『婚約破棄された令嬢ですが、気づけば王国の基準になっていました』

ふわふわ

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第十五話 殿下の焦り

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第十五話 殿下の焦り

 王宮の回廊を、速い足音が響いていた。

 王太子エドガーは、珍しく侍従を置き去りにして執務室へ向かっている。普段は整った所作を崩さぬ彼の歩みが、今日はわずかに荒い。

「再度確認したのか」

 扉を開けるなり、彼は新任財務顧問へ問いかけた。

「は、はい。国債利回りは本日さらに〇・二上昇。再開発区画の第二期は、実質的に停止です」

「税制改正の効果はどうした」

「税収増は見込めますが、物価上昇がそれを相殺しつつあり……」

 顧問の声が小さくなる。

 エドガーは拳を握った。

「対策は打っている。何もしなかったわけではない」

 誰も反論しない。

 だが、数字は冷酷だ。

 努力を評価しない。

 執務室の窓から王都を見下ろす。遠くに再開発区画の足場が見える。動きは鈍い。

「……偶然だ」

 自分に言い聞かせるように呟く。

 だが、宰相の報告が頭から離れない。

 保証契約。

 個人補完。

 セレスティア・ヴァルモンド。

 彼女の名が、数字と共に並んだときの違和感。

 婚約破棄は正しい決断だったはずだ。

 愛を選んだ。

 民に誠実であるための選択。

 だが、なぜ財政が揺れる。

 ノックが響く。

「陛下がお呼びです」

 短い言葉。

 エドガーは深く息を吸い、王の執務室へ向かった。

 国王は書類を広げたまま、顔を上げる。

「来たか」

「はい、父上」

「状況は把握しているな」

「もちろんです」

 エドガーは即答する。

「税制改正と保証料増額で、十分対応可能です」

 国王の目が細くなる。

「保証契約の件は理解しているか」

 一瞬、空気が止まる。

「……把握はしていました」

「重みは」

 沈黙。

 エドガーは唇を噛む。

「王家の信用は揺るがぬと考えておりました」

「市場は感情で動かぬ」

 国王の声は静かだが、鋭い。

「保証が外れた象徴的意味は大きい」

「ですが、彼女一人で王国が揺らぐなど」

 言いかけて、言葉が止まる。

 国王は首を横に振った。

「揺らいでいるのは“彼女”ではない。“仕組み”だ」

 その一言が重く落ちる。

 エドガーは目を伏せる。

「隣国の公爵が侯爵家を訪れた件も聞いている」

 胸がざわつく。

「……承知しております」

「どう思う」

 問われる。

 答えは単純ではない。

「王国の混乱を利用しようとしているのかと」

「それだけか」

 国王の視線が鋭く刺さる。

 エドガーは、わずかに言葉を選ぶ。

「彼女を、引き抜こうとしている可能性も」

「その通りだ」

 国王は断じる。

「王国は彼女を外した。隣国が拾うのは自然だ」

 胸の奥が重くなる。

 婚約破棄は、個人的な選択だった。

 だが今、それが国家的影響を持ち始めている。

「……戻すおつもりですか」

 思わず出た問い。

 国王は即答しない。

「余は、国を守る」

 それだけだった。

 エドガーは執務室を後にする。

 回廊を歩きながら、胸の内で葛藤が渦巻く。

 彼女は、そこまで重要だったのか。

 いや、重要だったのだろう。

 だが、それは“婚約者”としてではなく、“仕組みの一部”として。

 それを理解せずに決断したのは、自分だ。

 夜。

 王太子の私室で、彼は机に向かう。

 目の前には再開発計画の図面と、保証契約の写し。

 セレスティアの署名が目に入る。

 整った筆跡。

 揺るぎない線。

 彼女は感情を表に出さなかった。

 今思えば、それがどれほどの意味を持っていたか。

「……焦るな」

 自分に言い聞かせる。

 だが焦りは確実にある。

 世論はまだ味方だ。

 だが、数字が裏切り始めている。

 そして隣国が動いた。

 王太子として、愛を守りたい。

 だが王太子として、国も守らねばならない。

 二つを同時に守れると信じていた。

 だが今、その両立が揺らいでいる。

 窓の外、王都の灯りが揺れる。

 その一つ一つが、責任の重さを示しているようだった。

 殿下の焦りは、まだ誰にも見えていない。

 だが確実に、彼の中で広がっていた。
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