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第23話 名前のない評価
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第23話 名前のない評価
辺境伯領の朝は、静かに始まる。
鐘の音は短く、必要以上に人を急かさない。
商人の馬車が通り、職人たちが店を開け、農夫たちが畑へ向かう。
その一つ一つが、計画書の数字ではなく、生活として息づいている。
ミディア・バイエルンは、政庁の窓からその様子を眺めていた。
「……順調ですね」
呟きは独り言に近い。
隣で書類を整理していたアイロス・アルツハイムが、顔を上げた。
「はい。先月の施策、想定より定着が早い」
「無理をさせていないからでしょう」
ミディアは、机に置かれた報告書を手に取る。
収穫量、物流、雇用。
どの項目も、派手ではないが、確実に改善している。
「王都なら……」
アイロスが、言いかけて止めた。
「数字を盛る、ですね」
「ええ」
ミディアは、淡々と答える。
「成果を急げば、必ずどこかが歪みます」
その歪みを、彼女はよく知っていた。
王太子の隣で、何度も見てきたからだ。
午前中、政庁に一人の来客があった。
王都の商会に所属する、中年の男。
派手な服装ではないが、身なりは整っている。
「突然の訪問、失礼いたします」
男は、深く頭を下げた。
「用件を」
ミディアは、形式的な挨拶を省いた。
「はい。辺境伯領の物流について、視察を……」
彼は、慎重に言葉を選んでいる。
「“視察”ですか」
「……ええ。個人的な判断で」
その一言で、背景は十分だった。
王都として動けない。
だから、“個人”として来る。
「許可は、出しています」
ミディアは、書類に目を落としたまま言った。
「ただし、条件があります」
「条件、ですか」
「評価を、王都へ持ち帰らないこと」
男は、言葉を失った。
「……それは」
「公的な評価ではなく、あなた自身の目で見てください」
ミディアは、顔を上げ、静かに続けた。
「良いと思えば、良い。
悪いと思えば、悪い。
ただし、名前を付けないでください」
「名前……?」
「王都の言葉で評価しない、という意味です」
沈黙が落ちる。
男は、やがて、ゆっくりと頷いた。
「……承知しました」
視察は、その日の午後に行われた。
街道、倉庫、作業場。
どこも、過剰な演出はない。
「特別なことは、何もしていませんね」
男が、正直に言う。
「はい」
ミディアは、即答した。
「特別なことは、続きませんから」
作業中の職人が、二人に気づいて声をかけてきた。
「お疲れさまです!」
「この前の資材、助かりました!」
誰も、肩書きを確認しない。
誰も、媚びない。
それが、男には衝撃だった。
夕方、視察を終え、政庁に戻る。
「……率直に申し上げます」
男は、深く息を吸った。
「ここは、王都よりも“普通”です」
「そうでしょう」
ミディアは、微笑まない。
「普通であることは、評価されません」
「ええ」
男は、苦笑した。
「だからこそ、怖い」
その言葉に、ミディアは少しだけ目を細めた。
「壊れにくい、という意味ですね」
「はい」
男は、正直だった。
「王都では、これを“地味”と呼びます」
「ここでは、“安定”と呼びます」
夜、来客を見送った後、アイロスが言った。
「王都は、どう動くでしょう」
「動きません」
ミディアは、即答する。
「評価できないものは、扱えない」
「では、なぜ受け入れたのですか」
「彼のためです」
ミディアは、静かに続けた。
「王都の言葉を使わずに見る経験は、
きっと、彼の中に残ります」
それで十分だった。
誰かに褒められるためではない。
誰かに恐れられるためでもない。
ただ、続けるため。
夜更け、机に向かい、次の施策を確認する。
書類の隅に、ふと、かつての自分の名前がよぎる。
――王太子妃候補。
今となっては、空虚な肩書きだ。
「……名前はいらない」
ミディアは、小さく呟いた。
評価に名前を付ければ、序列が生まれる。
序列が生まれれば、争いが始まる。
ここでは、それをしない。
それが、彼女の選んだやり方だった。
辺境の夜は、静かに更けていく。
王都の喧騒とは、別の時間が流れている。
ミディア・バイエルンは、
名のない評価の中で、確かに前に進んでいた。
辺境伯領の朝は、静かに始まる。
鐘の音は短く、必要以上に人を急かさない。
商人の馬車が通り、職人たちが店を開け、農夫たちが畑へ向かう。
その一つ一つが、計画書の数字ではなく、生活として息づいている。
ミディア・バイエルンは、政庁の窓からその様子を眺めていた。
「……順調ですね」
呟きは独り言に近い。
隣で書類を整理していたアイロス・アルツハイムが、顔を上げた。
「はい。先月の施策、想定より定着が早い」
「無理をさせていないからでしょう」
ミディアは、机に置かれた報告書を手に取る。
収穫量、物流、雇用。
どの項目も、派手ではないが、確実に改善している。
「王都なら……」
アイロスが、言いかけて止めた。
「数字を盛る、ですね」
「ええ」
ミディアは、淡々と答える。
「成果を急げば、必ずどこかが歪みます」
その歪みを、彼女はよく知っていた。
王太子の隣で、何度も見てきたからだ。
午前中、政庁に一人の来客があった。
王都の商会に所属する、中年の男。
派手な服装ではないが、身なりは整っている。
「突然の訪問、失礼いたします」
男は、深く頭を下げた。
「用件を」
ミディアは、形式的な挨拶を省いた。
「はい。辺境伯領の物流について、視察を……」
彼は、慎重に言葉を選んでいる。
「“視察”ですか」
「……ええ。個人的な判断で」
その一言で、背景は十分だった。
王都として動けない。
だから、“個人”として来る。
「許可は、出しています」
ミディアは、書類に目を落としたまま言った。
「ただし、条件があります」
「条件、ですか」
「評価を、王都へ持ち帰らないこと」
男は、言葉を失った。
「……それは」
「公的な評価ではなく、あなた自身の目で見てください」
ミディアは、顔を上げ、静かに続けた。
「良いと思えば、良い。
悪いと思えば、悪い。
ただし、名前を付けないでください」
「名前……?」
「王都の言葉で評価しない、という意味です」
沈黙が落ちる。
男は、やがて、ゆっくりと頷いた。
「……承知しました」
視察は、その日の午後に行われた。
街道、倉庫、作業場。
どこも、過剰な演出はない。
「特別なことは、何もしていませんね」
男が、正直に言う。
「はい」
ミディアは、即答した。
「特別なことは、続きませんから」
作業中の職人が、二人に気づいて声をかけてきた。
「お疲れさまです!」
「この前の資材、助かりました!」
誰も、肩書きを確認しない。
誰も、媚びない。
それが、男には衝撃だった。
夕方、視察を終え、政庁に戻る。
「……率直に申し上げます」
男は、深く息を吸った。
「ここは、王都よりも“普通”です」
「そうでしょう」
ミディアは、微笑まない。
「普通であることは、評価されません」
「ええ」
男は、苦笑した。
「だからこそ、怖い」
その言葉に、ミディアは少しだけ目を細めた。
「壊れにくい、という意味ですね」
「はい」
男は、正直だった。
「王都では、これを“地味”と呼びます」
「ここでは、“安定”と呼びます」
夜、来客を見送った後、アイロスが言った。
「王都は、どう動くでしょう」
「動きません」
ミディアは、即答する。
「評価できないものは、扱えない」
「では、なぜ受け入れたのですか」
「彼のためです」
ミディアは、静かに続けた。
「王都の言葉を使わずに見る経験は、
きっと、彼の中に残ります」
それで十分だった。
誰かに褒められるためではない。
誰かに恐れられるためでもない。
ただ、続けるため。
夜更け、机に向かい、次の施策を確認する。
書類の隅に、ふと、かつての自分の名前がよぎる。
――王太子妃候補。
今となっては、空虚な肩書きだ。
「……名前はいらない」
ミディアは、小さく呟いた。
評価に名前を付ければ、序列が生まれる。
序列が生まれれば、争いが始まる。
ここでは、それをしない。
それが、彼女の選んだやり方だった。
辺境の夜は、静かに更けていく。
王都の喧騒とは、別の時間が流れている。
ミディア・バイエルンは、
名のない評価の中で、確かに前に進んでいた。
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