白い結婚のはずでしたが、いつの間にか選ぶ側になっていました

ふわふわ

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第30話 溺愛確定――選ばれ続ける理由

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第30話 溺愛確定――選ばれ続ける理由

 朝の光が、静かに差し込んでいた。

 グラーフ公爵城の中庭は、いつもと変わらぬ景色だ。
 噴水は穏やかに水を落とし、
 庭師は決められた仕事を淡々とこなしている。

 だが――
 城の中に流れる空気は、確実に変わっていた。

「……最近、公爵閣下の動きが、
 完全に奥方様中心ですよね」

 朝の準備をしながら、侍女の一人が小声で言う。

「ええ。
 “中心”というより……」

 女執事長は、言葉を選んだ。

「**“基準”**ですね」

 その言葉に、侍女たちは、納得したように頷く。

 予定を組むとき。
 会議を入れるとき。
 来客を受けるとき。

 必ず、
 「奥方様の都合はどうか」
 という一文が、前提として置かれる。

 それは、
 配慮ではない。

 優先順位だ。

 一方、当の本人――
 リオネッタ・ラーヴェンシュタインは、
 自室で、静かに身支度を整えていた。

(……少し、落ち着きませんわね)

 鏡に映る自分は、
 いつもと変わらない。

 だが、
 心の奥が、
 わずかに揺れている。

 昨夜のことが、
 まだ、完全には整理できていなかった。

 “白い結婚は、必要な始まりだったが、
 続ける理由にはならない”。

 アレスト・グラーフが、
 そう言ったときの声音。

 押しつけでも、
 甘言でもない。

 ただ――
 決めた人間の声だった。

 そこへ、ノック。

「……入れ」

 扉を開けたのは、
 女執事長だった。

「奥方様。
 本日の予定ですが……」

 差し出されたのは、
 簡潔にまとめられた一枚の紙。

「……?」

 リオネッタは、
 一瞬、首を傾げる。

「午後の会合が、
 取り消されています」

「取り消し、ですか?」

「はい。
 公爵閣下の判断で」

 女執事長は、
 少しだけ、言い添えた。

「“奥方には、
 今日一日は、
 自由に過ごしてほしい”と」

 リオネッタは、
 言葉を失った。

(……自由?)

 彼女は、
 “暇”を与えられる立場ではない。

 役割があり、
 期待があり、
 責任がある。

 それを、
 誰よりも理解しているのが――
 アレストのはずだ。

「……理由は?」

「“理由が必要なら、
 私が引き受ける”と」

 その一言で、
 すべてが伝わった。

 責任の所在。
 外への説明。
 内部の調整。

 すべて――
 彼が、背負う。

(……これは)

 保護ではない。

 選択だ。

 午前。

 アレスト・グラーフは、
 執務室で、側近たちに指示を出していた。

「本日の会合は、私が出る」

「ですが、
 奥方様が担当されていた件では……」

「承知している」

 即答。

「だが、
 今日は、私が判断する」

 理由は、
 説明されない。

 だが、
 誰も、異議を唱えない。

 なぜなら――
 それが、
 最も合理的だと、
 全員が分かっているからだ。

(……変わったな)

 側近の一人が、
 内心で思う。

 以前の公爵は、
 結果さえ出れば、
 人の負担には、
 踏み込まなかった。

 だが、今は――
 人を基準に、
 結果を組み立てている。

 午後。

 リオネッタは、
 久しぶりに、
 何の予定もない時間を過ごしていた。

 庭を歩き、
 本を読み、
 窓辺で、
 ゆっくりとお茶を飲む。

(……こんな時間)

 いつ以来だろう。

 “何かをしなければならない”
 という焦りが、
 ない。

 それが、
 こんなにも、
 心を軽くするとは。

 夕方。

 アレストが、
 彼女のもとを訪れた。

「……休めたか」

「ええ」

 素直な返事。

 彼は、
 その一言に、
 小さく頷いた。

「それでいい」

「……?」

「奥方は、
 “常に最善を出す存在”ではあるが」

 一拍、置く。

「消耗していい存在ではない」

 その言葉は、
 静かだった。

 だが――
 決定的だった。

「私は、
 奥方を、
 結果のために使うつもりはない」

 リオネッタの胸が、
 きゅっと締まる。

「……では、
 何のために?」

 彼女は、
 問い返した。

 アレストは、
 少し考え、
 そして、
 正直に答える。

「……共に生きるためだ」

 溺愛の告白としては、
 あまりにも、
 質素な言葉。

 だが――
 これ以上、
 確かな言葉はない。

 夜。

 二人は、
 並んで食事をしていた。

 形式ばらない、
 静かな時間。

「……不思議ですわね」

 リオネッタが、
 ぽつりと言う。

「何がだ」

「選ばれる側だったはずなのに……」

 彼女は、
 言葉を探す。

「今は、
 私が、
 ここにいることを、
 自分で選んでいる」

 アレストは、
 視線を向け、
 はっきりと言った。

「それでいい」

「……え?」

「私は、
 “選ばれる”よりも、
 “選び合う”方がいい」

 その言葉に、
 リオネッタは、
 小さく笑った。

 そして、
 静かに頷く。

「……私も」

 白い結婚は、
 もう、名ばかりだ。

 だが、
 情熱に流されることもない。

 支配も、
 依存もない。

 あるのは――
 尊重と、
 確かな溺愛。

 それこそが、
 彼女が、
 何度でも、
 この場所を選ぶ理由だった。


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