聖女と呼ばれたくなかった公爵令嬢は、静かにざまぁを選ぶ

ふわふわ

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第二話 奇跡の聖女

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第二話 奇跡の聖女

 婚約破棄の翌日から、王都の空気は目に見えて変わった。

 噂というものは、血の匂いを嗅ぎつけた獣のように素早い。
 王太子が婚約を破棄した。
 しかも相手は公爵令嬢ヘレン・バートン。
 その理由は「愛」。

 人々が好むには、あまりにも分かりやすい物語だった。

 そして、その中心に据えられた名が――聖女マルガリータ。

 ヘレンは、バートン公爵家の応接室で、紅茶を飲みながら新聞を広げていた。
 見出しは、どれも似たり寄ったりだ。

『奇跡の聖女、王太子の心を射止める』
『新たな妃候補は、民衆に愛される聖女』
『冷たい公爵令嬢より、慈愛の聖女を』

(……ずいぶんと分かりやすい構図ですこと)

 カップを口元に運びながら、ヘレンは淡々と記事を読み流す。
 文章の端々に、意図的な誘導が見える。

 王太子は“民衆を選んだ”。
 聖女は“愛と奇跡の象徴”。
 そして――自分は、時代遅れの冷たい貴族令嬢。

 いかにも好まれる役割分担だった。

「お嬢様……」

 控えめに声をかけてきたのは、長年仕えている侍女だ。
 どこか気遣わしげな視線を向けている。

「お気遣いなく」

 ヘレンは新聞を畳み、静かに微笑んだ。

「世間が騒ぐのは、いつものことですわ」

 侍女はそれ以上何も言わず、下がっていく。
 ヘレンは一人になると、再び記事に目を落とした。

 そこには、聖女マルガリータの奇跡が詳しく書かれている。

 ――病に伏せっていた子どもが、祈りとともに立ち上がった。
 ――干上がっていた井戸から、水が湧いた。
 ――闇夜に光が降り、罪を悔いた者が改心した。

(……ふうん)

 ヘレンは、内心でそう呟いた。

 奇跡という言葉は、便利だ。
 検証できない。
 反論もしにくい。
 そして何より、人の心を掴む。

 だが――。

(時間、場所、状況……)

 彼女の視線は、自然と細部へ向かう。

 治癒が起きたとされるのは、人目の多い巡礼地。
 光の奇跡は、夜間で、照明の設置が容易な場所。
 井戸の話に至っては、数日前から教会関係者が立ち入っていた記録がある。

(……なるほど)

 ヘレンは、紅茶を一口飲み干した。

(演出としては、悪くありませんわね)

 薬。
 装置。
 仕掛け。
 そして、“聖女”という役者。

 すべてが噛み合えば、奇跡に見える。

(つまり……)

 新聞を閉じ、テーブルに置く。

(霊感商法ですわね)

 ただし、それを非難する気はなかった。

 人は、信じたいものを信じる。
 護符を買って安心し、祈って救われた気になる。
 それで前を向けるのなら、それも一つの選択だ。

(私は、関わらない)

 そう決めたのは、昨日ではない。
 ずっと以前からだ。

 聖女という存在が、どれほど人を狂わせるか。
 それを知っているからこそ。

 午後になると、王宮から正式な発表があった。

 王太子ヘルムハイムは、聖女マルガリータを正式な婚約者とし、
 今後は教会と連携し、国の安定と民衆の救済に尽力する――。

 完璧な声明だった。

 貴族たちの多くは、内心で舌打ちしながらも、表向きは称賛を送るだろう。
 民衆は歓喜する。
 教会は影響力を拡大する。

 全員にとって、都合がいい。

(……ええ、理想的ですわ)

 少なくとも、今は。

 ヘレンは立ち上がり、窓辺へ歩み寄った。
 王都の街は、いつも通りの喧騒に包まれている。

 誰もが、奇跐を信じ、希望に浮かれている。

(ただし)

 彼女は、心の中で静かに続けた。

(信仰を、商売に変えた瞬間から――
 それは“奇跡”ではなくなります)

 今は、まだ大丈夫だ。
 まだ、“人を騙す側”も、“騙される側”も満足している。

 だが、欲は膨らむ。
 熱狂は、必ず過剰になる。

(その線さえ、越えなければ)

 ヘレンは、窓を閉め、カーテンを引いた。

 この時点では、
 彼女は本当に、関わるつもりはなかった。

 聖女が誰であろうと。
 奇跡が本物でなかろうと。

 自分の人生とは、無関係。

 ――そう、信じていた。
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