『婚約破棄された令嬢ですが、名も残さず街を支えています』

ふわふわ

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第25話 信任という名の静寂

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第25話 信任という名の静寂

 王都に、奇妙な静けさが訪れていた。
 騒ぎはない。批判も、称賛もない。だが、その沈黙こそが、何より雄弁だった。

 水路整備計画第三段階――
 工期を三日延ばすという決定は、王宮内外で小さな波紋を呼んだが、炎上することはなかった。むしろ、議論は短く、収束は早かった。

 「……反対が、出ていませんね」

 仮設事務所で報告を受けながら、補佐が首を傾げる。

 「ええ」

 コルネリア・フォン・ヴァルデンは、書類から目を離さずに答えた。

 「納得ではなく、理解が広がったのでしょう」

 人は必ずしも賛成しなくてもいい。
 だが、理由が分かれば、過剰な抵抗は生まれない。

 それが、彼女の経験則だった。

 午前、王宮では非公式の調整会合が開かれていた。
 参加者は少ない。だが、顔ぶれは重い。

 年配の官僚が、淡々と口を開いた。

 「第三段階の判断についてだが……王宮として、異論はない」

 それは、承認の言葉だった。
 条件付きでも、暫定でもない。

 「現場からの報告も、安定している。住民説明も適切だ」

 数名が頷く。

 「……これ以上、口を出す理由はないな」

 その一言で、会合は終わった。

 誰も拍手しない。
 誰も評価を口にしない。

 だが、それこそが――
 全面的な信任だった。

 一方、バルタザール・フォン・クロイツは、その決定を補佐資料として整理していた。
 文言は簡潔で、余白が多い。

 「……何も、付け足されていない」

 修正指示も、但し書きもない。
 つまり、任せきったということだ。

 彼は、静かに書類を閉じた。

 かつて、自分が欲し続けていたもの。
 それが今、彼女の手にある。

 だが、不思議と胸は荒れなかった。

 「……妥当だ」

 誰よりも現場を見てきたのは、彼女だ。
 誰よりも、逃げずに説明してきたのも。

 午後、コルネリアは現場を再訪していた。
 工事は一時的に緩やかになっているが、空気は悪くない。

 「三日延ばしてくれて、正直助かりました」

 職人の一人が、頭を掻きながら言う。

 「無理をすれば、仕上げは早くなります。でも、あとで必ず歪みが出る」

 それは、彼女が何度も聞いてきた言葉だった。

 「こちらこそ、教えていただいてありがとうございます」

 礼を言うと、男は驚いたように目を瞬かせる。

 「……あんた、偉い人なんだろ?」

 「立場はあります。でも、詳しいのはあなたです」

 それだけのやり取りで、十分だった。

 夕刻、王宮に戻る馬車の中で、バルタザールはふと思った。

 ――信任とは、静かなものだ。

 期待を押し付けず、
 成果を急かさず、
 だが、引き受けた責任からは逃がさない。

 それは、厳しく、同時に誠実な関係だ。

 夜、コルネリアは屋敷の書斎で、次段階の覚書をまとめていた。
 王宮からの指示はない。
 確認も、督促もない。

 すべて、自分の裁量だ。

 「……重いですね」

 小さく呟き、しかし手は止めない。

 自由とは、放任ではない。
 信任とは、甘さではない。

 選び続ける覚悟があるかどうか、
 それだけが問われている。

 同じ夜、バルタザールは書斎で、補佐としての次の段取りを書き出していた。
 主役ではない。
 だが、不要でもない。

 彼は、ようやく理解していた。

 評価を得ることと、
 信任を得ることは、
 まったく別だということを。

 王都の灯が静かに揺れる中、
 コルネリア・フォン・ヴァルデンは、筆を置いた。

 拍手も、賞賛もない。
 あるのは、沈黙。

 だがその沈黙は、
 彼女にすべてを任せるという、
 最も重い肯定だった。

 そして彼女は、その静寂を、
 恐れず、
 逃げず、
 真正面から受け止めていた。
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