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第九話 信仰という名の商談
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第九話 信仰という名の商談
教会の商売は、ついに露骨な段階へと入っていた。
護符、金色の壺、寄付制度。
それらはすでに「信仰の証」ではなく、「価格表のある商品」になっている。だが、当人たちはまだそれを自覚していない。いや、正確には――自覚しないことを選んでいた。
ヘレン・バートンは、書斎の机に置かれた数通の報告書に目を通していた。どれも、王都の商人や貴族から回ってきた情報だ。表立って告発する者はいないが、不満と違和感は、確実に溜まり始めている。
「……購入した壺を見せたところ、商会の鑑定士が顔色を変えた、ですか」
静かに呟き、紙を置く。
純金ではない。
それは、もう隠しようのない事実だ。
だが問題は、そこではなかった。
鑑定士は言ったという。
――削ればすぐに分かるが、それをした瞬間、この家は“聖女を疑った不敬者”になる、と。
つまり、疑った側が損をする構造になっている。
「……巧妙ですわね」
ヘレンは紅茶を一口飲み、カップを置いた。
詐欺は、暴けるから詐欺になる。
だが、信仰に包まれた嘘は、暴いた瞬間に“罪”へとすり替えられる。
午後、執事が新たな話を持ってきた。
「教会が、特定の貴族を対象にした“特別祈祷”を始めたそうです」
「特別、ですか」
「はい。一定額以上の献金をした家にのみ、聖女様が直接訪れ、祝福を授けると」
ヘレンは、わずかに視線を上げた。
「……訪問営業ですのね」
その言葉に、執事は苦笑した。
「表向きは、“選ばれた家への慈愛”という形ですが」
選ばれる条件は、信仰心ではない。
支払額だ。
その日の夕刻、ヘレンは馬車で王都を通った。教会近くの通りでは、黒衣の教会関係者が、貴族らしき人物と親しげに話している。
「この壺を居間に置くだけで、家運が安定すると言われております」
「聖女様も、特別に祈りを捧げてくださいますよ」
まるで、高級商会の商談だ。
ヘレンは視線を逸らした。
(……もう、隠す気もありませんのね)
信仰を盾にした営業。
不安を煽り、安心を売る。
それでも、彼女は動かなかった。
屋敷に戻り、書斎で一人になる。
窓の外には、夕暮れの王都が広がっている。
「護符を買って、壺を買って……」
静かな声で、独り言のように呟く。
「それで満足しているのなら……それでも……」
言葉を、そこで切った。
かつての自分なら、この時点で止めに入っていただろう。
聖女として、正しさを振りかざし、教会を断罪していた。
だが今は違う。
(私は、関わらない)
それは冷酷さではない。
責任の所在を、正しく見極めた結果だ。
騙されていると知りながら買う者もいる。
疑問を抱きながらも、声を上げない者もいる。
そして、教会はその沈黙を“肯定”として受け取っている。
「……ただし」
ヘレンは、そっと目を細めた。
「これ以上、調子に乗らなければ、の話ですけれど」
信仰を商売にすること自体は、まだ“灰色”だ。
だが、それを正当化するために、誰かの名を利用した瞬間――話は変わる。
ヘレンは、静かに椅子から立ち上がった。
今はまだ、観察する段階。
だが、確実に思っていた。
(このままでは、必ず一線を越える)
欲に味を占めた者は、
必ず、より大きな“看板”を欲しがる。
そして――
その看板は、
五百年前の伝説の中に、眠っている。
ヘレンは、カーテンを閉め、灯りを落とした。
まだ、怒る必要はない。
まだ、裁く段階ではない。
だが、
静観しているだけで済む時間が、確実に減っていることだけは、はっきりと分かっていた。
教会の商売は、ついに露骨な段階へと入っていた。
護符、金色の壺、寄付制度。
それらはすでに「信仰の証」ではなく、「価格表のある商品」になっている。だが、当人たちはまだそれを自覚していない。いや、正確には――自覚しないことを選んでいた。
ヘレン・バートンは、書斎の机に置かれた数通の報告書に目を通していた。どれも、王都の商人や貴族から回ってきた情報だ。表立って告発する者はいないが、不満と違和感は、確実に溜まり始めている。
「……購入した壺を見せたところ、商会の鑑定士が顔色を変えた、ですか」
静かに呟き、紙を置く。
純金ではない。
それは、もう隠しようのない事実だ。
だが問題は、そこではなかった。
鑑定士は言ったという。
――削ればすぐに分かるが、それをした瞬間、この家は“聖女を疑った不敬者”になる、と。
つまり、疑った側が損をする構造になっている。
「……巧妙ですわね」
ヘレンは紅茶を一口飲み、カップを置いた。
詐欺は、暴けるから詐欺になる。
だが、信仰に包まれた嘘は、暴いた瞬間に“罪”へとすり替えられる。
午後、執事が新たな話を持ってきた。
「教会が、特定の貴族を対象にした“特別祈祷”を始めたそうです」
「特別、ですか」
「はい。一定額以上の献金をした家にのみ、聖女様が直接訪れ、祝福を授けると」
ヘレンは、わずかに視線を上げた。
「……訪問営業ですのね」
その言葉に、執事は苦笑した。
「表向きは、“選ばれた家への慈愛”という形ですが」
選ばれる条件は、信仰心ではない。
支払額だ。
その日の夕刻、ヘレンは馬車で王都を通った。教会近くの通りでは、黒衣の教会関係者が、貴族らしき人物と親しげに話している。
「この壺を居間に置くだけで、家運が安定すると言われております」
「聖女様も、特別に祈りを捧げてくださいますよ」
まるで、高級商会の商談だ。
ヘレンは視線を逸らした。
(……もう、隠す気もありませんのね)
信仰を盾にした営業。
不安を煽り、安心を売る。
それでも、彼女は動かなかった。
屋敷に戻り、書斎で一人になる。
窓の外には、夕暮れの王都が広がっている。
「護符を買って、壺を買って……」
静かな声で、独り言のように呟く。
「それで満足しているのなら……それでも……」
言葉を、そこで切った。
かつての自分なら、この時点で止めに入っていただろう。
聖女として、正しさを振りかざし、教会を断罪していた。
だが今は違う。
(私は、関わらない)
それは冷酷さではない。
責任の所在を、正しく見極めた結果だ。
騙されていると知りながら買う者もいる。
疑問を抱きながらも、声を上げない者もいる。
そして、教会はその沈黙を“肯定”として受け取っている。
「……ただし」
ヘレンは、そっと目を細めた。
「これ以上、調子に乗らなければ、の話ですけれど」
信仰を商売にすること自体は、まだ“灰色”だ。
だが、それを正当化するために、誰かの名を利用した瞬間――話は変わる。
ヘレンは、静かに椅子から立ち上がった。
今はまだ、観察する段階。
だが、確実に思っていた。
(このままでは、必ず一線を越える)
欲に味を占めた者は、
必ず、より大きな“看板”を欲しがる。
そして――
その看板は、
五百年前の伝説の中に、眠っている。
ヘレンは、カーテンを閉め、灯りを落とした。
まだ、怒る必要はない。
まだ、裁く段階ではない。
だが、
静観しているだけで済む時間が、確実に減っていることだけは、はっきりと分かっていた。
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