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第6話 婚約者の胸に積もる違和感
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第6話 婚約者の胸に積もる違和感
アルバート・フィリックス公爵令息は、最近、社交の席が苦痛になりつつあった。
原因は、はっきりしている。
――婚約者、ガラリア・ウィンタースイート公爵令嬢。
彼女が何かを“やらかした”というわけではない。
むしろ、問題は逆だった。
やらかしているのに、誰も止められない。
それが、アルバートにとって耐え難かった。
---
「また孤児院に現れたそうですわ」
王都のサロン。
紅茶の湯気の向こうで、令嬢たちが扇子を口元に当てて囁く。
「突然、怒鳴り込むように」
「子どもたちに食事を配ったとか」
「まあ……お優しいとも言えますけれど」
その視線が、ちらりとアルバートへ向けられる。
――同情。
――好奇心。
――わずかな嘲笑。
アルバートは、完璧な微笑を崩さない。
「はは……ガラリアは、少々変わっていましてね」
そう言うたび、胸の奥がざらついた。
(少々、ではないだろう)
彼は、貴族としての教育を受けてきた。
貴族は、秩序を守る存在だ。
規範であり、象徴であり、模範。
現場に降りるのは、下の者の仕事。
それが、当たり前だった。
---
数日後、アルバートはウィンタースイート公爵邸を訪れていた。
応接室で待っていると、ほどなくしてガラリアが現れる。
「よう」
軽い声。
肘掛けに腰を預け、脚を組む。
アルバートは、わずかに眉をひそめた。
「……少し、話がある」
「ん? 説教か?」
「……真面目な話だ」
ガラリアは、肩をすくめる。
「なら、聞くだけは聞く」
アルバートは、言葉を選びながら切り出した。
「最近の行動についてだ」
「孤児院、工事現場……」
「君は、公爵令嬢だ」
「立場というものを、
もう少し考えるべきではないか」
ガラリアは、きょとんとした顔をした。
「立場?」
「ああ」
アルバートは、少しだけ声を強める。
「君の行動は、
家の名にも、
婚約者である私の立場にも影響する」
「噂になっているのは、知っているだろう?」
ガラリアは、しばらく黙り――
やがて、あっさりと言った。
「知ってる」
「だが?」
「気にしてねぇ」
即答だった。
アルバートの胸が、きしりと鳴る。
「……なぜ、そんなことが言える」
「貴族としての体面は――」
「体面?」
ガラリアは、言葉を遮る。
「腹減ってるガキの前で、
体面が何の役に立つ?」
アルバートは、言葉を失った。
「……それは」
「制度の話だ」
「個人が感情で動くべきではない」
ガラリアは、鼻で笑った。
「制度が届いてねぇから、
私が行ってるんだろ」
「書類は整ってる」
「報告も問題ない」
「でもな」
視線が、鋭くなる。
「現場は違う」
アルバートは、思わず視線を逸らした。
彼は、現場を見たことがない。
必要だとも、思っていなかった。
「……それでもだ」
アルバートは、言い募る。
「君のやり方は、
貴族らしくない」
「品がない」
「礼儀も、節度もない」
一瞬、沈黙が落ちる。
ガラリアは、アルバートをじっと見つめ――
やがて、肩をすくめた。
「そうか」
「それが、お前の価値観か」
その言い方に、アルバートは違和感を覚えた。
否定でも、怒りでもない。
評価だった。
「……婚約者として」
アルバートは、苛立ちを抑えきれず言う。
「君には、
相応しい振る舞いを求めたい」
ガラリアは、しばらく考えるように天井を見上げ――
ふっと笑った。
「無理だな」
「……なに?」
「私は、
お前の求める“公爵令嬢”にはなれねぇ」
「やるつもりもねぇ」
その言葉は、静かだったが、重かった。
アルバートは、胸の奥に、冷たいものが落ちるのを感じた。
(……噛み合っていない)
いや。
(最初から、噛み合っていなかった)
---
その夜。
アルバートは、自室で一人、考え込んでいた。
自分は、正しいことを言っているはずだ。
貴族として、当然のことを。
なのに、なぜ――
彼女の言葉は、少しも揺らがなかったのか。
(……おかしいのは、彼女だ)
そう思いたい。
だが、胸に残るのは、
「理解されなかった」という感覚だった。
一方。
ガラリアはといえば、廊下を歩きながら独り言を漏らす。
「……やっぱ、合わねぇな」
別に、怒っているわけではない。
ただ、事実として。
「現場を見ねぇやつとは、
話が合わねぇ」
それだけだった。
まだ、婚約は続いている。
だが、決定的なズレは、静かに積もり始めていた。
この違和感が、
やがて「想定内の婚約破棄」へと繋がることを――
この時点では、まだ誰も口にしていなかった。
アルバート・フィリックス公爵令息は、最近、社交の席が苦痛になりつつあった。
原因は、はっきりしている。
――婚約者、ガラリア・ウィンタースイート公爵令嬢。
彼女が何かを“やらかした”というわけではない。
むしろ、問題は逆だった。
やらかしているのに、誰も止められない。
それが、アルバートにとって耐え難かった。
---
「また孤児院に現れたそうですわ」
王都のサロン。
紅茶の湯気の向こうで、令嬢たちが扇子を口元に当てて囁く。
「突然、怒鳴り込むように」
「子どもたちに食事を配ったとか」
「まあ……お優しいとも言えますけれど」
その視線が、ちらりとアルバートへ向けられる。
――同情。
――好奇心。
――わずかな嘲笑。
アルバートは、完璧な微笑を崩さない。
「はは……ガラリアは、少々変わっていましてね」
そう言うたび、胸の奥がざらついた。
(少々、ではないだろう)
彼は、貴族としての教育を受けてきた。
貴族は、秩序を守る存在だ。
規範であり、象徴であり、模範。
現場に降りるのは、下の者の仕事。
それが、当たり前だった。
---
数日後、アルバートはウィンタースイート公爵邸を訪れていた。
応接室で待っていると、ほどなくしてガラリアが現れる。
「よう」
軽い声。
肘掛けに腰を預け、脚を組む。
アルバートは、わずかに眉をひそめた。
「……少し、話がある」
「ん? 説教か?」
「……真面目な話だ」
ガラリアは、肩をすくめる。
「なら、聞くだけは聞く」
アルバートは、言葉を選びながら切り出した。
「最近の行動についてだ」
「孤児院、工事現場……」
「君は、公爵令嬢だ」
「立場というものを、
もう少し考えるべきではないか」
ガラリアは、きょとんとした顔をした。
「立場?」
「ああ」
アルバートは、少しだけ声を強める。
「君の行動は、
家の名にも、
婚約者である私の立場にも影響する」
「噂になっているのは、知っているだろう?」
ガラリアは、しばらく黙り――
やがて、あっさりと言った。
「知ってる」
「だが?」
「気にしてねぇ」
即答だった。
アルバートの胸が、きしりと鳴る。
「……なぜ、そんなことが言える」
「貴族としての体面は――」
「体面?」
ガラリアは、言葉を遮る。
「腹減ってるガキの前で、
体面が何の役に立つ?」
アルバートは、言葉を失った。
「……それは」
「制度の話だ」
「個人が感情で動くべきではない」
ガラリアは、鼻で笑った。
「制度が届いてねぇから、
私が行ってるんだろ」
「書類は整ってる」
「報告も問題ない」
「でもな」
視線が、鋭くなる。
「現場は違う」
アルバートは、思わず視線を逸らした。
彼は、現場を見たことがない。
必要だとも、思っていなかった。
「……それでもだ」
アルバートは、言い募る。
「君のやり方は、
貴族らしくない」
「品がない」
「礼儀も、節度もない」
一瞬、沈黙が落ちる。
ガラリアは、アルバートをじっと見つめ――
やがて、肩をすくめた。
「そうか」
「それが、お前の価値観か」
その言い方に、アルバートは違和感を覚えた。
否定でも、怒りでもない。
評価だった。
「……婚約者として」
アルバートは、苛立ちを抑えきれず言う。
「君には、
相応しい振る舞いを求めたい」
ガラリアは、しばらく考えるように天井を見上げ――
ふっと笑った。
「無理だな」
「……なに?」
「私は、
お前の求める“公爵令嬢”にはなれねぇ」
「やるつもりもねぇ」
その言葉は、静かだったが、重かった。
アルバートは、胸の奥に、冷たいものが落ちるのを感じた。
(……噛み合っていない)
いや。
(最初から、噛み合っていなかった)
---
その夜。
アルバートは、自室で一人、考え込んでいた。
自分は、正しいことを言っているはずだ。
貴族として、当然のことを。
なのに、なぜ――
彼女の言葉は、少しも揺らがなかったのか。
(……おかしいのは、彼女だ)
そう思いたい。
だが、胸に残るのは、
「理解されなかった」という感覚だった。
一方。
ガラリアはといえば、廊下を歩きながら独り言を漏らす。
「……やっぱ、合わねぇな」
別に、怒っているわけではない。
ただ、事実として。
「現場を見ねぇやつとは、
話が合わねぇ」
それだけだった。
まだ、婚約は続いている。
だが、決定的なズレは、静かに積もり始めていた。
この違和感が、
やがて「想定内の婚約破棄」へと繋がることを――
この時点では、まだ誰も口にしていなかった。
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