二世代の伝説の歌姫 〜ラストナンバーは終わらない〜

ふわふわ

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第5章‑2:逃走と引きこもり

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第5章‑2:逃走と引きこもり

 優がグラウンドを全力で駆け抜けたあと、体育の授業は訳の分からない混乱の渦に呑み込まれた。先生が「白河さん、戻ってきなさい!」と叫び、クラスメイトが駆け寄ろうとした瞬間、優は校門の向こうへと飛び出していた。

 大通りを超え、住宅地のさざめきに紛れ込むと、優の全身から力が抜け、息が荒くなる。心臓はまだ鳴り止まず、伝い歩きで近くの公園へ逃げ込んだ。ベンチにへたり込み、両手で顔を覆いながら、嗚咽交じりで声を絞り出す。

「……ごめんなさい、……ごめんなさい、……もう無理……」
 前髪の代わりに指で顔を覆い隠し、泣き腫らした目が緑の茂みに隠れている。夕暮れの薄明かりが、優の涙と口元の震えを淡く照らした。

 しばらく震えが収まるのを待ち、スマホを取り出す。画面には学校のチャットグループが光り、未読メッセージが大量に溜まっている。「大丈夫?」「何があったの?」「家帰ってる?」──だが、どのメッセージも読めない。胸がつまり、画面を閉じてベンチにそのままつっぷした。

 気づけば辺りはすっかり暗くなり、公園の街灯だけが不安定に点滅している。遠くで子どもの笑い声が聞こえ、犬の散歩をする人影が通り過ぎるが、優にはそれが別世界の出来事のように感じられた。

 「帰らなきゃ……でも、帰ったら…」
 青白い光のスマホ画面を見つめる。先ほど体育館で轟いた自分の叫び声、クラスメイトのざわめき、先生の慌てた声──すべてが頭の中をループする。優は布団にくるまった自室の自分を想像し、震えながら呟いた。

 「また、みんなに見られる……私の顔が……」

 涙が止まらないまま、公園のベンチで時間だけが過ぎていく。時計の針はゆっくりと深夜に向かい、不意に寒気が襲うと、優は鞄から薄手のパーカーを取り出して身にまとった。

 「お母さん……ごめんね……出られない……」

 母親の温かな言葉が頭をよぎる。舞の姉・愛が「大丈夫、誰にも言わないよ」といつか優に優しく囁いた声。その記憶だけが、今の優をかろうじて引き留めていた。愛は数年前に舞の形見を優に託し、温かい家庭を築いていた。しかし優は、母に心配をかけるのが怖くて、まだ一度も相談できずにいる。

 ようやく小さく決意し、スマホを再び手に取る。トイレも行かず、着信履歴から明の番号を探し、通話ボタンを押した。

 「……はい」
 聞き慣れた明の声が小さく響く。

 「明……私……朝、体育で……突風で……正体バレしちゃった……もう……学校に行けない」

 言葉は途切れ途切れで、泣き声を嗚咽が遮る。公園の街灯が一瞬だけチカチカと点滅し、優の震える声をさらに強調した。

 「今、どこ?」
 明はすかさず問い、優は住所表示のオンになっているスマホ画面を見せる。

 「○○公園……」

 「分かった、今迎えに行く。泉にも連絡するから、動くな」

 優は頷いたつもりだったが、相手にそれは伝わらなかった。電話を切ると、ベンチに頭を伏せ、再び嗚咽交じりに泣いた。

 ──深夜になり、星明りだけが差し込む小さな公園に、一人震える少女の姿。
 彼女の心に刻まれたのは、自身の弱さと、仲間への申し訳なさと、未来への恐怖だった。

 数分後、遠くから聞こえてきたバイクのエンジン音に、優は顔を上げた。ヘルメット姿の明と泉が寄り添い、公園の入り口で優を見つけて駆け寄ってくる。

 「優、無事だったか?」
 「心配したよ!」

 二人の声に、優はようやく放心から解放され、小さく涙を拭って頷いた。
 「ありがとう……ごめんなさい……」

 一人残された冷たいベンチに、また小さくひびが入ったかのように聞こえた。
 優は、もう一度立ち上がり、明と泉の腕にくるまれながら、自分の居場所を確かめるように、小さく息を吐いた。

 「家に帰ろう……」

 その言葉は、逃げ込んだ彼女にとって、唯一の帰路だった。

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