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第25話 全部あの新聞のせいだ!
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第25話 全部あの新聞のせいだ!
王太子ギヨームは、ついに本気でそう信じ始めていた。
「全部、あの新聞のせいだ!」
怒声は王宮の私室に響き、控えていた侍従たちは一斉に目を伏せた。
最近の彼は、気に入らぬことがあるたびに同じ台詞を吐く。縁談が進まないのも、夫人方の茶会で話題にされるのも、側近たちの顔色が悪いのも、全部、王都サロン新報のせいだと。
もちろん違う。
違うのだが、本人だけがそこへ辿り着かない。
「でなければ、私がこんな目に遭うはずがない!」
机の上には、今日届いた書状が散らばっていた。
どれも一見すると丁寧で穏やかだ。だが意味は同じである。
縁談は難しい。
時期尚早。
娘の体調。
家の事情。
要するに、お断りだ。
ギヨームはその一枚を掴み、ぐしゃりと握り潰した。
「私を断るだと……!」
怒りで顔を赤くしながらも、その奥には理解できないという色がある。
彼にとって、自分は選ぶ側の人間だった。
婚約者も、周囲の令嬢も、自分の好みに合うかどうかを見てやる相手に過ぎなかった。
まさか自分が避けられる側になるなど、本気で考えたことがない。
「殿下」
年長の側近が、おそるおそる声をかける。
「少々、お気を鎮められては……」
「鎮められるか!」
ギヨームは振り返った。
「お前たちは分かっているのか? 私は王太子だぞ! それを、たかが新聞ごときに好き勝手書かれ、縁談まで止められて――」
その言葉に、側近たちは誰もすぐには返せない。
縁談を止めたのは新聞ではない。
新聞に載るようなことをした王太子本人だ。
だが、いまそれを口に出せば事態はさらに悪くなる。
「殿下、縁談が停滞しているのは」
「新聞のせいだろう!」
また怒鳴る。
「私が何をしたというのだ! 少し本心を示しただけではないか!」
その“少し”が、婚約者を公衆の面前で怒鳴りつけ、王家の体面を踏みつけ、さらに新聞社へ圧力をかけようとしたのだから救いがない。
けれどギヨームの中では、物語は別の形で出来上がっている。
自分は真実の心に従った。
それを、あの令嬢どもが面白半分に紙にして、絵まで付けて笑いものにした。
だから自分は被害者だ、と。
「殿下」
別の側近が慎重に言う。
「今は新たな動きをお控えになった方が」
「何もしろと言うのか?」
「少なくとも、これ以上感情的なご対応は――」
「感情的なのは向こうだ!」
ギヨームは机を叩いた。
「女どもが寄ってたかって、私の一挙手一投足を記事にし、いちいち大げさに騒ぎ立てているんだぞ!」
その場の空気が凍る。
一挙手一投足。
まるで新聞が勝手に作り上げているように言うが、実際には自分で材料を供給し続けているだけだ。
婚約破棄、発禁未遂、石版画への逆上、縁談の停滞。
紙面が勝手に増えたわけではない。
「……全部、あの女だ」
ギヨームは低く吐き出した。
「アルヴィエールの娘。あいつが裏で糸を引いている」
セラフィーナの名を出すとき、彼の声には憎悪と侮りが奇妙に混ざる。
女のくせに。
公爵令嬢のくせに。
新聞屋の真似事ごときで。
そういう感情が透けて見えた。
「殿下、個人への敵意を公然と示すのは」
「黙れ!」
また怒鳴る。
「私は悪くない! 悪いのはあいつらだ! あんな新聞さえなければ、皆も余計なことを考えずに済んだ!」
まるで、紙が存在しなければ現実も消えると言わんばかりだった。
側近たちはもう何も言わない。
言っても届かないと分かり始めているからだ。
王太子がいま失っているのは婚約者だけではない。
冷静さも、判断力も、そして何より自分を省みる能力も失っている。
「次は何だ」
ギヨームは荒く息を吐きながら言った。
「次は何を書かせるつもりだ。私が誰と会っただの、何を買っただの、そんなことまでいちいち記事にするのか!」
それを口にした瞬間、側近の一人は内心で顔をしかめた。
いま自分から“何を買っただの”などと言ってしまうのは、ほとんど自白ではないか。
けれどギヨームは気づかない。
自分の言葉がどれほど軽く、どれほど紙面向きかを。
「殿下」
年長の側近が、ほとんど最後の忠告のように言った。
「どうか、これ以上ご自身で材料を増やされませんよう」
「材料だと?」
ギヨームの目がつり上がる。
「私を記事の餌とでも言いたいのか!」
「そのような意味では」
「なら出て行け!」
私室にまた怒声が響く。
側近たちは頭を下げて退いた。
残されたギヨームはなおも荒い息のまま、号外を睨みつけている。机の隅には王都サロン新報の最新号。政治面、経済面、社会面、宮廷・社交面――どの面にも、自分へ向けた冷たい視線があるように思えてならない。
彼は新聞を掴み上げた。
「……絶対に許さん」
だが、その言葉にかつての王太子らしい威圧感はなかった。
ただ追い詰められた男の、細く尖った憎しみでしかない。
その頃、ル・サロン編集社では午後の紅茶がちょうど注がれていた。
「殿下、また仰ったそうですわ。“全部あの新聞のせいだ”と」
オデットが愉快そうに報告する。
「まあ」
クレマンスが扇を軽く動かした。
「ついにそこへ完成なさいましたのね」
「ええ。しかも、かなり本気で」
セラフィーナはカップを手に取り、静かに微笑んだ。
ついに来た、と思う。
失敗を認めず、すべてを外へ押しつける段階。
ここまで来れば、もう転落は止まらない。
「では」
彼女は穏やかに言った。
「次の見出しは、ずいぶん決めやすくなりましたわね」
見た目は優雅なお茶会。
けれどそこで整えられているのは、王太子のご乱心をどう上品に紙へ載せるかだった。
そしてギヨームはまだ知らない。
“全部あの新聞のせいだ”という台詞そのものが、次号では最高に使いやすい材料になることを。
王太子ギヨームは、ついに本気でそう信じ始めていた。
「全部、あの新聞のせいだ!」
怒声は王宮の私室に響き、控えていた侍従たちは一斉に目を伏せた。
最近の彼は、気に入らぬことがあるたびに同じ台詞を吐く。縁談が進まないのも、夫人方の茶会で話題にされるのも、側近たちの顔色が悪いのも、全部、王都サロン新報のせいだと。
もちろん違う。
違うのだが、本人だけがそこへ辿り着かない。
「でなければ、私がこんな目に遭うはずがない!」
机の上には、今日届いた書状が散らばっていた。
どれも一見すると丁寧で穏やかだ。だが意味は同じである。
縁談は難しい。
時期尚早。
娘の体調。
家の事情。
要するに、お断りだ。
ギヨームはその一枚を掴み、ぐしゃりと握り潰した。
「私を断るだと……!」
怒りで顔を赤くしながらも、その奥には理解できないという色がある。
彼にとって、自分は選ぶ側の人間だった。
婚約者も、周囲の令嬢も、自分の好みに合うかどうかを見てやる相手に過ぎなかった。
まさか自分が避けられる側になるなど、本気で考えたことがない。
「殿下」
年長の側近が、おそるおそる声をかける。
「少々、お気を鎮められては……」
「鎮められるか!」
ギヨームは振り返った。
「お前たちは分かっているのか? 私は王太子だぞ! それを、たかが新聞ごときに好き勝手書かれ、縁談まで止められて――」
その言葉に、側近たちは誰もすぐには返せない。
縁談を止めたのは新聞ではない。
新聞に載るようなことをした王太子本人だ。
だが、いまそれを口に出せば事態はさらに悪くなる。
「殿下、縁談が停滞しているのは」
「新聞のせいだろう!」
また怒鳴る。
「私が何をしたというのだ! 少し本心を示しただけではないか!」
その“少し”が、婚約者を公衆の面前で怒鳴りつけ、王家の体面を踏みつけ、さらに新聞社へ圧力をかけようとしたのだから救いがない。
けれどギヨームの中では、物語は別の形で出来上がっている。
自分は真実の心に従った。
それを、あの令嬢どもが面白半分に紙にして、絵まで付けて笑いものにした。
だから自分は被害者だ、と。
「殿下」
別の側近が慎重に言う。
「今は新たな動きをお控えになった方が」
「何もしろと言うのか?」
「少なくとも、これ以上感情的なご対応は――」
「感情的なのは向こうだ!」
ギヨームは机を叩いた。
「女どもが寄ってたかって、私の一挙手一投足を記事にし、いちいち大げさに騒ぎ立てているんだぞ!」
その場の空気が凍る。
一挙手一投足。
まるで新聞が勝手に作り上げているように言うが、実際には自分で材料を供給し続けているだけだ。
婚約破棄、発禁未遂、石版画への逆上、縁談の停滞。
紙面が勝手に増えたわけではない。
「……全部、あの女だ」
ギヨームは低く吐き出した。
「アルヴィエールの娘。あいつが裏で糸を引いている」
セラフィーナの名を出すとき、彼の声には憎悪と侮りが奇妙に混ざる。
女のくせに。
公爵令嬢のくせに。
新聞屋の真似事ごときで。
そういう感情が透けて見えた。
「殿下、個人への敵意を公然と示すのは」
「黙れ!」
また怒鳴る。
「私は悪くない! 悪いのはあいつらだ! あんな新聞さえなければ、皆も余計なことを考えずに済んだ!」
まるで、紙が存在しなければ現実も消えると言わんばかりだった。
側近たちはもう何も言わない。
言っても届かないと分かり始めているからだ。
王太子がいま失っているのは婚約者だけではない。
冷静さも、判断力も、そして何より自分を省みる能力も失っている。
「次は何だ」
ギヨームは荒く息を吐きながら言った。
「次は何を書かせるつもりだ。私が誰と会っただの、何を買っただの、そんなことまでいちいち記事にするのか!」
それを口にした瞬間、側近の一人は内心で顔をしかめた。
いま自分から“何を買っただの”などと言ってしまうのは、ほとんど自白ではないか。
けれどギヨームは気づかない。
自分の言葉がどれほど軽く、どれほど紙面向きかを。
「殿下」
年長の側近が、ほとんど最後の忠告のように言った。
「どうか、これ以上ご自身で材料を増やされませんよう」
「材料だと?」
ギヨームの目がつり上がる。
「私を記事の餌とでも言いたいのか!」
「そのような意味では」
「なら出て行け!」
私室にまた怒声が響く。
側近たちは頭を下げて退いた。
残されたギヨームはなおも荒い息のまま、号外を睨みつけている。机の隅には王都サロン新報の最新号。政治面、経済面、社会面、宮廷・社交面――どの面にも、自分へ向けた冷たい視線があるように思えてならない。
彼は新聞を掴み上げた。
「……絶対に許さん」
だが、その言葉にかつての王太子らしい威圧感はなかった。
ただ追い詰められた男の、細く尖った憎しみでしかない。
その頃、ル・サロン編集社では午後の紅茶がちょうど注がれていた。
「殿下、また仰ったそうですわ。“全部あの新聞のせいだ”と」
オデットが愉快そうに報告する。
「まあ」
クレマンスが扇を軽く動かした。
「ついにそこへ完成なさいましたのね」
「ええ。しかも、かなり本気で」
セラフィーナはカップを手に取り、静かに微笑んだ。
ついに来た、と思う。
失敗を認めず、すべてを外へ押しつける段階。
ここまで来れば、もう転落は止まらない。
「では」
彼女は穏やかに言った。
「次の見出しは、ずいぶん決めやすくなりましたわね」
見た目は優雅なお茶会。
けれどそこで整えられているのは、王太子のご乱心をどう上品に紙へ載せるかだった。
そしてギヨームはまだ知らない。
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