『婚約破棄された令嬢ですが、名も残さず街を支えています』

ふわふわ

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第26話 任せられる者の条件

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第26話 任せられる者の条件

 王都の朝は、穏やかだった。
 だがその穏やかさは、嵐の前の静けさではない。物事が正しい軌道に乗り始めたとき特有の、張りつめた静謐だった。

 コルネリア・フォン・ヴァルデンは、王宮の小会議室で、簡素な円卓を前にしていた。
 出席者はわずか五名。だが、全員が要職に就く者たちだ。

 「本日は、第三段階終了後の移行について確認します」

 彼女の声に、重さはあるが、威圧はない。
 この場にいる誰もが理解している――ここは、命令を聞く場ではなく、任せる相手を見極める場だということを。

 最初に示されたのは、第三段階で発生した軽微な問題の一覧だった。
 資材の遅延。人手不足。説明不足による誤解。

 どれも致命的ではない。
 だが、見逃せば積み重なる。

 「これらは、報告通り、現場で調整済みです」

 技術担当が言う。

 コルネリアは頷き、すぐに次の問いを投げた。

 「調整に入った判断は、誰が下しましたか」

 一瞬の沈黙。

 「……現場責任者です」

 その答えに、彼女は小さく息を吐いた。

 「正しい判断です」

 全員が、わずかに目を見開く。

 「私に確認を取る必要はありません。状況を最も把握しているのは、現場です」

 それは、権限の委譲だった。
 だが、放任ではない。

 「ただし」

 声が少しだけ低くなる。

 「判断の理由と結果は、必ず共有してください。成功も失敗も、です」

 場の空気が、引き締まった。

 ――責任を分けるのではなく、
 ――判断を分ける。

 それが、彼女のやり方だった。

 会議が進むにつれ、話題は次段階の体制へと移る。

 「第四段階では、私が直接関与する頻度を下げます」

 その一言に、数名が驚いた表情を見せた。

 「不安でしょうか?」

 彼女は、穏やかに問いかける。

 「正直に言えば……はい」

 率直な答えだった。

 コルネリアは、少しだけ微笑んだ。

 「不安があるうちは、大丈夫です。不安がなくなったときこそ、危険ですから」

 場に、静かな納得が広がる。

 「私が退くのは、信頼しているからではありません」

 一瞬、言葉を区切る。

 「判断できる条件が、整ったからです」

 それが、この会議の結論だった。

 一方その頃、別室ではバルタザール・フォン・クロイツが、補佐としての資料整理を行っていた。
 第四段階に向けた体制図。権限の移行案。

 「……これは」

 目を留めたのは、現場責任者の裁量が大きく拡張されている点だった。

 「思い切ったな」

 呟きに、驚きはない。

 彼女は、信頼を与えることで、人を育てる。
 そして、育てた後には、手を引く。

 かつての自分には、できなかった判断だ。

 午後、現場責任者の一人が、コルネリアの元を訪れた。
 若く、経験も浅いが、誠実な人物だ。

 「……本当に、私たちに任せていいのですか」

 その問いに、彼女は即答しなかった。
 少し考え、答える。

 「いいえ」

 相手が、息を呑む。

 「任せていいかどうかは、これから証明してもらいます」

 厳しい言葉だ。
 だが、続く言葉は違った。

 「だから、失敗しても構いません。隠さなければ」

 その一言に、男の表情が変わる。

 「……はい」

 その返事は、覚悟を帯びていた。

 夕刻、王宮では、非公式の評価が静かに交わされていた。

 「ヴァルデン伯爵令嬢、次の段階では一歩引くそうだ」
 「ええ。全部抱え込まない。賢いわね」

 「任せる覚悟がある者だけが、上に立てる」

 その言葉を、バルタザールは廊下で耳にした。
 胸に浮かんだのは、羨望ではない。

 「……条件、か」

 任せられる者の条件。
 それは、能力でも、肩書きでもない。

 自分がいなくなった後のことを、真剣に考えられるかどうか。

 夜、コルネリアは屋敷の書斎で、一日の記録を簡潔にまとめていた。
 第四段階移行。権限委譲。確認方法。

 すべて、短い箇条書きだ。

 彼女は、筆を置き、窓の外を見た。
 王都の灯りは、変わらず輝いている。

 「……任せる、というのは」

 小さく呟く。

 楽になることではない。
 責任を減らすことでもない。

 むしろ、
 自分の存在を、少しずつ不要にしていく作業だ。

 同じ夜、バルタザールは補佐資料を提出し、静かに席を立った。
 主役ではない。
 だが、彼はもう、その事実を恐れていない。

 任せられる者の条件を、
 自分は、かつて満たしていなかった。

 その事実を、今は否定しない。

 コルネリア・フォン・ヴァルデンは、
 自分がいなくても回る未来を、
 少しずつ、確実に作り始めていた。

 それこそが、
 彼女が信任され続ける理由だと、
 王都は、静かに理解し始めていた。
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