34 / 39
第35話 静かに継がれるもの
しおりを挟む
第35話 静かに継がれるもの
王都の朝は、いつも通りに始まった。
鐘が鳴り、市が立ち、人々は昨日と変わらぬ足取りで歩き出す。
だが、その「変わらなさ」を支えているものが、少しずつ世代を越え始めていることに、気づく者はまだ少ない。
王宮の執務棟の一室で、若い官僚たちが集まっていた。
新任者向けの、小さな勉強会だ。
「では、この案件の場合、まず何を確認しますか」
指導役を務めているのは、バルタザール・フォン・クロイツだった。
以前なら考えられない立場だが、今の彼には、それが自然に馴染んでいる。
若い官僚の一人が、少し考えてから答える。
「……目的、ですか?」
「そう」
バルタザールは、静かに頷いた。
「目的が曖昧なまま判断すると、後で必ず歪みが出る」
彼自身が、何度も失敗してきた部分だ。
別の者が続ける。
「判断基準は、事前に共有されているものを確認します」
「良い」
さらに、もう一人。
「迷った場合は……記録を残す」
その言葉に、バルタザールは小さく笑った。
「そうだ。答えを急がない。問いを残す」
その勉強会に、コルネリア・フォン・ヴァルデンの姿はない。
だが、使われている言葉も、判断の順序も、彼女が作った流れそのものだった。
午後、コルネリアは屋敷の書斎で、届いた数通の書簡に目を通していた。
内容は、近況報告と、小さな判断の共有。
どれも、結論はすでに出ている。
彼女に、指示を仰ぐものではない。
「……きちんと、考えていますね」
短い返事を書きながら、彼女はそう感じていた。
返書の内容は、相変わらず簡潔だ。
――判断は妥当です。
――理由を、残してください。
それだけで、十分だった。
夕刻、王都の一角で、小さな問題が起きた。
住民からの要望が、複数の部署にまたがっている。
以前なら、責任の押し付け合いになっていた案件だ。
だが今回は、違った。
担当者たちは集まり、自然と確認を始める。
「目的は何か」
「影響範囲はどこまでか」
「誰が判断を引き受けるか」
時間はかかった。
だが、結論は静かにまとまった。
誰も、コルネリアの名を口にしない。
それでも、その場にある判断の形は、彼女が残したものだった。
夜、屋敷の庭で、コルネリアは風に揺れる木々を眺めていた。
最近、彼女のもとに届く相談は減っている。
それは、寂しさではない。
「……継がれていますね」
誰に聞かせるでもなく、そう呟く。
判断の仕方。
問いの立て方。
選ばない勇気。
それらは、言葉ではなく、習慣として残り始めている。
同じ夜、バルタザールは自室で、一日のメモをまとめていた。
そこには、若い官僚たちの言葉が、箇条書きで残されている。
――目的を確認する
――基準に戻る
――理由を記録する
彼は、ペンを置き、静かに息を吐いた。
「……これは、もう個人のものじゃないな」
誰か一人が去っても、残るもの。
誰かが前に立たなくても、続くもの。
それこそが、本当に価値のある仕事なのだと、今は分かる。
王都の灯りが、ゆっくりと夜に溶けていく。
今日も、大きな拍手はない。
称賛の声も、聞こえない。
だが、確かに――
静かに、確実に、
何かが継がれている。
コルネリア・フォン・ヴァルデンは、
それを誇示しない。
確認もしない。
ただ、次の世代が自然に歩き出していることを、
遠くから見守りながら、
静かに、その価値を噛みしめていた。
継がれるものは、
声高に語られない。
だが、消えもしない。
それが、本当の意味で――
残った仕事だった。
王都の朝は、いつも通りに始まった。
鐘が鳴り、市が立ち、人々は昨日と変わらぬ足取りで歩き出す。
だが、その「変わらなさ」を支えているものが、少しずつ世代を越え始めていることに、気づく者はまだ少ない。
王宮の執務棟の一室で、若い官僚たちが集まっていた。
新任者向けの、小さな勉強会だ。
「では、この案件の場合、まず何を確認しますか」
指導役を務めているのは、バルタザール・フォン・クロイツだった。
以前なら考えられない立場だが、今の彼には、それが自然に馴染んでいる。
若い官僚の一人が、少し考えてから答える。
「……目的、ですか?」
「そう」
バルタザールは、静かに頷いた。
「目的が曖昧なまま判断すると、後で必ず歪みが出る」
彼自身が、何度も失敗してきた部分だ。
別の者が続ける。
「判断基準は、事前に共有されているものを確認します」
「良い」
さらに、もう一人。
「迷った場合は……記録を残す」
その言葉に、バルタザールは小さく笑った。
「そうだ。答えを急がない。問いを残す」
その勉強会に、コルネリア・フォン・ヴァルデンの姿はない。
だが、使われている言葉も、判断の順序も、彼女が作った流れそのものだった。
午後、コルネリアは屋敷の書斎で、届いた数通の書簡に目を通していた。
内容は、近況報告と、小さな判断の共有。
どれも、結論はすでに出ている。
彼女に、指示を仰ぐものではない。
「……きちんと、考えていますね」
短い返事を書きながら、彼女はそう感じていた。
返書の内容は、相変わらず簡潔だ。
――判断は妥当です。
――理由を、残してください。
それだけで、十分だった。
夕刻、王都の一角で、小さな問題が起きた。
住民からの要望が、複数の部署にまたがっている。
以前なら、責任の押し付け合いになっていた案件だ。
だが今回は、違った。
担当者たちは集まり、自然と確認を始める。
「目的は何か」
「影響範囲はどこまでか」
「誰が判断を引き受けるか」
時間はかかった。
だが、結論は静かにまとまった。
誰も、コルネリアの名を口にしない。
それでも、その場にある判断の形は、彼女が残したものだった。
夜、屋敷の庭で、コルネリアは風に揺れる木々を眺めていた。
最近、彼女のもとに届く相談は減っている。
それは、寂しさではない。
「……継がれていますね」
誰に聞かせるでもなく、そう呟く。
判断の仕方。
問いの立て方。
選ばない勇気。
それらは、言葉ではなく、習慣として残り始めている。
同じ夜、バルタザールは自室で、一日のメモをまとめていた。
そこには、若い官僚たちの言葉が、箇条書きで残されている。
――目的を確認する
――基準に戻る
――理由を記録する
彼は、ペンを置き、静かに息を吐いた。
「……これは、もう個人のものじゃないな」
誰か一人が去っても、残るもの。
誰かが前に立たなくても、続くもの。
それこそが、本当に価値のある仕事なのだと、今は分かる。
王都の灯りが、ゆっくりと夜に溶けていく。
今日も、大きな拍手はない。
称賛の声も、聞こえない。
だが、確かに――
静かに、確実に、
何かが継がれている。
コルネリア・フォン・ヴァルデンは、
それを誇示しない。
確認もしない。
ただ、次の世代が自然に歩き出していることを、
遠くから見守りながら、
静かに、その価値を噛みしめていた。
継がれるものは、
声高に語られない。
だが、消えもしない。
それが、本当の意味で――
残った仕事だった。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】恋人にしたい人と結婚したい人とは別だよね?―――激しく同意するので別れましょう
冬馬亮
恋愛
「恋人にしたい人と結婚したい人とは別だよね?」
セシリエの婚約者、イアーゴはそう言った。
少し離れた後ろの席で、婚約者にその台詞を聞かれているとも知らずに。
※たぶん全部で15〜20話くらいの予定です。
さくさく進みます。
お前が産め!
星森
ファンタジー
結婚して3ヶ月、夫ジュダルから突然の離婚宣言。
しかし妻アルネは、あっさり「はい、いいですよ」と返答。
だがその裏には、冷徹な計画があった──。
姑ロザリアの暴走、夫ジュダルの迷走、義父バルドランの混乱。
魔方陣が光り、契約精霊が応え、屋敷はいつしか常識の彼方へ。
そして誕生するオシリーナとオシリーネ。
「子供が欲しい? なら、産めばいいじゃない」
冷静沈着な契約者アルネが、家族の常識を魔法でぶち壊す!
愛も情もどこ吹く風、すべては計画通り(?)の異色魔法家族劇、ここに完結。
⚠️本作は下品です。性的描写があります。
AIの生成した文章を使用しています。
これが普通なら、獣人と結婚したくないわ~王女様は復讐を始める~
黒鴉そら
ファンタジー
「私には心から愛するテレサがいる。君のような偽りの愛とは違う、魂で繋がった番なのだ。君との婚約は破棄させていただこう!」
自身の成人を祝う誕生パーティーで婚約破棄を申し出た王子と婚約者と番と、それを見ていた第三者である他国の姫のお話。
全然関係ない第三者がおこなっていく復讐?
そこまでざまぁ要素は強くないです。
最後まで書いているので更新をお待ちください。6話で完結の短編です。
【完結】この運命を受け入れましょうか
なか
恋愛
「君のようは妃は必要ない。ここで廃妃を宣言する」
自らの夫であるルーク陛下の言葉。
それに対して、ヴィオラ・カトレアは余裕に満ちた微笑みで答える。
「承知しました。受け入れましょう」
ヴィオラにはもう、ルークへの愛など残ってすらいない。
彼女が王妃として支えてきた献身の中で、平民生まれのリアという女性に入れ込んだルーク。
みっともなく、情けない彼に対して恋情など抱く事すら不快だ。
だが聖女の素養を持つリアを、ルークは寵愛する。
そして貴族達も、莫大な益を生み出す聖女を妃に仕立てるため……ヴィオラへと無実の罪を被せた。
あっけなく信じるルークに呆れつつも、ヴィオラに不安はなかった。
これからの顛末も、打開策も全て知っているからだ。
前世の記憶を持ち、ここが物語の世界だと知るヴィオラは……悲運な運命を受け入れて彼らに意趣返す。
ふりかかる不幸を全て覆して、幸せな人生を歩むため。
◇◇◇◇◇
設定は甘め。
不安のない、さっくり読める物語を目指してます。
良ければ読んでくだされば、嬉しいです。
「無理をするな」と言うだけで何もしなかったあなたへ。今の私は、大公家の公子に大切にされています
葵 すみれ
恋愛
「無理をするな」と言いながら、仕事も責任も全部私に押しつけてきた婚約者。
倒れた私にかけたのは、労りではなく「失望した」の一言でした。
実家からも見限られ、すべてを失った私を拾い上げてくれたのは、黙って手を差し伸べてくれた、黒髪の騎士──
実は、大公家の第三公子でした。
もう言葉だけの優しさはいりません。
私は今、本当に無理をしなくていい場所で、大切にされています。
※他サイトにも掲載しています
聞き分けよくしていたら婚約者が妹にばかり構うので、困らせてみることにした
今川幸乃
恋愛
カレン・ブライスとクライン・ガスターはどちらも公爵家の生まれで政略結婚のために婚約したが、お互い愛し合っていた……はずだった。
二人は貴族が通う学園の同級生で、クラスメイトたちにもその仲の良さは知られていた。
しかし、昨年クラインの妹、レイラが貴族が学園に入学してから状況が変わった。
元々人のいいところがあるクラインは、甘えがちな妹にばかり構う。
そのたびにカレンは聞き分けよく我慢せざるをえなかった。
が、ある日クラインがレイラのためにデートをすっぽかしてからカレンは決心する。
このまま聞き分けのいい婚約者をしていたところで状況は悪くなるだけだ、と。
※ざまぁというよりは改心系です。
※4/5【レイラ視点】【リーアム視点】の間に、入れ忘れていた【女友達視点】の話を追加しました。申し訳ありません。
『嫌われ令嬢ですが、最終的に溺愛される予定です』
由香
恋愛
貴族令嬢エマは、自分が周囲から嫌われていると信じて疑わなかった。
婚約者である侯爵令息レオンからも距離を取られ、冷たい視線を向けられている――そう思っていたのに。
ある日、思いがけず聞いてしまった彼の本音。
「君を嫌ったことなど、一度もない」
それは誤解とすれ違いが重なっただけの、両片思いだった。
勘違いから始まる、甘くて優しい溺愛恋物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる