白い仮面の結婚を捨てた私が、裁かれない場所を作るまで

ふわふわ

文字の大きさ
2 / 40

第2話 理想の夫婦という檻

しおりを挟む
第2話 理想の夫婦という檻

 

 翌朝、ヴァルモント家の屋敷は、祝宴の余韻に包まれていた。

 広い食堂の長卓には、白磁の食器と銀のカトラリーが整然と並び、湯気を立てる朝食が運ばれてくる。使用人たちの動きは無駄がなく、すべてが「名門の朝」として完璧に整えられていた。

 ジェシカは、正面に座る夫――アルヴィンの姿を静かに見つめていた。

 昨夜と変わらず、彼は非の打ち所のない当主然とした佇まいで、新聞代わりの王都報を読みながら、優雅に紅茶を口にしている。視線の上げ下ろし、カップの持ち方、すべてが洗練されていた。

「よく眠れましたか、ジェシカ」

 不意にかけられた声に、彼女は小さく背筋を伸ばす。

「ええ。おかげさまで」

 そう答えると、アルヴィンは満足そうに頷いた。

「それは何よりです。新婚早々、体調を崩されては困りますからね」

 その言葉は気遣いの形をしていたが、どこか事務的だった。
 ジェシカは違和感を覚えながらも、微笑みを崩さない。

 食事が終わると、間を置かずに客人が訪れた。

「お祝いに参りましたぞ、ヴァルモント卿!」

 扉をくぐってきたのは、近縁の貴族や社交界の顔役たちだった。彼らは口々に祝福の言葉を述べ、ジェシカに向けて好奇と羨望の視線を向ける。

「噂通りのご令嬢だ」
「これでヴァルモント家は安泰だな」
「まさに理想のご夫婦です」

 その言葉を聞くたび、胸の奥が小さく軋んだ。

(理想……?)

 彼らが見ているのは、白いドレスと家名、整えられた笑顔だけだ。ジェシカという人間ではない。

 アルヴィンは、そんな視線を受け止めるのにも慣れているようだった。自然に彼女の肩に手を置き、穏やかな声で言う。

「妻は聡明で、控えめで、ヴァルモント家に相応しい女性です」

 称賛の言葉。
 だが、その言葉の中に「愛」はなかった。

 

 昼前には、貴族院からの使者が訪れた。

「白の誓約に基づく婚姻登録が正式に完了しました。
 本日より、ジェシカ様はヴァルモント家の正夫人として認められます」

 淡々と告げられるその宣言は、祝福というより、契約の締結に近かった。

 その後も一日中、屋敷には人の出入りが絶えなかった。挨拶、報告、形式的な祝賀。ジェシカは当主夫人としての役割を果たし続け、笑顔を貼り付けたまま、夜を迎えた。

 

 夜。
 客人が去り、屋敷が静まり返った頃。

 回廊を歩いていたジェシカは、ふと書斎の前で足を止めた。扉の向こうから、低く抑えた声が聞こえた気がしたのだ。

 ――アルヴィンの声。

 誰かと話している。だが、その相手の声は聞き取れない。

(まだ、仕事……?)

 そう思い、声をかけようとして、なぜか躊躇した。

 扉の向こうから漏れてきたのは、冷静で、淡々とした口調だった。

「……問題はない。
 白の誓約だ。役割は果たしてもらう」

 その一言に、胸がひやりと冷えた。

 役割。

 彼女は、今、自分が「妻」ではなく「役割」として語られていることに気づいてしまった。

 扉からそっと離れ、自室へ戻る。
 部屋に入った瞬間、張り詰めていたものが、すっと緩んだ。

(おかしい……わよね)

 完璧な夫。
 理想の結婚。
 誰もが羨む白の誓約。

 それなのに、なぜこんなにも、心が冷えていくのだろう。

 鏡の前に立ち、ジェシカは自分の顔を見つめた。
 そこに映るのは、笑顔の貴族夫人。

 だが、その奥で、確かに小さな声が囁いていた。

(私は、この檻の中で、何を失おうとしているの?)

 その疑問は、まだ形にならない。
 けれど、確実に芽吹いていた。

 ――理想の夫婦という名の、見えない檻が、静かに閉じ始めていることに。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

婚約破棄で悪役令嬢を辞めたので、今日から素で生きます。

黒猫かの
恋愛
「エリー・オルブライト! 貴様との婚約を破棄する!」 豪華絢爛な夜会で、ウィルフレッド王子から突きつけられた非情な宣告。 しかし、公爵令嬢エリーの心境は……「よっしゃあ! やっと喋れるわ!!」だった。

【完結】もう誰にも恋なんてしないと誓った

Mimi
恋愛
 声を出すこともなく、ふたりを見つめていた。  わたしにとって、恋人と親友だったふたりだ。    今日まで身近だったふたりは。  今日から一番遠いふたりになった。    *****  伯爵家の後継者シンシアは、友人アイリスから交際相手としてお薦めだと、幼馴染みの侯爵令息キャメロンを紹介された。  徐々に親しくなっていくシンシアとキャメロンに婚約の話がまとまり掛ける。  シンシアの誕生日の婚約披露パーティーが近付いた夏休み前のある日、シンシアは急ぐキャメロンを見掛けて彼の後を追い、そして見てしまった。  お互いにただの幼馴染みだと口にしていた恋人と親友の口づけを……  * 無自覚の上から目線  * 幼馴染みという特別感  * 失くしてからの後悔   幼馴染みカップルの当て馬にされてしまった伯爵令嬢、してしまった親友視点のお話です。 中盤は略奪した親友側の視点が続きますが、当て馬令嬢がヒロインです。 本編完結後に、力量不足故の幕間を書き加えており、最終話と重複しています。 ご了承下さいませ。 他サイトにも公開中です

裏切りの先にあるもの

マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。 結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。

幼馴染みの婚約者が「学生時代は愛する恋人と過ごさせてくれ」と言ってきたので、秒で婚約解消を宣言した令嬢の前世が、社畜のおっさんだった件。

灯乃
ファンタジー
子爵家の総領娘である令嬢の前に、巨乳美少女と腕を組んだ婚約者がやってきた。 曰く、「学生時代くらいは、心から愛する恋人と自由に過ごしたい。それくらい、黙って許容しろ」と。 婚約者を甘やかし過ぎていたことに気付いた彼女は、その場で婚約解消を宣言する。 前半はたぶん普通の令嬢もの、後半はおっさんコメディーです。

「可愛げがない」と婚約破棄された公爵令嬢ですが、領地経営をしていたのは私です

希羽
恋愛
「お前のような可愛げのない女との婚約は破棄する!」 卒業パーティの会場で、婚約者である第二王子デリックはそう宣言し、私の義妹ミナを抱き寄せました。 誰もが私が泣き崩れると思いましたが――正直、せいせいしました。 だって、王子の領地経営、借金返済、結界維持、それら全ての激務を一人でこなしていたのは「可愛げのない」私だったのですから。 「承知しました。では、あとはミナと二人で頑張ってください」 私は手切れ金代わりに面倒な仕事を全て置いて国を出ました。 すると、国境で待っていたのは、隣国ガルガディア帝国の冷徹皇太子ことクライド様。なぜか彼は私を溺愛し、帝国で最高の地位と環境を与えてくれて……。

病弱な幼馴染を守る彼との婚約を解消、十年の恋を捨てて結婚します

佐藤 美奈
恋愛
セフィーナ・グラディウスという貴族の娘が、婚約者であるアルディン・オルステリア伯爵令息との関係に苦悩し、彼の優しさが他の女性に向けられることに心を痛める。 セフィーナは、アルディンが幼馴染のリーシャ・ランスロット男爵令嬢に特別な優しさを注ぐ姿を見て、自らの立場に苦しみながらも、理想的な婚約者を演じ続ける日々を送っていた。 婚約して十年間、心の中で自分を演じ続けてきたが、それももう耐えられなくなっていた。

愛想を尽かした女と尽かされた男

火野村志紀
恋愛
※全16話となります。 「そうですか。今まであなたに尽くしていた私は側妃扱いで、急に湧いて出てきた彼女が正妃だと? どうぞ、お好きになさって。その代わり私も好きにしますので」

お飾り王妃の死後~王の後悔~

ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。 王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。 ウィルベルト王国では周知の事実だった。 しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。 最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。 小説家になろう様にも投稿しています。

処理中です...