

「……あ」

 ディアナは、その様子に気づき、足を止めた。

「何か、困りごとでも?」

 声は、いつも通り穏やかだ。

「い、いえ……!」

 若い使用人が慌てて首を振る。

 だが、視線が泳いでいる。

 ディアナは、少しだけ考えてから言った。

「無理に言わなくても構いません」 「ただ……気になることがあれば、遠慮なく」

 それだけ告げて、去ろうとする。

 だが――。

「……奥様」

 背後から、思い切ったような声がかかった。

 振り返ると、年配の侍従が一歩前に出ていた。

「失礼を承知で、お聞きしても……」

「ええ」

「奥様は……この屋敷に、長くお住まいになるおつもりですか?」

 一瞬、空気が張りつめる。

 周囲の使用人たちが、息を呑んだ。

 ディアナは、驚いたように目を瞬かせ――
 それから、静かに微笑んだ。

「……その質問が出るとは、思っていませんでしたわ」

 責める気配はない。

「正直に申し上げますと……」 「私は、“居座る”つもりで来たわけではありません」

 ざわり、と小さな動揺が走る。

「ですが」

 ディアナは、言葉を切り、続けた。

「ここでの生活を、軽く考えているわけでもない」 「皆さんのお仕事を、仮のものだとも思っていません」

 使用人たちは、じっと耳を傾ける。

「私にとって、この屋敷は――」 「今、大切にすべき“場所”です」

 それ以上でも、それ以下でもない。

 だが、その言葉は、十分だった。

 侍従は、深く頭を下げた。

「……ありがとうございます」

 その日の夕刻。

 クロヴィスは、執務室で報告を受けていた。

「……使用人たちが、奥様について話しています」

「問題か」

「いえ。むしろ……」

 執事は、一瞬言葉を選んだ。

「“噂と違う”と」

 クロヴィスは、ペンを止めた。

「どの噂だ」

「白い結婚で、形式だけの妻、という……」

 沈黙。

 クロヴィスは、ゆっくりと椅子にもたれた。

(……そう見えるように、整えたはずだ)

 だが。

(現実は、隠しきれない)

 ディアナは、前に出ない。
 だが、消えもしない。

 その存在は、いつの間にか“当たり前”になりつつある。

「……構わない」

 クロヴィスは、短く言った。

「仕事に支障が出ていなければ」

「はい」

 執事が下がった後、クロヴィスは一人で考える。

(……彼女は、線を守っている)

 だが、守りすぎている。

(まるで、“いつか離れる”ことを前提に)

 その考えに、胸の奥が微かにざわついた。

 夜。

 ディアナは、自室で書簡を整理していた。

 王都から届いた、数通の手紙。
 同情、探り、未練。

 どれにも、返事は書かない。

(……ここでは、私を“哀れな令嬢”として見ない)

 それだけで、十分だった。

 だが――。

(使用人の皆さんが、戸惑っている)

 それも、理解している。

 噂と現実のズレは、必ず誰かを混乱させる。

(……でも)

 自分は、無理に修正するつもりはなかった。

 真実は、声高に語るものではない。

 静かに、積み重なるものだ。

 ディアナは、灯りを落とす。

 白い結婚。
 形式的な夫婦。

 その“はず”の関係は、
 使用人たちの間で、すでに揺らぎ始めていた。

 そして、その揺らぎが――
 次に波及する先を、彼女はまだ知らない。


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