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第三十三話 名を借りる者と、名を背負う者
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第三十三話 名を借りる者と、名を背負う者
工房の朝は、少しだけざわついていた。
「……これ」
見習いの一人が、新聞の切り抜きを差し出す。
地方紙の小さな記事。
そこには、見覚えのある言葉が踊っていた。
『王都発・話題の焼き菓子――“シオン風”』
「……風、ね」
シオンが、低く呟く。
「ええ」
リリカは、静かに記事を読む。
「名前は使っていません。ですが、“連想”させています」
材料は似ている。
形も、雰囲気も、寄せてある。
だが、どこにも責任者の名前は出ていない。
「……逃げ道、残してるな」
「ええ」
リリカは頷く。
「売れれば乗る。問題が出れば切る。そのための“風”です」
工房の空気が、わずかに引き締まる。
「……どうする」
シオンが、短く聞く。
「何もしません」
答えは、昨日と同じだった。
「ですが」
リリカは、続ける。
「こちらは、名を出します」
その言葉に、シオンが顔を上げる。
「……俺の?」
「ええ」
リリカは、淡々と言った。
「“シオン菓子工房”として、正式に、責任を明示します」
「……今より、目立つぞ」
「ええ」
「……圧も、増す」
「承知しています」
だが、彼女の表情に迷いはない。
「ですが、“名を借りる者”が増えた時点で、こちらも一段、上がる必要があります」
午前中。
工房の前に、新しい掲示が出された。
【当工房の商品は、すべて本工房の責任において製造・出荷されています
“シオン菓子工房”】
それだけの、短い文。
「……これで、逃げられないな」
シオンが、苦笑する。
「ええ」
リリカは、静かに言う。
「背負います」
その日の午後。
地方の店から、問い合わせが入る。
「……“風”と、どう違うんだ」
リリカは、簡潔に答えた。
「責任の所在です」
「……それだけか」
「それだけです」
沈黙の後。
「……分かった。なら、こっちを取る」
その言葉は、静かだったが、確かだった。
夕方。
工房に、見習いの一人が不安そうに声をかける。
「……名前、出して大丈夫なんですか」
「怖いか」
シオンが、問い返す。
「……少し」
「普通だ」
彼は、生地を見つめながら言う。
「だがな」
手を止め、見習いを見る。
「名が出るってのは、“守られる”ってことじゃない」
「……え?」
「“問われる”ってことだ」
その言葉に、見習いは息を呑む。
「味も、判断も、全部」
シオンは、静かに続ける。
「逃げ場がなくなる」
夜。
二人は、いつものように並んで座っていた。
「……一線、越えたな」
シオンが言う。
「ええ」
リリカは、頷く。
「“比較される側”から、“基準にされる側”へ」
「……楽じゃない」
「ええ」
彼女は、微笑む。
「ですが、これで“風”は、風のまま終わります」
翌日。
地方紙の小さな欄に、訂正のような記事が載った。
『“シオン風”とされる商品は、シオン菓子工房とは無関係である』
大きな騒ぎではない。
だが、必要な線引きだった。
「……効いたな」
「ええ」
リリカは、静かに答える。
「名を背負う者と、借りる者の差は、時間で出ます」
工房の前を通る人の視線が、少し変わる。
「……ここが、本物だ」
そんな声が、小さく聞こえる。
派手な宣伝はない。
だが、責任の所在が、はっきりした。
シオンは、看板を見上げる。
「……名前、重いな」
「ええ」
リリカは、同じ方向を見る。
「ですが、その重さがあるから、続きます」
名を借りる者は、風に流される。
名を背負う者は、立ち続ける。
第三十三話の朝、
工房はついに、その立場を選び取った。
もう、“似ている”では語られない。
これからは――
“基準”として、問われ続ける。
工房の朝は、少しだけざわついていた。
「……これ」
見習いの一人が、新聞の切り抜きを差し出す。
地方紙の小さな記事。
そこには、見覚えのある言葉が踊っていた。
『王都発・話題の焼き菓子――“シオン風”』
「……風、ね」
シオンが、低く呟く。
「ええ」
リリカは、静かに記事を読む。
「名前は使っていません。ですが、“連想”させています」
材料は似ている。
形も、雰囲気も、寄せてある。
だが、どこにも責任者の名前は出ていない。
「……逃げ道、残してるな」
「ええ」
リリカは頷く。
「売れれば乗る。問題が出れば切る。そのための“風”です」
工房の空気が、わずかに引き締まる。
「……どうする」
シオンが、短く聞く。
「何もしません」
答えは、昨日と同じだった。
「ですが」
リリカは、続ける。
「こちらは、名を出します」
その言葉に、シオンが顔を上げる。
「……俺の?」
「ええ」
リリカは、淡々と言った。
「“シオン菓子工房”として、正式に、責任を明示します」
「……今より、目立つぞ」
「ええ」
「……圧も、増す」
「承知しています」
だが、彼女の表情に迷いはない。
「ですが、“名を借りる者”が増えた時点で、こちらも一段、上がる必要があります」
午前中。
工房の前に、新しい掲示が出された。
【当工房の商品は、すべて本工房の責任において製造・出荷されています
“シオン菓子工房”】
それだけの、短い文。
「……これで、逃げられないな」
シオンが、苦笑する。
「ええ」
リリカは、静かに言う。
「背負います」
その日の午後。
地方の店から、問い合わせが入る。
「……“風”と、どう違うんだ」
リリカは、簡潔に答えた。
「責任の所在です」
「……それだけか」
「それだけです」
沈黙の後。
「……分かった。なら、こっちを取る」
その言葉は、静かだったが、確かだった。
夕方。
工房に、見習いの一人が不安そうに声をかける。
「……名前、出して大丈夫なんですか」
「怖いか」
シオンが、問い返す。
「……少し」
「普通だ」
彼は、生地を見つめながら言う。
「だがな」
手を止め、見習いを見る。
「名が出るってのは、“守られる”ってことじゃない」
「……え?」
「“問われる”ってことだ」
その言葉に、見習いは息を呑む。
「味も、判断も、全部」
シオンは、静かに続ける。
「逃げ場がなくなる」
夜。
二人は、いつものように並んで座っていた。
「……一線、越えたな」
シオンが言う。
「ええ」
リリカは、頷く。
「“比較される側”から、“基準にされる側”へ」
「……楽じゃない」
「ええ」
彼女は、微笑む。
「ですが、これで“風”は、風のまま終わります」
翌日。
地方紙の小さな欄に、訂正のような記事が載った。
『“シオン風”とされる商品は、シオン菓子工房とは無関係である』
大きな騒ぎではない。
だが、必要な線引きだった。
「……効いたな」
「ええ」
リリカは、静かに答える。
「名を背負う者と、借りる者の差は、時間で出ます」
工房の前を通る人の視線が、少し変わる。
「……ここが、本物だ」
そんな声が、小さく聞こえる。
派手な宣伝はない。
だが、責任の所在が、はっきりした。
シオンは、看板を見上げる。
「……名前、重いな」
「ええ」
リリカは、同じ方向を見る。
「ですが、その重さがあるから、続きます」
名を借りる者は、風に流される。
名を背負う者は、立ち続ける。
第三十三話の朝、
工房はついに、その立場を選び取った。
もう、“似ている”では語られない。
これからは――
“基準”として、問われ続ける。
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