白い結婚のはずでしたが、いつの間にか選ぶ側になっていました

ふわふわ

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第40話 エピローグ――戻る必要のない場所

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第40話 エピローグ――戻る必要のない場所

 朝の光は、
 いつもと変わらず、
 グラーフ公爵城の庭を照らしていた。

 風は穏やかで、
 鳥の声が、
 静かに響く。

 だが――
 この場所に流れる空気は、
 確かに、
 以前とは違っていた。

 それを、
 誰よりも感じていたのは、
 リオネッタ・ラーヴェンシュタイン自身だった。


---

 彼女は、
 窓辺に置かれた机で、
 一通の書簡を読んでいた。

 封蝋は、
 見覚えのあるもの。

 王城から届いた、
 最後の正式通知だった。

> 旧来の婚約関係に関する
一切の記録は、
歴史資料として保管される。
今後、
当該案件について、
貴女へ連絡が入ることはない。



 簡潔で、
 事務的で、
 感情のない文面。

 だが――
 それで、
 十分だった。

(……終わったのね)

 怒りも、
 達成感も、
 なかった。

 ただ――
 静かな確信がある。

 もう、
 戻る必要はない。

 過去へも。
 役割へも。
 “選ばれる自分”へも。


---

 扉が、
 軽くノックされた。

「……入れ」

 入ってきたのは、
 アレスト・グラーフだった。

「朝から、
 書類か」

「ええ。
 これで、
 最後の一通ですわ」

 彼は、
 内容を見て、
 小さく頷く。

「……そうか」

 それ以上、
 何も言わなかった。

 過去を、
 掘り返す必要は、
 ない。

 すでに、
 二人とも、
 同じ場所に立っている。


---

 午前。

 二人は、
 並んで庭を歩いていた。

 特別な用事は、
 ない。

 予定表も、
 白い部分が多い。

 それは、
 怠慢ではない。

 選択の余地が、
 確保されている証だった。

「……不思議ですわね」

 リオネッタが、
 ぽつりと言う。

「何がだ」

「昔は、
 “何もしない時間”が、
 とても怖かった」

 アレストは、
 何も言わず、
 耳を傾ける。

「役に立っていないと、
 価値がないと、
 思っていましたから」

 彼女は、
 小さく笑った。

「今は、
 ただ歩いているだけで、
 十分だと感じます」

 それは、
 弱さではない。

 居場所を得た者の、
 安定だった。

「……それは、
 いい変化だ」

「ええ」

 彼女は、
 頷いた。


---

 昼前。

 城の人々が、
 二人を見送るように、
 軽く会釈する。

 かつてのような、
 緊張はない。

 尊敬と、
 信頼が、
 自然に混じっている。

 誰も、
 彼女を
 “元婚約者”として見ない。

 誰も、
 “政略の結果”とも見ない。

 グラーフ公爵夫人、
 リオネッタ・ラーヴェンシュタイン。

 それが、
 彼女の、
 今の名前だった。


---

 午後。

 二人は、
 小さな応接室で、
 向かい合っていた。

 書類も、
 議題もない。

 ただ、
 話すための時間。

「……これからのことですが」

 リオネッタが、
 口を開く。

「私は、
 すべてを、
 公爵夫人として
 生きるつもりはありません」

 アレストは、
 驚かない。

「当然だ」

「必要なときは、
 関わります。
 でも――」

 一拍、
 置いてから、
 続ける。

「それ以外の時間は、
 私自身として、
 選びたい」

 彼は、
 静かに、
 頷いた。

「それを、
 止める理由はない」

「……ありがとうございます」

 礼ではない。

 確認だ。

 そして――
 了承だった。

「私も」

 アレストは、
 淡々と言う。

「公爵としての役割を、
 優先する場面はある。
 だが――」

 彼女を見る。

「人生の主軸は、
 ここにある」

 その言葉に、
 リオネッタは、
 微笑んだ。

 それで、
 十分だった。


---

 夕方。

 城の高台から、
 領地を見下ろす。

 広がる景色は、
 変わらない。

 だが――
 自分の立つ場所が、
 違う。

「……昔は」

 リオネッタが、
 ゆっくりと言う。

「ここから、
 外を見ていた気がします」

「外?」

「ええ。
 “次に行く場所”を」

 アレストは、
 小さく頷く。

「今は?」

 彼女は、
 少し考えてから、
 答えた。

「……もう、
 探していません」

 そして、
 はっきりと言う。

「ここが、
 私の場所ですから」

 彼は、
 何も言わず、
 彼女の隣に立った。

 それが、
 答えだった。


---

 夜。

 灯りの落ちた部屋で、
 二人は、
 並んで座っていた。

 特別な言葉は、
 交わさない。

 抱擁も、
 誓いもない。

 ただ――
 同じ時間を、
 共有している。

 リオネッタは、
 心の中で、
 そっと、
 思った。

(……もし、
 あの婚約破棄が
 なかったら)

(私は、
 ここには、
 いなかった)

 だが――
 後悔は、
 ない。

 必要な別れだった。

 必要な終わりだった。

 そして――
 必要な始まりだった。


---

 リオネッタ・ラーヴェンシュタインは、
 もう、
 過去を振り返らない。

 戻る場所は、
 ないのではなく――
 戻る必要がない。

 自分で選び、
 自分で立ち、
 自分で並ぶ場所が、
 ここにある。

 それこそが、
 彼女の物語の、
 結末であり、
 始まりだった。

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