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第4章‑4:前髪の壁
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第4章‑4:前髪の壁
噂がクラスの隅々まで行き渡ってから数日後、白河優はいつもの通学路を足早に駆け抜けた。長い前髪は今にも目元から滑り落ちそうなくらいに伸び、まるで“本当の私”を完全に隠し続けようと必死でその役割を果たしているかのようだった。
しかし、その“前髪の壁”は日に日に薄く、そして頼りなくなっていた。SNSや校内の噂で、「正体がバレたらこうなる」と美少女の顔写真がこれみよがしに貼り出されたような感覚に、優は居ても立ってもいられなかった。
「もう限界かもしれない……」
放課後の映像収録スタジオへ向かう車中で、優はぽつりと呟いた。バックミラー越しに見える佐々木泉の表情は、眉根を寄せて心配そうだった。
「優ちゃん、その前髪だけが唯一の盾だものね。分かるけど……そんなときこそ、視線をそらすしか手はないよ」
泉はそう言いながら、ポケットから大きめのリボンを取り出した。
「これを、髪留めに使ってみない? 少しだけだけど、前髪を上げる幅を狭められるかもしれない。顔の輪郭がチラ見えしても、“誰か”には見えにくくなるよ」
優はリボンを受け取ると、一瞬ためらった後で小さく息を吐いた。
「……やってみる。もう、隠し方を変えるしかないよね」
スタジオに到着し、メイクルームの鏡の前に立つ。ライトに照らされた自分の姿は、まるで別人のように見えた。髪留めで分厚く覆った前髪の中心をくるりとリボンで留めると、僅かに目尻が覗き、視線の向きだけで情緒が滲む。
「わぁ……可愛いよ」
明が隣で思わず声を上げ、優はほんの少し恥ずかしそうに頬を染めた。しかし、その“可愛い”の裏側には、明と泉の焦りが隠れていた。
やがて収録ブースのドアが開き、“Yuu”のためのナレーション録りが始まる。短い音声だけを繰り返し録音し、優はその度にマイクに向かってそっと顔を寄せる。ヘッドフォン越しに自分の抑揚のついたささやき声が返ってくると、驚くほどその声は生々しく、しかし前髪の奥で演技をしている自分とのギャップに、胸が締めつけられた。
収録を終えたあと、スタジオの廊下で明と泉が並んで歩く。
「このままじゃ、いつか素顔を見られるよ」
明は言葉を選びながら呟く。
「学校でもネットでも、“あの子だ”って指差されるのは時間の問題かも」
泉は力なく笑い、二人で顔を見合わせる。優の“前髪の壁”は、もう崩れかけているのだ。
優は二人の背中を見つめながら、そっと目を瞑った。
「知ってる。私も、そう思う。でも……この壁が最後の砦なら、もっと大切にしなくちゃ。歌声だけで、生きていきたいから」
雨音が廊下の窓を叩き、暗い雲の合間から漏れる夕暮れの光が、優の髪を淡く照らす。その光景は、まるで“英雄の最後の防壁”を象徴しているかのようだった。
──それでも、防壁は薄い。やがて、人々の好奇心という名の嵐が押し寄せれば、どんなに分厚い壁でも壊れてしまう。
明と泉は心配そうに優を見つめ、そして口をそろえた。
「私たちがいるよ。どんな壁も、みんなで支えよう」
「うん……ありがとう」
優は小さく微笑み、三人はスタジオを後にした。
“前髪の壁”はまだそこにある。それを守るために、彼女たちの絆は一層強固になっていった。
しかし同時に、この壁を永遠に保つことが不可能である現実を、誰もが感じ取っていた。
それでも、Yuuの声は壁を越えて、世界へと響き続ける──。
噂がクラスの隅々まで行き渡ってから数日後、白河優はいつもの通学路を足早に駆け抜けた。長い前髪は今にも目元から滑り落ちそうなくらいに伸び、まるで“本当の私”を完全に隠し続けようと必死でその役割を果たしているかのようだった。
しかし、その“前髪の壁”は日に日に薄く、そして頼りなくなっていた。SNSや校内の噂で、「正体がバレたらこうなる」と美少女の顔写真がこれみよがしに貼り出されたような感覚に、優は居ても立ってもいられなかった。
「もう限界かもしれない……」
放課後の映像収録スタジオへ向かう車中で、優はぽつりと呟いた。バックミラー越しに見える佐々木泉の表情は、眉根を寄せて心配そうだった。
「優ちゃん、その前髪だけが唯一の盾だものね。分かるけど……そんなときこそ、視線をそらすしか手はないよ」
泉はそう言いながら、ポケットから大きめのリボンを取り出した。
「これを、髪留めに使ってみない? 少しだけだけど、前髪を上げる幅を狭められるかもしれない。顔の輪郭がチラ見えしても、“誰か”には見えにくくなるよ」
優はリボンを受け取ると、一瞬ためらった後で小さく息を吐いた。
「……やってみる。もう、隠し方を変えるしかないよね」
スタジオに到着し、メイクルームの鏡の前に立つ。ライトに照らされた自分の姿は、まるで別人のように見えた。髪留めで分厚く覆った前髪の中心をくるりとリボンで留めると、僅かに目尻が覗き、視線の向きだけで情緒が滲む。
「わぁ……可愛いよ」
明が隣で思わず声を上げ、優はほんの少し恥ずかしそうに頬を染めた。しかし、その“可愛い”の裏側には、明と泉の焦りが隠れていた。
やがて収録ブースのドアが開き、“Yuu”のためのナレーション録りが始まる。短い音声だけを繰り返し録音し、優はその度にマイクに向かってそっと顔を寄せる。ヘッドフォン越しに自分の抑揚のついたささやき声が返ってくると、驚くほどその声は生々しく、しかし前髪の奥で演技をしている自分とのギャップに、胸が締めつけられた。
収録を終えたあと、スタジオの廊下で明と泉が並んで歩く。
「このままじゃ、いつか素顔を見られるよ」
明は言葉を選びながら呟く。
「学校でもネットでも、“あの子だ”って指差されるのは時間の問題かも」
泉は力なく笑い、二人で顔を見合わせる。優の“前髪の壁”は、もう崩れかけているのだ。
優は二人の背中を見つめながら、そっと目を瞑った。
「知ってる。私も、そう思う。でも……この壁が最後の砦なら、もっと大切にしなくちゃ。歌声だけで、生きていきたいから」
雨音が廊下の窓を叩き、暗い雲の合間から漏れる夕暮れの光が、優の髪を淡く照らす。その光景は、まるで“英雄の最後の防壁”を象徴しているかのようだった。
──それでも、防壁は薄い。やがて、人々の好奇心という名の嵐が押し寄せれば、どんなに分厚い壁でも壊れてしまう。
明と泉は心配そうに優を見つめ、そして口をそろえた。
「私たちがいるよ。どんな壁も、みんなで支えよう」
「うん……ありがとう」
優は小さく微笑み、三人はスタジオを後にした。
“前髪の壁”はまだそこにある。それを守るために、彼女たちの絆は一層強固になっていった。
しかし同時に、この壁を永遠に保つことが不可能である現実を、誰もが感じ取っていた。
それでも、Yuuの声は壁を越えて、世界へと響き続ける──。
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