二世代の伝説の歌姫 〜ラストナンバーは終わらない〜

ふわふわ

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第5章‑1:体育の授業

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第5章‑1:体育の授業

 澄み渡る青空が広がった春の午後、校庭には柔らかな日差しと軽い南風が交差していた。体育の時間、白河優はグラウンドの端で準備運動をしていた。長い前髪は顎まで垂れ、視界を完全に遮りながらも、体操着の袖を手首までしっかり引き上げ、膝を抱えるように静かに屈伸している。

 クラス全員が陣形を整え、担任の先生が口笛を吹く合図とともにラジカセのスイッチを入れた。運動会の練習かと思わせる軽快なリズムに、クラスメイトたちは手拍子を合わせながら走り始める。しかし、優だけは走り出さずに微かに肩を揺らし、呼吸を整える仕草を見せる。

「では、リレー形式で二週行います。順番はA組とB組で交互に。白河さんは一番後ろ、スタートのタイミングだけ合わせてくださいね」
 先生の声に、優は頷くだけだった。

 スタートのピストル音が鳴り響き、第一走者が勢いよく駆け出す。観客席のように並んだクラスメイトたちが声援を送る中、優の前でバトンリレーが始まった。前髪の先端が地面をかすめるほど低く垂れ下がり、一歩一歩を慎重に踏みしめるように足を動かしている。

 そして──
 その瞬間、強い突風が校庭を駆け抜けた。春風のさわやかさとは裏腹に、突如として吹き荒れた風は、まるで意志を持つかのように、優の長い前髪をいっきに掬い上げた。

 ふわり、と。
 優の前髪は頭頂で宙を舞い、大きく弧を描いて後ろへ翻った。

 時間が止まったかのような、その一瞬。
 クラスメイト全員の視線が、音もなく優に集まった。

「……え?」
「今の、何?」
「あの、髪……」

 ざわめきが校庭中に広がる。
 前髪の向こう側に、──はっきりと──誰もが見たことのないはずの、大きく澄んだ瞳と、繊細に整った顔立ちが一瞬だけ露呈したのだ。

 日差しを反射する白い肌。
 すっきりと通った鼻筋。
 かすかに紅を帯びた唇の輪郭。
 彼女の美しさは、まるで映画のワンシーンのように、あまりにも鮮烈で幽玄だった。

 その場に立つ教師でさえ、唇を震わせながらも口をつぐんだ。バトンを持った走者が一瞬躊躇し、バトンパスのリズムが乱れたほどだ。校庭の空気は急激に冷たくなり、誰一人として次の動作を取ることができなかった。

(この子が……?)
(Yuu?)
(まさか……)

 ざわめきの合間を縫うように、小さなささやき声が広がっていく。
 “Yuu”としてしか知られていなかった歌姫の姿が、今、学校のグラウンドに立っている──そんな衝撃的な光景だった。

 優は、乾いた口のまま、視線を右へ左へと泳がせた。
 次の瞬間、顔が真っ赤に染まり、ぱたりと息を止める。
 動揺と羞恥がいっせいに身体を突き抜け、目の前の世界が急に遠のいていった。

 ///

 「っっっっっ!!!」
 叫びにも似た声を漏らし、優は全力で走り出した。体育着のスニーカーが砂埃を巻き上げ、グラウンドの中央を駆け抜ける。振り返りざまに見えたのは、まだ固まったままのクラスメイトたちと、呆然と立ち尽くす担任の先生の姿だった。

 息が荒く、心臓は今にもはみ出しそうだ。
 「もう、無理……学校、行けない……!」

 彼女は構わずスタート地点を越え、体育館へと続く脇道を目指した。
 グラウンドの歓声も、風の音も、自分を追う視線さえもすべてが遠のいて、ただ――逃げることしか考えられなかった。

 ──こうして、体育の授業は未完のまま幕を閉じた。
 長かった前髪の壁が一瞬にして剥がれ落ち、“地味子”としての最後の守りが崩れ去る瞬間だった。
 放課後の教室には、動転した教師と興奮したクラスメイトの波紋だけが残されていた。


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