聖女と呼ばれたくなかった公爵令嬢は、静かにざまぁを選ぶ

ふわふわ

文字の大きさ
1 / 40

第一話 価値の一致

しおりを挟む
第一話 価値の一致

 王宮の謁見室は、いつもと変わらず静かだった。
 高い天井、磨き上げられた床、大理石の柱。何度も足を運んだ場所であり、今さら緊張する理由は何一つない。

 それでも――今日は、少しだけ空気が重い。

 正面に立つ王太子ヘルムハイムは、いつになく尊大な表情を浮かべていた。その隣には、まだ見慣れない若い女性が控えている。白を基調とした清楚な装い。胸元には、教会の紋章をかたどった聖具。

(ああ、なるほど)

 ヘレン・バートンは、内心で小さく頷いた。

 この配置、この間の取り方、この視線。
 説明など聞かなくても、結論はすでに見えている。

「ヘレン・バートン公爵令嬢」

 王太子が、わざとらしく咳払いをしてから口を開いた。

「本日は、正式に伝えるべきことがある」

 周囲に控える貴族や侍従たちが、息を潜める。
 誰もが、この場が“特別な瞬間”であることを察していた。

「君との婚約を――破棄する」

 やはり、という言葉すら浮かばなかった。
 ただ、予定されていた結論が、予定通りに口にされた。それだけだ。

 ヘレンは一切動揺を見せず、静かに王太子を見返す。

「理由を、お聞かせいただけますか?」

 形式上、必要な問い。
 王太子は、少しだけ満足そうに口角を上げた。

「簡単なことだ。君には……」

 一瞬、言葉を切り、周囲を見渡す。

「君は、公爵令嬢であること以外、何の魅力もない」

 空気が、凍りついた。

 侍従の一人が、思わず息を呑む音が聞こえた。
 あまりに露骨で、あまりに傲慢な言葉。

 だが、当の本人は気にも留めていない。

「感情を表に出さず、従順で、礼儀正しい。だがそれだけだ。君には、心がない」

 王太子は、隣の女性に手を差し伸べた。

「私は、真に愛し、民衆からも祝福される存在を妃に迎えたい」

「こちらが、新たな婚約者だ」

 女性は一歩前に出て、深く一礼する。

「聖女マルガリータと申します。以後、お見知りおきを」

 その声は澄んでいて、よく通った。
 いかにも“聖女”らしい声だと、ヘレンは思う。

 ざわめきが広がる。
 奇跡の聖女。最近、王都で噂になっている存在。

(流行の象徴、というわけね)

 ようやく、すべてが繋がった。

 ヘレンは、少しだけ首を傾げてから、穏やかに口を開いた。

「……そうですか」

 その声は、驚くほど落ち着いていた。

「では、婚約破棄を了承いたします」

 周囲が、どよめく。

「承諾するのか?」
「泣き崩れると思っていたのに……」

 そんな視線を感じながらも、ヘレンは続けた。

「王太子殿下のお言葉、とても明快ですわ」

 微笑みすら浮かべている。

「『公爵令嬢であること以外に価値がない』――そうお考えなのですね」

「ああ。その通りだ」

 即答だった。

 ヘレンは、小さく息を吸い、そして、言った。

「でしたら……私も同じです」

 王太子が、眉をひそめる。

「どういう意味だ?」

「殿下が王太子でいらっしゃらなければ」

 ヘレンは、はっきりと、よどみなく言葉を紡ぐ。

「とっくに、こちらから婚約破棄しておりましたわ」

 完全な沈黙。

「私もまた、殿下に“王太子であること”以外の価値を見いだせませんでしたもの」

 その言葉は、怒りも嘆きも含んでいない。
 ただの、事実確認。

「価値観が一致して、何よりですわ。婚約破棄は、願ったり叶ったり」

 王太子の顔が、赤くなる。

「な……!」

 だが、ヘレンはすでに興味を失ったように、視線を聖女へと向けていた。

「聖女マルガリータ様でしたか」

「はい……」

「最近、奇跡を起こす聖女として話題ですわね」

 にこり、と社交用の微笑み。

「素晴らしいご縁ですこと。殿下に、これほどお似合いの方はいらっしゃいませんわ」

 それは、祝福の言葉だった。
 だが、なぜか王太子の胸に、ちくりと刺さる。

「……では、これにて」

 ヘレンは、優雅に一礼した。

「本日をもって、私と殿下は無関係です」

「どうぞ、お幸せに」

 そう言い残し、踵を返す。

 背後で、誰かが声をかけようとした気配があったが、振り返らなかった。

 謁見室を出ると、外の空気がやけに軽く感じられた。

(やはり、政略結婚というのは、そういうものですわよね)

 家と家。
 地位と地位。
 感情は、後回し。

 だからこそ、期待もしていなかった。

 ヘレンは、歩きながら小さく息を吐く。

(むしろ……)

 口元に、わずかな笑みが浮かんだ。

(これで、静かに過ごせますわ)

 まだ、この時点では――
 彼女自身も知らなかった。

 この婚約破棄が、
 “聖女”という存在と、
 五百年前の因縁を再び呼び覚ますことになるなど。

 今はただ、
 自由になった事実だけが、そこにあった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

愛していました。待っていました。でもさようなら。

彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。 やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

【完結】精霊に選ばれなかった私は…

まりぃべる
ファンタジー
ここダロックフェイ国では、5歳になると精霊の森へ行く。精霊に選んでもらえれば、将来有望だ。 しかし、キャロル=マフェソン辺境伯爵令嬢は、精霊に選んでもらえなかった。 選ばれた者は、王立学院で将来国の為になるべく通う。 選ばれなかった者は、教会の学校で一般教養を学ぶ。 貴族なら、より高い地位を狙うのがステータスであるが…? ☆世界観は、緩いですのでそこのところご理解のうえ、お読み下さるとありがたいです。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

処理中です...