白い仮面の結婚を捨てた私が、裁かれない場所を作るまで

ふわふわ

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第3話 微笑みの裏側

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第3話 微笑みの裏側

 

 朝の光が差し込む回廊を歩きながら、ジェシカは静かに呼吸を整えていた。

 ヴァルモント家の朝は早い。
 当主夫人となった彼女には、家令や使用人、執事長との顔合わせ、日々の報告、確認すべきことが山のようにあった。

「本日より、夫人の裁量で女中頭を指名していただきます」

 執事長の言葉に、ジェシカは一瞬だけ戸惑いながらも、頷いた。

「分かりました。後ほど名簿を拝見します」

 言葉遣いも、所作も、完璧に。
 そう意識するほど、胸の内側に小さな緊張が溜まっていく。

 ――失敗は許されない。
 ――私は“ヴァルモント家の正夫人”なのだから。

 

 昼前、アルヴィンと共に屋敷の庭園を歩いた。

 薔薇が咲き誇り、噴水の水音が穏やかに響く。
 まるで絵画のような光景だ。

「この庭は、代々当主が手を入れてきたものです」

 アルヴィンは淡々と説明した。

「あなたにも、いずれ管理を任せることになるでしょう」

「……はい」

 任せる。
 その言葉に含まれる意味を、ジェシカは測りかねていた。

「無理に馴染もうとしなくて構いません。
 必要なのは、家の顔としての振る舞いですから」

 そう言って、彼は微笑む。

 優しく、穏やかで、完璧な微笑み。
 だが、どこか遠い。

(また……この感じ)

 まるで、対等な伴侶ではなく、よく出来た置物を前にしているような距離感。

 

 午後、社交界からの招待状が山のように届いた。

「すべて受ける必要はありませんよ」

 アルヴィンは書類に目を通しながら言った。

「取捨選択は私がします。
 あなたは、出るべき場にだけ顔を出せばいい」

「……私の判断では、いけませんか?」

 思わず口をついて出た言葉に、部屋の空気が一瞬だけ止まった。

 アルヴィンは顔を上げ、穏やかなまま答える。

「誤解しないでください。
 これは軽視ではなく、効率の問題です」

 効率。
 その言葉は、正論だった。
 けれど――。

「あなたは、まだ社交界の空気に慣れていない。
 私が先に選んだ方が、無難でしょう」

 その口調は、丁寧で、理性的で、否定の余地がない。

 ジェシカは、微笑みを作った。

「……そうですね。お任せします」

 その瞬間、胸の奥で、何かが小さく音を立てた。

 

 夕刻、侍女たちの会話が、ふと耳に入った。

「本当にお似合いよね」
「アルヴィン様、完璧な方だもの」
「ジェシカ様も、控えめで……」

 控えめ。

 それは誉め言葉のはずだった。
 けれど、なぜか胸が痛んだ。

(私は……そう見えているのね)

 意見を言わない。
 出しゃばらない。
 夫の判断に従う。

 それが“理想の妻”。

 

 夜、アルヴィンは書斎に籠もったまま戻らなかった。

 ジェシカは一人、寝室で窓の外を見つめる。
 王都の灯りが、遠くで瞬いている。

(私は、ここで何をするためにいるの?)

 結婚したはずなのに、生活を共にしている感覚がない。
 夫は隣にいるのに、どこか別の世界にいる。

 ――いいえ。

(最初から、そうだったのかもしれない)

 白の誓約。
 役割。
 効率。

 今日一日で、何度も耳にした言葉が、心に重くのしかかる。

 ジェシカは、そっと拳を握った。

 まだ、確信はない。
 けれど――。

(私は、このまま“理想の妻”で終わるつもりはない)

 その小さな決意は、まだ誰にも見えない。
 だが確かに、彼女の内側で、静かに、しかし確実に芽を出し始めていた。

 完璧な微笑みの裏に隠されたものを、
 いずれ、自分の目で確かめるために。
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