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第8話 情報のない処方箋
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第8話 情報のない処方箋
朝の国営薬局は、いつもより静かだった。
患者の列はある。
だが、苛立ちや不満の声が、目に見えて減っている。
――それは、数字にはまだ出ない変化だった。
「……昨日来た患者、今日は来てないな」
受付の薬師が、ぽつりと呟く。
「良いことじゃないか」
「まあ、な……」
誰も、それ以上は言わない。
国営薬局では、“来なくなった理由”を掘り下げる必要はないからだ。
ギ・メイは、今日も調剤台に立っていた。
処方箋を受け取り、目を通す。
――痛み止め。
――回復促進。
いつも通りの、短い文字列。
(やっぱり、何も書いていない)
彼女は、内心で肩をすくめる。
症状の程度。
発症からの時間。
慢性か急性か。
生活状況。
本来なら、判断材料はいくらでもあるはずだ。
だが、この世界の処方箋には――
効能名しか書かれない。
(これじゃ、万能薬が前提になる)
処方箋が“選択”を放棄している以上、
薬局側も選ばない。
結果として、
誰にでもそこそこ効く薬が、
誰にも最適ではない形で配られる。
それが、この薬局の仕組みだった。
「次」
患者は、若い男だった。
顔色は悪いが、歩けている。
「腹が痛くて……」
ギ・メイは、処方箋を見てから、男の顔を見る。
――一瞬。
それだけで、判断する。
(急性じゃない。
炎症も強くない)
彼女は、万能薬の配合を基準に、
刺激を抑え、持続性を上げる。
効能は同じ。
分類も同じ。
ただ、効き方が違う。
「こちらを」
男は礼を言い、去っていく。
昼過ぎ。
調剤室の隅で、少し騒ぎが起きていた。
「おい、聞いたか?」
「何が?」
「今朝来た婆さんだよ。
昨日まで、毎日来てたのにさ」
「……ああ」
「今日、礼だけ言いに来た」
小さなざわめき。
「“今日はもう大丈夫そうだから”って」
「……」
それは、国営薬局では珍しい行動だった。
薬をもらいに来ない患者。
それ自体が、前提外なのだ。
局長は、調剤室を見回した。
特別なことは、何も起きていない。
違反も、混乱も、ない。
だが――
結果だけが、確実に違っている。
「……原因は、処方箋だな」
ぽつりと、呟く。
近くにいた薬師が、驚いた顔をした。
「え?」
「情報が、なさすぎる」
局長は、帳簿を閉じる。
「効能名だけ書いて渡せば、
薬局は万能薬を出すしかない」
「それが普通では……?」
「普通だ」
局長は、肯定した。
「だが、
それを前提にしている限り、
結果は変わらん」
視線が、ギ・メイに向く。
彼女は、処方箋を読み、
同じ効能の中で、最適を選んでいる。
処方を無視しているわけではない。
逸脱もしていない。
ただ――
処方箋が語らない部分を、拾っているだけ。
「……医師が、書かない」
局長は、低く言った。
「だから、薬師がやるしかない」
それは、制度の穴だった。
夕方。
一人の患者が、再び現れた。
昼に腹痛で来た、若い男だ。
「……すみません」
「どうされました?」
「もう一度、礼を言いたくて」
調剤室が、静まり返る。
「さっきの薬、
本当に楽になりました」
それだけ言って、頭を下げる。
誰も、言葉を挟めなかった。
それは、
万能薬では、起きにくい光景だった。
局長は、その背中を見送りながら、
はっきりと理解した。
(問題があるのは、
ギ・メイじゃない)
処方箋だ。
情報を捨てた医療体制だ。
効率を優先し、
判断を放棄し、
結果の責任を曖昧にしてきた。
ギ・メイは、
その穴を“普通に”埋めているだけ。
ただし――
埋めすぎるほどに、鮮やかに。
その夜、局長は決めた。
この薬師は、止めない。
止める理由がないからではない。
止めれば、
この薬局が“間違っている”と
自分で認めることになるからだ。
ギ・メイは、帰り道で空を見上げた。
(処方箋が変わらないなら、
結果は、現場で変える)
それが、薬師としての答えだった。
そしてその答えは、
静かに、だが確実に――
国営薬局の前提を、書き換え始めていた。
朝の国営薬局は、いつもより静かだった。
患者の列はある。
だが、苛立ちや不満の声が、目に見えて減っている。
――それは、数字にはまだ出ない変化だった。
「……昨日来た患者、今日は来てないな」
受付の薬師が、ぽつりと呟く。
「良いことじゃないか」
「まあ、な……」
誰も、それ以上は言わない。
国営薬局では、“来なくなった理由”を掘り下げる必要はないからだ。
ギ・メイは、今日も調剤台に立っていた。
処方箋を受け取り、目を通す。
――痛み止め。
――回復促進。
いつも通りの、短い文字列。
(やっぱり、何も書いていない)
彼女は、内心で肩をすくめる。
症状の程度。
発症からの時間。
慢性か急性か。
生活状況。
本来なら、判断材料はいくらでもあるはずだ。
だが、この世界の処方箋には――
効能名しか書かれない。
(これじゃ、万能薬が前提になる)
処方箋が“選択”を放棄している以上、
薬局側も選ばない。
結果として、
誰にでもそこそこ効く薬が、
誰にも最適ではない形で配られる。
それが、この薬局の仕組みだった。
「次」
患者は、若い男だった。
顔色は悪いが、歩けている。
「腹が痛くて……」
ギ・メイは、処方箋を見てから、男の顔を見る。
――一瞬。
それだけで、判断する。
(急性じゃない。
炎症も強くない)
彼女は、万能薬の配合を基準に、
刺激を抑え、持続性を上げる。
効能は同じ。
分類も同じ。
ただ、効き方が違う。
「こちらを」
男は礼を言い、去っていく。
昼過ぎ。
調剤室の隅で、少し騒ぎが起きていた。
「おい、聞いたか?」
「何が?」
「今朝来た婆さんだよ。
昨日まで、毎日来てたのにさ」
「……ああ」
「今日、礼だけ言いに来た」
小さなざわめき。
「“今日はもう大丈夫そうだから”って」
「……」
それは、国営薬局では珍しい行動だった。
薬をもらいに来ない患者。
それ自体が、前提外なのだ。
局長は、調剤室を見回した。
特別なことは、何も起きていない。
違反も、混乱も、ない。
だが――
結果だけが、確実に違っている。
「……原因は、処方箋だな」
ぽつりと、呟く。
近くにいた薬師が、驚いた顔をした。
「え?」
「情報が、なさすぎる」
局長は、帳簿を閉じる。
「効能名だけ書いて渡せば、
薬局は万能薬を出すしかない」
「それが普通では……?」
「普通だ」
局長は、肯定した。
「だが、
それを前提にしている限り、
結果は変わらん」
視線が、ギ・メイに向く。
彼女は、処方箋を読み、
同じ効能の中で、最適を選んでいる。
処方を無視しているわけではない。
逸脱もしていない。
ただ――
処方箋が語らない部分を、拾っているだけ。
「……医師が、書かない」
局長は、低く言った。
「だから、薬師がやるしかない」
それは、制度の穴だった。
夕方。
一人の患者が、再び現れた。
昼に腹痛で来た、若い男だ。
「……すみません」
「どうされました?」
「もう一度、礼を言いたくて」
調剤室が、静まり返る。
「さっきの薬、
本当に楽になりました」
それだけ言って、頭を下げる。
誰も、言葉を挟めなかった。
それは、
万能薬では、起きにくい光景だった。
局長は、その背中を見送りながら、
はっきりと理解した。
(問題があるのは、
ギ・メイじゃない)
処方箋だ。
情報を捨てた医療体制だ。
効率を優先し、
判断を放棄し、
結果の責任を曖昧にしてきた。
ギ・メイは、
その穴を“普通に”埋めているだけ。
ただし――
埋めすぎるほどに、鮮やかに。
その夜、局長は決めた。
この薬師は、止めない。
止める理由がないからではない。
止めれば、
この薬局が“間違っている”と
自分で認めることになるからだ。
ギ・メイは、帰り道で空を見上げた。
(処方箋が変わらないなら、
結果は、現場で変える)
それが、薬師としての答えだった。
そしてその答えは、
静かに、だが確実に――
国営薬局の前提を、書き換え始めていた。
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